夜の街を背に、三人は静かに歩いていた。
学院から離れた下町、そのさらに外れ――
街の影が長く落ちる忘れられた丘。風が吹き抜け、野草がわずかに揺れる。
「ここ……生徒の間じゃ“後悔の丘”って呼ばれてる。昔、魔族との戦で師を失った剣士が、ここに剣を埋めたってさ」
ガイルがぽつりと呟いた。
「皮肉ね。今日、剣ではなく言葉を交わすためにここに来るなんて」
イリスが静かに応じた。
その先――
黒衣の女がひとり、夕日を背に立っていた。
レメディア・スフィーネ。
その顔に、もう学院で見せていた冷徹な仮面はなかった。
代わりに、ひどく人間らしい、疲れきった表情があった。
「来たか。アレム、ガイル、イリス」
アレムは一歩前に出て言った。
「全部……聞かせてください。先生は、なぜこんなことをしたのか。なぜ、生徒を攫って、あんな怪物を――」
レメディアは、目を伏せたまま、静かに語り始めた。
「……私は十年前、王都の研究機関にいた。そこで“吸血種の治療”に関する研究班に所属していたの。
“人間に戻す”ための術式を――そう、“ノワール・ヴェステリア”を救うために」
「ノワール先生を……?」
イリスの目が揺れる。
「彼女は元は人間で…私の恋人だった。だが魔族との戦争の際に君の父を庇い上級吸血種に噛まれ、半吸血鬼となった。そして魔王に側近として仕える四騎士の1人になった。本人はそれを受け入れていたけど、私は……あの人の孤独を見ていられなかった。
だから私は決めた。“彼女を元に戻す方法”を、この手で見つけると」
アレムは言葉を失った。
レメディアは続ける。
「だが、研究は王の命令で打ち切られた。“吸血種を治療するなど無意味、殲滅すべき”だと。
私はその命に逆らった。……研究を続けるため、“実験体”を求めるようになった」
「まさか、それが……!」
「ああ。“死刑囚”たちだ。王国の地下から闇に葬られた者たちを買い取り、“記憶と形を保ったまま分解”する術を確立した。そして――
それらを組み合わせ、“透明な魔導生命体”を創った。魔力の流れを読み取り、他者を感知できない殺戮者。
私は、それを踏み台に、“ノワールを人間に戻す術式”を確立しようとした」
風が吹き抜けた。三人はその重さに言葉を失う。
「学院に潜入したのは、それが必要だったから。
“特別な力を持つ生徒”たち――君たちのような存在が、術式を完成させる鍵になると分かっていた」
ガイルが一歩前に出る。
「それで、生徒たちを攫って魔力を抜いた? それが救いのためかよ?」
レメディアは、わずかに目を閉じた。
「正しさなど、とうに失っていたわ。
でも、私は願っていた。ただ一人でも、苦しみから解放したいと。
たとえ手段が間違っていても――結果が救いになると信じたかった」
丘を下りかけたレメディアの前に、黒い影が舞い降りた。
宵闇の空を裂くように無数のコウモリが渦を巻き、その中心に現れたのは――
ノワール・ヴェステリア。
漆黒のコートがひるがえり、赤い瞳が怒りに燃えていた。
その視線が、まっすぐにレメディアを射抜く。
「……ようやく見つけたわ、レメディア。あの記録、あなたの筆跡。全部、読ませてもらった」
「……ノワール……」
レメディアが唇を震わせた。
「私を人間に戻す? ふざけないで!」
ノワールの叫びと共に、周囲の空気が震えた。
足元の影が揺らぎ、そこから黒い槍が何本も飛び出す。
「死刑囚を切り刻んで化け物にして! 生徒たちを魔力電池にして! それを全部、私のためだったと言うの!?」
ノワールの目から、涙が一筋、落ちた。
「私の意思を、勝手に奪わないで!!」
「――やめろ!!」
アレムが飛び出した。
黒い槍はすんでのところでレメディアを逸れ、地面に突き刺さった。
「彼女は……罪を償おうとしてる! もう終わったんだ!」
「いいえ、まだ終わっていない。
この手で――けじめをつけさせてもらうわ!!」
ノワールが身を沈め、黒い爪が伸びた。
その瞬間、戦いが始まった。
「ガイル、左から来る!」
「了解! 《雷迅》!!」
ガイルの電撃がノワールの背後を撃つ。
だが彼女は影に飛び込み、瞬時に別の位置へと移動した。
「速い……!」
「吸血鬼の空間跳躍術式よ! 気を抜かないで!」
