【完結】オーバードーズ・ヒロイズム 〜時限能力獲得ドラッグ中毒TSヒーローちゃん〜 作:相竹空区
時間がある時にお楽しみください。
ごく一般的なマンションの廊下に、フル装備の特殊部隊が待機する。
明らかに事件の香り漂う隊列の先頭にはケイナイン。
耳に手を当て、険しい顔をして通信中。
「分かっています。私は私の仕事をするつもりですから。ただ、相手がテレポート能力を持つのなら、強引な捕縛の前に説得を試みるのも被害拡大を防ぐ上で必要な──」
旗色が悪いようで、どんどん眉間に皺が寄る。
「いえ、はい……機会を与えてくださった事には感謝しています。判断は私が……」
そうして話は終わったのだろう、露骨に不機嫌な顔をして重々しくため息をひとつ。
近くに居るだけで押し潰されるような、そんなプレッシャーを放つケイナインに近付ける者は居ない。
背後に控えた部隊だって、苛立った猛犬の尻尾を踏むような真似はしたくないのだ。
ただ例外は、輝く瞳を困惑で曇らせたルミナスだった。
「あの、ウチまだよく分かってなくて……」
「貴女はブリンクと仲が良かったでしょう?説得要員よ」
「なんでブリンク?レイモンド・クロスを追ってるって言ってましたよね?」
「ああ、ごめんなさい。嘘を吐いたの。ブリンクの正体がレイモンド・クロスで、レイモンドは私の弟。あそこに居るのが私達の叔父さんで……3人だけで説得し、投降を呼び掛ける作戦よ」
「へ?えぇ?」
「時間が無い。行きましょう」
困惑を強めるルミナスを引き連れ、自宅前で待機する叔父さんの元へ。
体調はすっかり良くなり、制服を着て警察官の顔をしてはいるものの、その表情は隠しきれない陰りが見えていた。
レイモンドと過ごした家の前で、鍵を弄び物思いに耽っているその姿は痛々しいもので、話しかけづらくはあったがケイナインに躊躇う時間はなかった。
「お久しぶりです、叔父さん。説得に使える時間が少ないので、素早く行きましょう」
「久しぶりだなエレ──これ言わないほうがいいのか?」
「どちらでも。鍵を開けてください、そしてゆっくり近付いて呼び掛ける」
「ああ……その、本当にレイモンドなんだよな……?」
銃撃に遭って眠っている間に甥が大量殺人を犯し、更にブリンクだったと聞かされて、叔父さんは未だ信じきれない様子。
慎重にゆっくりと鍵を開けるその動作も、信じたくない気持ちの現れのようだった。
「行けば分かります。私が先行するので、2人はゆっくり着いて来て」
頷く2人を背に、ケイナインはゆっくりと扉を開き家の中へと足を踏み入れる。
言葉を発する事すら憚られる緊張感で、マスクに汗が流れ落ちた。
冷蔵庫が稼働する音が聞こえる程度で、関節が鳴る些細な音すら心臓を跳ね上がらせる。
何かひとつの動作が全てを台無しにするかもしれないと、息を殺して進み……閉め切られた扉の前で立ち止まった。
ケイナインが叔父さんへと視線を向ければ、頷き返されたのでここが目的地だと理解し耳を澄まして、扉の向こう側で何が起きているのかを探る、が。
何も聞こえない。
不気味な程に、静かだった。
「まずは私が話す。2人は後ろで待機して、呼んだら来て」
「あ、あのウチ……」
「ごめんなさい。説得が出来るなら全ての手段が使いたいの。貴女にも来てもらう」
「そうじゃなくて、たぶんウチが話すのは逆効果になると思うんです……」
「何故?ブリンクと仲が良かったと記憶しているけれど」
「話しちゃったんです。ブリンクと、その……学校で大勢死んで、生き残った中にウチのお兄ちゃんが居るって、犯人を捕まえたいって」
ケイナインはこれ以上表情筋を動かせないのではないかと思うほど、険しい顔をする。
頼りのひとつが神経の逆撫でをする可能性があるなんて、この土壇場で知りたくはなかった事だが、わざわざ今それを咎めるのも場違いで筋違いではある。
目を閉じ、焦燥感によって湧き上がるものを飲み込んで、ケイナインは努めて冷静を保つ。
「なら……この部屋に居るのかどうかだけ、確認お願い」
「──居る。居ます、ベッドの上に座ってる」
「なら少し下がっていて。一応、呼んだら来て欲しい」
ケイナインはドアノブに手を掛けて……途方もない緊張をしている自分に自嘲する。
(今まで何度も突入してきたのに、今が1番緊張している。これ、レイモンドと向き合う事に対する緊張ね。弟と会うだけなのに、突入作戦の心構えをしているなんて滑稽な……)
少し緩めた緊張と共に、ドアノブを回して扉を開ける。
静かに慎重に開けようとしても、軋む蝶番が鳴ってしまった。
「レイモンド?」
名前を呼び掛けると同時に部屋に入って、最初に視界に入るのはベッド。
木製の支柱の一部が砕けているそれの上に、タオルケットに包まった人の姿が。
部屋への侵入も、呼び掛けにも答えない理由は……部屋を見ればすぐに分かった。
「これは……例のドラッグ」
物の少ない、シンプルな部屋の床には幾つもの空き容器が転がっている。
ひとつ使うだけで重篤な後遺症が残る者も居る、そんなものを大量に使い果たしてどんな状態なのか。
