魔法学校のアレム   作:yumui

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魔王の妻

休日の朝、学院の北門を出て森を越えた先に、「氷の庭廟」と呼ばれる場所があるとガイルが言った。

 

「そこさ、すごく有名なお墓があってさ。なんでも“魔王の妻”が眠ってるんだってさ。アレムも見たいだろ? お前、ちょっとその……血筋的にさ」

 

「やめろ。そういうの、でかい声で言うな」

 

ぶつぶつ文句を言いながらも、アレムは気になっていた。

“魔王の妻”――それはつまり、自分の母にあたる存在かもしれない。

 

森を抜けると、白い石で囲まれた静かな氷の広場が現れた。空気はひんやりと澄んでおり、魔力の結界が張られているのか、鳥のさえずりひとつ聞こえない。

 

その中心にあった。

 

巨大な氷柱の棺。その中で眠る一人の女性。

 

美しい金髪を持ち、両手を胸に重ね、目を閉じたまま静かに横たわっている。まるで今、目を開けそうなほどに、生気を保ったまま。

 

アレムは思わず息を呑んだ。

 

「……きれいな人だな」

 

「うん。あの金髪、ちょっと……アレムに似てるよな」

 

「……」

 

そのとき、背後から声がした。

 

「彼女の名は、リア・セレスティーナ。魔王に愛され、魔王を愛した女」

 

振り返ると、一本の銀髪が風に揺れていた。

静かに佇んでいたのは、学院の生徒のひとり――イリス・フェリドール。普段はほとんど誰とも話さず、試験では常に上位にいる、氷のように冷静な少女だった。

 

「君も……この墓を見に?」

 

「ええ。……私は、魔王の記録を研究しているから」

 

そう言って彼女は、棺に視線を戻しながら静かに語り始めた。

 

「魔王――その名はかつて、“レオン・クラウゼル”。北方諸国出身の剣士だった。人間、エルフ、ドワーフが学び合うこの学院に在籍していた時期がある」

 

「えっ、魔王がここに? 本当に?」

 

ガイルが目を見開く。

 

「ええ。彼は元々、やんちゃで粗暴な性格だったけれど、剣の才能は凄まじかった。誰よりも喧嘩っ早く、誰よりも強くて、でも……誰よりも仲間想いだった」

 

「……」

 

「数十年前、南方の魔族の国と北方諸国が戦争になった。人間と魔族の戦い。そのとき、学院を飛び出したレオンは、自ら最前線に立ち、魔王を倒した」

 

アレムの胸が、どくりと音を立てる。

 

「……そのとき、彼は“魔王の血”を浴びた。血には意志があった。倒された魔王の“力”が、新たな器を選び……レオンが、次の魔王となった」

 

「でも……魔族たちは、彼を崇めたんだろ?」

 

「そう。“人間にして魔王”となった彼は、すべての魔族を制し、戦争を禁じた。

以後、魔族の国は沈黙し、北方と南方に平和が訪れた」

 

イリスの声がわずかに沈む。

 

「……だけど、魔王の血は、ただの力ではない。“破壊の衝動”を伴う呪い。彼はそれをずっと、必死に抑え続けていた。暴走すれば、世界が滅ぶ。だから、彼は孤独の中で王を続けていたの」

 

「じゃあ……この中で眠ってるのが、奥さん?」

 

アレムの問いに、イリスはうなずく。

 

「彼女は、人間の女性。魔王となったレオンが、唯一愛した存在。

けれど、ある戦いで深手を老い、死の寸前で眠りについた。これは魔族の古術で、魂を残すための儀式……彼女がいつか目覚めた時、魔王は自分を思い出せるようにと」

 

アレムは、棺の中の女性の顔を見つめた。

その表情は、悲しみでも安らぎでもなく、“祈り”のように見えた。

 

(……もしかして、僕は……)

 

言葉にできない思いが、胸に広がる。

血の記憶か、それとも母の面影か。静かに揺らいで、心の奥を震わせていた。

 

「君は……魔王に似ている」

 

イリスがそう言ったとき、アレムは一瞬だけ、彼女の銀の瞳に宿るものを見た気がした。

 

それは敬意でも、警戒でもない。

――憧れと、ほんの少しの、哀しみだった。

 

風が止まった。

 

氷の庭廟を包んでいた穏やかな空気が、突如として凍りついたように感じられた。

 

「……?」

 

アレムが違和感に気づき、振り返るよりも早く――

 

大気が重くなった。空気が押し潰されるような感覚。まるで見えない重力が世界を歪めるかのような圧力。

 

「っ……なに……この、感じ……」

 

ガイルが額から冷や汗を垂らし、へたり込む。

 

イリスも目を見開いていた。彼女ほどの魔力感知能力を持ってしても、来訪者の気配を掴めなかったのだ。

 

そして――氷の庭廟の入り口に、それは現れた。

 

黒い鎧に身を包んだ男。風すら避けるようにその外套は揺れず、姿勢は静かで、顔はよく見えない。

 

けれど、確かにわかった。

 

この場にいる全員が、声を上げることすら許されないと感じた。

 

“それ”は、まさしく――魔王だった。

 

全身を貫くような魔力の奔流が、視界を歪ませる。大地が震えているわけではないのに、心が震えて止まらない。

 

アレムは思わず息を呑んだ。

なぜか、その姿に見覚えがある気がした。姿は黒く覆われているのに、“内側”を感じる。――血が、呼応している。

 

魔王は一歩、また一歩と、氷の棺に近づいていった。

 

その歩みには、威圧でも威厳でもない――静けさがあった。

 

誰一人、声を出せなかった。

 

そして魔王は、腕の中に抱えていた小さな花束――霜の中でも咲く白い花、リリエの花束を、棺の前にそっと置いた。

 

氷の中で眠る金髪の女性に、何かを語るように。

 

声はなかった。けれど、そこに込められた感情だけが、痛いほど伝わってくる。

 

深い愛と、果てしない悔恨。

想いは時を越え、氷をも溶かすほどに。

 

しばらく、彼はその場に立ち尽くしていた。

 

誰も動けず、誰も息を詰めていた。

空気が、音を忘れていた。

 

――そして。

 

魔王は、そっと背を向ける。

 

去り際、氷の棺に背を向けたその瞬間、彼の顔の一部がわずかに露になった。

 

アレムと、酷似した眼だった。

 

その目が、ほんの一瞬だけ、アレムの方を見た気がした。

けれど言葉はなかった。

 

彼は、何も告げずに、氷の庭廟を去っていった。

 

風が戻る。世界が息を吹き返す。

 

「あれが……本物の、魔王……?」

 

ガイルが震える声でつぶやく。イリスも黙ってうなずいた。

 

アレムはその場に立ち尽くしていた。

 

魔王の目。その背中。その歩み。

すべてが、なぜか心の奥を強く揺さぶった。

 

まるで、いつかああなる定めが、自分の中にも宿っているとでも言わんばかりに。

 

氷の棺の前に置かれたリリエの花束が、ほんの少しだけ風に揺れていた。

 

 

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