魔法学校のアレム   作:yumui

18 / 18
決戦

世界一高い山「断罪の峰」。

再びその中腹に現れた巨影――それは、魔王軍四騎士“岩砕”ガルドン。

 

その巨体は雪を吹き飛ばし、岩を踏み砕きながら現れた。

かつての戦いよりもさらに重厚な威圧感を放っている。

 

「……戻ってきたか、人間ども」

 

低くうねるような声。

アレムは一歩前に出る。

 

「ああ。今度は退かない。魔王のもとに行くためにも、ここは通らせてもらう」

 

ガルドンの眉がわずかに動いた。

 

「その目……変わったな」

 

彼の目がアレムの仲間たちにも向く。

ガイルの纏う雷気、イリスの澄みきった結界、ディランの黒炎、アウラの気配すら感じさせぬ構え――

 

そしてアレムの右腕から立ち上る、黒と赤の混ざり合った魔力。

 

「なるほど……お前たちは、もう一度鍛え直したんだな」

 

ガルドンはゆっくりと拳を握った。

拳を振るう理由が、明確になっていく。

 

「ならば……今度は全力だ。

俺は“名声”のために戦ってきた。最強と呼ばれたい、英雄と並び称されたい――

だが、それだけじゃない。俺には……もうひとつ、忘れていた“理由”がある気がする」

 

彼の体が地を揺らすように突進してきた。

 

激突は凄まじかった。

 

アレムの黒槍とガルドンの巨拳が何度もぶつかり合い、山肌を震わせる。

 

ガイルは雷の剣を操り、足元から斬り上げる。

イリスの水晶盾が仲間を守りながら、援護の光を放つ。

ディランの“夜焔”が軌跡を描き、アウラの鳴矢がその隙を貫く。

 

「俺たちは、もう昔のままじゃない!」

 

アレムの叫びに、ガルドンの目が見開かれる。

 

「……ああ、その通りだ。お前たちは、本当に強くなった」

 

ガルドンは拳を振るうたびに、なぜ自分が拳を握っているのかを考えていた。

 

(名声のため……ではない。

俺は――ただ、強くなりたかった。

誰かのために立ち上がれる力を……)

 

アレムの槍が、ついにガルドンの肩を貫いた。

 

ドガンッという衝撃音が山全体に響き、ガルドンの巨体が膝をついた。

 

「……なぜ……こんなにも、清々しいんだ……」

 

ガルドンはゆっくりと空を見上げ、息を整えるように微笑んだ。

 

「俺はずっと、名声に囚われていた……だが、違った。

お前たちと戦って、やっと思い出せたんだ。

強さは、人に誇られるためじゃない……自分の道を、自分で信じて進むためにあるんだな」

 

その言葉を最後に、彼の巨体は静かに雪の上に崩れ落ちる。

 

戦闘不能。

 

だが、満ちた笑みを浮かべたままのその姿に、誰も刃を向けなかった。

 

アレムは近づき、ゆっくりと右手を差し出した。

 

「……ありがとう。ガルドン。

君がいたから、俺たちもここまで来られた」

 

ガルドンはうっすらと目を開けた。

 

「……魔王を救え、人間の子……それができるのは、お前しかいない」

 

アレムは頷いた。

 

雪が降る中、彼らは再び魔王城の方角へ歩き出す。

 

強さとは何か――その問いに、また一つの答えが加わった。

 

#

 

魔王城への最後の門を越えた先――

そこに立っていたのは、かつての仲間であり、宿敵。

 

漆黒のドレスに血の宝石を纏い、影から生まれたようなその女。

魔王軍四騎士、ノワール。

 

「……来たのね、アレム。そして……レメディア」

 

ノワールの瞳は冷たく、けれど揺らぎを孕んでいた。

 

アレムは仲間たちを背に、前に出る。

 

「本当に……戦わなきゃいけないのか?」

 

「ええ、当然よ。私は今や、魔王軍の誇り高き四騎士。

感情で剣を止めるわけにはいかない」

 

だがその口元は、ほんのわずか、寂しげに歪んでいた。

 

レメディアが名を呼ぶ。

 

「ノワール……あなたは、本当にそれでいいの?」

 

「いいも悪いもないわ。私は、もう“あの頃”の私じゃない」

 

ノワールは高く手を掲げ、血の魔術陣を展開した。

 

「さあ来なさい、希望の子どもたち。

あなたたちの心を、今宵の闇で染め上げてあげる!」

 

