夜の食堂は、昼の喧騒が嘘のように静かだった。窓の外では雪が舞い、燭台の灯りが反射してゆらゆらと揺れている。
アレムは、食事を早めに済ませたガイルと、偶然居合わせたイリスと同じ卓に座っていた。
「なあアレム、お前も気づいてたか?」
ガイルが、スプーンをいじりながら小声で言った。
「……何が?」
「ここ最近、生徒が――いなくなってる」
アレムは思わず顔を上げた。
「いなくなってる?」
「そう。今週だけで三人。どれも“突然、姿を消した”って噂。寮にも部屋はあるし、荷物も残ってるのに、本人だけが消えてる。教師も詳しくは教えてくれないし、騒ぎにはならないように抑えられてるけど……明らかに変だよ」
「……そんなことが」
アレムは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
この学院には結界が張られ、外からの侵入や脱走は原則不可能なはず。
それなのに――どうやって消えたというのか?
「しかも、三人とも特別な魔力資質を持っていたらしいの。公式には公表されていないけど、内部ではその情報が出回ってる」
と、イリスが静かに言葉を継いだ。
「一人は“魂感応”の資質持ち。もう一人は“精霊との高次交信”。そして最後の一人は、“魔力同化”。どれも、普通の生徒じゃまず持たない能力よ」
「……つまり、偶然じゃないってことか」
「ええ。誰かが意図的に選んで攫っている。学院内からか、あるいは……」
イリスは一瞬、食堂の奥の壁――教師席の方へ視線を向けたが、すぐに戻した。
「……まさか、教師が関わってるって言いたいのか?」
「断定はできない。でも、監視をすり抜けて生徒を消せるなら、中からの手があると考えるべきよ」
ガイルが眉をひそめた。
「なんか……気持ち悪いな。最近、夜の寮の廊下も妙に静かだし、誰かに見られてるような気がするときもある。こういうの、戦争前夜の空気って感じだ」
アレムは拳を握った。
ふと脳裏に浮かんだのは、氷の棺と、あの日見た魔王の姿――そして、自分の力だった。
「もしかして……この事件、魔王に関係してると思う?」
アレムの問いに、イリスは一瞬だけ考えた後、小さく首を横に振った。
「いいえ。少なくとも、今の魔王が直接動いている気配はない。ただ……彼に反逆しようとする勢力、あるいは第二の魔王を作り出そうとする者が動いている可能性はある」
「第二の、魔王……?」
「ええ。失踪した生徒たちの魔力資質は、いずれも融合や変質に適したもの。もし彼らの力を利用して、人工的に魔王の血を再現しようとしているとすれば――」
「そんなこと、できるのか?」
「理論上は。魔王の血を薄め、他者に流し込む擬似魔王。禁術だけど、昔の戦乱期に一度だけ記録がある。……失敗すれば命を落とすけど、成功すれば、新しい魔王が生まれる」
アレムはごくりと唾を飲んだ。
まるで、自分の存在がその中心にいるかのような気がしてならなかった。
「……なら、オレたちはどうする?」
ガイルの問いに、イリスは短く答えた。
「調べるわ。このまま誰かがまた消えるのを黙って見てる気はない。……あなたは?」
彼女はアレムを見つめた。
アレムは迷いながらも、はっきりと答えた。
「……僕も行く。これは、他人事じゃない気がする」
そう。血が騒いでいた。
何かが、近づいている。闇の中から、自分たちを試すように。
そしてアレムは、すでに知っていた。
それがただの事件ではなく、運命の前兆なのだと。
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「よーし、諸君! 今日の防衛術の授業は、実戦形式で行くぞ! 剣と体で魔法を超えるんだ!」
金髪に碧眼、顔立ちはまるで王子様。だが口を開けば、なぜか残念な空気をまとってしまうこの男――
彼の名はクレイン・レスタード。防衛術の教師にして、実は「《剣士と雪の魔女》」などの人気冒険ファンタジー小説の著者でもある。
その才能と美貌から女生徒には異様に人気があるが――
「……あれ、剣がない。……誰か、オレの剣見てない?」
「先生、それ昨日の授業のときも言ってましたよ」
「……うん、やっぱりか」
――そのうっかりは学院中の笑い草になっていた。
魔法実演では爆発を起こし、護身術では転倒し、自作の訓練機はなぜか喋り出す。
まるで憎めないダメ兄貴のような存在だった。
ある日の放課後。訓練場に残っていたアレムは、ぽつりと彼に声をかけた。
「……先生。僕に、剣を教えてくれませんか?」
「……え? オレに?」
クレインは珍しく真顔になった。
「アレム、お前は魔法の素質があるんだ。どうして“剣”なんかを?」
「……誰かを守れるようになりたいんです。
それに――先生が授業で言ってたでしょ。“魔法より速く動くことが、生き延びる鍵だ”って。あれ、ちょっとかっこよかったから」
クレインは目を瞬かせ、それから頬をかいた。
「はは……まいったなあ。じゃあ、教えてやるよ。オレ流の剣術をな」
訓練は毎日、夕方の訓練場で行われた。
クレインは、動きは確かに鈍いが教え方は丁寧で、基礎の重要性を繰り返し説いた。
アレムも真剣だった。杖を手放し、木剣を握り、一太刀ごとに感覚を染み込ませていく。
初日は軽く振ることすらぎこちなく、構えもブレていた。
しかし、二日目には足運びが安定し、
三日目には――クレインの木剣が、アレムの太刀筋に弾かれていた。
「ま、まじか……!?」
クレインが木剣を落とし、呆然とアレムを見た。
「……えっと、すみません」
「いやいや、謝るなって! すっごいじゃんお前!? オレの教え方がうまいのか? それともお前が天才なのか? どっち!? ねえどっち!?」
「……両方、じゃないですか」
「おおっ!? いまそれ言った!? 先生ちょっと感動しちゃったよ……!」
アレムは思わず吹き出した。
確かに、戦闘力という意味ではもう超えてしまったかもしれない。
けれど――剣を握ることの意味、他者を守るという意志、それを教えてくれたのは、このポンコツ教師だった。
アレムは木剣を鞘に納め、深く頭を下げた。
「クレイン先生。僕に、剣を教えてくれてありがとうございました」
「……お、おう。まさかちゃんとお礼言われると思ってなかったから、逆に照れるな……」
クレインは後頭部を掻きながら、ニヤリと笑った。
「でも、アレム。剣ってのは、切るためだけじゃない。譲れない何かを通すためにあるんだ。
お前の剣は、きっと誰かを守る剣になる。……そういう気がするよ」
アレムは黙ってうなずいた。
風が吹き、訓練場の木々がざわめく。
その音は、まるで小説の一節のように、静かに耳に残った。
後日、クレイン先生は授業中にまた剣を忘れた。
「ちょっと待って! 今日は剣要るんだった!? いや大丈夫! 代わりにこの“初版本”で――って本投げないで! 痛いから!」
だが、その姿を見ながらアレムは思った。
あの人は、あれでいい。
たとえあれでも、自分にとって最初に“剣”を教えてくれた人なのだから。