【完結】オーバードーズ・ヒロイズム 〜時限能力獲得ドラッグ中毒TSヒーローちゃん〜   作:相竹空区

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25話 オーバードーズ・ヒロイズム

 

 マンションの一室で、レイモンドはいつも通りに朝食を作る。

 フライパンに卵を落とし、ベーコンを焼き、トーストも。

 牛乳をコップに注ぎ、テレビから流れるニュースを見る。

 

『能力を用いた銀行強盗、学校襲撃、その他にも様々。ヒーロー以前の混沌に逆戻りしたような有様ですよ』

『ですがブリンクなんて存在も現れている。捨てたものでもないのではないですか?』

『それこそが問題だ!ヒーロー以前ならまだしも、管理された能力者による治安維持組織があるのだから、あのような存在は法治国家の根幹を揺るがす無法者にすぎない!』

 

 ひとり分の朝食は簡単に用意が済んで、レイモンドは黙々とパンを食む。

 

『近頃急増している能力犯罪。本日は専門家と共に──』

 

 全てはいつも通り。

 レイモンドは食事を摂り、歯を磨き、学校へ向かう。

 誰も居ない家に向かって言った「行ってきます」も、早めの登校時間もいつも通り。

 聞こえてくる声は全て他人事。

 レイモンドに話し掛ける人間など居ないのだから。

 

「今日何処行く?」

「ごめーん。アタシの父親がさあ、門限早くして破ったら監禁するって脅してくんの」

「うーわ。アンタの父親ならホントにやるわ」

「なーんか治安アッカ?とかさー。してるらしいけどアタシらには関係ないよねー」

 

 通学路にはレイモンドと同じ学生が多い。

 多いが、レイモンドはそれらと同じではなかった。

 朝が憂鬱な者は居るにしても、その暗く俯いた姿は見るからに落伍者だろう。

 たとえフリでも、レイモンドは楽しそうに振る舞うなどは出来なかった。

 

(叔父さんの容体は良くなった。僕は追加の薬を手に入れた。全部が良い方向に向かってる)

 

 レイモンドにとって、楽しいとは、良いとは……この偽りの(・・・)生活には存在しない。

 

「よぉレイモンド!」

 

 このように、背を叩かれてからかわれる生活などには。

 

「やっぱ顔に出るな、性格のカビ臭くて卑怯なとこ!」

「てかなに、無口じゃーん!いつもこんなんだっけ?」

「おいなんか言えよ……無視か?」

「僕はっ──げほっ!」

 

 静かに脅し付けられて、レイモンドが言葉を発そうとしたタイミングでリュックサックごと背中を叩かれて、激しく咳き込む様すら笑い物。

 

「ダッセ!昼を楽しみにしとけよなぁ!……逃げんなよ?」

 

 指を差して念押しし、去っていった彼らを見送ってレイモンドはただ無言で歩く。

 

(黙って過ぎるのを待てばいい。僕にはこんなのより、もっと重要な事があるんだから……叔父さんが良くなるまではレイモンドを続けて、その後は残りの薬で本当の(・・・)人生を始めよう)

 

 鬱屈したものばかりの生活に耐え、レイモンドはただ耐える。

 周囲の全てに心を閉ざし、刑罰のようにレイモンドをこなす。

 

「能力者って怖くない?見た目俺らと変わらないのに人を簡単に殺せるんだぜ?」

「この前の銃撃犯も能力者だったよね……なんか、化け物が潜んでるみたいで怖いかも」

「だよな、あれって遺伝すんの?」

「さあ?するんじゃない?」

 

 マトモを装い授業を受けて、内心ではドラッグの事で頭がいっぱい。

 

(僕には本物の人生が待ってるんだから)

 

 それが、どう見られているかなど気にしないのだ。

 側から見ればレイモンドは常に無言で何を考えているか分からず、話しかけども心を閉ざし、意識の中にも入らない。

 不気味に見られていても、無理はない。

 レイモンドが執拗に暴力や嘲笑を受けるのも、ある種の正義感によるものだろう。

 共同体の中に存在する異物を排除しようという、人間の持つ根源的な正義感であり暴力性。

 それはブリンクを認めない力と同じものであり、ずっとレイモンドに向いていたもの。

 ブリンクは社会秩序という確固たる理由によって裏付けされていたが、レイモンドにはそれがない。

 ただ不気味で、気味悪く思われている反撃してこない弱者であるから、それだけだ。

 

 だがもしも、その一線を越える理由が出来てしまったら?

