オシリスのユメ 作:新人先生
年が明けるまで連載が続くとは……皆さんのリアクションが間違いなく力になっています、ありがとうございます。
既に第1話の前書きで「コンセプト上、ダークな描写や生々しい描写を含」むことはアナウンスしていますし、「残酷な描写」の警告タグもつけていますが、この場を借りて再度警告させていただきます。
何話か進むと、ダーク度がアップして暴力的な描写が出てくる予定です。少年誌に収まる範疇の描写だと思いますが、ブルアカ界隈では世界観の関係上見慣れない感じだと思いますので、変にびっくりさせないよう念のため今のうちにお伝えしておきます。忠告がしつこくてごめんね。
苦手な方はご注意を。
「くそっ……!」
先生は頭を掻きむしりながら、らしくもない口調で独り言をこぼす。それくらい、状況は深刻だ。
手元の手紙――ホシノが退部届と一緒に残していったもの――は、ホシノが“黒服”の提案をのむことを決心したと明確に示していた。「みんなへ」と書かれたメッセージは、後を託すという形を取りつつ、ホシノの意思の硬さを如実に物語っている。そこに一片の優柔不断さもなければ、後悔の念も感じられなかった。ホシノは既に覚悟を決めてしまっている。
カイザーPMCによるアビドス自治区支配計画。アビドスの借金の増大。対策委員会での対立。そして――ホシノの失踪。全てが連鎖して、最悪の形で進行していく。
「私のせいだ……! 昨日の夜の時点で病院に確認しておけば……!」
今朝、学校に来る前、先生は病院に電話してあることを質問した。それは、「ホシノに爆破事件のことを伝えたのか」ということだ。何故そう尋ねたのかと言うと、昨夜ホシノは病院から脱走した理由として「爆破事件のことを聞いた」ことを挙げていたが、重症の人間にわざわざそのようなことを伝えるだろうか?という疑問が先生の中に湧いたからだった。
直接伝えたというわけでなく、事件のことを誰かが話しているのをたまたまホシノが聞いてしまった、ということであればその線は有り得たかもしれない。しかし、病院からの返事は「わざわざ患者の不安を煽るようなことを伝えたりはしない」というものだった。その時点で悪い予感がしたが、その後きちんと脱走の件について病院と認識を擦り合わせるにつれて、そもそも「爆破事件が起きたのはホシノの脱走後」であることが明らかになった。
脱走事件のことについては、退院時、病院の先生に根掘り葉掘り訊いたつもりになっていたが、いつ脱走が起きたのかまでは訊いていなかった。ホシノの身体状況や、脱走に伴って破壊した病院の建物・設備の弁償、その他諸々についてばかりに思考が割かれてしまって、そういった詳細の話は頭から抜けていた。「何時何分にホシノが脱走した」という情報が必要になる場面がやってくるとは夢にも思わなかったのだ。
というか、当時ホシノは意識不明の状態で入院していたはずなのだから、「爆破事件の情報を聞いた」ということ自体が根本からおかしいではないか。本当に爆破事件のことを聞いたのだとしたら、まずホシノが目を覚まして、何故かそれに病院のスタッフがすぐ気づくことができず、そのタイムラグの間に何らかの要因で事件のことを聞いた……という流れになってしまう。相当に強引なタイムラインと偶然が必要となる話だ。
つまり、最初から全部おかしかった。そう。そもそも最初から。
昨夜、ホシノの受け答えに若干の違和感を覚えて、「まだ何か話してないことがあるのではないか?」と尋ねたところが最後のチャンスだった。あそこでホシノが答えたことは――
「嘘、だったのか……」
