それは、学院の裏庭にある旧資料塔――
昼でも薄暗く、生徒もほとんど立ち入らない場所だった。
「ここで……密会、って情報があったんだよ」
とガイルは小声で言った。
アレム、イリス、リシア、アウラも、彼の後ろに息を殺して潜んでいた。
この場所で、ラグス先生とゲレルが“定期的に会っている”という噂。
それを確かめるために、彼らは放課後に張り込みをしていた。
そして、足音――。
太った男と、長身の教官が、月明かりの差し込む古びた部屋へ入っていく。
「……間違いない。ゲレルとラグスだ」
リシアが瞳を細める。
アレムたちは扉の隙間に耳を当てた。
室内で、ゲレルの声が響いた。
「……これで三度目の接触だな、ラグス。決めたか?」
「……本当にそれしか方法がないのか?」
「ふん、分かっているだろう。“あの人”を生き返らせる術など、そう多くはない。
魂を呼び戻し、身体を再生し、そして宿す器……すべてを揃えるには、“贄”が要る」
アレムたちは息を呑んだ。
(生き返らせる……? 誰を――?)
ゲレルが続ける。
「魔王の妻。あの“氷の棺”で眠る女を。
お前の生徒たち――魔族の血を持ち、器として適応する者たちを使えば、可能だ。
奴らはどうせ、学院では陽の目を見ぬ存在。上層部も、口出ししないだろう」
「……それでも、私は――」
「まだ甘いことを言うのか?」
ゲレルが一歩、詰め寄る音がした。
「ラグス。お前の過去を忘れたか? お前は“裏切った”のだぞ。魔王軍を、魔族を。
その償いが今、果たせるというのに――!」
しばらくの沈黙。
やがてラグスが、絞り出すように言った。
「……私の生徒は、“命”だ。家族と同じだ。
その命を使ってまで……私は、彼女を救いたいとは思わない」
「ならば――お前が死ね。お前の血でも構わん。
“彼女”は、主の心を鎮める唯一の存在だ。魔王の暴走を止めるには、あの方しかいないのだ」
ゲレルの声が、狂気じみていた。
「お前が“裏切り者”である限り、選べ。贖罪か、拒絶か。
どちらにせよ、我ら旧魔王軍は、動き出す」
その瞬間、足音がこちらへ向かってきた。
「まずい、見張りが来るわ。離れて」
リシアがアレムたちを引き寄せ、物陰へと移動させた。
やがて、部屋の扉が開き、ゲレルとラグスが出てくる。
ラグスの表情は苦悩に満ちていた。
ゲレルはにやりと笑いながら、闇に消えていった。
学院の裏庭、深夜。
アレムたちは誰も口を開けなかった。
アウラが先にぽつりと呟いた。
「……先生が、生徒たちを生贄に……そんな……」
イリスは唇を噛んで首を振る。
「でも、先生は拒んだ。“家族同然だ”って言ってた……私、信じたい」
ディランが腕を組んで低く言う。
「旧魔王軍はまだ動いてる。……ラグス先生は、その渦中にいたってわけだ」
リシアは、瞳を伏せながらも、冷静に告げる。
「――ここからが、本当の試練ね。
私たちが誰を信じるか、それを見極める時が来た」
アレムはゆっくりと、夜空を見上げた。
そこに輝く月は、あの日父が魔王になった夜と、同じだった。
(父は……暴走した。でも、誰かを愛し、誰かを守ろうとしていた)
そして今、彼の仲間だったラグスが、同じように葛藤している。
アレムは小さく拳を握った。
「ラグス先生を――見捨てたくない。
でも、もしあの人が“生徒を傷つける”ような選択をするなら――僕は、それを止める」
皆が、その言葉に静かに頷いた。
「……なら、私たちは先生を信じるために、動きましょう」
リフィアが、微笑みながら言った。
「真実を知って、救うために。先生も、生徒たちも」
学院の地下深く――
古の扉を開けた先に、それはあった。
氷の棺に封じられた、美しい金髪の女性。
目を閉じ、ただ静かに眠る“魔王の妻”。