ケイナインが思わず口を突いて出た言葉は、何より不安や心配が大きいものだった。
「まさか全て、一度に使ってしまったの……?」
ただ、そんな言葉を発してもタオルケットの怪人は微動だにせず。
ケイナインは意を決して、数歩だけ距離を詰めた。
「レイモンド……レイモンド?」
気遣うように、優しく。
刺激しないように気を付けた声掛けが、ようやく届いてタオルケットが揺れる。
そうしてゆるりと起き上がり……タオルケットがずり落ち、レイモンドの姿が露わになった。
俯きがちな背中を向けて、声に向かって緩慢な動作で振り返る。
「っ……レイモンド、聞こえる?」
「ぅう、ああ違う……あれ、本物だったんだ。なに?」
それは見慣れた『ブリンク』の姿。
身に纏うのはルミナスが贈ったライトグレーのヒーロースーツ──銃弾が突き抜けた穴は幾つもあるが。
そしてゴーグルを掛けたいつもの見た目。
ただそんな姿で家の中にいる事も、ベッドの上で脱力して酩酊状態のような揺らぎを見せているのは不自然だろう。
そして最も不自然なのは……両眼から、青白い液体を流してゴーグルの縁に溜めている事。
その他にも青白い肌はその下の、血管を透かして見せるものだが、その血管もぼんやりと青白く光っている。
眼も、唇も、首筋も……青ざめて、幽かに光っていた。
「その、それは……本当に大丈夫なの?」
「なにが?キラキラしてて大丈夫だよ」
「……そうね、キラキラしてる。今、どういう状況か分かっている?」
「だから凄く良い気分だよ。身体が全部溶けて、そして濾過したみたいな感じ。デトックスって言うのかな?涙が止まらないし、これって老廃物が出てるんだよね?」
緊張感を持って問い掛けるケイナインに対して、レイモンドはまるで正反対。
日常会話でもするような気楽さで、ヘラヘラと笑うその口内すら青ざめている。
エイリアンもかくやという見た目もそうだが、状況を正しく認識しているのか分からない不安定さが、ケイナインをより追い詰めるのだ。
「あー……レイモンド、話をしましょう。いい?」
「話って?いいよ、なんの話する?これと話してても全然楽しくない」
「これ?ああいえ、じゃあ何か……そうね、悩み事は?不安はある?」
「無いよ。薬のお陰で全部消えたんだ。僕は今、この青いキラキラとひとつになってる。透き通っていて、何も怖くない」
恍惚としてそう語るレイモンドの頬に、また青く発光する涙が伝う。
ケイナインには、どうしてもそれが本人の語るような良い物には思えなかった。
先程から何度も繰り返すうわ言は、明らかに幻聴とのやり取りだ。
それを隠そうともせず、状況の理解すら怪しいとなれば、これは魔法の薬などではなく毒だろうと。
「じゃあ次は──」
「ヒーローの話をしてよ。イジワルな事ばっかり言われるから、今度は姉さんの話が聞きたい」
「っ!ええ、ええ……分かった」
レイモンドの一挙手一投足が、僅かに発する呼吸音から衣擦れの音までもがケイナインの神経を昂らせた。
どのように話せば、どのようなトーンの声を発すれば良いのか、正解など無い問題を解決しようと思考は高速で回る。
「どんな話が聞きたい?聞きたい話をするわ」
「うーん……じゃあ、ヒーローは楽しい?」
「いいえ。楽しいと思った事は一度も無い。どれだけ賞賛されても、私が求めるものではなかったから」
「なら、なんでヒーローをやっているの?僕は褒められると嬉しい。人を助けると僕なんかが存在していてもいいんだって、生きている事の償いが出来ている気がした」
レイモンドはぼんやりと、虚な眼でケイナインを見つめている。
青白く発光している。
ドラッグによって身体は変化している。
だが、それでも……ケイナインにとっては、記憶の中にある弟の眼差しと同じだった。
「私も同じよ。私が存在する理由はあれだけだったから、ただひたすらに走り続けた。1位を取り続けていれば、母さんは機嫌を良くして貴方を殴らないと思っていた。それ以外に出来る事もやりたい事も無かったから……」
「僕は別に頼んでないよ」
「私がやりたいと思っていた事だから。貴方だって、頼まれてもいないのに人を助けていた。そんな良い心を……持っているわね」
少し言い淀み、過去形にはしなかった。
刺激しないように、というよりはケイナイン自身の信じたい、という思いによるもの。
この状況にあってケイナインは、レイモンドとの会話に安らぎを見出していたのだ。
「でも全部無駄だった。そうでしょ?ずっと聞こえるんだ、お前なんかが良い事なんて出来るはずないだろって。僕もそう思うよ」
「そんな事は……」
「初めから駄目だったんだよ。僕が何をしても、僕だから、レイモンド・クロスだから駄目なんだ。レイモンドがやった事は何も上手くいかない。関わった全部を悪くする」
「貴方に助けられた人だって確かに居るわ。ほら叔父さんが来てるの」
そう言って、ケイナインが部屋の外へアイコンタクトをすると、恐る恐るといった様子で叔父さんが部屋に入ってきた。