嘘をつかれたということについてショックが無かったわけではないが、それよりも先生の胸中には、本当のことを話してもらえるほどホシノに信頼してもらうことができていなかった、という現実が重くのしかっていた。これが一番堪えるし、自分が情けなかった。
今回の件の責任は、すべて自分にある。
それはホシノと信頼関係を築くことができなかったという、単なる自分のコミュニケーション能力上の力不足のことのみを指すのではない。
というのも――問題の「疑問」自体は、昨夜、ホシノと別れてシャーレに戻った深夜の時点で、すでに気づいていたのだ。
それなのに、すぐ確認しなかった。
まさか、あれだけ訴えかけた昨日の今日で、ホシノが決断を下してしまうとは思っていなかったのである。昨夜の自分は、当該の疑問を小さな違和感程度にしか感じておらず、一刻を争う確認事項だと評価していなかった。
解決したわけではないが、しばらくの間はひとまず大丈夫だろう。念のため確認はしておいた方がよさそうだが、急病や大けがでもないのに深夜に電話をしたら迷惑だし、それは明日の朝でも遅くない。その結果次第で、もう一度タイミングを見計らって話をしよう――そんなふうに、状況を甘く見積もっていた。ホシノがどれだけ追い詰められていたのか、その心情を察してやれなかった。
昔からそうだ。
“大人として”、“先生として”という言葉の意味を、教条的にしか理解できていない。それが自分だ。だからいつも大事なところで間違える。
そして、そんな自分に巡り合ってしまったがゆえの、ホシノの現状。
なにが「急病や大けがでもないのに深夜に電話をしたら迷惑」だ。実際は同程度かそれ以上に急を要する事態だったのである。くだらない
自分を導いてくれたあの人なら――“大人”、“先生”であるということの意味を示してくれたあの人なら、絶対こんなことにはならなかった。
償おうと思っても償いきれない自らの失態を少しでも取り戻すべく、先生は頭をフル回転させる。
(……いや? ひょっとして――)
ほどなくして、先生の脳裏にある一つの可能性がよぎった。
もしかすると。
あれは完全な嘘ではなかったのかもしれない。
昨夜問い詰めた結果ホシノは「黒服から怪しい銃を渡された」と明かしたが、彼女は実際にその現物を持っていた。そのことは間違いなくこの目で確認した。
あんな方の銃は見たことがない。ホシノが作り話のためにわざわざ工作をするとも思えないし、やろうとしたところで市販されている程度の素材と道具を使って短時間で作れるような代物でもないはずだ。
故にそれを黒服から渡されたという事実はホシノが話していた通りなのだろう。ただ、本当の事情はそれだけではなかった……ということではないか?
つまり、ホシノは部分的に真実を織り交ぜることによって、もっと重大な何かを隠していたのではないだろうか。
しかし今となってはそれが何なのか、もはや知る術は無い。なぜ、なぜ、こうも自分という人間は――
「何なの!?」
先生が再び自責の念に駆られている中、苛立った様子の生徒の声が飛んできた。
「あれだけ偉そうに話しておいて! 切羽詰まってたら何でもしちゃうって自分でもわかっていたくせにっ! こんなの、受け入れられるわけないじゃない!!」
セリカだった。激昂している。目の前の出来事に対して非常に納得がいかないと顔に書いてあった。
「……助けないと」
それに対してシロコは強い口調で即座にそう言うと、ガタッと椅子から立ち上がる。
「私が行く。対策委員会に迷惑がかかるし、私一人で……」
「落ち着いてください、今は足並みをそろえないと――」
アヤネが止めに入るが、その言葉を遮るようにしてそれは起こった。
ドカアァァァァン!!