 能力獲得ドラッグが種を蒔き、レイモンドが水をやって育てた能力者忌避と結び付き、更に追加のもうひと押しがあったなら?

 暴力性を伴った正義が何処へ向かうのか、レイモンドは知る事になるだろう。

 

 時刻は昼、休み時間で思いのままに過ごす学生が居る中で、レイモンドはやはりひとりで過ごしている。

 イヤホンで興味があるわけでもない音楽を聞いて、外界と遮断された状態で時間を潰す。

 カフェテリアで食事を摂ると絡まれるので、リュックサックの中から昼食を取り出そうと漁ってひとりの時間を過ごそうとしていたのだが。

 

 だが、そんな状態は無防備そのもの。

 背後から近付く何者かにも気付かずに、頭に袋を被せられても抵抗が出来ないままだった。

 

「ひっ……!な、何!?」

 

 困惑混じりの悲鳴を上げても何も止まらず、むしろ頭を叩いたり腹を殴ったりといった返答が返ってくる。

 その際にイヤホンが落ちてしまった事で、このような事を行ったのが誰か分かったものの、レイモンドは驚きよりも納得が大きかった。

 

「連れてけ連れてけ!」

「抵抗すんなよ!ったくよぉ〜カメラ回してるか?」

「カンペキカンペキ、てかコイツビビりすぎっしょ!」

 

 嘲笑で耳慣れた3人に、無理矢理に何処かへ連れて行かれる最中に、レイモンドは耐える心の準備を済ませておいた。

 そうする他になかったし、そうすれば良いのだと思っていたから。

 だが、視界を閉ざされ波に揉まれるように連れて行かれた先で待っていたものが、大勢の騒めきだった時にはレイモンドも思わず身を竦ませた。

 

「よぉーし!みんな見てくれ!」

 

 目隠しを外されて、レイモンドは自分が体育館の中央に居る事に気が付いた。

 側には火が焚かれた一斗缶。

 そして自らを取り囲む観客(・・)の存在にも。

 体育館の外周部分の観客席には、どのように集めたのか生徒らが集まっている。

 これから何が行われるのか、好奇と不安が見て取れた。

 

「何これ……?」

「なぁ、レイモンド。お前隠してる事あるだろ?なぁ」

「ぼ、僕が?」

 

 嗜虐心に満ちた顔で問い掛けられて、レイモンドの脳内に浮かんだのはブリンクの事。

 レイモンドにとって秘密とは、その事だった。

 

「てか早く言おうぜライアン。せっかく観客集めたのに退屈だって」

「分かったって……レイモンド・クロス君よぉ、お前の親父って何してんだ?」

「え……?」

 

 予想外の質問に、拍子抜けだがそれでも言い淀む理由がある事を思い出し、レイモンドは唇を噛んだ。

 そして俯き、耐える事を選ぶ。

 

「調べたら簡単に出てきたぜ。お前の親父がクズだって」

「よぉ!みんな聞いてくれ!このレイモンド・クロスの親父は能力者なんだ!」

「そうそう、てかニュースになるような有名人なら、なんで教えてくれなかったんだレイモンド?」

「あ、いや……それは」

 

 レイモンドの父親は、まさにレイモンドの持つ傷や歪みの根源となる存在。

 母から受けた虐待も、そこに端を発するのだから。

 

「言えないよなぁ……まさか親父が能力使って3人レイプして殺したなんて!」

「知ってたら絶対関わりたくねーもんな!」

 

 俯いていたレイモンドの肩を蹴り上げて、観客にその顔を見せつける3人組は得意げだ。

 罪を暴いて見せたと、正義に酔って高らかに声を上げるのは扇動に他ならない。

 観客も悲鳴を上げる者、スマホを向けて撮影する者など様々ではあるが、これを止めようとする者がいないのだから扇動は上手くいったのだろう。

 

「普段何考えてんだよレイモンド?ずっと俯いてよぉ?」

「ち、違う。僕はそんなんじゃ!?」

「よっしゃ、持ち物チェーック!」

 