やはりその表情は緊張と憂いが強いが。
「やあレイモンド……っ!?」
「大丈夫落ち着いて。見た目は少し光っているけれど、レイモンドよ」
「あ、ああ……そうだな」
叔父さんは動揺を隠せないながらも、懸命に言葉を捻り出し笑顔を作ろうと努めていた。
「なあレイモンド、調子はどうだ?」
「……叔父さんもそれを聞くの?どうせまだ、後ろに人が居るんでしょ?僕を殺そうとしてる特殊部隊とか……その人達も調子を聞くつもり?」
「はは、冗談が言えるくらいには良いみたいだ……叔父さんは良いぞ、内臓が幾つも駄目になって死に掛けだったらしいが、急に良くなったって……レイモンドのお陰なんだろ?」
それは感謝を伝える言葉だったが、レイモンドの表情は段々と不機嫌そうに変わっていって、場の空気は張り詰める。
一体何が駄目だったのか、それを考える余裕もなくケイナインと叔父さんは少し、腰を落とした。
「あの薬……」
「ああ!ああ、そうだ。レイモンドが使ったから叔父さんは治ったんだろ?感謝しようと思ったんだ」
「ならあの薬は良い物でしょ?そうだよね」
「っえ?いや、それは……」
「叔父さんもそうなんだ。じゃあいいよ。僕の事、頭のおかしい薬中だって思ってるんでしょ。お母さんと同じだ」
玩具に興味が失せた子供のように、レイモンドは叔父さんを視界から外す。
そんな明確な拒絶に対して、叔父さんはこれ以上踏み込む勇気が持てなかったのだろう。
一歩下がってしまい、ケイナインは歯噛みする。
(ブリンクとして接していた時に見た善性を呼び起こして、罪を償う方向に誘導したかったけれど……)
対話を拒否したレイモンドは再びぼんやりと、酩酊感に浸り出したので、ここからはもう後方に控えた部隊の突入を先延ばしにする為の悪あがきのようなものだ。
だからこそ、一歩下がって叔父さんの向こうに見えたルミナスが、強い意志の籠った視線を向けて来た事は、ケイナインにとっては一縷の望みになりうるものだった。
視線に対して頷き返せば、ルミナスはそろりそろりと入りつつも、普段のようなフレンドリーさを装ってみせる。
「やっほ〜ブリンク〜。そういえば初めて会った時はレイって呼んでたよね?ウチがブリンクって名前付けてからは、呼ぼう呼ぼうと思っても、中々呼ぶ機会が無くて……いつの間にかレイって呼ばなくなったねぇ……」
ルミナスは親しげに話し掛け、しかし肝心のレイモンドはじっとりとゴーグルに淡く光る涙を溜めて動かない。
耳を傾けているのか、それすら分からずただ涙を流していた。
「その眼!ウチとお揃いだぁ、キラキラ光っててさ〜。レイもいよいよ、夜中に家の中歩いてると光る両眼で家族にビックリされちゃう〜って、ウチの悩みを共有出来るねぇ」
「……君の家族は、僕が傷付けた」
硬く冷たい声色に、俄かに緊張感が高まる。
ルミナスにとって家族の話題は優しく、緊張を解く為のものだった。
常に幸せで、この緊迫した状況から救われようと、それを記憶から引き出しただけだったのだが。
やはりルミナスを出したのは失敗だったかと、ケイナインはいつでも動ける準備をするが、ルミナスはまだ諦めない。
「あ、その……な、なんで!なんであんな事を!?」
「ルミナス……!」
ケイナインの制止に構わず、ルミナスは叫ぶ。
「私の知ってるレイなら、酷い事しないから!いつも正しい事をしてた!だからきっと理由があるんだよね!?人を助ける為に必要だったんだよね!?悪い人だったのかな?なら説明しようよ!ウチも手伝うから!また一緒に──」
「僕が正しかった事なんて一度も無かったよ」
「そんな事ない!いろんな人を助けたよね?レイの叔父さんも助けたんでしょ?ウチだって助けられたんだから!」
「僕はずっと正しくない。産まれた事も間違いだった。僕の存在自体が良くない」
ボソボソと口の中で消え入るような呟きを繰り返し、レイモンドは自分の世界に篭り始める。
他の何も目に入っていない、聞こえていないようで、ただ自己否定を続けるばかり。
どうするべきか、悩む猶予はもはや無い。
レイモンドは不意に揺れ動き、用意していた最後の注射器を手に取り腕に突き刺した。
「──だからこの
ケイナインの背後で音が聞こえる。
説得は時間切れだと、特殊部隊が突入してレイモンドの排除に動き出した。
殺到する足音に、眼前で押し込まれてゆくピストン。
注入される薬液を、能力がもたらす高速の中でケイナインは忸怩たる思いを噛み締める。
(結局、私はたったひとりの弟の為のヒーローにはなれなかった。レイモンドが選んだ
10年続く後悔が、ケイナインを走らせる。
背後から迫る誰より早く弟に辿り着こうと、力強く踏み切った。
(当然ね。逃げるのが速いだけの負け犬に、何が出来るって言うのよ)
誰より速く駆け付けて、抱き締めようと腕を広げる。
(でも、それでも──)
だが、ケイナインよりも速い物はあった。
「──償いたい!」
レイモンドが薬液を押し込んで、ケイナインが抱擁し……そしてケイナインの視界を横切る真鍮が。
(……狙撃!私に隠していたのか!)
