恋と陰謀   作:布団は吹っ飛ぶのか

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さらさらさら

 

水の流れる音がする。

 

さらさらさら

 

「今日は不調か…。」

皿を水の中で回しながら独り言を呟く。

どうにも上手くいかない日もあるものだとそう思わざるを得ない。

「このような石ころ…。」

何となく小さな石の粒を潰そうとしてみる、が勿論潰れることは無かったので川へ投げ込む。

「金銀よりも石ころの方が潰しにくいとは。」

そう思って腰に付けている袋にどうでも良い、唯の石をひとつ入れ、去った。

 

■■■

布都は激務に追われていた。

一つ、最近発生した鉱山襲撃事件に対する対応。これは警備体制の強化が主であり、従者に丸投げしたところ、

「貴方も偉くなったのですね。」

と笑顔で、必死に怒りを堪えながら承諾していた為、まあ問題ないだろう。

…気分が晴れ晴れした事は言うまでも無い。

しかし、この失敗を見て次の襲撃は規模も質もかなり向上してくるだろう。前回の襲撃は農民半分、貴種半分といったところだったがより良い訓練を受けた者達が襲撃しに来ると思えば信頼できるものに任せることが最も良い、

 

一つ、密偵を放つことである。恐らくあの襲撃事件は蘇我の連中が引き起こしたことだろう。であればその責任者を見つけて暗殺するなり脅迫するなりしなければ気が済まない上、何より、このまま蘇我に主導権を握られる事は危険であるという確信があったのだ。

 

しかし、間者ないし密偵というのは育成に時間と金がかかるのだ。潜入場所に応じて態度や雰囲気、外見ですら変える能力、場合に応じては漢詩などを読む能力などなど雑兵100人分に値すると言える程である。

…勿論、その効果は莫大であるのだが。

 

そこで、敵方に調略して現地調達する事にした。

 

「お主が蘇我屠自古か。」

 

「ええ。」

敵を前にしても落ち着いているのは彼女の殊勝さ故か、それとも犯した罪に対する後ろめたさ故か。

 

「今日、我がお主を呼んだ由、理解しているか?」

彼女はぶるっと体を震わせ、目を見開いていた。

それは最初は哀れな子猫の様にも思えたがよくよく見ると畜生が人と争う前の強さ争い、即ち目を合わせる事と酷似している様に思われた。

「ぃ、否。」

小さく動揺していることは自明であるが窮鼠猫を嚙むとも言う故用心が肝要だろう。

「東宮たる豊聡耳皇子に対して薬を盛り、自分の物にしようとするとは。」

 

彼女の目から光が消えうせる。瞳孔が拡大し光が散乱している様に見えたが努めて気にせずに続ける。主導権を渡せば殺されるという動物的直観が有った為だ。

 

「勿論、我としては東宮との色恋を邪魔するつもりは毛頭あらぬ。唯、良い提案が出来ると思っただけだ。」

ここで、ようやく屠自古の雰囲気が丸くなり、安心して息を吸えるようになった。先ほどまで部屋全体に腐敗臭が漂っている気がしてならなかったが今はまだマトモだ。

「提案とは?」

心底不思議そうな表情をする屠自古に一言告げる。

「お主も金銭の類には困っているのではないか?」

これは直観的に交渉の材料になると考え、持ってきた話題である。これで失敗すれば命の危機と引き換えに脅迫をしなければならない。

「薬とは非常に金のかかるもの、いくらお主が蘇我の娘ないし姫であったところで大量の金子を使うことは出来ぬ。」

 

「であれば、お主に足らぬものは我が補うことが出来るのだ。」

「貴方は何を欲する?」

即答だった。恋する乙女とはこれほどまでに恐ろしい物なのかと再度認識しつつも、答えを与えるとする。

「情報さ。」

其れは板金にも値する何かであった。

「ところで、」

屠自古は恥ずかしそうに頬を赤らめながら言う。

「どうしたのだ?」

布都は不思議そうに問いかける。

「誰が貴方に情報を漏らしたのかしら?」

「…。」

「答えなかったらこの薬を浴びてもらうことになるのだけれど…。」

「……お主の家に仕えている身長が高い噂好きの女房だぞ。」

「わかったわ。ありがとう。」

布都は何をするのかを聞くことは出来なかった。貴重な情報源だとは認識していたが彼女の機嫌を取るために反射的に答えてしまったのだ。

よく見れば彼女は壺を愛らしそうに擦りながら夢想しているようである。いったい何が行われるのだろうか、我は非常に恐ろしい女と手を組んでしまったのかもしれない。

 

一つ、概ね賛同を得た減税処置に関してである。古の時代より、改革ないし政の類を成すときにはそれに対抗する勢力、対抗勢力が出てくるという物である。

ー今回もそうだった。

 

「布都、お前は何故減税などという事を考え付いたのだ?」

我の兄たる物部守屋が頑強に反対しているという由を父から聞き、彼を説得する為に会合を行った。

「先ほどの忌まわしき仏によって引き起こされた民を癒す為ですぞ。」

先ずは建前から言うことにした。

「そんな建前では無いのだ。重要な事は。」

父と似ているのだなあと再度認識しつつも言葉を続ける。

「減税単体では民を癒す以上の効果は確かに無いかもしれませぬ。しかし、減税によって生み出された余裕に対して農業を推奨する事で爆発的に生産力を高めることが出来ると思うのです。」