 レイモンドのリュックサックは無理矢理剥ぎ取られ、防犯機能など無意味な開け放たれた取り出し口から中を漁られる。

 

「教科書──お前の教科書ってエロ本とかだろ?要らねぇよなコレ」

 

 一斗缶へと投げ込まれ、教科書は良い薪になる。

 次々に投げ込まれる教科書を、レイモンドただ眺めて耐えようとした。

 したの、だが。

 

「うぉ……!マジかよ!?」

「なんだよライアン早く出せって!」

「お前親父似だろレイモンド……コイツ下着泥棒だぜ!」

「ち、違う!それは……」

 

 暴かれて、高らかに掲げられたそれは、ドラッグを使いブリンクになった時用の着替え。

 つまりは女性用下着。

 紛れもないレイモンド自身の物ではあるが、それを説明したとて意味はない。

 この場においては、レイモンドのリュックサックの中にそれが入っていた、というストーリーの方が重要だ。

 

 そしてふと、レイモンドは自身に向けられる視線に気付く。

 観客から、四方から、嫌悪と怒りが降り注ぐ。

 無数の視線がレイモンドを見咎める。

 

「てかそれ汚いんじゃねぇの?キモチン汁付いてるかも」

「うわっ!?やめろってマジ最悪だわ……もうソレの中身全部入れちまうぞ!」

「あっやめ──」

 

 掲げられた下着は放られ、火の中へ飛び込んだ。

 そのままリュックサックは逆さにされて揺さぶられ、中身は残らず火の中へと落ちてゆく。

 教科書で火勢がついて、バチバチと音を立てて燃える火へ、燃え滓を巻き起こしながら。

 

「みんな分かるだろ!?このレイモンドはヤバい奴なんだ!父親譲りの性犯罪者!こんなのが学校に居たら、またこの前みたいな事件が起こるかもしれねぇってさぁ!」

 

 あの下着はルミナスから贈られたものだった。

 その他の服や、ヒーロースーツと共に。

 今ではこうしてレイモンドを無実の罪で追い詰める物証となってはいるが、あれば思い出の品と言えた。

 ヒーロースーツ同様に、ブリンクという良い(・・)を示すもの。

 今では火の中で燃えてはいるが。

 

「あ、ああ……」

 

 助けを求めようとしたのか、それとも燃える思い出から目を逸らしたかったのか。

 周囲の観客席へと視線を向けて……見知らぬ女子生徒と目が合うと、悲鳴と共に目を逸らされる。

 それが口火となったのだろう、四方八方から怒号が飛び交う。

 

「サイテー!」

「お前みたいなのが事件起こすんだろ!?」

「消えろ犯罪者!」

 

 それはレイモンドが求めるヒーローとは正反対の、単純化した言い方をするならば悪人が向けられる言葉だろう。

 元より自分自身に対する認識がそのようなものだったとしても、そこから離れようともがいていたレイモンドにはよく刺さる。

 

「こんな、こんなの違う……」

 

 現実を否定しても意味は無い。

 数多の視線とレンズを向けられ、レイモンドを悪人へと貶める。

 真実はどうあれ、そのようになってしまったのだから。

 

「違う僕じゃ、違うこんなの」

 

 観客のひとりが立ち上がった事をきっかけに、徐々ににじり寄る壁のようにレイモンドは取り囲まれる。

 恐怖で体が震えて動けずに、迫り来る群衆から逃げようとしても背後も、左右も、全て()

 逃げ場などなかった。

 

「お前も父親みたいな事するつもりだったんだろ!?」

「なんでお前みたいなのが捕まってないんだよ!さっさと自首しろよ!」

 

 ただ、気持ち良くなりたいだけなのだ。

 集団という匿名性と正義に守られて、思うままに暴力を振るう、といったような。

 やはり真実はどうあれ、この場で示された証拠を元に有罪を決めて私刑を下す。

 

 「こんな悪人が学校に居て良いのかよ、なぁ!この学校を救ってくれたブリンクみたいに、俺達も自分で悪を裁かないと平和は守られないんじゃないか!?」

「そうよ……自分達の学校は自分の手で守らなきゃ!ブリンクみたいに!」

 