「うわっ!?」
「爆発音……!?」
「近いです! 場所は……」
轟音が鳴り響き、校舎の窓が小さく揺れる。対策委員会の皆は驚きのあまり、思わず頭を伏せた。
「……。……そ、そんな!?」
爆心地の位置情報を調べるために手元のパソコンでデータを解析したアヤネは、現状の一端を知るや否や顔色を急変させた。
*
「な、何で……何をしてる!?」
ホシノは後ろ手を組まされ、拘束具によって自由を奪われていた。そうして告げられた事実に血相を変え、狼狽している。
「どうして、どうしてアビドスを、町を攻撃するんだ!!」
「どうしてと言われましても……何もおかしいことなどありませんよ、ホシノさん。契約通り、あの借金の大半は返済させていただきますとも」
黒服は慇懃無礼な態度で答える。その声色からは感情らしいものは何も伺いしれない。
黒服が背を向けた先にあるのは、モニターに映し出される火柱と瓦礫と化した街並み。大昔には栄えていたアビドス自治区の中心部は、今や炎と煙で溢れかえっている。
「それはそうとして……あなたが退学してしまい、残念ながらアビドス高等学校にはこれ以上、公的な生徒会メンバーが残っていないようですね。それでは学校は成り立たないでしょう」
「――!! お前たちは最初から……! そうするつもりで……!」
今朝、ホシノは黒服のオフィスまで赴き、かねてより提示されていた条件を全て呑むことで契約を結んだ。すなわち、ホシノがアビドス高等学校を退学し、その代わりに黒服がアビドスの借金を半減するというものだ。契約の細かな内容がつらつらと書き連ねられた書類にサインを終えると、黒服は直ちに手筈を整えると言い、その日のうちに黒服が務めている企業の施設にホシノを呼び出した。そして、到着した矢先にホシノは警備の人に取り押さえられ、拘束されてしまったというわけである。
「私としてはカイザーがアビドスをどうしようと、正直そこまでの興味は無いのですが。土地が全てカイザーのものになったとして、代わりの新しい学園が設立されるか、統治機構が消滅したままの無法地帯になるかのせいぜいニ択でしょう」
「は……? 何を言っている……!? お前たち自身がアビドスを奪おうとしているんじゃないか!? 何を他人事のように……!」
「まったくもって他人事ですよ。何か認識に行き違いがあったのかもしれませんね。誤解を招いていたのなら謝罪しましょう。しかし私は最初からカイザーの所属ではありません。『私どもの企業』がカイザーコーポレーションだとは一度も言っていないはずです」
「!?!?」
ホシノは困惑し、思わず黙ってしまう。その間にも黒服は続けた。
「ホシノさん、私たちの目的は最初からあなたでした。私たちはあなたに関するすべての権利が欲しい。彼らはアビドスの土地が欲しい。その目的のために利害関係が一致したので、ビジネスパートナーとしてお互い協力していたというだけのことです」
黒服の声は、終始変わらない。丁寧で、滑らかで、どこまでも落ち着いている。それが余計に、ホシノの胸を掻きむしった。冷静に、当然のこととして、世界の終わりを告げられているようだった。
「……ふざ、けるな……!」
喉の奥から絞り出した言葉は、怒号の形を取れなかった。拘束具に引きずられて、声が思ったように飛ばない。惨めな掠れ声だけが室内に反響する。
ホシノは、再びモニターを見た。燃え上がる火柱。煙。崩れ落ちた建造物。
そこは地図の上ではただの点に過ぎないかもしれない。しかし実在の形を持って崩壊している。あそこには人がいる。みんながいる。そこで息をしている。
――私は、何を守ろうとしていた?
