【完結】オーバードーズ・ヒロイズム 〜時限能力獲得ドラッグ中毒TSヒーローちゃん〜 作:相竹空区
その日、幼いレイモンドは客観的に見て問題のある場所から離れる事が出来た。
生家であるその場所は、レイモンドにとって心休まる場所ではなく、傷を癒せる場所でもない。
ただ僅かに心休まる場所と言えるのは、自室のベッド。
眠っている間は都合の良い夢を見る事が出来る。
とはいえ無防備な為、唐突に母親にベッドから引き摺り出される事もあったのだが。
そんなベッドに腰掛けて、レイモンドは荷造りをする。
段ボール3つ程度、よれた服と学校で必要なものと細々とした物。
「レイモンド?準備出来たか?」
そう言って部屋に入ってきたのはレイモンドの叔父。
ラフにパーカーを着て、ドア枠にもたれかかる。
「うん」
「これだけか?他に持って行く物は?」
「無い。大丈夫」
「……そうか。必要な物は叔父さんの家に越してから買えば良い。服は足りてるか?」
「まだ破けてないのがあるから」
「破けてなくても買い替えて良いんだ。叔父さんみたいなパーカーはどうだ?」
遠慮がちに、チラリと覗いた叔父の姿がレイモンドの硬い心をほぐしたのだろう。
強張った顔は僅かに緩み、戸惑いながら呟く。
「かっこいいね……っ!あの、これはワガママ言った訳じゃなくてっ」
「今度お前にもプレゼントするよ。一緒に買いに行こうか、レイモンド」
「うん……」
それは新生活に期待を添える約束。
とはいえ今は、レイモンドの胸中に居座るのは不安だ。
実態がどうであれ、幼いレイモンドは産まれてからこれまで過ごした、人生そのものと密接に関わる家を離れる。
段ボール3つを抱えて部屋を出て行った叔父の後に着いて行き、見納めになるかもしれない家の各所へ視線を向けた。
(あの床の傷は、お母さんが僕の脚を掴んで引き摺った時に、爪を立てて付いた傷)
その光景のひとつひとつに、
些細な傷や歪みにエピソードがあり、即座にそれを思い出せるのはその印象が強いから。
レイモンドを作り上げた、記憶の数々。
(この階段は途中で踏むと音が鳴る段が3つある。怒ったお母さんが駆け上がって来るとすぐに分かった)
踏み板の軋む音、手摺りの僅かな凹凸がよく馴染む。
階段を降りれば、家族団欒の場が見えてくる。
リビング、ダイニングはレイモンドにとっても、家族団欒の場だ。
その家族というものへと、憧れる場でもあったが。
今はレイモンドの姉のエレインが、所在なさげにソファーに座っている。
「ほら、お姉ちゃんに挨拶してきな」
「分かった……」
促され、躊躇いがちに姉へ近付くレイモンドは何より怯えが強い。
エレイン自身が、というよりも接近した事を知られるのを恐れている。
「あ、あのお姉ちゃん、挨拶……えっと、話し掛けてごめんなさい」
「謝んなくていい。叔父さん居るし、今日は大丈夫だと思う」
「そうかな……」
ぎこちなく、会話は途絶える。
双方どのように接して良いか分からず、レイモンドはすっかり伸びた服の裾を握っていた。
エレインの素っ気ない言葉は、何もレイモンドを疎ましく思ってのものではない。
ただこの距離が、レイモンドにとって良いからそうしているだけの事。
ただその結果として気まずい沈黙が流れ……僅かな間を置きエレインが口を開く。
「あのさ、レイモンド──」
意を決して言葉を発したエレインだったが、その声はより大きな声に掻き消される。
「カイル!よく来たわね!」
「あぁ、姉さん。元気みたいだな……」
それもまた、姉弟のコミュニケーション。
弟を抱き締める姉の姿を、ぎこちなく距離を取る姉弟は見ていた。
自分達がそれをやる事は、きっと無いだろうという確信を抱きながら。
「お昼は食べた?うちで何か食べていく?それとも外へ食べに行く?」
「いやメシはいい。俺のマンションで荷解きする必要もあるからな。レイモンド、車に乗っていてくれ」
こくりと頷きレイモンドは姉を、母を背に家を出る。