 これは、ブリンクが行ってきた事と同じ。

 ただその矛先がレイモンドに向いただけ。

 己が撒いた法を無視した治安維持が、自助努力を生んだ。

 

「うぅ、ぐっ……頭、が」

 

 そんな己の行いの結果に囲まれて、思わずうずくまるような頭痛に苛まれるのもまた、行動に伴う当然の結果。

 得体の知れないドラッグを使い、身体に不調が出ても無視してきた。

 

「ああ、あああ……」

 

 周囲からは罵声が飛んで、内側からは痛みが襲う。

 これこそまさしくレイモンドが生きる世界。

 ドラッグがもたらすものではなく、こちらがレイモンドの本当。

 

「いっ……ぎ!?ぐ、ぁああぁあぁあ!?」

 

 強まる痛み、勢いを増す罵声。

 それらをかき消すように叫んでも、なにも消えてはくれない。

 この場には、この世界には、レイモンドを助けてくれる存在など居ないのだから。

 

(僕が、偽物だから)

 

 そう、レイモンドは本物のヒーローではない。

 力も見た目も、ヒーローに相応しい精神性だって持ち合わせていないのだ。

 ブリンクならば、と願うような理想像を追い求めても、レイモンドはレイモンド。

 無力な少年である事に変わりはない。

 

(僕もブリンクみたいに──)

 

 だが、レイモンドはそのようになりたいと願い、行動した。

 行動とは拾ったドラッグを使用する事で、良いとはかけ離れた行いであったものの。

 ただそれでも行動したのだ。

 何度も何度も使用して……副作用が出ても、身体に変化が起きてもやめなかった。

 少しずつ、少しずつレイモンドの身体に不可逆な変化を促したドラッグは、いよいよ核心的な変化をもたらす。

 

「──ぅぁぁあぁああぁあああああ!!?」

 

 限界に達した痛みで、喉が張り裂けるような尋常ではない叫びを上げたレイモンドに、罵声が一時止まった。

 

「え……?」

 

 そうして誰かが疑問を発する。

 取り囲んだ中心からレイモンドの姿が消えた、と。

 明らかに何かがおかしいと理解が及んでも、群衆の大半はレイモンドの姿を捉えていない。

 後列ではただ声が聞こえて動きを止める……までのその一瞬。

 群衆の中から叫びが聞こえた。

 

「なに!?」

「うわぁ!?」

 

 人垣の向こう側で何かが起きている、と群衆の中のひとりが理解した。

 理解はしたが、目まぐるしく瞬きする間に位置が変わるレイモンドの叫び、という奇妙な現象に首を傾げるばかり。

 

「なんか変じゃないか?」

 

 と、隣に立っている筈の友人に声を掛けて、そちらを見やると……

 

「わっ……?」

 

 パン、と風船が破裂するような音と共に、視界が赤く染まった。

 それを起こしたのが液体だと気付き、さらに顔を拭ってようやく理解した。

 血液が、飛び散っているのだと。

 そして、隣に立っていた筈の友人は、身体の大半を失い床に倒れ伏している。

 自らの身体もよく見てみれば、幾つもの骨片が突き刺さっているではないか。

 

「あ、え?こ……うわあぁ!?」

 

 そんな出来事が、一瞬おきに体育館中で起きている。

 レイモンドの叫び、身体を内側から吹き飛ばされた生徒の断末魔、友人の血肉を浴びた生徒の悲鳴。

 テレポートの際に鳴る、空気が動く音が近くで聞こえる度に、我先に逃げ出そうとした者達を震え上がらせる。

 あちこちで肉体が弾け、血肉のシャワーと骨片の飛沫を誰かが浴びる。

 

「退け!退けって!」

「早く、早く逃げないと!?」

「助けて!誰──」

 

 血溜まりを踏み締めて、生きていようといまいと人間を踏み越え、体育館から逃げ出そうともがいてみても、相手はテレポーター。

 逃げる速さなどは意味がなく、瞬きする度に誰かが死んでいる。

 

「ひい、ひいいい!」

「違うんだ!俺は何もしていないじゃないか!やめろ!俺は殺さな──」

「アイツら、アイツらが悪いんでしょ!?私は──」

 

 逃げる者達にとっては永遠に思える時間、レイモンドにとっては気が付いたら。

 いつの間にかレイモンドは血溜まりの上に立ち尽くしていた。

 

