春の風が、学院の塔を優しく撫でていた。
新学期。アレムは、いよいよ三年生になった。
多くの生徒が進級に胸を弾ませる中、アレムは不思議な胸騒ぎとともに、いつもの朝を迎えていた。
ガイルがぼやくように言った。
「ふぁぁ……ついに俺たちも三年か。長いようで、早かったな」
「事件が多すぎたからね……」
イリスが苦笑しながらスープを啜る。
ディランは組んだ腕のままニヤリと笑った。
「でも、最高学年っていい響きだよな。教官たちに堂々と文句が言える」
「こら」
リフィアが軽く注意する横で、アウラはこくこくと頷いていた。
その時――食堂の扉が音を立てて開いた。
「失礼。ここが三年生の朝食会場で、間違いないか?」
その声に、全員が振り向いた。
金髪に眼帯、すっと伸びた背筋――
それは、アレムにとってあまりに見慣れた姿だった。
「……リシア?」
「ふふ。ごきげんよう、アレム。今日から正式にこの学院に転入することになった。よろしく」
制服姿のリシアは、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「君、実体を取り戻したの!?」
「 まあ、こまかいことはどうでもいい」
ガイルが噴き出すように笑った。
「マジかよ! これでメンバー全員そろったな!」
「また厄介ごとが増えそう……」
イリスは呆れながらも、どこか嬉しそうだった。
アウラがおずおずと声をかける。
「あの……その、よかったら……私たちの席、来ませんか?」
「ありがとう。……じゃあ、遠慮なく」
リシアはアウラの隣に腰を下ろし、朝のパンに手を伸ばした。
その日の午後、担任教師が教室で発表した。
「今日から転入生が一名加わる。魔導管理局より特別な許可が下りた生徒だ。……リシア・ノクターナ嬢だ」
リシアは壇上に立ち、堂々と自己紹介する。
「私はリシア。多少、特殊な出自と過去を持っているけれど、この学院での日々を大切にしたいと思ってる。よろしく」
生徒たちの間にどよめきが走る。
(あれが……あの大会で“黒馬に乗って戦った”少女……?)
(なんでそんな人が転入してくるの!?)
(でも、美人すぎない……!?)
ざわつく空気の中、リシアはアレムの方をちらりと見て、くすっと笑った。
放課後。学院の中庭。
アレム、リシア、ガイル、イリス、アウラ、ディラン、リフィア。
かつて別々に戦っていた彼らが、今では一つの輪となって笑い合っていた。
「まるで、冒険者パーティーみたいだな!」
ガイルがそう言うと、アレムが答えた。
「……そうだね。でも、戦うだけが僕たちの目的じゃない。
笑って、一緒に過ごして、仲間でいること。それも、すごく大切だと思う」
「ふふ……名言だな、魔王の息子くん」
リシアがいたずらっぽく言った。
「いや、もう“魔王の息子”って呼ぶのやめてよ……」
皆が笑った。
春の日差しの中――
かつて、剣を交えた者たち。裏切られた者たち。救われた者たち。
その全員が、“仲間”として並び、未来を見据えていた。
学院の最終年。
それは、新たな戦いの予感と、穏やかな日常の始まりを告げていた。
ある日、学院でひっそりと噂が流れていた。
「――地下に、もうひとつの教室があるらしいよ」
「そこでは“魔族の生徒たち”だけが勉強してるんだって」
「でも誰も、本当に行ったことはないらしいよ……」
その噂にガイルが飛びついた。
「面白そうじゃねぇか! 地下教室! ちょっと探検してみようぜ」
イリスがため息をついた。
「また“好奇心は災いの元”って言葉を無視してる……」
しかしアレムは、何か引っかかるものを感じていた。
(魔族の生徒……学院にはごく少数しかいないはずなのに。
わざわざ“隔離”する必要があるんだろうか?)
