「皆、静かに。今日は特別講義だ」
薬草学の授業が始まると同時に、教室の空気が一気に張り詰めた。
教壇に立つレメディア・スフィーネ先生は、いつにも増して冷ややかな雰囲気を漂わせていた。
「本日は、“吸血種”――特に《上級吸血鬼(ハイヴァンパイア)》について講義を行う」
その言葉に、教室内がざわめいた。
「吸血鬼って……あの、夜に人を襲うっていう……?」
「うわー、苦手なんだよなあ……」
「でも、ノワール先生って――」
アレムは、そのささやきを聞いて、身を強張らせた。
イリスとガイルも、ちらりと彼を見たが、言葉にはしなかった。
レメディアは一冊の黒革の本を開きながら、静かに話し始めた。
「吸血種は、大きく三つに分類されます。
下級吸血鬼(ローグ)――衝動に従い生きる、知性の低い個体。
中級吸血鬼(ノーブル)――貴族的な構造を持ち、社会性と魔力を持つ者。
そして上級吸血鬼(ハイヴァンパイア)――古き血を継ぎ、魔族と肩を並べる存在」
彼女は黒板に、血族の紋章のような図を描いた。
「上級吸血鬼は、“血”によって存在を維持し、“血”によって力を増す。
ただの食料として血を吸うのではない。彼らにとって“吸血”とは、魔術と精神の交信に等しい」
ガイルが手を挙げた。
「先生、それってつまり……血を吸うことで、相手の力や記憶を得ることもあるってことですか?」
「良い質問ぁ、ガイル・シュトラール。可能性としては十分ある。特に古代種の中には、“記憶継承”や“同調”の能力を持つ者もいたとされる」
イリスが眉をひそめる。
「そのような存在が、もし現代に紛れているとしたら……危険ですね」
「ええ。だからこそ、私は警戒しているの。現代では吸血種の多くは絶滅したとされているけれど、上級吸血鬼の末裔が生き残っていたとしても、驚きではない」
レメディアは、ちらりとアレムを見た。
その目に、わずかな“探るような光”が宿っていた。
(……やっぱり、僕のことを疑ってる)
アレムはうつむいた。ノワールに血を吸われたこと、それが“魔力の循環”だったと理解していても――あの時、どこか“絆”のようなものを感じたのは事実だった。
「上級吸血鬼の特徴として、いくつか挙げておきます」
レメディアは黒板に列挙しながら、説明を続けた。
長命、あるいは半不死性
魔術と剣術の両方に通じる
精神支配・幻術に強い耐性
魔力を通して他者の感情を読み取る
血を通じて呪いや契約を結ぶことができる
「そして一番重要なのは、“彼らが理性を持つ限り、魔族と違い共存が可能だった”という点。
だが理性を失ったとき、上級吸血鬼は上位魔族にも匹敵する災厄になる」
イリスが小さくつぶやく。
「まるで、怪物ね……」
その言葉に、アレムは自分の鼓動が跳ね上がるのを感じた。
(ノワール先生……まさか……)
レメディアは教科書を閉じ、生徒たちを一望した。
「今はまだ、学院にはそのような存在は“いない”と信じたいが。けれど、皆も覚えておくことだ。“美しい者が、正しいとは限らない”。――“血の誘惑”に惑わされないように」
そして最後に、アレムの方をまっすぐ見て言った。
「特に、自分の血が特別だと知っている者は、よく考えることだ。誰に流し、誰に委ねるかを」
その言葉が意味するところは、あまりにも明白だった。
授業後、アレムは教室の廊下で息を吐いた。
「なあ……ノワール先生、ほんとに大丈夫なのか?」
と、ガイルが横でささやく。
「分からない。でも、少なくともあの人は……僕に嘘をつかなかった」
そう答えるアレムの目には、迷いと決意が同居していた。
それはきっと、これから向き合うべき“真実”の前触れだった。
#
その夜、アレムは寮に戻る途中、裏手の渡り廊下で足を止めた。
薄暗い通路の奥から、微かに金属が擦れる音が聞こえたのだ。
(……誰か、戦ってる?)
物音のする方へ、静かに歩を進める。
そして角を曲がった先――
「……動くな、ノワール」
そこには、剣を抜いた薬草学の女教師がいた。
腰まである灰色の髪、鋭い目――
学院でも有名な冷徹さで知られる教師、レメディア・スフィーネ。
彼女の細身の剣が、ノワール先生の喉元に突きつけられていた。
「……どうして、剣なんかを?」
ノワールの声音は静かだったが、冷えた空気が場を張り詰めていた。
「とぼけないで。あの子たちの失踪――あなたが関わっているんだろう?」
「私が? レメディア先生、そんな根拠もなく――」
「根拠ならある。あなたが担当していた生徒のうち、三人が消えている。そのうち二人は、最後に“あなたの治療室”を訪れていたことが確認されている」
ノワールの目がわずかに揺れた。
「確かに来ていたわ。でもそれだけ。あの子たちはただの疲労で休ませただけ。私の治療に問題があったというの?」
「治療という名目で、魔力を奪っていたのでは?」
「……!」
アレムの脳裏に、首筋から血を吸われた日の記憶がよぎった。
(まさか、先生が……?)
ノワールはしかし、目を逸らさず言い切った。
「あなたの疑念は分かる。でも私は、子どもたちにそんなことはしていない。魔力を奪うどころか――命を守るために力を使ってるわ」
「言い訳にしか聞こえない。あなたの力が危険であることは、学院内でも問題になっている。いずれ正式に調査が入るだろう」
レメディアは剣を下げたが、その目にはまだ敵意が宿っていた。
「……あなたが無実なら、それが証明される日を楽しみにしている。
でももし――黒だったら。私はあなたを、この学院から排除する」
踵を返し、冷たい足音を響かせて彼女は去っていった。
「……見てたのね、アレムくん」
ノワールがふとこちらを向いた。
「え……ごめんなさい、偶然通りかかっただけで」
「いいのよ。責めてるわけじゃない」
その声はいつものように柔らかく、けれどどこか疲れていた。
「アレムくん。あなたは、私を……信じられない?」
唐突な問いだった。
アレムは、言葉に詰まる。
――あの吸精の記憶。心地よさと恐怖が混ざり合ったあの感触。
だが同時に、ノワールの優しさも、本物だったように思えた。
「……分かりません。でも、先生が“僕を助けてくれた”のは本当です。それは、信じてます」
ノワールは、ほんの一瞬だけ目を伏せ――そして、小さく微笑んだ。
「……ありがとう。その言葉だけで、今夜は少し救われた気がするわ」
夜風が吹き、彼女の黒髪が揺れた。
「でも気をつけて。これから学院内は、不穏な動きが加速していく。誰が味方で、誰が敵か、分からなくなる時が来る」
そう言って、彼女は静かに闇へと消えていった。
アレムはその場にしばらく立ち尽くしていた。
――“先生は黒か白か”。
それを決めるには、まだ証拠も材料も足りない。
けれど確かなのは、学園の中に、何かがうごめいているということ。
そして、アレム自身がその渦中に近づきつつあるということだった。