その前に立っていたのは、ラグスとゲレル。
ラグスは氷に手を当てながら、まるで祈るように言った。
「……もうすぐだ。君を、再び目覚めさせる」
「さぁ、贄を――」
ゲレルが叫ぼうとしたその時、地下室の扉が大きな音を立てて開かれた。
「――やめてください、ラグス先生!」
アレム、ガイル、イリス、リシア、ディラン、リフィア、アウラ。
七人の仲間たちが、氷の間に駆け込む。
「もう聞いたんです……全部。
先生が、何をしようとしてるのか!」
ゲレルが唇を歪めた。
「おやおや、生意気なガキどもがぞろぞろと……」
ラグスはゆっくりと振り向いた。
その目は、悲しみと決意に満ちていた。
「……来るなと言ったはずだ、アレム。
私はもう、教師ではいられない。これは“かつての誓い”の果てなんだ」
アレムは首を振る。
「違う。先生はまだ、生徒を想ってる。
だからこそ、ここで……“間違ってほしくない”!」
その時、ゲレルが呪文を唱え始めた。
「黙れぇぇぇッ! 女神の魂よ、冥府より這い出でろ! 生贄は――!」
「させるかっ!」
ディランの炎の槍が、ゲレルの杖を焼き払った。
「この期に及んでまだ喚くとは……下種が!」
リシアが槍を構え、リフィアが結界を展開する。
ゲレルが後退しようとしたが、すでに背後をガイルとアウラが封じていた。
「……もう終わりだよ、ゲレル。逃げ道はない」
アレムが告げたその瞬間――
ラグスの背中に、大きな黒い翼が広がった。
全身が鱗に覆われ、双角が伸びる。
巨躯は人型を離れ、禍々しき竜の姿へと変貌していく。
「――俺は、竜族“ドレイク”の末裔。魔王軍四騎士と呼ばれた者」
天井が震え、床が砕けるほどの魔力。
イリスが呟いた。
「……本気で来るつもりね、先生は」
ラグスの咆哮が響いた。
「だが、俺は“お前たちの敵”ではない。――これは、“試練”だ。
お前たちが本当に、この想いを止めるだけの力を持っているのか――見せてみろ!!」
その一言とともに、戦いが始まった。
雷の刃が唸り、炎が空を焦がす。
水晶の盾が咆哮を受け止め、黒槍が竜の鱗に突き刺さる。
ラグスは圧倒的な力で、七人を押し返す。
だが、彼はどこか“本気”ではなかった。
(――殺すつもりはない)
アレムは気づいていた。
(先生は……僕たちを“導いている”。この力が、どこまで届くかを試している)
そしてアレムの右手が黒く輝いた。
魔王の血が応える。暴走ではない、意志ある力として。
「――僕は、父のようにはならない。
でも、父が目指した“希望”は、僕が継ぐ!」
ラグスの巨体に跳びかかり、拳を放つ。
その一撃に、竜の身体がわずかに揺れた。
そして――ラグスは、ゆっくりと人の姿に戻る。
「……本当に……強くなったな」
彼は微笑みながら、静かに言った。
「この力なら……あの日、俺が守れなかったものを、きっと……お前たちが」
その後、学院の衛兵により、ゲレルは国家反逆罪の容疑で逮捕された。
旧魔王軍の残党との繋がり、複数の禁忌魔術の所持、そして“生徒の命を狙った罪”が明るみに出た。
一方で、ラグスは――学院を、去った。
「私の居場所は、もう教壇にはない。
だが、君たちのことは……私の誇りだ」
最後に見せた笑顔は、どこまでも優しかった。
アレムは言った。
「僕、先生の教え……絶対に忘れません。
先生が信じてくれた未来を、僕たちが守ります」
「……なら、それで十分だ」
ラグスは、氷の棺の前で一度だけ深く頭を下げ、静かに去っていった。
地下の空気は、今もひんやりとしていた。
だがそこに残ったのは、悲しみではなく、希望の余韻だった。
アレムたちは階段を昇る。
その背に、魔王の血と――“ひとりの教師の想い”が、確かに宿っていた。