聞こえる会話の内容も、自分とは無関係だと心を閉ざして。
「私と食事が出来ない理由でもあるの?警察官のアンタは犯罪者の妻とは食卓を囲めないって?」
「落ち着いてくれ姉さん。姉さんはレイモンドと距離を取った方が良い、これは双方にとってね」
「何?私がおかしいって言うの?」
「義兄さんの事で色々……あったし、精神的に参ってるんだよ」
「おかしいのはアイツでしょ!?私まで犯罪者みたいに扱うの!?警察官だからって家族にまで手錠掛ける気!?」
「違うそうじゃない。手錠なんて掛けないよ……でもレイモンドは骨折に打撲に火傷に……酷い怪我をしてるんだ。自分の子供にあれが出来てしまう姉さんの精神状態は、少なくとも正常ではないだろ」
叔父さんの車の助手席に乗り込み扉を閉じれば、あとは静かなものだった。
レイモンドはそこで待つ。
もう殴られる事はないと、そんな希望がある訳でもなく、ただ家を眺めて待っていた。
言われた通り、利口に。
そうして数分、数十分……待ち続けてようやく家から出て来た叔父さんの顔には呆れ、怒り、疲れ。
レイモンドの母を宥めるのに相当骨が折れたのだろう、運転席にやって来た叔父さんの頬には赤い痕が付いていた。
「お待たせレイモンド。叔父さんの家に行く前に何処かでランチ食べて行かないか?」
「うん。分かった」
「何か食べたい物あるか?好きな物は?」
「……分からない。ご、ごめんなさい」
「なんで謝る?叔父さんが聞いたんだ、答えてくれてありがとうな」
「迷惑かけて、ごめんなさい」
「気にするな、ランチはまあ、好きな物探していこう」
エンジンが掛かり、車はゆっくり走り出す。
助手席の窓からは家が見えなくなり、サイドミラーに視点を移せばそれもどんどん小さくなってゆく。
同じような家が建ち並ぶ住宅街の中で、レイモンドの家は景色の一部に変わる。
あの場所はもう、レイモンドの帰る場所ではなくなった。
「ねえ叔父さん……良い子にしてたら──」
躊躇いがちな問い掛けと共にレイモンドは運転席へと顔を向ける。
前方を見る叔父さんの右頬には赤い痕。
爪で付いた切り傷には、赤い雫が点々と溜まっていた。
それを見て、レイモンドは続く言葉を発する事が出来ずに飲み込んだ。
(お母さんは迎えに来てくれる?)
叔父さんの傷も、自身の傷も、レイモンドはその原因を理解している。
離れる事で叔父さんが自分を守ろうとしている事も理解している。
ただそれでも、求めているものはあの家にあったのだ。
◆◆◆
周囲を見回せば街に起こった様々な事が分かるこの場所は、レイの活動拠点として丁度良い。
本来の主──と呼ぶには彼女も場所を借りているだけなのだが、ルミナスも快くレイの滞在を受け入れているので、2人は自然と時間を共にする事があった。
「ねえルミナス、僕がここに居て本当に大丈夫なの?」
「心配症だなぁレイは。何か言われても偶然一緒だったって言えば良いんだよぉ」
とは言うものの、2人が一緒に居るのはルミナスの側に一方的なリスクが存在する。
ヒーローが、非合法のヒーローもどきと関わるのは、その責任感や職業倫理を問われる明確なリスク。
しかしそれを無視し、あるいは飲み込んでまでレイと友達のように言葉を交わすのは、人間の悪意に対して無防備と言わざるをえなかった。
「ルミナスは怖くないの?他人からどう言われるか。怒られたりしたら……想像しただけで僕は身体が動かなくなっちゃうよ」
「一周回ってどうでもよくなってるかなぁ?怒られるのは嫌だけどねぇ」
「じゃあ昔は嫌だった?」
「うーん……ウチのお目目は目立つから、嫌がる人も居たよね」
ルミナスはそう言って、不意に顔から表情が抜け落ちる。
その宝石のような瞳は今ではなく過去の記憶を辿って、そこにある未だ未整理の感情に表情筋が僅かに強張る。
レイは彼女のそんな顔を初めて見たものだから、無神経な質問をしてしまったと後悔し、心臓が締め付けられる思いだった。
