暗雲が垂れ込める夜の空。見え隠れする満月から差し込む光が町外れの森を不気味に照らした。
その眩しさを背に一匹のポケモンが鬱蒼と茂る草木をかき分けながら走る。
「くそっ。なんて、しつこい、ヤツなんだ!」
月光に暴かれた黄土色の毛並み、丸っこい体は泥まみれで枝葉が絡みついている。口元の長い前歯が特徴の”ねずみポケモン”、ラッタだ。
本来、この森は穏やかな場所であるはずなのだが、それも嘘であるかのように騒音と誰かの悲鳴がいくつもこだましていた。そして悲鳴は騒音にかき消され、途絶える。
繰り返される異常な現実にラッタの顔は次第に青ざめていく。
「相手はたかが一匹、たかが一匹だぞ! なんで誰も倒せない、逃げ切れない!?」
思わず切迫した声を漏らす。息を切らす彼は今まさに後ろに忍び寄る影に怯え、必死に逃げ続けていた。
何度も何度も背後を振り向いてみるが、誰の姿も見当たらない。ただならぬ気配だけが迫ってくる。
「はぁ、はぁ、はぁ!」
次に響き渡る悲鳴の主はもしかしたら自分かもしれないと、背筋をゾッとさせた。とはいえもう膝が限界だ、悟ったラッタは長時間の逃走の末、ついに足を止める。
「森は…抜けたな。誰も、いねェ……」
体を屈めて荒れた息を整えつつ、辺りを確認する。見晴らしの悪い森から一転、目の前には広大な野原が広がっていた。
上手く撒いたのだろうか、四方八方疑い深く見渡した後、彼は抜け出した森を見上げる。先程までざわめいていたはずの森は異様なまでに静かだ。
緊張の糸がほつれるようにラッタはうっすら笑みを浮かべる。この絶望感から解放され、これからどうしようかと言わんばかりに。
その油断が命取りであった。
微かに揺らぐ森の草木。何かの気配を察したが、まさかと言わんばかりに空を仰ぐ。同時に暗雲の中から正体を現した満月が輝きを放ち、この大地一面を照らし出す。
だが、ラッタの目にはもうひとつ、その満月を背後に宙を舞う影が映っていた。
「な。うぶっ!?」
反応が遅れた彼は影から回転する何かが放たれたことに気付かなかった。それは瞬時にして自身の胸を貫通するかの勢いでぶつかって弾け飛ぶ。
飛び散ったものが水であるということ、そして何より目の前の影こそが自分が最も恐れていた逃げるべき対象であるということ、気付いた頃には痛みと共に吹き飛ばされており、力なく倒れた。
「これで、全員でござるな」
弧を描くようにしなやかな身のこなしで影は着地する。足音も立てずに倒れて動けないラッタに近付き、顔を覗いた。
おぼろげな意識の中、襲いかかってきたポケモンの顔すら分からないままラッタは弱々しく口を開く。
「てめェ、いったい……なにもん、なん、だ?」
「拙者? 拙者はそうだな。ただのしがないニンジャでござるよ」
「た、ただの、にん、じゃ…?」
「ほいっ」
「ぐほ!?」
問いかけに答えるや否や影はラッタの額にとどめのデコピンをくらわせる。かなり強烈だったのか一瞬で気絶してしまったようだ。
平穏を表す静けさが、再び夜のもとに帰ってくる。
影は懐から取り出した縄でラッタを縛ると、うんと背伸びをしながら立ち上がった。
「あとは森に置いてきた輩も縛るのみ。しかしまた森に入って探すのは、面倒でござるなぁ」
独り言を零しては腕組みをする。思考を巡らせているみたいだが、特に良い案が浮かばないようだ。
仕方ないと諦めると地面を蹴って高く高く森の方へ飛び上がった。
「さて、もう一仕事」
己を鼓舞させつつ、自身の背丈より大きい枝木に体重を乗せる。そこから滑るように次の枝、また次の枝へと飛び移り、月夜に忍ぶ影は薄暗い森の中へ姿を消していくのであった。