こうして一行は、教師用の資料室の奥にある、古い螺旋階段を降りていった。
辿り着いたのは、学院の地下深くにある石造りの教室。
扉を開けると、中には10人ほどの生徒たちが座っていた。
角を持つ少年、灰色の肌を持つ少女、翼を畳んだ魔族の子どもたち。
彼らの目が一斉にアレムたちを見た。
一瞬、緊張が走る――が、教壇に立っていた男が優しく笑った。
「……おや、珍しいお客さんだ。見慣れない顔だね」
長い髪を後ろで束ね、柔らかな目元と落ち着いた声。
だがその眼光は鋭く、ただ者ではないと一目でわかる。
「あなたは……?」
「私は“ラグス・ベルシュタイン”。この地下教室の担当教官だ。……そして、君の父とも戦場を共にした者でもある」
アレムの目が見開かれる。
「父と……!?」
ラグスは、皆を机に座らせ、静かに語り始めた。
「君の父は……誰よりも“真っ直ぐな男”だった。
人と魔族が憎しみ合う時代に、“共に手を取り合える”未来を信じていた」
「……父が、ですか?」
アレムは、これまで聞いてきた“魔王”としての父――
圧倒的な力を持ち、世界を制した破壊者――とは違う印象に、困惑していた。
ラグスは頷いた。
「私は元・魔族軍の兵士だった。敗戦後、捕虜として人間の軍に引き渡されるはずだったが、彼が庇ってくれた。
『罪ではなく、生き方を見てくれ』とね」
彼の目が少し潤む。
「……だから私は、教師になった。“違い”で線を引かず、学びで心を繋ぐために」
魔族の生徒たちが、どこか誇らしげにラグスを見ていた。
ガイルが口を開いた。
「でも、どうして魔族の生徒たちは“地下”に?」
ラグスは少しだけ目を伏せた。
「表向きは“適応支援”。だが実態は、“隔離”だ。
この学院でも、魔族を完全に受け入れているとは言えない」
イリスは静かに言った。
「建前だけの共存……ということですね」
アレムは教室の子どもたちを見た。
楽しそうに授業を受け、時にくすくすと笑う彼らは、誰よりも“普通の生徒”だった。
「……僕に、できることはないですか?」
ラグスは微笑んだ。
「君が“ここを忘れない”でくれたら、それで十分だ。
いつか、地上と地下の壁を壊せるかもしれない」
帰り道、リシアがぽつりと呟いた。
「……あなたの父も、案外、いい男だったのね」
アレムはうなずいた。
「……父のこと、少しだけ知れた気がする。
魔王だったけど、“誰かを守るための魔王”だったのかもしれない」
その横で、ディランが腕を組んで笑った。
「だったら、お前もそうなれ。“破壊する魔王”じゃなくて、“守る魔王”にな」
アレムは、笑って頷いた。
地下に光が差し込むその日を目指して――
少年はまた、一歩、歩き始めた。
春の午後、学院の講師室にはいつにも増して重い空気が漂っていた。
アレムが資料を返しに入ったその時、部屋の奥で聞こえてきたのは――
「――あの男、信用ならんね。魔族を擁護しすぎだ」
その声の主は、学院でも最も保守的と知られる教師、ゲレル・バンデル。
ふくよかな体格と大仰な身振りで有名な男だった。
アレムは足を止め、耳を澄ませた。
「“ラグス”とか言ったか……あれは魔族の出身だろ? 本来なら学院に入れるべき存在じゃない。
それが今じゃ教師だ。何か裏があるに違いない」
「しかし、あの人は問題を起こしてませんよ。生徒からの信頼も――」
別の教師が反論しかけるが、ゲレルは鼻を鳴らす。
「それが逆に怪しいんだよ。あんなに“優等生”ぶるなんて、何かを隠してるに決まってる。
魔族が“共存”だの“平和”だの言い出した時は、たいてい裏があるもんだ」
その言葉に、アレムの拳が静かに握られた。
(……ラグス先生が、そんなことするはずない)
彼は知っている。
地下教室で、魔族の子どもたちに等しく知識を与え、希望を語っていたあの背中を。
それは誰よりも「教師」だった。
だが――学院の中には、まだ“過去”の戦争の影に囚われた者が多い。
「……君、聞いていたのかね?」
ゲレルが振り返り、アレムに気づいた。
アレムは一歩、前に出た。
「ラグス先生を……疑うのは、やめてください」
「なんだと?」
「先生は、父と共に戦ってきた人です。
父は……魔王である前に、“人と魔族の未来”を願った人だった。
ラグス先生も、それを受け継いで教えてくれているんです」
ゲレルはむっとした顔で近づく。
「君の父が“魔王”だったことは周知の事実だ。
それが今、何の証明になる? “同類”が“同類”を庇っているだけに見えるがね」
「――僕が“魔王の息子”なら、あなたは“時代に取り残された人”ですね」
その一言に、講師室の空気が凍りついた。
「……君、今なんと?」
「僕は父から剣も力も継ぎました。でも、それだけじゃありません。
“何のために力を使うのか”――それを教えてくれたのが、ラグス先生なんです」
ゲレルは鼻息を荒くしたが、それ以上は何も言えなかった。
やがて無言で、部屋を出て行く。
アレムはその背中を見送った。
その日の夕方、アレムは地下教室を再び訪ねた。
「……聞いてたよ」
ラグス先生は、静かに紅茶を注ぎながら言った。
「君があのゲレルに何を言ったかは、もう講師間で広まってる。
なにせ、“時代に取り残された”なんて言葉、あの男が黙って飲み込むはずがない」
「……すみません。余計なことを」
ラグスは小さく笑った。
「いや、嬉しかったよ。君がそうやって“立ってくれる”ことが」
彼は窓の外の闇を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「いつか、“人間の教室”と“魔族の教室”がひとつになる日が来たら……
その時、私はようやく教師としての役目を果たせるのかもしれないな」
アレムはうなずいた。
「その日、僕が一緒に立ちます。……必ず」
ラグスは目を細めた。
「本当に、君は彼に似てきたよ。君の父に、ね」
だが――その裏で、ゲレルは学院理事会に密告していた。
「……ラグス・ベルシュタインは危険です。調査すべきです。
奴はまだ“魔王軍”とつながっているかもしれない」
学院の闇が、静かに動き出していた。