魔法学校のアレム   作:yumui

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透明な怪物

「このあたりよ。生徒が“透明な怪物に追われた”って証言したのは」

 

イリスが地図を指差しながら、森の奥の小道を示した。

校舎から歩いて十五分、北側に広がる《夜鳴きの森》。

昼でも薄暗く、鳥の鳴き声すら遠ざかる不気味な場所だった。

 

「……こんなところで何が見えるんだって感じだな」

 

ガイルが肩をすくめた。

 

アレムも緊張しながら杖と木剣を腰に下げ、二人の後をついて歩く。

 

――その瞬間だった。

 

風が止まり、木々のざわめきが音を失った。

空間の歪みのようなものが、彼らの視界をぐにゃりと包み込む。

 

「……あれ?」

 

視界が白く弾けると同時に、アレムは自分が二人に増えているのを見た。

 

「おいおい、なにこれ!? オレが……オレが三人!? うわ、声まで同じだ!」

 

「ちょっ、私も三人に……これは一体――」

 

「魔術ね。たぶん、この森にかけられた迷いの結界の応用。単純な幻影じゃない。これは――」

 

イリスの言葉に、三人の“本体”が同時にうなずいた。

視線の先には、アレムが三人、ガイルが三人、イリスも三人。

合計で九人が、顔を真っ赤にして言い合っていた。

 

「待て、オレが本物だって言ってるだろ!」

 

「は? お前、剣の持ち方間違ってる。お前が偽物だ!」

 

「うるさい! お前、昨日の昼飯、何食べたか言ってみろ!」

 

「え……たぶん、ハーブチキン……?」

 

「惜しい! 本物は“骨付きハーブチキン”だった!」

 

「誤差だろそれ!!」

 

他のアレムたちも似たような口論を始めていた。

 

「僕が本物……いや、僕が“いちばん落ち着いてる”僕だから、本物である確率が高いと思う」

 

「いやいやいや、落ち着いてるだけの偽物とか一番たちが悪いよ?」

 

「だいたい、こんな状況で理屈が通るわけ――」

 

「全員黙りなさい」

 

三人のイリスが、完璧に同じタイミングで声を上げた。

静寂が訪れる。

 

そして一人のイリスが言った。

 

「いい? この現象はただの分身ではないの。他の2人は×3は偽物じゃない。私たちはいま、それぞれが記憶と意識を三分割された状態にあるのよ」

 

「……記憶を三分割?」

 

「そう。思い出して。私たち、いま頭の中がぼんやりしていて、一部の記憶しかない。

あなたたちもそうでしょう? 今朝食べたものは覚えてるけど、昨日のことが曖昧になってるとか」

 

アレムとガイルたちが顔を見合わせる。

 

「……確かに。俺、“剣の授業で失敗した記憶”しかないけど、なんでか“成功した記憶”もある気がする」

 

「僕も、魔王の妻の墓を見た記憶はあるけど、その前後が妙に飛んでる感じが……」

 

イリスは静かに言った。

 

「この分裂は、“肉体の複製”ではなく、“記憶と意識の投影”――つまり、全員が“本物の一部”なのよ」

 

「つまり……全部、オレ? 全部、アレム?」

 

「そう。全員が本物で、同時に本物ではない。三人でひとり。ひとりが三人」

 

その瞬間――

 

視界が、また白く弾けた。

 

アレムの身体に、何かが“戻る”ような感覚が走る。

 

「……っ、あれ……?」

 

ガイルもイリスも、それぞれの“分身”が一人に戻っていた。

 

静寂が戻る。森の空気が、少しだけ軽くなっていた。

 

「……今のって、試練だったのかな」

 

アレムが言うと、イリスはうなずいた。

 

「たぶんそう。“真実を見抜けるかどうか”の試練。この森には“自己認識”を試す魔術が張られていたのよ。」

 

ガイルが大きく息を吐く。

 