“みんなを先生に託す”。“自分が抜けても大丈夫”。そう思い込みたくて、紙に書いた言葉が、燃えた街の映像と結びついて嘲笑のように浮かぶ。守るどころか、自分の手で押し倒したに等しい。
「……だったら、ユメ先輩は」
ホシノは、息を吸う。呼吸が浅い。胸の中に熱いものが溜まって、上手く空気が入らない。
「ユメ先輩に、何をした。教えるって言っただろ……! 知ってるって、言っただろ!」
「申し訳ありません。それについては何も知りません」
「……は?」
「私は『知っている範囲で』お伝えすると約束しただけです。何も知らなければ、教えられることがありません。正確には、ホシノさんと同程度の情報しか持っていません」
一瞬、世界が白くなった。
口が勝手に動く。
「嘘だ!!!」
声が裏返った。喉が痛む。ホシノはそれでも言う。言わないと、今ここで息が止まる。
「ユメ先輩は私のことを――“ホルス”って言ったんだ! お前らしか使わない呼び名で! それなのに、関係ないって……!」
「それです。とても興味深い」
「あ……?」
「いくら言っても信じてもらえないかもしれませんが、私は誓ってユメさんの件とは無関係です。それにもかかわらず、あなたが言うには――“ホルス”という名称を彼女自身が使っていたという」
黒服は、彼にしては極めて珍しく、声を低めながらそう言った。まるで、ずっと探していた鍵をついに見つけたかのようでもあった。
「なぜ、彼女がその名を知っていたのか。これは探求に値します」
ホシノは唇を噛んだ。薄皮が裂けるほど強く。血の味が滲んだ。
「……つまり、何が言いたい?」
「私は先ほど、私の目的はあなたを手に入れることだと言いました。しかし、もうひとつ目的があります」
黒服が、淡々と告げる。
「あなたと同様、ユメさんも手に入れ、その神秘を研究することです」
「……!!?」
言葉が喉の奥で凍りついた。まるで氷水を浴びせられたような感覚だった。
「実はとある筋から情報を得て、表の情報とは異なり――“彼女は生きている”ということ自体は、以前から把握していました。なぜこのようなことが起こっているのか気になりまして、ユメさんのことは私の方でもずっと捜索していたのですが……どうにも足取りがつかめなかった。実際のところ、当時はユメさんより重要度が高いと考えていた対象がいたため、そちらの捜索にリソースを割いていました。彼女の一件には妙なところがあったとはいえ、そこまで気にしていなかった……というのが正直なところです」
「……っ」
「アビドスの件やあなたが捕まったことを知れば、彼女は再び表に出てくる可能性がある。ひょっとしたら、
黒服はまるで、天気の話でもするように言う。
「本来ホシノさんさえ手に入れられれば御の字だったのですが……一石二鳥、というやつでしょうか。ホシノさんの言ったことが本当なら、ユメさんこそが私たちの求めてきた
ようやく明らかになった黒服の真意。しかしそれを聞いてなお、ホシノは不敵に口角を上げて見せた。
なるほど、確かに昔だったら不味いことになっていたのかもしれない。しかし、目の前の詐欺師は重要な情報を未だ掴み損ねているようだ。
「……残念だったね。そうはいかないよ」
「どういうことでしょう?」
「今のユメ先輩は強い。そう簡単に捕まえられるわけがない」
銀行で戦ったときのユメ先輩は、どういう訳か知らないが、自分の記憶にある先輩よりずっと強かった。自分も勝てなかったくらいだ。
黒服がどこでどうやって噂を嗅ぎつけたのか知らないが、おそらく古い情報を耳にしたまま更新できていないようだ。
「……なるほど。そういうことでしたら、やはり準備を重ねてきて正解でした」
「“準備”……?」
黒服は小さく頷き、続けた。
「実は、ホシノさんにお渡しした銃には少し秘密がありまして。それがユメさんを捕らえる大きな手助けとなってくれるはずです」
「……!」
ホシノの喉が、ひくりと動いた。
――やっぱり。やっぱりだ。
やっぱり、あの銃は。
「怪しいと思ったけど、やっぱり……!! ろくでもないことを考えてたんだろうと思ったよ」
ホシノは吐き捨てるように言い、あえて笑った。
「だけど残念だったね。もうそれは叶わないよ」
黒服が、わずかに首を傾げる。
「……? それはどうしてでしょうか?」
「あの銃はとっくに壊したんだ。使おうたってもう遅いよ」
昨夜。月明かりの教室。布包み。膝に叩きつけた金属。折れた銃身。
――確かに壊した。自分の手で、確かに。
だからもう、この世にはない。
してやったりと思い、相手を挑発するような口ぶりで言うホシノであったが、黒服が怯むことはなかった。