誇らしげにこう言ってやることで納得させるわけだ。やはり女子の武器はこう使うのが一番である。

「嘘だな。お前は善の善なる存在ではない。どちらかというと自分の目的の為には人をも使い潰す悪の悪なる存在だ。」

 

…何故親子ともども我を悪として決めつけてくるのだろうか、それが分からない。

 

「一応、私が憂慮している事を挙げましょう。布都、お前の目的はどうであれ、この政策は素晴らしいものだ。是非行うべき、というより私の悲願でもあった。どういう形で有れお前が成し遂げてくれるならばうれしい限りだ。」

 

ならば賛成してくれればよいではないか。

我はそう反駁する。

 

「布都、一人に依存した組織というのは思うよりも脆いものだ。それが平和な時代の組織ならば確かにそれでいいかもしれない。しかしお前が分かっている様に今は平和の時代というわけでは無い。蘇我という敵と相まみえている状態だ。」

 

………。

 

「私は、我等物部家が布都に依存してしまうことを恐れているのだ。恐らくこの政策によってその実際的な効果は別としても権力と権威を手に入れる事だろう。其れは間違いない。」

 

「いえ、我は無欲なる故その様な事は…。」

 

「今更妄言を聞くつもりはない。黙りなさい。」

 

………。

 

「そうすれば布都、お前を失った際に物部家は崩れ落ち、仏教を食い止め、打ち捨てるという家の理想も失われるだろう。」

 

彼の目は理性的な物から若干狂気に満ちたものに変わっている様に見えた。

 

「兄上は、」

その一言が大気を、場を、空間を支配する。

 

「兄上は何を欲しているのです?」

「安定した物部家を欲するならば蘇我と相争うことは避け、秦氏やその他の貴種と同盟を組むことを目指すでしょう。しかし、その様な事を積極的にしているわけでは無い、であれば兄上の欲するところが良く分からないのです。」

……兄と目が合う。

頭の中で月が思い浮かんだ。月ー月夜見がおはし、狂気と魔を振りまく天体。彼の目から何故か月という単語が連想させられたのである。

 

 

「そう来るか、まあいいだろう。」

「私の理想か、自分でも良く分かっていないのだが、其れは、とても些細なものだ。」

しみじみと過去の事を振り返るような目で語り掛ける。

その目は我を貫いて離さない。

「私は唯、日常を守りたいだけなのだ。朝起きて、昼働き、夜眠る、二食を食べて子を成し、親となる。そういう"当たり前"を守りたいのだ。仏教を推進する蘇我の運動はその日常を脅かしている、そんな気がしてならないのだ。」

 

狂気に侵されていたのは我であったか。

 

我は何も言うことが出来なかった。我の争いを是と成す理想とはかけ離れた、ともすれば対称な理想であり彼、豊聡耳皇子さえ居なければ喜んで賛成したであろう、そんな願いであった。しかし、それを目的とするならば協力する事が出来る。そんな確信が我の中にあった。

 

「兄上、我と同盟を組ませぬか?」

「我が死ななければ、死んだとしても兄上が引き継げるような体制を構築すれば十分に物部家は安泰です。」

 

「それにー」

 

我の目的は豊聡耳皇子と戦うことなのだ。両立は可能で御座いますぞ。

こんなことを言えば物部家は安泰どころか分裂してしまう、飲み込んで別の言葉を継ぎ足す。

 

「我等には八百万の神がおはしまする。これ以上の物はないでありませんか?」

 

「兄上いえ守屋、我と共に戦いませぬか?」

 

兄はその腕をー

 

「一瞬お前なら良いかと思いかけたけどよくよく考えたらお前信頼できなかったわ。ちょっと考えさせて。」

無情にも振り払った。

 

「それはちょっと酷すぎやしませぬか!?」

布都は情けない声を上げ、その声はその場で木霊した。

 

■■■

 

我の部屋に戻ると、従者が書状を持って我に話しかけてきた。

 

「こちらが蘇我屠自古様からの書状で御座います。」

中身が開けられていないことを確認してから書状を読む。あの後、二人で暗号を取り決めあった。手法としては一般的な崩し方でない崩し方で漢字を崩すという物である。そこまで本格的な暗号では無いので相手に解読されるまでの時間を稼ぐ類の物である。

 

其れは兎も角、布都は内容を読んで目を見開いた。

「豊聡耳皇子が金山を探しつつあり、更に間者や密偵の育成を強化していると!?」

 

其れは余りにも王道であり、対策のしようがない対抗策であった。更に言えば、向こうは大王が主導して計画を行っている、規模の違いが致命的な違いを齎しかねない。

しかし、布都はその普通ならば恐れるべき知らせに対してもちろん驚いたのだが、しかし同時に顔が歪んでいる事をも知覚していた。

胸の底から自分が敵視されている、戦が出来そうであることに歓喜していた。

 

(ああ、これが幸せという物か。)

「姫様…大丈夫かしら。」

従者の詞なぞどうでも良い、そう思って指示を出すことにした。

「お前には金山の追加建設の候補地を探すことを任せる。我は減税計画の大詰めとして宣言をまとめる事とする。」

「ええ。」

こうしてはいられない、更に奮励努力せねば。

次の計画に向けてまた働きかけを始めた。

しかし、その計画には布都にとっては価値の無かったはずの目標が布都の中で追加されていることを彼女は知覚していなかった。

ー"朝起きて、昼働き、夜眠る、二食を食べて子を成し、親となる。そういう"当たり前"を守りたいのだ。"

其れは布都にとっては黄金の中にただ一つ存在する石ころであったが、同時に最も硬く、普遍的な物であった。

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