「ふぅ……でも、誰が本物とか、くだらないことで争うってのも、人間らしいよな」

 

「それもまた、僕たちの欠片ってことだね」

 

三人は顔を見合わせ、少しだけ笑った。

 

――そして、森の奥のさらに深い影で、何かが音もなく動いていた。

それは、完全な“透明”だった。

 

森の奥、枯れ木に囲まれた斜面の下にぽっかりと口を開けた洞窟があった。

空気は冷たく、どこか生臭い匂いが混じっている。アレム、ガイル、イリスの三人は慎重に内部へと足を踏み入れた。

 

「……この匂い。血と腐敗、あと……薬草成分も混じってるわね」

 

イリスが鼻をひくつかせる。

 

「どんだけ物騒なとこなんだよここ……」

 

ガイルが肩をすくめたそのとき、奥から何かが這うような音が響いた。

 

「アレム、後ろ!」

 

イリスの叫びに振り向くと、そこには空間が“歪んで”いるように見える何かがいた。

透明な、だが確かに存在する巨大な影。粘膜のような外皮を持ち、触手のようなものを何本も伸ばしている。

 

「これが……透明な怪物!」

 

怪物は咆哮とともに触手を振り回し、三人に襲いかかってきた。

 

アレムは素早く飛び退くと、掌に血を滲ませて詠唱した。

 

「赤血の輪よ、縛鎖と成せ」

 

飛び散った血が空中で凝固し、赤い鎖となって触手の一本を絡め取る。

だが怪物は暴れ、鎖を力任せに引き千切った。

 

「なら、これはどうだ! 《雷迅!》」

 

ガイルが両手を掲げると、洞窟内に雷鳴が轟いた。

青白い電撃が触手に直撃し、怪物の体表が一瞬だけ“泡立つ”ように乱れる。

 

「今のうちに!」

 

イリスは懐から水晶の破片を取り出し、詠唱を始めた。

 

「《クリスタルスライス》!」

 

宙に浮かぶ無数の水晶が、回転しながら突撃する。

それは音もなく怪物の肉を削り、透明な表皮に深い傷を刻んだ。

 

怪物が怒り狂い、複数の触手を同時に振り回してきた。

しかし、アレムは木剣を引き抜き、血の魔術と剣技を融合させる。

 

「《血剣》!」

 

赤黒い斬撃が放たれ、触手の一本を根元から切り裂いた。

 

「ガイル、今だ!」

 

「おうよっ! 《雷槍!》」

 

空中から放たれた雷の槍が、怪物の中心部――一瞬だけ赤黒く“脈打った”場所へ命中する。

 

音を立てて怪物は崩れ落ちた。

 

数秒の静寂ののち、怪物の姿は完全に“視えるように”なった。

 

それは無数の肉の塊が融合したような異形の生物だった。人の腕のようなものが三本、眼球が二十個近く埋め込まれており、明らかに“自然のもの”ではなかった。

 

「……これは、錬金術の産物よ」

 

イリスが膝をついて残骸を調べる。

 

「生物の肉体を素材に、透明化の魔術を組み込んだ“魔導生命体”。普通の魔術師には作れない。かなりの知識と技術がいるわ」

 

「じゃあ、誰が……」

 

三人は洞窟の奥へと進んだ。

そこには鉄の格子があり、その中に攫われたと噂されていた生徒たちが、魔力を封じられた状態で眠っていた。

 

「生きてる! 早く外に出さないと!」

 

ガイルが叫びながら扉を破壊する。

 

さらに奥。机と棚に囲まれた実験室のような空間が広がっていた。

瓶詰めの試薬、血の染みた包帯、そして――一冊の記録帳。

 

アレムが手に取り、表紙をめくる。

 

《第14期特別魔導研究記録》

 

《テーマ:高効率魔力抽出と魔導生命体の制御理論》

 

《記録者:レメディア・スフィーネ》

 