「……あれ」

 

 血がたっぷり染み込んだパーカーから血を滴らせ、砕けた身体を踏み締めレイモンドは体育館の中央を目指す。

 呻き声が聞こえるものの、それ以外は静かなものだ。

 もうこの場には、レイモンドを苛むものは存在しない。

 

「血で、火が消えたんだ」

 

 火が轟々と燃え盛っていた一斗缶は、この体育館の惨状と同じく横倒しになったうえに鎮火し静かなもの。

 しかし大半の物は燃えてしまって、原型を留めてはいなかった。

 だが、それでもレイモンドは燃えさしに手を突っ込んだ。

 何かが残っていやしないかと、半ば祈りながら。

 

「ルミナスがくれたんだ……僕の宝物。ブリンクには必要な物なんだから……」

 

 そうして漁る触感の中に、明らかに違うものを捉えてレイモンドは表情を明るくする。

 まさしく希望だと、余分な物を取り払えば……小さなケースが現れた。

 ルミナスが贈った、ヒーロースーツを収納するそれは、火の中でも燃え尽きず、幾らか表面を汚して破損していたものの、中身の無事は外から見ても明らかだ。

 

「良かった……!これが無事なら、大丈夫だ」

 

 血で濡れた胸でケースを抱き、レイモンドは近くに捨てられていたリュックサックを持ち上げる。

 持ち上げる際に、床との間に液体で橋渡しをしていたが。

 

「薬は……大丈夫。この2つがあれば、こんな偽物は消せるんだから」

 

 ケースをリュックサックに放り込み、今度は誰にも手出しさせまいとしっかり閉じればレイモンドは安心でひと息吐いた。

 そして吸い込んだ空気には、むせ返る程の人体の内容物の臭いが充満していたが、レイモンドにとっては先程の方が数段不快だったので、これは解放感を味わう良い空気ですらある。

 

「うーん、この後は……ブリンクになって身を隠せばいいのかな。取り敢えず逃げないと」

 

 と言ってフードを被ったレイモンドの頭に、フードに溜まった肉片が落ちてきた。

 ペチャペチャと、音を立てて落ちるそれらは襟から首筋まで落ちて大変不快。

 顔を伝って耳に引っ掛かり、背筋を滑り落ちてそれらを摘んで投げ捨てる。

 中には目が合うようなものもあっただろうか。

 

「これ、綺麗にしないと。スーツが汚れちゃう」

 

 そうしてまずはシャワールームへ。

 時間というのはテレポーターにとっては大した問題ではない。

 移動を不要とする能力により、レイモンドは警察が来るまでにゆっくりとシャワーを浴びて、ドラッグを使いブリンクへと変身し、スーツに着替える余裕があった。

 そうしてやって来た警察は、既に姿を消したレイモンドを探す事になる。

 ブリンクが警察から逃れて来たように、レイモンドも警察から逃れる事が可能だ。

 その2つは殆ど同じ意味ではあるが、決定的に違うのは……レイモンド・クロスは最悪の殺人犯だという事。

 

◆◆◆

 

 いつもの屋上で、ブリンクは黄昏る。

 沈む夕陽を眺めて時間を過ごす。

 ヒーロースーツを身に纏ってはいるものの、その場から動こうとはせずに、眼下の街並みを走るパトカーを眺めて息を吐く。

 

「やっほ……ブリンク」

「こんな時間に珍しいね、ルミナス。元気がないのも珍しい」

「そっちこそ荷物持ってるの珍しいねぇ。お引越し?」

「まあね」

 

 ブリンクは傍に置いたリュックサックを爪先で軽く突く。

 学校から家に戻り、ルミナスから贈られた衣服とドラッグ、幾ばくかの逃走資金を持ち出したもの。

 

「何処かに行くんだ。行き先はウチにも内緒?」

「決まってないからね。これでようやく……僕は自由になれるかも」

「そうなんだぁ……良かったじゃん」

 

 見るからに分かる空元気を出してまで、ルミナスは友人の門出を祝うので、やはりブリンクは何故こうも落ち込んでいるのか気になるもの。

 この地を離れてしまう前に、友人の悩みを解決するのは良い事だと思い、ブリンクは当然の善性を持って問い掛けてしまった。

 