イリスが水晶を展開し、光の結界を張る。
アレムは木剣を構え、掌に血の魔術を流し込む。
赤い剣気が放たれ、ノワールの肩を掠めた。
しかし彼女はわずかに笑う。
「甘いわ、アレム」
ノワールが瞬間移動し、アレムの背後に回る。
鋭い黒爪が、肩口を切り裂いた。
「ぐっ……!」
アレムが膝をつく。その隙を逃さず、ノワールはレメディアへ迫る。
「死なせてやる……あなたのために!」
「やめろ!」
叫んだのは、アレムだった。
その瞬間、彼の体から赤い光が噴き出す。
魔王の血――
暴れようとするそれを、アレムは必死に制御しながら叫ぶ。
「彼女はもう戦わない! なら僕たちが、君を止める!!」
ガイルが並び、イリスも隣に立つ。
「バカみたいな理屈だが――友達を助けたいってんなら、オレは乗るぜ!」
「貴女が本当にレメディアを憎んでいるのなら、彼女を生かして、苦しませるべきだわ」
三人の魔力が共鳴する。
三人の魔術が、血が、雷が、水晶が、ノワールを包み込む。
ノワールは地面に膝をつき、呻いていた。
だが次の瞬間、彼女の体に異変が起こる。
「……あああ……ああああッ……!」
黒い霧が身体から噴き出し、皮膚は白く硬化し、瞳は真紅の光を帯びる。
指先が鋭い鉤爪となり、背からは翼のように影が広がっていく。
「……これが、上級吸血鬼の……?」
イリスが呆然と呟いた。
「いや、違う……これは――!」
ガイルの言葉が終わるより早く、ノワールの咆哮が丘を切り裂いた。
次の瞬間、彼女の爪が一閃。
風すらも切り裂く一撃が、イリスの水晶の障壁を打ち砕き、彼女を吹き飛ばした。
「イリス!!」
ガイルが電撃を放つが、ノワールの影がすり抜けて彼の腹部を打ち抜く。
「がはっ」と息を吐き、彼も倒れる。
「やめろ……やめてくれノワール……!」
アレムの声に、もはや届くものはなかった。
ノワールは赤い眼をぎらつかせ、アレムの胸元を掴むと――牙を突き立てた。
「――っ!」
首筋に熱く鋭い痛み。血が引き抜かれていく感覚に意識が遠のく。
(……僕は……ここで……)
そのときだった。
胸の奥、どこか深いところで“何か”がうねった。
(――まだだ)
右腕が焼けるように熱を帯びた。
その皮膚の下、魔王の血が脈打ち、力が形を取る。
「……やめろ!!」
右手から、紅黒の光が爆ぜた。
その瞬間、ノワールの牙が外れ、彼女の体が跳ね飛ばされる。
アレムは地面に膝をつきながら、右手を見た。
(これが、僕の……力……)
ノワールが立ち上がり、また襲いかかろうとした。
だがそのとき、アレムの声が彼女を止めた。
「戻ってきて……君の、大切なものまで壊さないでくれ……!」
右手から、淡く光る魔王の力が溢れ出す。
それは破壊ではなく、再生の力――かつて魔族と人間を仲裁した、あの魔王の意志そのもの。
ノワールの体を包む黒い霧が揺らぎ、赤い瞳が微かに揺れる。
「……アレム……?」
その一言とともに、爪が引っ込み、翼が溶け、少女の姿へと戻っていった。
ノワールはその場に膝をつき、震える手で顔を覆った。
しばしの沈黙ののち、レメディアがそっと歩み寄ろうとする。
「ノワール……私は、あなたを救いたくて――」
「やめて」
ノワールの声が低く響いた。
顔を伏せたまま、彼女は言った。
「あなたの気持ちは、わかってる……。でも私たち、もう恋人ではいられない」
レメディアは、足を止める。
「私はあなたを愛していた。けれど、その愛で多くを壊してしまった。
だから――もうこれ以上、あなたの隣にはいられない」
ノワールはゆっくりと立ち上がり、アレムのほうを見た。
「アレム、ありがとう。あなたがいてくれて、本当に……よかった」
アレムは何も言えずに、ただうなずいた。
ノワールはゆっくりと背を向け、夜の街へと歩き出した。
その背には、もう翼も、影もなかった。
「……いつか、どこかで」
アレムの呟きは、風にさらわれた。
その後、イリスとガイルは目を覚まし、レメディアは正式に学院に拘束されることとなった。
彼女はすべての罪を受け入れ、研究記録は学校のもとに託された。
夜が明け、丘に朝日が差し込む。
三人は静かに並び、沈黙のなかで、これから始まる新しい明日に備えていた。