戦いは、凄惨を極めた。

 

ノワールの魔術はまさに“夜”。

光を吸い、影を操り、闇の翼で空を切り裂く。

 

ガイルの雷撃を霧のように消し去り、イリスの結界を黒い血で蝕む。

 

アウラの矢は影の壁に弾かれ、ディランの炎は闇に呑まれる。

アレムの槍すら、彼女の滑らかな動きに翻弄される。

 

「さすが四騎士……!」

 

リフィアが叫ぶ。

 

アレムは歯を食いしばる。

「……それでも、俺たちは止まれない!」

 

仲間たちは立ち上がり、連携の陣形を組む。

その動きに一瞬、ノワールの目が揺れた。

 

「……“絆”ね。私には、もう失ったもの」

 

「違う!」レメディアが叫ぶ。

 

「あなたは、まだここにいる! 心も、魂も、あの頃のまま!」

 

「黙って……私は、“私”の居場所を見つけたの」

 

ノワールの攻撃が一瞬乱れた。

その隙を、アレムの右手がとらえる。

 

血の力と魔王の力が共鳴し、光と闇がぶつかり合う。

ノワールの影が後退し、息を荒げて膝をついた。

 

「なぜ……あの時、私を止めたの?」

 

レメディアが静かに歩み寄る。

 

「だって、あなたを……愛していたから。

そして今でも……消えてしまったと思いたくなかった」

 

ノワールの瞳に、熱いものが宿る。

 

「……バカね。こんなことになるなら、もう一度……もう一度だけ、あなたの横に……」

 

その言葉を言い終える前に、彼女の身体は静かに崩れ落ちた。

 

しかし、その表情は安らかで、心の中に灯った“ひとつの可能性”を抱いたまま、彼女は眠るように意識を失っていた。

 

レメディアは彼女の隣にしゃがみ、そっとその頬に触れる。

 

「ノワール……もしまた戦いが終わったら、今度こそ……話をしよう。笑って。泣いて。手をつないで」

 

アレムたちは静かに立ち去る。

 

魔王城の大広間。

石の天井が高くそびえ、黒曜石の柱が並ぶ空間には、冷たい緊張が漂っていた。

 

中央に立っていたのは――魔王軍四騎士・金鋼鎧のシルキィ。

黄金の重装鎧に身を包み、その小柄な体躯からは想像もできない重厚な気配が満ちている。

 

「来たのね、アレムたち」

 

彼女は兜を外し、淡い銀髪をなびかせた。

透き通るような瞳には、かすかな覚悟と優しさが宿っていた。

 

「私を超えなさい。それが……この先に進むための、最後の門」

 

アレムは静かに頷いた。

 

「……あなたと、また戦うとは思ってなかった。けど――今なら、全力で向き合える」

 

「ふふ、期待してるわよ」

 

そして、戦いが始まった。

 

シルキィの鎧は、以前とは比べものにならないほど硬く、速く、重かった。

 

一歩踏み込むごとに床が砕け、盾の一振りは空気を裂く雷鳴となる。

それでいて彼女の動きは正確で無駄がなく、全員を完璧に見切っているようだった。

 

「こっちは修行してきたんだよ!」

 

ガイルの雷剣が背後から叩きつけられるが、シルキィは盾で受け、踏み込みざまに反撃する。

 

「わたしだって、成長してるのよ」

 

水晶の矢を放つイリス、夜炎を操るディラン、矢の雨を降らすアウラ……

彼らの攻撃も、ことごとく弾かれてゆく。

 

だがアレムは、仲間の動きを読み、戦場全体の流れを見極めていた。

 

「いける……今なら!」

 

右手に宿る魔王の力が爆ぜ、黒い閃光が走る。

 

「せぇいッ!」

 

アレムの槍が突き上げ、シルキィの胸当てに初めて亀裂が走った。

 

「……本当に、強くなったわね」

 

シルキィは少し笑った。

その隙を突くように、アウラの矢が隙間を抜け、肩の継ぎ目に命中した。

 

「……はは、痛っ」

 

思わず苦笑したシルキィの姿に、皆が一瞬戸惑う。

 

そして、彼女は――剣を地面に突き立てた。

 

「もう十分よ。これ以上、戦っても無意味だわ。

私の鎧を抜いたってことは、もうあなたたちの“心”が、私を超えたってこと」

 

「じゃあ……なぜ止めようとしたの?」

 

リフィアが問う。

 

シルキィは答える。

 