「ルミナス……どうしたの?悩みがあるなら聞きたいし、力になりたい。僕にそうしてくれたみたいに……ルミナスは友達だから、なんて恥ずかしいけどさ」

「ブリンクはヒーローだねぇ。カッコいいぞぉ……えへへ、うん。やっぱりウチ、元気出すのしんどいかも」

 

 力無く笑うルミナスを見て、ブリンクはルミナスの肩に優しく手を置く。

 

「なら、無理に元気出さなくてもいいんだよ。必要なら僕が代わりに元気を出すし、ただ側に居て欲しいならそうするよ。僕はその……そういうの察するとかやった事がないからさ、だからなんでも言って。友達の力になりたいからさ」

 

 ブリンクは欠点だらけだ。

 ではあるが、それでも取り繕おうとしない。

 完璧を目指して、一歩ずつ進むヒーロー。

 それがブリンク。

 ルミナスが信頼を寄せる、友人だった。

 

「なら……ブリンクに手伝って欲しい事があるんだ」

「僕が出来る事ならなんでもするよ!」

「あのね、ウチにはお兄ちゃんが居るんだ……友達も多いし、バスケが強くて、ウチ何度も試合見に行った事あるの。この前はBBQに連れて行ってくれて……」

「自慢のお兄さんなんだ」

「うん、自慢なの。ブリンクには兄弟居る?」

「僕は……姉さんが。憧れなんだ、姉さん。あの人みたいになりたいって、ずっと……ずっと、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと──」

 

 拳を握り締め、湧き上がる執着のままに言葉を発するブリンクは、その脳内で走馬灯のようにこれまでの人生を振り返る。

 その全てで、この思いがあったのだ。

 自分もああであれば、と。

 

「ブリンク……?」

「──えっ?ああごめん」

「大丈夫?ウチを助けてくれるのは嬉しいけど、無理してるなら……」

「大丈夫大丈夫!話してみてよ!僕に任せて!」

「う、うん……お兄ちゃんがね、入院したんだ」

「っ、それは……」

 

 このような時にどう返したらよいのか、ブリンクには分からずにただ神妙な顔をして黙って耳を傾ける。

 ルミナスもひとつ話した事で、堰を切ったように次々と言葉が溢れ出てきた。

 

「沢山血が流れたけど、それでもなんとか助かった……でも脚が無くなっちゃった」

 

 兄の姿を見てきたのだろう、ルミナスの輝く瞳は過去の光景を思い出し、陰りが差す。

 唇の端を噛み、堪えているものは涙だろうか怒りだろうか。

 ブリンクにはただ、側で黙っているしかなかったが。

 

「他にもね、大勢怪我を──ううん。怪我で済んだ人はほんの少しだけ。大勢、死んだの」

「それは……酷い、ね」

「そう、本当に酷い。お兄ちゃんの通う学校で、またあのドラッグを使った犯罪が起きた……被害者の数、分からないんだって。原型を留めている死体が殆どないから」

 

 ブリンクにはもう、それが自らのやった事だと理解が出来た。

 だがそれでも耳を傾ける友人を装うのは、レイモンドとブリンクを切り離そうとする滑稽な努力だろうか。

 全ての悪いものはレイモンドに押し付けて、ブリンクは関係ないと。

 

「そうだ、見てこれ……お兄ちゃん」

 

 そうしてルミナスが取り出したスマホの画面には、サングラスを掛けた彼女とツーショットで写る兄の姿。

 

「──っ!?」

 

 ブリンクはその動揺を殆ど変化を感じさせないまま、必死に飲み込み落ち着けた。

 何故ならばそのルミナスの兄には見覚えがあったから。

 つい数時間前に見た顔だから。

 ずっと見てきた顔だったから。

 顔や声より、受けた仕打ちの方をよく覚えている相手。

 見るだけで、腹の底から湧き上がる感情があった。

 

「名前はライアン。ウチがクリスタルなのに、なんでお兄ちゃんはライアンなんだろう。意味調べたら王様なんだって、ちょっと大き過ぎるよね」

「……そうかな、凄くそれっぽいけど」

 

 ルミナスには言葉以上の意味は受け取れない。

 だがブリンクの脳内にあった言葉はこうだ「暴君」と。

 