割れた窓が破片となって飛ぶ様を見た。
近くのビルから発射されたそれを撃った狙撃手すら見えた。
しかし、レイモンドの茶髪を掻き分け、頭蓋骨を掻き分け脳へと到達するそれを、ケイナインはただ見ていた。
音速を超えて飛翔するそれは、どう足掻いても既にレイモンドの頭部へ入り込んでしまって取り出せない。
それを理解し、悲嘆の声を上げる時間すらある。
「ああぁ……!」
嘆きの最後のひと息が吐き切られた時……ケイナインの視界は暗転した。
そして風音。
轟々と耳を掠め、身体を浮遊感が襲う。
「えっ──レイモンド!」
それがテレポートである事はすぐに理解した。
理解しレイモンドを見やればそこには……頭からおおよそ人間の体液には思えない青白く発光する血液を流すレイモンドの姿が。
血を流して朦朧とし、しかしライフル弾の破壊力から予想されるような、深刻な頭部の破壊は見当たらない。
それは何故か。
偶然にも、レイモンドはドラッグを使用しているまさにそのタイミングで狙撃され、肉体の
青く輝く肉塊が頭の中で蠢く様子はマトモに見れるものではないが、死んだと覚悟した弟が生きていたとなれば、ケイナインにとっては喜ばしい事だった。
「レイモンド!レイモンド!」
「ぅ……ぁ?」
「レイモンド!しっかりして!落ちてるの!このままじゃ──!せめて私がクッションに……っ」
朦朧とし呂律の回らないレイモンドは、とても能力が行使できる状態ではない。
ケイナインは必死にレイモンドを守ろうと抱き締めて、迫る地面を覚悟し目を瞑ったのだが……空気が揺れ動く音がした。
「っ!その調子!聞こえる!?このまま安全な場所に降りて……あとはなんとかするから!」
胸元に抱いたレイモンドを見やれば、その眼は尋常ではなく爛々と輝いて、物理的にも精神的にもおかしい様子が見て取れる。
言葉が通じているのかどうか、それすら分からず声を掛けていると……不意にレイモンドと目が合った。
「──レイモンド?」
「僕は自由なんだ。そうでしょ?」
「っ……自由なら、何がしたい?」
「うーん、アイスが食べたい。幸せだったんだ」
「ええ、また食べましょう」
連続するテレポートで夜の街を跳び回る。
ケイナインはただレイモンドにしがみ付いて、言葉で説得を試みる方法を選ぼうとする、が。
「そんなの無理だよ」
「何故?アイスを食べる程度、そう難しい事じゃない。貴方が望むならいつだって──」
「だって姉さんはいつも嘘を吐くから。出来るなんて思ってないでしょ、どうせ僕は殺される」
「そんな事はさせない、絶対にね」
安心させようと、ケイナインが優しく掛けた言葉に対し、レイモンドはわなわなと震え出した。
「絶対なんて……絶対なんてない!」
テレポートの間隔が短くなり、レイモンドは手脚を振り乱して暴れ出す。
肘や膝をケイナインに打ち付けて、
「落ち着いて!レイモンド……!」
「姉さんはいっつもそうだ!良い事ばっかり言って!全部取っていって僕には何も残ってない!」
ケイナインの胸を打つ拳には大した力が入っていない。
暴れようとも簡単に拘束出来てしまう。
だがその為に、ケイナインはレイモンドと真正面から向き合うしかなかった。
「姉さんのせいで僕はお母さんに怒られた!いっつも比べられて!姉さんはお母さんに見てもらえるんだからそんなに要らないでしょ!」
「貴方の望むもの……あげる事が出来るのなら、全部あげたいの。でもあの人は……そうじゃないの、分かるでしょう?」
「うぅ、うう!」
幼い子供のように、涙を流してぐずる姿は良い兆候とは言えないだろう。
感情のコントロールが出来ないとあれば、不測の事態を招く可能性がある。
ケイナインは片手でレイモンドを拘束しつつも、あやすようにもう片方の手では頭を撫でて落ち着かせようと試みる。
連続したテレポートの最中では、ケイナイン自身がまるで落ち着かない状態ではあるものの。
「大丈夫。落ち着いて……言いたい事があるのなら、全部聞かせて。貴方の言葉をもっと聞きたいの」
「いやだ……」
「何故?話したくないのかしら」
「誰も聞いてくれないから、もう嫌だ」
「なら、私の話を聞いてくれる?」
次々に入れ替わる景色の中で、こくりと頷くレイモンドにケイナインはずっと抱えていたものを、吐露する。
「貴方に謝りたかった。許してくれなくてもいいの。貴方がそこまで傷付いたのは、貴方のせいではなく私のせい」
抱え続けていた為に、ようやく荷を下ろせた解放感すら感じて、ケイナインは懺悔の言葉を溢れさせずにはいられなかった。
「母さんに連れて行かれる貴方を助けなかった。母さんの機嫌を取れば、貴方に矛先が向かないなんて自分に言い訳をし続けていたの。それが後ろめたくて、家を出て行った貴方のその後を知ろうとしなかった。そしてまた言い訳をして……あの家でヒーローを続けていた。貴方を守らず、その傷を癒やしもせず、その為の力がありながら逃げ続けたの」
チャンスは何度も何度もあったのだ。
引き返す道、やり直す道が。
だがそれを選ばなかったのは、ケイナインの情けなさ故。