「“覚悟”を確かめたかったのよ。

魔王は……それほどの存在。どんなに強くても、心が折れていたら、届かない」

 

静かに視線を向けてくる。

 

「あなたたちなら、手が届く。

あの人の“心”に、唯一――触れられる存在だって、証明してくれたから」

 

鎧がガラリと外れ、膝をついた彼女は、最後にこう言った。

 

「魔王に届かなければ、すべては無に還る。

でも、届いたなら……この世界は、きっと変わる。

だから――お願い。あの人を、救って」

 

アレムは静かに彼女の前に歩み、手を差し出した。

 

「あなたが教えてくれたんだ。“強さ”っていうのは、守りたいものがある心だって。

俺たちは、絶対に届く。だから……見ていてくれ」

 

「ええ、必ず。……きっと、彼も待ってる」

 

そしてシルキィは、そのまま意識を失い、倒れ伏した。

 

#

 

魔王城、深層部。

扉を開けると、そこにいたのは――

 

銀の髪に角、鋭い牙と爪を備えた、竜のような種族ドレイクの男。

元・魔法学院教師にして、魔王軍四騎士のひとり。

 

ラグス――かつて、アレムたちに防衛術を教えた、あの陽気で頼りない先生が、

今は、魔王の忠実なる「門番」として立ちはだかっていた。

 

「……来たか、お前たち」

 

その声は、もう教室での柔らかい響きではなかった。

静かで、重く、そしてどこか誇らしげだった。

 

 

ラグスは剣を抜いた。

かつて授業に忘れたり、落として割ったりしていた剣とは思えない、重厚な刃だった。

 

「魔王の妻を生き返らせたい。

だがな、それ以上に――お前たちに、最後の壁になってほしかったんだ」

 

「ラグス……!」

 

アレムは一歩前に出る。

 

「乗り越えてみろ! お前たちの強さを、この命で試してやる!」

 

戦闘が始まる。

 

ラグスの動きは、かつての面影を一切感じさせなかった。

 

剣は重く鋭く、風を切って地面を砕く。

竜の爪は稲妻のように素早く、炎のブレスでアレムたちを翻弄する。

 

「くそっ……これが“本気の先生”ってやつかよ!」

 

ガイルが叫ぶ。

 

「本当に、手加減してたんだな……あの授業のとき……!」

 

イリスとリフィアが結界と魔術で援護するが、それすらも読まれている。

アウラの矢も、ディランの炎も、紙一重でかわされる。

 

だが――アレムは前に出る。

 

「先生……俺たちは、もう“子ども”じゃない!」

 

黒い槍が唸りを上げて突き出される。

 

「あなたが教えてくれた“守る剣”。俺たちの中に、ちゃんと残ってる!」

 

その刹那、ラグスの表情が揺らいだ。

 

「……そうか……!」

 

アレムの一撃が、ラグスの胸を貫いた。

 

ラグスの体が地に倒れる。

だが、その目は、敗北者のものではなかった。

 

「……やるじゃねぇか。まさか、本当にここまで育つとは……」

 

彼は仰向けのまま、空を見上げた。

 

「……あのとき、廊下で剣も持たずに突っ込んできたお前がさ……

こんなにも堂々と“誰かを守る剣”を振るうとはな」

 

アレムは、彼のそばに膝をつく。

 

「俺たちがここまで来られたのは、先生がいたからです。

いつもポンコツだったけど……本当は、ずっと、強かった。ずっと、俺たちを見てくれてた」

 

「……やめろ。泣いちまうだろ……」

 

ラグスは苦笑して、手を伸ばす。

 

「……行け。魔王のところへ。

“教え子が世界を救った”なんて話、ちょっとカッコよすぎて……惚れそうだぜ」

 

アレムはその手を、強く握り返した。

 

「――ありがとう、先生」

 

ラグスは意識を失い、静かに眠った。

その表情は、どこか満ち足りたようだった。

 

彼の背中を越えて、アレムたちは歩き出す。

 

すべての師たちが、四騎士たちが、自分たちに託した“未来”を背負って――

いよいよ、玉座の間へ。

 

#

 

玉座の間。

世界で最も高い山の頂、魔王の居城の最奥。

 

氷のように冷たい空気が張り詰め、深淵のような魔力が空間を満たしていた。

その中心、玉座に座っていたのは――

 

魔王レオン。

 

アレムと同じ面差しを宿しながら、その表情には感情のかけらすらなかった。

 

「……来たか、息子よ」

 