「そしてね、この事件を起こした犯人……レイモンド・クロスはテレポート能力を持っているの」

「それで……」

「お願いブリンク!テレポート能力を持った相手を捕まえるには、同じテレポート能力でもないと追い付けない……!この、こんな……酷い事する人キライ……!絶対、絶対にお兄ちゃんを傷付けたコイツに報いを受けさせたい……!」

 

 輝く双眸には怒りが灯る。

 普段の好奇心や喜び、友愛を示す瞳とはかけ離れた、引き込むのではなく射抜く力強さ。

 それに見つめられれば、ブリンクは首を縦に振るしかない。

 やましさだって、善人ぶる虚栄心だってあった。

 嘘を吐くのにはもう、慣れてしまっていたのだ。

 

「そうなん、だ……うん、分かったよ。任せて」

「ホント!?あの、本当にありがとう……今日、もしかしたらここに居るかもって、祈ってたんだ。そしたら居てくれるなんて、ブリンクはやっぱり私のヒーローだ。えへへ」

 

 照れ臭そうにそう言って、素直な信頼を示すルミナスは、屋上を後にする。

 そのような犯罪が起きたのなら、ヒーローとしてはやる事があるし、10代の少女ならば帰る時間だ。

 どちらにしても、ブリンクが壊したものには変わりがないが。

 

「ねえルミナス」

「なに?」

 

 わざわざ呼び止めたのは、罪悪感の裏返し。

 

「そのレイモンドってヤツの事は……僕も嫌いだな」

 

 それは嘘ではない。

 ブリンクを生み出した、10年燃やし続けた本物の感情だった。

 それを共通の敵を前にした信頼の確認と受け取り、ルミナスは屋上を後にする。

 その背を見送り、ブリンクはようやく飲み込み続けた息を吐き、強張らせていた喉を開く事が出来た。

 

「ああ」

 

 そうして漏れ出たのはため息のような、消えいるような短い声。

 

「ああ……」

 

 ずっと抑え込んでいた呼吸のせいで、肺が空気を溜め込んでおらず声が長く続かない。

 

「あああああ……!」

 

 ひと言発するたびに、胸を上下させて激しく息を吸い、未整理の感情と共に吐き出した。

 

「違う違うっ!僕は、ただ!」

 

 這いつくばって、拳を地面に叩き付けても意味はない。

 それに何が違う、のだろうか。

 レイモンド・クロスは間違いなくルミナスの兄から脚を奪い、大勢を殺した。

 そしてレイモンドとブリンクは不可分なのだから、それは誤魔化しようのない自らの罪だろう。

 

「ごめん。ごめんルミナス、ごめんなさい……」

 

 愚かなレイモンド・クロス。

 こうなったのは必然であり、生まれた事それ自体が雪げない罪だった。

 

「うるさい!」

 

 レイモンドはリュックサックを虚空に向かって投げて不満を示すが、そんな事は無意味というもの。

 まさにレイモンドの人生のように。

 

「うるさいうるさい!僕はレイモンドじゃない!ヒーローだ!ブリンクだ!」

 

 そんな場所に物を投げてもカメラは無い、マイクも無いし、観客も居ない。

 数時間前のようにテレポートしたって、それらを殺せやしないのだ。

 何故ならば全て、レイモンドの脳内にある被害妄想だ。

 存在しない声に抗い、みっともなく頭を抱えて唸る姿のどこがヒーローなものか。

辿った道に相応しく、幻聴に苛まれる薬中がそこに居る。

 

「ゔう……ぅぅう……薬中なんかじゃ、ないぃ……」

 

 歯軋りしても、唸っても、助けは来ない。

 全て己の愚かさ故に。

 そして、だからこそ、続け様に愚かな行動を取るのだろう。

 

「ぐずり……くすり、薬があれば僕は変われる。良くなれる、もっと、もっと……」

 

 己が投げたリュックサックに這って進み、中からドラッグを取り出し注射をひとつ。

 もう効果時間中に使用する事への躊躇いはないのだろうか?

 

「これは、魔法の薬なんだっ。僕を良くしてくれる……!」

 

 ならば、しばしその酩酊に浸るのだろう。

 ドラッグに溺れ、現実を忘れる為に。

 

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