己を否定し続け、自らを傷付けた母親へ愛情を求め続けたレイモンドと同じように、その姉も自己否定と自らにした言い訳に縋って生きてきた。
「だから貴方のせいじゃない。それを分かって欲しいの。私を恨んで。それが貴方の救いになるのならそれで良い」
「そんな、そんなことない。凄いよ、お姉ちゃんは凄い……」
「そんなに大したものじゃないわ。臆病で、逃げ癖のついた貴方の姉は、今日こんな事があるまで貴方と向き合おうだなんて考えてもいなかった。目を背けて背中ばかりを見せていたから、きっと実態以上に良く見えてしまったのね」
レイモンドをずっと縛り続けた呪いを解くように、優しく言葉を紡ぐ。
それは感情の波に揉まれるレイモンドにも届いたようで、ほんの少しの間だけ、レイモンドはぼんやりとして……不意に泣き出した。
「う……ぅう、僕だって頑張ったんだっ!褒められたい!」
ただ、それだけだった。
レイモンドはそれだけが望みだったのだ。
泣きじゃくりながら、そのたったひとつだけを吐露した。
ずっと求めていた、小さな願いを。
「ええ、分かってる。貴方は凄い。こんなに凄い力を手に入れて、人助けが出来る自分になろうとした。ただ力を持っている事よりも、よっぽど素晴らしい事よ」
「ほんとに……?」
「本当に。どんな言葉なら信じてくれる?」
「どんな……どんなだろう」
考える事で、レイモンドは落ち着きを取り戻しつつある。
テレポートの間隔も長くなって、ゆったりとした空中散歩に近く、夜景に包まれて穏やかなもの。
「褒められる時は……どんな事を言われるの?」
「よく頑張ったわ。貴方の事を誇りに思う。愛してるわ、レイモンド」
「変な感じだね。ふわふわする。くらくらするし、涙が出てきた」
レイモンドの両眼から、とめどなく涙が溢れる。
青白く発光した液体が。
眼だけではない。
耳や鼻からも流れ出し、まるでレイモンドの中の重要な何かが決壊したよう。
「……大丈夫?」
「え……あ、ぅうん、うん?」
「オーバードーズしたのだから当然ね……レイモンド?そばに居るから、大丈夫」
レイモンドは既にケイナインを見ておらず、虚ろな眼があちこち揺れて定かではない。
終わりに向かって燃える、蝋燭の火のように。
「うぅ……ぃぎぎ……頭ぁ……」
「痛いの?深呼吸して──」
「うるさいっ!お姉ちゃんが僕を助けないのは!僕に助ける価値がないからでしょ!?僕が汚いから!」
「違うわ。汚くなんてない。私にとって貴方は何よりも価値があるもの」
つい先程の会話すら忘れて声を荒げるレイモンドに、ケイナインは優しく声を掛けて安心させようと努めている。
これはもう、避けられないものだと覚悟しているから。
「僕を見てよ……頑張ったから、こんなに上手く出来たのに……」
「大丈夫。ちゃんと見てるわ。頑張っているところもね」
「あたま……いたいぃ……」
痛みに呻くレイモンドは、尋常ではなく光る体液を垂れ流している。
命そのものを漏出させているかのように、次第に動きは緩やかに……虚脱してゆく。
(私はあまりに長い間、レイモンドから逃げ続けてしまった。こんな短い時間では距離を縮める事なんて出来ないくらいに)
ケイナインは速い。
その類稀な能力で、求められるままに高い成果を出し続けた。
もう既に、レイモンドに寄り添うのに必要な親しみを抱かれず、代わりに羨望と嫉妬がそこにある。
見上げる位置のケイナインが手を伸ばしても、俯くレイモンドの視界には入らない。
(やっぱり、もっと早くにこうするべきだった。逃げずに、レイモンドと話していれば……こんな事にはならなかった)
これはレイモンドがオーバードーズをした時点で定められていた終わり方だ。
更に辿れば、あの日ドラッグを拾い自分で使うような選択をしなければ。
それら全てはケイナインが怯えて関わらなかった為に起きた事。
この終わり方を変えるとするならば、ケイナインがもっと早くにレイモンドと向き合うしかなかった。
他ならぬケイナインがそれをよく理解して、後悔している。
(今から取り戻すなんて、出来ない)
テレポートは再び乱れたリズムで早くなり、瞬きした後何処に居るのかも分からない。
予想不可能な移動ではあるが、大雑把に向かう方向というものがあり……それはケイナインに危機感を抱かせるもの。
「高度が下がっているうえに人が多い……!レイモンド!聞こえる!?もっと高いところへテレポートを!」
「あー……え?」
「上へ!う、え!」
と、簡素な言葉で指示を出してみても。
レイモンドは言語を解する能力を欠き始めている。
ただ落ち着く場所を探して高度を下げて、気が付いた時には車道に横たわっていた。
「っ──!」
ケイナインは慌てて高速移動して、安全な場所までレイモンドを抱えて走ろうとするが……いつの間にか全く別の場所を走っていて、慌てて立ち止まる。
「レイモンド!もういい!テレポートを止めて──」
「ぃ……ぅう……」
痛みから逃れようとしているのか、テレポートは止まらない。
ケイナインが人気の無い場所に走ろうとしても、レイモンドが何処かへ跳んでしまう。