むしろ憎たらしいくらい、いつも通りといった調子で言った。
「ああ、そういうことでしたか。それなら全く問題ありません」
「……何?」
ホシノの目が見開かれる。
「そんなわけ……! 強がりもいい加減に……!!」
「でしたらご説明しましょう。そもそも試作品といえ、アレは一丁しかないわけではありません。予備くらい用意しておくとは思いませんか?」
「…………!」
「――そして」
それが唯一であるという前提が、ホシノの中で無意識に置かれていた。たしかに、よくよく考えてみると、そんな限定品のひとつしかない武器を易々と渡すはずはない。
「あれは特殊な口径の銃弾を必要とする少し変わった銃でして。そのことはホシノさんも覚えてらっしゃいますね?」
「……だから?」
自然に漏れ出た言葉は、決して強がりに由来しているわけではなかった。
「取り回しが少し面倒なだけで、威力も射程も、大して上がってない。多少頑丈だとは思ったけど、凡作としか思わなかった」
念のため破壊しておいたとはいえ、実際に使用した正直な感想としては、あの銃が特筆すべき脅威になるというイメージは沸いていなかった。仮にあれと同じものを使われたとして、標準的なキヴォトスの生徒レベルの頑強さがあれば、即座に戦闘不能になるということはあり得ない。銃に使われる特殊な銃弾というものに関しても、戦車砲の直撃ですら耐えうる生徒が多数いるこのキヴォトスにおいては、所詮誤差程度の違いしか生まれないはず。
「お渡しした状態のまま使ったならば、その通りだと思います。ですが、わたしたちにとって、あの銃の真価は別にあります」
「……? どういうこと?」
「ホシノさんにあのとき渡したのは口径だけ合わせた通常の銃弾でしたが……実のところ、あの銃の真価は、私どもの“新技術”を応用した銃弾を装填することで発揮されるのです。つまり私たちの技術の核心は、銃本体というよりむしろ銃弾のほうにあるわけです」
「な……!?」
「そしてその新技術というのが――」
黒服は、声色ひとつ変えず、さらりと言ってのけた。
「“ヘイローを壊す爆弾”の技術です」
「……は?」
理解できないのではない。理解したくないのだ。理解した瞬間に、世界が二度と元に戻らない気がした。
ホシノは声を絞り出す。
「ちょ、ちょっと待って……なに、その技術は……」
「私の知り合いにそのような技術を開発に成功した人物がいまして、そこから技術提供を得ました。本来単発の爆弾向けの技術だったものを銃に転用するわけですから、当然一筋縄にはいきませんでしたが、研究の甲斐あって完成させることができました」
黒服は淡々と言う。誇らしげでもない。罪悪感でもない。ただ事実として。
「その銃弾を込めることで、“神秘”による保護に特化した性能を発揮します。生徒に与える影響が大きすぎるのがいささか難点でもありますが」
私は決して必要以上に生徒の皆さんを傷つけたいわけではありませんから、と続ける黒服。しかしホシノは、そんな黒服の声などもうほとんど聞こえていなかった。
“ヘイローを壊す”
その言葉が、ホシノの脳内で別の言葉に変換される。
“生徒”を。
ヘイローを持つ者を。
「……しかし、試作品を完成させたところで
ほとんど機能停止していたホシノの耳にも、そのフレーズは辛うじて届いた。もしかすると、“問題”というワードを脳が無意識的に掬い上げたのかもしれない。
ひょっとしたら。
ひょっとしたら、その問題とやらによって、ヘイローを壊す技術とやらが無効化されることになる可能性だって――そんな、一縷の希望を見出したいという無意識の願望に基づいて。
「あの銃は実践で使えるか否か、その点についてテストできていなかったのです。試射くらいはしましたが、キヴォトスの生徒の身体能力レベルで、同程度の相手に対して乱暴な取り回しをしたとしても壊れないという保証が得られなければ実戦では心もとない。なにせ相手は、おそらく現在キヴォトス最高の神秘と身体能力を持つであろうユメさんですから。……そのような状況の中、丁度よくホシノさんがやってきてくれました」
「…………え?」
「ありがとうございます。おかげで貴重なデータが得られました」
ホシノは目を見開き、まるで初めて見る人のように、黒服を見た。
そんなホシノの青ざめた顔を前にしても、黒服は淡々と結論へ向かう。
「あなたもまた、キヴォトス最高峰の神秘と運動能力を持つ存在。そんなあなたが、キヴォトス最大級の学園の戦闘組織と戦うとしたら」