その声は凍てついた大地を割るように響く。

 

アレムは槍を構え、静かに答えた。

 

「お父さん……もう、止まってくれ」

 

「止まれるものか。この世界のすべては、私の掌中にある。

愛した者を失い、奪われ、裏切られ、それでも“正義”を貫いて得た王座だ。

私は魔王そのものなのだよ」

 

そして、戦いが始まった。

 

魔王の力は圧倒的だった。

 

一振りの手で空間が裂け、目に見えぬ斬撃が大地を穿つ。

雷と炎と氷が渦巻き、四騎士の力を併せ持つかのように襲い来る。

 

ガイルは吹き飛ばされ、ディランの炎すら霧散する。

イリスとリフィアは結界を張るも一瞬で砕け、アウラの矢も魔力の壁に弾かれた。

 

アレムの槍でさえ、父の圧倒的な力の前では届かない。

 

「……これが、魔王の全力か」

 

ひざをつくアレム。

その肩に、そっと手が触れた。

 

――リシア。

 

「アレム。……“二つ目の約束”だ」

 

「……え?」

 

リシアは静かに微笑んだ。

銀の髪が揺れ、瞳には覚悟の光が宿っていた。

 

「私がかつて魔王だったこと。

それを倒したのが――“レオン”だったこと。

そして……」

 

彼女はそっとアレムの手を握る。

 

「……魔王の力を“消し去る”力。

それが、あなたに託された“真の力”。

でも、それを引き出すには――私の存在が必要だった」

 

「……どういう意味だ、リシア」

 

「あなたに力を渡した時点で、私はもうこの世界にはいられない。

それが、“2つ目の約束”。……あなたに言わなかった“最後の条件”。

私は、“あなたを正気に戻すための最後の楔”だったんだ」

 

アレムの手が震える。

 

「ふざけるな……そんなの、聞いてない!」

 

「だから、“二つ目の約束”は“忘れて”って言っただろ?」

 

リシアの声は、どこまでも優しかった。

 

「私は、お前の右手に宿った“記憶”。

あなたの想いが、私をここまで連れてきてくれた。

でも――ここで終わらせるのが、私の役目だ」

 

アレムは、歯を食いしばる。

 

「……嫌だ、リシア……!」

 

「大丈夫。私は、消えるんじゃない。

“あなたの中”に、ずっと残る。

だって、お前と“約束”したからな」

 

黒い槍が、アレムの右手に再び現れる。

今までとは比べ物にならない、深く、静かで強い光を宿して。

 

リシアは、そのまま彼の背後に立ち、耳元で囁いた。

 

「――行って、“王”を救ってくれ。お前なら、できる」

 

アレムは走った。

魔王の斬撃が飛ぶ、雷が唸る。

だが、そのすべてを、黒い槍が裂いていく。

 

「これが……僕の全てだ!」

 

槍が突き出される。

魔王レオンの胸元――その魔核を貫いた。

 

「な……に……?」

 

レオンの身体から、黒い霧が抜けていく。

呪いのような魔力、欲望、痛み、怒り――

そのすべてを、黒き槍が消し去っていった。

 

「私は……なぜ……お前の顔が……こんなにも懐かしい……?」

 

アレムは静かに、右手をレオンの額に当てた。

 

「お父さん、帰ろう。……もう、誰も責めなくていい」

 

その瞬間、魔王の瞳から、赤い光が消えた。

 

深紅が金色に戻り、

怒りが、涙へと変わった。

 

「アレム……お前は、こんなにも……」

 

レオンの膝が崩れた。

 

「……すまなかった……ずっと、苦しませてしまった……」

 

アレムは、父を抱きとめた。

 

その時――

 

「リシア……!」

 

ふと、背後を振り返る。

しかし、彼女の姿はもう、そこにはなかった。

 

ただ、風が吹いた。

花のように、そっと、優しく。

 

「――また、どこかでな」

 

彼女の声が、どこか遠くで響いた気がした。

 

魔王レオンの膝の上で、アレムはただ静かに父を抱いていた。

怒りも恐怖も、もはやそこにはない。

あるのは、再会と赦し、そして疲れ切った二つの魂が交わす安堵だけだった。

 

玉座の間に、柔らかな風が吹く。

 

ふと、アレムが気づいた。

 

どこからともなく、かすかな足音が響いてくる。

それは、雪を踏みしめるように静かで、けれど確かに彼の胸に届く――

 

やがて、扉の向こうから現れたのは――

 