無駄だと分かりきった疾走にも関わらず、ケイナインは走り続ける。
(このままテレポートが人を巻き込まないように時間を稼ぐ!……レイモンドが息を引き取るまで)
しかしイタチごっこの綱引きは、じわじわとレイモンドの方に傾いてゆく。
徐々に人の多い場所へと……大きな道を遡り、歩道へ公園へ。
奇跡的に誰も巻き込まずに済んではいるが、標識や消火栓を巻き込み激しい破壊を撒き散らしている。
「レイモンド!止まって!お願い……」
だが人の賑わいに誘われているのだろうか、テレポートはイベントが行われている公園へと針路を向けた。
このままでは学校で起きた惨劇の二の舞だと、ケイナインは分かっている。
分かってはいるのだが。
「お願い……止まって、このままじゃ……」
止める手段はどれ程あるだろうか。
確実に止める為に、どんな手段を用いるべきか。
特に苦しませずに無力化する手段などは、そうない。
「止まって……止まって!」
ケイナインは心情的に命を奪わず、かつ苦しませずに無力化する手段として──拳を振り上げた。
顎を打ち据えて脳を揺らし、瞬間的に意識を刈り取ろうとしたのだが。
「──ひっ」
どんな言葉を掛けようとも反応を示さなかったレイモンドが、怯えた。
拳を振り上げるケイナインを見て、確かに怯えて声を漏らしたのだ。
ケイナインがよく知る、レイモンドのように。
「ち、ちが……」
「ぁああ!うああ!」
怯えて逃げ惑う子供のように、テレポートで跳び回る。
公園の中心へ、人の多く居る中へ、落ちる。
「おわっ!?なんだ!?」
「えっケイナイン?本物だ!」
「うわ何あの
群衆が2人を囲む。
スマホを向けて、撮影までするお気楽さを見せて。
「逃げて!早く!」
「すげー、ヒーローが
「おらー!さっさとケイナインにやられちまえー!」
「何故逃げない……!?早く逃げてと言っているの!」
その言葉を理解していたのか、いないのか。
レイモンドは酷く取り乱し、暴れようとするのでケイナインは抑えつける他にない。
逃げろと叫び、それでも逃げない群衆に疑問と怯えすら抱いて。
ただ彼ら民衆はヒーローを信じているだけなのだ。
ケイナインというヒーローならば、あらゆる問題はその能力で即座に解決出来ると、過去の輝かしい実績からそう信じるだけの説得力がある。
つまるところこれは、ケイナインの行いによるもの。
「ああ!あああ!げさ……なぃと!うるさぃぃ!」
「落ち着いて!お願い!お願い……」
今日、もう何度目のお願い、だっただろうか。
それが届いた事は一度もなかった。
ケイナインはもう分かっている。
自分の言葉が届かない事を。
やるべき事も。
(私はヒーロー、ケイナイン)
レイモンドへと高速で四肢を絡めて、腕を首に巻き付ける。
蛇のように硬く締め、頭蓋骨に手を添えた。
(これ以上、被害を広げる訳にはいかない。この場でレイモンドがまたテレポートをして、学校の時のようにしてはならない。断固として)
能力による高速下であっても、時間の余裕は一切無いと言っても過言ではない。
ただそれでも、ケイナインには時間が必要だった。
(それとも、これ以上レイモンドの名誉を傷付けたくはないから?言い訳に慣れすぎて、どっちが本心か分からない。でも私は──)
覚悟し腕に力を込める。
(私はケイナイン。ごめんなさいレイモンド、せめて貴方と共にエレインを殺すわ)
後頭部に添えた手と、顎に添えた手を勢いよく、逆方向に引けば……レイモンドの首は勢いよく回転し、音を立てて頸椎が破壊された。
「──」
血管から気道から神経から何まで破壊されて、呆気なく死に至る。
後に残るのは、捻じ回された首を持つ死体だけ。
ただ高速で動いたケイナインには、自らの手で確実に死に至るレイモンドと向き合う時間が大いにあった。
能力を解いた後も、手に残る感覚は消えず……群衆は鎮まりかえっている。
「え……?首折れてない?」
「なんで殺したんだ……?」
「ひ、人殺し……」
明らかに尋常ではない方向に首が回ったレイモンドを見て、困惑と恐れがケイナインに突き刺さる。
「ケイナイン、犯人を制圧。作戦終了」
この街にはヒーローが居た。
訓練と承認を経たプロフェッショナル。
犯罪を相手に辣腕を振るう正義の体現者が。
◆◆◆
いつもの屋上にレイモンドは居ない。
代わりに黄昏るルミナスと、瞬きする間に現れたケイナイン。
「調子はどう?」
「ウチはいつでも元気かな」
「そう……隣、いいかしら」
「どうぞどうぞ〜」
ビルのヘリに身体を預け、2人は並んで景色を眺める。
大きな通りが眼下に広がり、行き交う人や車がよく見えた。
ルミナスなどは特に、そのひとりひとりの顔までよく見えるだろう。
「何を考えていたの?」
「ブリンクの事。テレビもネットもみーんな大量殺人鬼のレイモンド・クロスって呼んでる。沢山の人を助けた優しいブリンクの事なんて無かったみたいに」
「どちらも、事実だから」
「ウチにとっては、人助けにやり甲斐を感じるって、そう笑ってたブリンクが事実なんだけどなぁ」
