土砂降り。
昨夜の怪しい天気から一気に下り坂となり、朝になる頃には大粒の雨が降り注いでいた。
一夜の騒動があった森からそう離れない場所に城下町がある。そこには大雨にも関わらず数多くのポケモン達が商業通りを行き交い、賑わっていた。
国の名称は”
ポケモンだけが暮らすこの世界にはイクサと呼ばれる戦いによって統一された十八の国土があり、始ノ国はそのひとつ。この国で生活する過半数のポケモンはノーマルタイプで占めていることが特徴だ。
最も大きくそびえ立つ城を中心としたこの大都市”マシロ町”では、外来者の行き来に厳しい制限は設けておらず、朝から晩までポケモンの密度が高い。その分、治安も良いとは言えないが、決して住み心地の悪い町というわけでもない。ここで暮らす者達はそれなりに何不自由のない日々を送っている。
「待てやごるぁ!」
「はあ、はあ。なんで、あんなに、しつこいのよ!」
商業通りに繋がる狭い路地裏にて。通りすがる者の目もはばからず、雨風すらも気にせず、走り続ける少女もまたマシロ町に滞在するポケモンの一匹。
何だかとても騒がしい。
小柄な黄色い体に、それとは全く似つかわしくない大アゴのような特徴的な角を持つ”あざむきポケモン”、クチートだ。懐に小さな
「逃げ足だけは一丁前に早ぇ小娘が! 今度こそ逃げ切れると思うなよ!」
クチートを追う集団のリーダーだろうか、猛獣のような厳めしい顔つきと図体を持つ、腹には輪の模様がついた”とうみんポケモン”、リングマが怒号を飛ばす。見かけた町の者が慌てて建物に避難するほどの恐ろしさで満ちていた。
「もう、一日中安心できないじゃない! どうしてこんな目に合わなきゃ、いけない……」
の、と愚痴を零そうとした瞬間、クチートの足に何かが当たる。おっとっと、と転びそうになり慌てて守袋をギュウと握りしめた。幸いにも軽くしりもちをついた程度で済んだのだが。
「あいたたた。うげ、汚れついた……」
体が少し泥で汚れてしまったようだ。ちょっぴり怪訝な表情を浮かべるも、早く立ち上がってあの追手を上手く撒かないととハッとする。すぐに辺りを確認する。
「えっ」
リングマ率いる集団がもう目の前まで迫って来てることは分かっていた。逃げなけば。
それはそうなのだが、足に当たったのは一体何なのかと、気になって仕方ない彼女は足元から真横まで視線を移す。同時に驚愕した。
なんと路上の片隅でポケモンが寝ていたのだ。しかも肩肘ついて横向きに。見事なまでに雨ざらしで。
「ぐぅぐう」
「え、えぇ、何なの!? てか寝てる!?」
通りが少ない路地裏と言えど、大衆が利用する道。それをこんな大胆に地べたで寝そべる者がいるのかと、クチートも思わず反応せざるを得なかった。
青より濃い瑠璃色をした体には道中合羽を羽織っており、頭には妻折笠を被っている。そのため顔は見えないが口元から伸びているのだろうか、ピンク色の舌をマフラーのように自身の首に巻いていた。両太腿には水色の十字の模様に、泳ぐのが得意と言わんばかりの水かきの付いた手足。
もしかして位置的にこの足に引っ掛かって転んだのか。クチートは把握する。とはいえ、非常にマズいことになった。
すぐさま立ち上がれば良いものを変に時間を浪費してしまったのだ、リングマとその取り巻きがついに追い付いてしまった。
「気味がいいな小娘、こんな雨ん中走るから転ぶんだなぁ!」
ふんと鼻を鳴らしてリングマはクチートを見下ろす。彼の瞳に映ったクチートには、もはやあれやこれやと考える余裕などなく、急いで振り返ることしかできない。
「おっと、そうはいかないぜぇ」
だが時すでに遅く、取り巻きのひとりである”あばれザルポケモン”、ヤルキモノが白い体毛をなびかせ、鋭い爪を広げて行く手を塞いでいた。慌てて足を止め、クチートは無言で睨みつける。
雨が次第に強まっていくのを感じる。
「おんや?