理解が追いつかないのではない。追いつかせたくない。追いついた瞬間に、自分の足元が崩れるのが分かっているからだ。
「そのような場面で銃を使用していただけるとしたら――試験データとしては十分だと思いませんか?」
しかし、拒否しようとする自分の心とは裏腹に、脳が勝手に理解を進めてしまう。
この男が何を求め、どのようにしてそのピースを嵌め、どんな形で自分を利用し、ユメ先輩まで脅かそうとしているのか。
「嬉しい誤算でしたが、あの現場には、あなたと同様キヴォトス最強格のゲヘナの風紀委員長までいた。“最強”対“最強”の戦いに近いものが見られたわけで、これ以上ないほどのデータが手に入ったと言ってよいでしょう。そうしてそこで得られたログを解析することで、ついに最後の調整を終わらせることができました」
黒服は無慈悲に続けた。
「――明日にでも、あれは実践に投入できます。ご協力いただき大変ありがとうございました、ホシノさん」
胃の奥が、きゅ、と縮む。
遅れて、胃の内容物がせり上がってくる感覚だけがはっきりした。喉が勝手に閉じ、舌の奥がすっぱくなる。
「――っ、ぅ……」
息を吸おうとして、吸えない。吐き気と一緒に、空気まで詰まってしまう。
情報の洪水。現実の重さ。噛み砕けないままに飲み込まされ続けたせいで、内臓が反抗している。
「ぅぷっ……!」
喉が勝手にひくつく。唾液が一気に溜まり、舌の裏が痛いほど熱くなる。次の瞬間、耐えきれずに身体が前へ折れた。しかし、拘束具が腕を引っ張るせいで、身をよじることもできない。
「げ……っ、ぅ、――」
それでもホシノは無理やり上体を前に倒そうとして、首を振るようにして――そのまま、床に吐いた。
酸っぱい匂い。胆汁の苦味。床に落ちた液体が、冷たい光を受けて汚れた水たまりのように広がっていく。胃液の熱が喉を焼き、涙が勝手に滲んだ。
滲む視界の中、床に落ちたものはLEDの光を受けていやに白く見えた。
これが、自分の中身。こんなものが自分だったのかと思うほど、惨めで、汚い。
(……私が?)
(私が勝手な行動をしたから?)
自分が黒服にユメ先輩の件を明かしてしまったから、ユメ先輩は目を付けられてしまった。
先生に止められたのに、自分の我儘で退学を選んだから自治区が襲撃された。
怪しいと分かっていたのに、あの銃を使ってしまったから、みんなの命が危なくなってしまった。
全て。
全部。
私の選択が。
私の浅慮な行動が。
私が愚かだったせいで。
すべてを、壊した。
自分の身体が、自分で制御できなくなる。
――呼吸ができなくなった。
喉が焼けるように熱い。酸素が通るはずの道が、狭く、小さくなっていく。胸の奥がざらつき、肺が重たく膨らむだけで空気が入ってこない。
「……か、ぁ……っ、ひゅ……っ、ぃ……」
浅すぎて数えるのも馬鹿らしくなるような呼気。息を吸うたびに、喉がかすかに痙攣して震える。意識はどうにか保てているが、正常とは到底言い難い。
自分のために選んだ行動が、取り返しのつかない結果を引き起こしている。守ると決めた人たちを、自分で遠ざけた。裏切り、失望させ、逃げた。
……私が。
そのとき、パリッとした音が鳴った。
「…………? 何か、今――」
微かに自身の耳に届いたその音を、黒服は一旦は気のせいかと思案したが、続けて何度もパリパリッとした音が鳴る。
――私が。私が。私が。
その音がホシノの方から鳴っていると気づいた黒服は、ホシノを改めて見る。
間を置かずして、黒服はある事実に気づいた。
――私が。私が。私が。私が。私が。私が。
ホシノの身体が、まるで陽炎のように、輪郭が曖昧になっていく。同時に、彼女の近くの空間が脈打つように波打っている。
そしてその表面で、小さな赤い閃光が静電気のように何度もはじけていた。
バチバチと放電しながら、彼女の周囲に赤黒い稲妻が纏わりつく。先ほどから聞こえていたパリパリという音の正体はこれであった。不規則に伸びる光線は、彼女の意識に呼応するように大きくなったり弱くなったりしている。
「――!!! 不味い! ここまで安定度が下がってしまうと……!」
黒服はポケットの中を探ると一つの端末を取り出し、慌てたように操作し始めた。
その間もパリパリッという音はどんどん頻度を増していく。
――私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。
放出される雷の規模は指数関数的に増し、地面を跳ねまわるように蠢いていた。雷の筋は血が混じったように赤黒く、まるでホシノが流した血涙が世界に零れてしまったような、そんな錯覚を与える。