「……嘘、だろ」

 

ガイルが呟く。

 

「ここにいた怪物も、生徒を攫ったのも……全部、レメディア先生が?」

 

イリスが唇を噛んだ。

 

「……この記録が本物なら、彼女は“透明な怪物”を“魔力収集器”として運用していた。生徒たちの魔力を奪い、そのデータを実験に使っていた可能性が高い」

 

アレムは、何も言えずに記録帳を握りしめた。

 

レメディアは、ノワールを疑い続けていた。

だがその裏で、自分こそが……。

 

「どうしても信じられない、直接先生に聞こう」

 

#

 

 

夜――

学院の裏手、古びた塔の上階。そこは生徒も教師も足を踏み入れない“忘れられた部屋”だった。

 

アレムはその窓辺に立つリシアの姿を見ていた。

アレムの視界にしか映らないこの存在は普段は滅多に姿を現さないが、金髪は月光に照らされ、片目を隠した眼帯と黒いドレスが、まるで宵闇の精霊のような存在感を与えていた。

 

「来たか、アレム」

 

「……話したいことがあるんだ。リシア」

 

リシアは振り向かずに答えた。

 

「“透明な怪物”を倒したのだろう? 洞窟の奥で、何を見た?」

 

アレムは、しばらく沈黙し、それからぽつりと言った。

 

「……記録帳だった。攫われた生徒、魔力を吸う怪物、そしてそれを作った研究の記録……レメディア先生の名前が書かれていた」

 

「彼女が黒かどうか、あなたは判断しかねているわけだ」

 

「……リシア、君はどう思う? 誰が怪しい? ……誰を、信じていい?」

 

その問いに、リシアは静かにアレムを振り返った。

月光が彼女の青い片目を照らす。どこか遠い世界を見つめるような、深いまなざし。

 

「“怪しい者”というのは、常に二つの顔を持つものだ。

ひとつは、望まずに罪を犯した者。もうひとつは、正義のつもりで狂気に堕ちた者」

 

アレムは息を飲んだ。

 

リシアは、細い指で空中に円を描いた。

 

「あなたが戦った“怪物”――それを作った者がいた。けれど私は思う。

“あれを、人に戻そうとした者”もまた、そこにいたはずだと」

 

「……どういうこと?」

 

「魔力を吸う怪物。多くの魂を飲み込んだ混成の肉体。

けれど、それは“完全な破壊”ではなく、“保管”の構造に近かった。

肉体も、意識も――誰かが、“戻せる形”で保存していた」

 

アレムは目を見開いた。

 

「つまり、“怪物を人に戻す”ために動いていた誰かがいる……?」

 

リシアはわずかに微笑んだ。

 

「私はそう推測している。

そして、“それが誰か”を、あなたはもう見ているのんじゃないか?」

 

アレムの脳裏に、ノワールの顔が浮かんだ。

かつて自分の血を吸いながらも、優しく微笑んだ医療室の夜。

あの時の言葉――“私は命を守るために力を使ってる”。

 

「……でも、もしそれが本当なら、ノワール先生は――」

 

リシアはアレムの言葉を遮るように、そっと手を掲げた。

 

「“真実”は一つとは限らない。

敵にも味方にも、光にも影にも、同じ“正義”がある。

だからこそあなたは、自分の眼で見て、判断しなければならない」

 

そして彼女は最後に、アレムへ近づき、静かに囁いた。

 

「あなたの血は、鍵。扉を開く鍵。

けれどその扉の先が楽園か、地獄かは……お前次第だ」

 

その言葉を残し、リシアは月光の中へと溶けるように姿を消した。

 

アレムは、その場に一人立ち尽くした。

 

“怪物を人に戻したい者”。

“正義のつもりで狂気に堕ちた者”。

 

――いったい、誰がどちらなのか。

 

その答えを、探さずにはいられなかった。

 

 

 

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