もうひとりの取り巻き、丸い大きな両耳と顔のほとんどを占める口が特徴のひと際声の大きい”おおごえポケモン”、ドゴームがリングマの後ろで愉快愉快と笑う。
自分より体格の大きい三匹に囲まれてしまった以上、クチートにはもう成す術が残されていなかった。
「まぁよくもこんだけ俺達の手を煩わせてくれやがったなぁ、おい? おかげさんでお頭もカンカンだぞ」
「最近はちょっとばかし様子がおかしいけどな、ガハッハ!」
「おいこら、ドゴーム」
これ以上リングマに横やり入れるなとばかりヤルキモノは釘を刺す。二匹のやり取りすら気にも留めず、リングマはクチートの目の前をにじり寄ると彼女の抱える小さな守袋に指を差す。
「そいつをよこせ。お頭が必要としてんだよ」
「……もし、嫌だって言ったら?」
「そうだな。そん時はてめェの、ここが、危ねぇかもな」
リングマは自分の胸を軽く叩いてみせる。命はないぞ、と。
しかし、それは渡したところでも同じ、クチートは彼らがまんまと逃がしてくれるとは到底思えなかった。
それに彼女の思いはどんなに脅されようとも、決して揺らぐことはなかった。
「誰がこんな野蛮くさくて三匹じゃないとあたしに追いつけないノロマ達に渡すもんですか、べーっだ!」
「こんのクソチビ……」
子供のような安い挑発だったが、リングマの怒りを爆発させるには十分な威力だった。強烈な殺気と共に襲い掛かってくる。
最後まで逃げる策を考えていたクチートだったが、やはり無理だと悟り、覚悟を決める。
空から雷鳴が轟き、リングマの拳がクチートに強く当たる。
はずだった。
一歩目を踏み出したその瞬間、彼は先程のクチート同様、道端で寝そべる謎のポケモンの足に引っかかると。
勢いよく顔から倒れた。
「んがぁ!?」
「は?」
『えぇええ!? あ、兄貴ぃ!?』
さっきの緊張感は何処へやら、クチートを飛び越えるとちょうどあった水溜りまでホールインワン。綺麗な飛沫が上がる。これにはクチートも取り巻きの二匹も目が点になるしかなかった。
「グワッハハ! こんな時でもウケを狙うだなんて全く最高だな兄貴!」
「んなワケねぇだろドゴーム! 兄貴はアレに突っかかったんだよ! てかなんでこんなところに寝てんだコイツ!?」
やがて状況を理解したドゴームが呑気に笑い出すと、ヤルキモノは青ざめながらその後ろ頭を激しく叩く。
どうやらこの三匹、クチートを追いかけるということに集中するあまり、周りのことなど全然気にしていなかったようである。今さら寝そべっているポケモンに気付いたみたいだ。
そして、当のポケモンはこんなにも周りを騒がせたのに微動だにせず、一切起きる気配を感じさせない。爆睡だ。
「ぐぅ」
(よく分かんないけど、助かった……)
間一髪と言うべきだろうか、運が良いと言うべきだろうか、今自分が無事であることにクチートは胸を撫で下ろす。
だが、それはほんのひと時だけ。
「……おいコラ」
ドスの利いた声が辺りに響く。クチートの背筋が凍りつく。
倒れていたはずのリングマに視線を移すが彼はもうそこにはいなかった。
気付けばクチートの真横を通り過ぎ、寝そべるポケモンの目の前まで来て拳を振り上げていたのだ。
「あっ…!」
急いで『逃げて』と叫ぼうとしたクチートだが、声を出す余裕すら与えてくれなかった。
怒りを込めた拳は寝そべるポケモンのみぞおちに激しく入り、勢いのまま突き飛ばす。そのまま背後の一軒家の板壁を突き破ると、破損した瓦礫がガラガラと大きく音を立てて落ちていった。
通りが一気に騒がしくなり、悲鳴まで聞こえてくる。
「ったくよぉ。どいつもこいつも、俺の邪魔すんじゃねぇよ」
突き飛ばしたポケモンの姿が見えないほど倒壊した板壁に、横から雨が入り込む。それを見てもまだリングマは苛立ちを抑えきれないようで、手のひらと拳を何度もパシンパシンと合わせて鳴らす。
(や、や、や……)
クチートの表情が絶望に染まる。
(やばいやばいやばい! どうしよう、どうすれば…!?)
一度は覚悟を決めていたはずの彼女だが、目の前で起きた惨状に足がすくんでしまっていた。小柄な体に
恐怖心から守袋を握る手も震え始める。
「兄貴、暴れすぎるとお上のヤツらが来ちまいますぜ!?」
「るせーな。俺は今、最っ高に腹ん虫の居所が悪りぃんだよ。おい、ドゴーム!」
「ガハハ! あいあいー」
「その小娘、捕まえとけ」
慌てるヤルキモノをよそにリングマが指示を飛ばす。ドゴームはその指示通りにクチートを逃がさないよう羽交い締めにした。
「やめて離して! 離してよ!」
「悪いな嬢ちゃん。ここいらで観念しなよぉ、ガハハ」
クチートが暴れ出してもドゴームはびくともしない。それでもせめて守袋だけはと、必死で彼女は握りしめて抵抗を続ける。
「渡さないんだからぁ……」
「おいおい、活きがいいなぁ。そんなに暴れるんじゃあ回収しづれ……あ?」
中々しぶとく手足をばたつかせるクチートにドゴームは少し困った表情を浮かべる、のだが。
ふと何かが目にとまった瞬間、石にでもなったかのようにピタッと静止した。
「あ、ありゃ…?」
「おい、どうした?」
様子が変なことに気付いたリングマはドゴームの目線を辿る。ヤルキモノ、そしてクチートも続いて同じように視線を向ける。
注目の的になったのは先程リングマが倒壊させた家の板壁。雨に濡れた内装、さらに散らばる瓦礫のその中からであった。
一匹のポケモンがむくりと起き上がっていたのだ。
「ふああ。よく寝たぁ」
大あくびをしながらそのポケモンは背伸びをする。カランと頭に乗ってた板壁の破片が落ち、音を立てる。
しばしの沈黙。
その後、辺りを見回し、ぽかんとするクチートとリングマ達に寝ぼけなまこで一言放つ。
「うん? ここは何処でござるか?」
瓦礫から現れた正体はリングマが拳で突き飛ばしたはずの、路上で寝そべっていたポケモンだった。