レイモンドの事はもう国中、世界中でニュースになっている。
一時的とはいえ、後天的に能力を得るドラッグを使い大勢を殺めたとは、あまりにセンセーショナルなニュースだった。
更にその犯人が、非合法のヒーロー活動もしていたとなれば、特に。
「私にとってもそうよ。レイモンドの本当の姿があれだった」
「そうだねぇ……ウチ、酷い事しちゃったんだ」
「私もそうよ。話して楽になるなら話してみるのはどうかしら」
「ウチのお兄ちゃん、自慢だって言ったの」
「貴方のお兄さんって……」
「うん、入院してる。両脚がテレポートに巻き込まれたんだって」
平然とそう言ったルミナスだが、彼女の兄から脚を奪ったのはケイナインの弟だ。
ルミナス自身がどのような意図だろうと、受け取るケイナインは胸に重い物を落とされた気分にもなる。
「それは、その……」
「……最近、学校に捜査が入ったんだ。聞き取りも行われて、お兄ちゃんがレイモンド君を虐めてた事が分かったの」
「……」
「言葉だけじゃなくて殴ったり、蹴ったり、物を取ったり色んな暴力を浴びせてた。あの日だって、レイモンド君を晒し者にして本当に……酷く傷付けたから能力の暴走が起きた」
「それでも、貴女はレイモンドに怒り、恨む理由がある。私は貴女の感情を支配するつもりは無いわ」
理由があれども、度を越してしまえば正当性は失われる。
レイモンドが行った──行ってしまった事は、過剰であったと疑う余地はない。
ケイナイン自身も、冷静にそう思えた。
だが、そんな様子を見てルミナスはキョトンとした顔をして、優しく微笑む。
「ううん、そうじゃない。許すとか、許さないとかそういう話じゃないの。ただ信じてたものって簡単に崩れちゃう。ウチがレイじゃなくてブリンクって呼び始めたみたいに……だから忘れないようにしなきゃって」
「何を?」
「その人の良かったとこ。お兄ちゃんは酷い事をした、でもウチには優しかった。レイは大勢殺してお兄ちゃんから脚を奪った、でもブリンクとして大勢とウチを助けてくれた。ケイは覚えてる?」
問い掛けられて、ケイナインは考える。
記憶の全てに後悔が纏わりついて、考えなくてはすぐには出てこなかったのだ。
「私は、きっとブリンクとしての姿がレイの本当の姿だったと思ってる。どんな暴力にも怯える事のない、ありのままの姿。それがブリンクで、私の知る姿。レイモンドとしての姿は……私はよく知らないの。何年も前に離れて暮らすようになったし、それ以前は……」
そこが最も後悔の強い記憶。
逃げ続けた自分を直視しなければならないが、全てが終わった今では、恐れよりも何よりも後悔がある。
ただ後悔だけが、ケイナインとレイモンドを繋いでいた。
「母から虐待を受けている姿。私はそれを見て見ぬふりをしていたから、よく知らない。とても暴力的な無知」
ケイナインは内省し、そう自分に評価を下す。
やはり何があろうとも彼女の軸となっている部分は変わらずに、これからもそう生きてゆくのだろう。
ルミナスもそれに口出しはしなかった。
まだ10代であるし、今回の一件で人に深く関わる事に慎重になりつつある彼女には、安易な言葉を吐く気にはなれなかったのだ。
「あ、そろそろH.E.R.O.の記者会見始まりますよ」
「見るの?」
「……一応、ウチも関わったから。最後まで見届けないとって」
「じゃあ見ていて。私はやるべき事をやってくる」
「行くつもりですか?H.E.R.O.はケイに出てきて欲しくないんだと思いますけど」
ルミナスの言葉を聞いた上で、ケイナインは瞬きする間に消えてしまった。
もう既に硬く決めていた事なのだろう。
例え何を言おうと止まりはせずに、彼女の思うやるべき事をやるだけだ。
ルミナスはそんな頑固さを懐かしく思い、スマホで会見を見る。
この事件の最後にはまだ到達しないが、少なくとも捜査の終息に向けた動きのひとつであるからには。
警察とH.E.R.O.による記者会見は、今回のレイモンドに纏わる事件についてのもの。
とはいえ既に犯人は死亡し、原因となるドラッグの摘発も進んでいる。
となれば注目を集めるのは、犯人が死亡した……ヒーローが犯人の殺害をした、という点。
警察官同様に、市民感情としてそのような致死性の暴力の行使には厳しい目を向けるもの。
記者会見はやはり、ケイナインの行動と判断についての質問が多かった。
「犯人は10代の子供でした!本当に殺害という手段は適切だったんですか?」
「あの場においては、ケイナインは間違いなく正しい判断を下しました。人の多い環境でしたので、即座の判断がなければ更なる被害が免れなかったでしょう」
「そもそも、そのケイナイン本人はどうしたんですか!そうやって過度に守ろうとしているから、ヒーローに特権意識が芽生えたなんて事、あるんじゃないですか!?」
質問に対し、のらりくらりと交わす回答を繰り返して、取り敢えずの納得をさせようと動くH.E.R.O.側は悪く見られるだろうか。
記者達も、身近に存在する見た目の変わらぬ超人が恐ろしいのだ。