音は今や耳を塞ぎたくなるほど大きくなり、空間自体が僅かに歪んでいて、何か巨大なエネルギーがホシノを中心に収束しているのが目に見えてわかった。
「くっ――!」
黒服は焦燥を隠さず端末を操作する手を速める。
私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。
私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。
私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。
私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。
私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。
私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。
私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。
私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。
私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。
私が
私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。
私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。
私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。
私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。
私が。 私が。 私が。 私が。 私が。 私が。
臨界点に近づいたエネルギーが、今まさに爆発的な解放を迎えようとしていたそのとき――
ドスッ!!!
――ホシノの背後から飛び出してきた注射針が、ホシノの首筋に刺さった。
「……ぉぇっ……」
それと同時に、雷の収束の動きが急激に緩慢なものとなり、またしてもホシノの口から呻きが漏れる。
「……危なかった。介入がさらに1秒遅ければ、ここら一帯吹き飛んでいたかもしれません。“恐怖”を適用する下準備として追い詰める過程が必要だったとはいえ、許容量を見誤っていたようです。申し訳ありません」
そんなホシノの様子を見て、黒服は胸をなで下ろしながらそう言った。
「ホシノさん。あなたには、ユメさんと先生をここに引き付けていただくという役目がまだ残っています。“反転”に関する実験はその後になります」
ホシノは、黒服の語る声が次第に遠く、水中から聞く泡のような音に変わっていくのを感じた。
この感覚は知っている。鎮静剤だ。
全身が重くて、動けなくて、思考だけが散っていくあの――
意識の幕が静かに降りていく中、黒服の声はまだ続いている。
「……以前、『ユメさんに会わせる』、『彼女について知っていることを教える』とお伝えしましたね。あれは決して嘘ではありません。捕獲に成功すれば、彼女はこの部屋に連れてきます。研究の過程で彼女について得られた知見についても、貴重な情報を提供してくださったお礼として、ホシノさんにも共有することをお約束しましょう」
薬が作用し、意識の断片が霧のように散っていく。
(ユメ先輩……)
(先生、みんな……)
(ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……)
(どうか、お願いだから――)
そこで、ホシノの意識はプツリと途切れた。
*
一方その頃、アビドス市街地にて――
「……ふふふ、お出迎えとは。手間が省けて助かる」
「こんにゃろ……! この悪党め!!」
セリカたち対策委員会と、ある男が対峙していた。
男の周りにはカイザーPMCの兵士たちがズラリと立ち並び、武装している。
「しかし――少々手荒が過ぎるな。君たちは礼儀というものを知らないのか?」
男は嘲りと呆れを混ぜたような、心底不愉快そうな表情を作る。その男こそ――
「スカウトなんて、最初から嘘だったってこと? ……いや、それよりもホシノ先輩はどこ?
カイザーPMCのトップ、ジェネラルその人であった。
お前のおかげでユメ先輩をモノにできると感謝を伝え、ホシノを怖がらせましょう!(サメミーム)