リア。

かつて氷の中で眠り続けていた、アレムの母。

魔王レオンの愛した唯一の人。

 

白金の髪は夜明けのように輝き、彼女の姿は――涙ににじんでいた。

 

「……リア……?」

 

レオンが、かすれた声を漏らす。

 

リアは、微笑んだ。

 

「ええ、レオン。……わたしは戻ってきたわ」

 

アレムは目を見開く。

 

「まさか……氷が……」

 

リアは頷いた。

「あなたの手が……あの氷を、砕いてくれたの。

その時は眠っていたけれど、ずっと……あなたの声が、夢の中で響いていたのよ」

 

アレムの両目から、止めようのない涙があふれた。

 

「……母さん……!」

 

リアは、そっとその腕を広げた。

 

「おいで、アレム。……あなたも、レオンも。

もう、いいのよ。苦しまなくて――もう、いいの」

 

次の瞬間――

 

アレムとレオンは、その胸に抱きしめられた。

 

レオンの肩が震える。

 

「私は……お前を、守るはずだった……!

なのに、私は、全てを……!」

 

「ちがうわ、レオン。

あなたは、すべてを背負ってくれた。

そして今――その重荷を、手放すことができたの」

 

リアの声は優しく、力強かった。

 

アレムは、小さく笑った。

 

「……やっと、家族になれた気がする」

 

仲間たちがそっと近づいてきた。

 

ガイルは照れくさそうに鼻をこすり、

イリスは目元をぬぐい、

リフィアは何も言わず、そっと手を握った。

アウラも、ディランも、ただ静かに見守っていた。

 

そこには、争いも、怒りも、悲しみもなかった。

 

ただ、ひとつの家族が――

長い長い歳月を越えて、ようやく手を取り合ったその瞬間だった。

 

魔王城の天井が、ゆっくりと開き始める。

 

まるで祝福するように、朝日が差し込んできた。

 

暗き時代は終わりを告げ、

世界は、再び光へと歩みを進めていく。

 

そして――アレムの旅も、ここに一つの結末を迎えるのだった。

 

#

 

魔王戦が終わってから、世界は目まぐるしく変わった。

 

かつて敵対していた魔族と人間、エルフ、ドワーフたちは、戦乱の終結とアレムたちの尽力によって、ようやく手を取り合い始めていた。

 

アレムたちは、英雄として称えられた。

けれど、彼らはそれにすがることなく、それぞれの道を歩き出していった。

 

ガイルは南方の魔法都市にある研究所に就職し、「雷と酒と女の研究」をすると豪語して旅立った。

イリスは魔導図書館に就職し、静かな空間で魔術と向き合う日々を選んだ。

リフィアは王都の学術院に迎えられ、魔法陣開発の第一線へ。

ディランは辺境の町で魔導騎士として人々を守る仕事に就いた。

アウラは故郷へ戻り、貧しい子どもたちに弓と読み書きを教えていた。

 

そして、リシア――

もう姿はないが、アレムの右手に、心に、彼女の声は今も残っている。

 

春の朝。

 

アレムは小さな山小屋の前に立っていた。

そこには、レオンとリア――かつての“魔王とその妻”、今はただの“父と母”が静かに暮らしていた。

 

母は、白いエプロン姿で朝食を作っていた。

父は、庭の畑で鍬を持ち、いつのまにか土の匂いが似合う男になっていた。

 

アレムは、肩に荷物を担ぎながら言った。

 

「……俺、行くよ。王国の北部で“領地整備官”の仕事、始まるんだ」

 

リアは寂しそうに笑い、レオンは口をへの字にしてうなずいた。

 

「……気をつけてな。あまり根を詰めすぎるなよ」

 

「お父さん、俺が魔王を正気に戻した男っての、忘れてないよね?」

 

「……そうだったな。たしかに過保護にしすぎるわけにもいかんな」

 

母と父の顔を見て、アレムは笑った。

 

「……本当に、ありがとう。二人とも、生きててくれて」

 

リアが近づき、そっと抱きしめてくれた。

 

「今度は、あなたが誰かの“日常”を守る番ね。……私たちは、大丈夫」

 

アレムは頷き、背を向けて歩き出した。

 

春の風が背中を押す。

右手には、まだほんの少しだけ、リシアのあたたかさが残っていた。

 

「行ってきます、俺の新しい日常へ」

 

英雄の旅路は終わった。

けれど――

 

世界を支える小さな一歩は、今、はじまったばかりだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。