それが悪きものであれ、良いものであれ何かが狂えば容易く自分を殺せるなんて、それがよく分かってしまったからには確かめずにはいられない。
だが、そんな現場に……突如人が現れた。
いつの間にか、そのケイナイン当人が演台の横に。
「私が話します」
「ケイナイン!?何故ここに……」
来る予定がなかった、来ないように言っていた相手が来て驚くH.E.R.O.の代表者を押し除けて、ケイナインは演台に手を着く。
動く気はないぞ、と示すように。
そんな乱入の登場に、やはり記者達は湧いてシャッター音が連続した。
無数の眼を前に、ケイナインは怯む事なく耳を傾ける。
「ケイナインさん!貴女が命を奪ったレイモンド・クロスさんやその遺族へのコメントは!?」
「あの時の判断は本当に正しかったんですか!?10代の少年の命を奪ったんですよ!」
「警察官はボディカメラと実名の公開をしているのに、マスクで全てを隠した貴女方ヒーローは不透明性に守られてはいませんか!?」
質問を聞き、頷く。
どうすれば相手は納得するだろうかと考えて、単純な方法を思い付き、涼やかな声をひとつ。
「なら、こうしましょう──」
息苦しいマスクに手を掛け、外してみせる。
その下の素顔を、衆目に晒して無表情に周囲を見回す。
呆気に取られ、シャッターを何度も切り、大きな声で何かを叫ぶ。
各々の大きな反応を引き出して、ケイナインは満足げに息を吐く。
ただそれに、当然ながらH.E.R.O.側の人間は大慌て。
ケイナインの顔を隠そうとしたり、彼女を引っ込めようとするものの、全く動かないのだから大いに焦る。
「正気かケイナイン!?」
「正気ですし本気です」
「君のキャリアが終わるかもしれないんだぞ!?」
「私はあの日、死んだので」
「何を言ってる!?」
制止する人間を振り払い、ケイナインはカメラを睨むようにして高らかに声を上げた。
「私の名前はエレイン・クロス。レイモンド・クロスは私の弟です」
今度は完全に静まり返った。
ヒーローの本名に加えて、自身が殺した相手との関係までもが衝撃的。
あまりに激しい状況の変化に、誰もがケイナインの続く言葉を待っていた。
「皆さんにお伝えしたい事は……弟のレイモンドがあのような事件を起こすに至った原因のひとつと、私がヒーローになった理由が同一だという事」
ヒーローであるケイナインは、
姉であるエレインは、
そしてそれらの行動によりケイナインは殺人者となり、たった今エレインは正体のバレたヒーローとなった。
このようにひとつの道が潰えた為に、全ての退路を塞ぐのは破滅的な思考だろうか。
だがケイナインにはもう、走る意味が無かった。
レイモンドを自分の手で殺して逃避する意味を失えば、残るものは何もない。
レイモンドの姉であるエレインを放棄し、ケイナインへと逃げ続けた彼女がマスクを外したとて、そこには何も残っていないのだ。
マスクこそ素顔。
そして逃避が人生の原動力で、それを失った。
であるならば、今こうしてマスクを外した彼女の目的は?
空の器の底に残ったものは彼女らしく、取り返しのつかない状況になってから手を付けたもの。
(せめて、レイモンドの死後の安寧と名誉を守る。騒ぎ立てる衆愚が、センセーショナルなストーリーを求めているのならくれてやる……レイモンドはただ加害者というだけでなく、被害者でもあったのだと)
ケイナインが逃げ続けたのはレイモンドからだけではない。
彼女には家族がもうひとり居る。
肉親だからと離れられず、恐ろしくて歯向かえなかった相手。
レイモンドを守るのであれば、この
「全ては母のレイモンドへの虐待。そこから始まりました」
それは、些か不均衡な告発。
自らの母を、過剰に悪役に仕立て上げる内容だ。
ケイナインの父が能力を使って強姦殺人を行った事が、母をそのような狂気に駆り立てたのだが、そこは重要ではなかった。
調べれば分かる事であるし、なにより理由がどうあれ虐待を受けた子供には関係ない。
ケイナインは理解しているのだ。
滑稽に仮装して、大袈裟にヒーローと名乗る事の意味を。
それが分かりやすい正義の形をしているから、ケイナインは今度もそうした。
あの時、レイモンドを抱き締めるのではなく、ケイナインとして首を折った時のように。
己のヒーローとしてのキャリアも、エレインとしての人生をも投げ打って。
「私は……弟の為のヒーローになりたかった」
せめてレイモンドの為の
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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そして先日よりカクヨムより1作品移植していまして、よろしければそちらも読んでいただけると嬉しいですね。
内容としては『ちょっとエッチな百合ラブコメ』なので、陰鬱になった後の口直しとしてでもお楽しみください。
私の作者ページから『邪念が多い伊波さんには健全な交際を教える必要がある!』もどうぞよろしくお願いします。