しかし瞬きひとつの時間でルミナスの表情はいつもの通り、眩い笑顔に戻ってそこに触れるなと言外に伝えているよう。
元よりコミュニケーションというものに自信のないレイだ、どうして良いか分からず俯いてしまうのも無理のない事だった。
「ごめん……」
「謝ってくれたから許してあげよう。別に面白がって聞いてる訳じゃないのは分かるからねぇ」
「でも、ごめんなさい」
「気にしなくていいよぉ。なにせウチがいいって言ってるもんね!ほらほら!ルミナスアイが事件を見つけたよ!行ってらっしゃい!」
「うわ、うわ!?押さないでよ!?」
グイグイと、ルミナスはレイの身体を押し込んでふざける。
それは分かりやすく気遣いであったが、レイは申し訳なさで未だルミナスの顔を直視出来ない気分であったので、この場を離れる事が出来るのなら、それを甘んじて受け入れるのもやぶさかではなかった。
「あっち!真っ直ぐ1ブロック進んで右折した所にあるバーの裏!カツアゲだよ!」
ルミナスの指示に従ってビルから飛び降り、去り際になってようやくレイは彼女の顔を見る事が出来た。
手を振って見送る姿は勇気が貰える明るいもの。
それに応えようと大きな声でお礼を叫んでテレポートし、ふと違和感が残った事に気が付いた。
「ありがとう!──あれ?右折したって、なんで建物に隠れた場所が見えたんだろう?」
ともあれレイにとってワンブロック程度の移動ならば、瞬き数度で完了してしまう。
浮かんだ疑問について思考するよりも先に現場近くの建物へ降り立つ。
裏路地を見下ろせば、そこにはチンピラに囲まれる1人の姿。
鞄を大切そうに抱える少年は酷く怯えて、取り囲むチンピラは痛ぶって楽しんですらいた。
「アイツら……許せない!」
そこに自分自身を、レイモンドを重ねて自らをヒーローと自覚するレイは跳ぶ。
もう何度かこのような事件は解決した経験がある。
もうすっかり慣れたもので、レイはチンピラ達の背後に現れ堂々とした態度で警告の言葉を言い放つ。
「ひとりを相手にする喧嘩が好きなら僕が相手になるよ」
「あ?なんだコイツ。何目線?」
とはいえ見た目は10代の幼さが残る少女。
更にはパーカーにダクトテープを巻き付けた奇怪な格好。
ヒーローに出会して不味い状況だ、と思うより変人に絡まれたと思う部分が強い。
「あれだろ、動画とか見て、なんか強くなったと勘違いしたガキ」
「護身術とか?バカだろ、最近のガキってそんなんなの?」
「どうするよ、コイツ」
「追い返せよメンドクセェ」
このように、やはりレイは抑止力としてはまだ弱い。
これが名の知れたヒーローや、見るからに強そうな巨漢であれば話は違ってくるのだが。
ともあれレイは今から、この自分の警告をまともに取り合わない相手に
その最初のターゲットになったのは、軽く脅かして追い払ってやろうとレイを侮るチンピラのひとり。
「嫌いなんだよな、反抗的な女。さっさと消えろや。俺達と
「ガキに手ぇ出し過ぎなんだよロリコン!」
「うっせ!……で、まだ居んの?殴られないと分かん──!?」
侮り、嘲り、見下して、自らの有利を疑わないその顔が、一瞬で苦悶の顔へ変わる。
青ざめて、徐々に身体を折り曲げ膝が笑い出す。
原因はただ1発の拳。
自らが支配出来ると考えた少女の拳を鳩尾に喰らい、膝を突く。
少し前にこの場のひとりを除いた全員が確信していた力関係は逆転し、物理的にも見下すのは不敵な笑みを浮かべたレイ。
「殴られないと分からないかな?僕の言う事、聞いてる?」
自然と出たその言葉はやけに挑発的で、レイが思っていたよりもチンピラ達の神経を逆撫でする。
「なんだあれ。喰らったフリしてふざけてる?」
「いや泡吹いてるぞアイツ」
「じゃあなに?ヒーロー志望のガキが喧嘩売ってきたって?」
「じゃね?まあ囲んで畳めばいいだろ」
カツアゲの一団は、一瞬にしてより暴力的な集団へと変わる。
自然、レイを取り囲むように動くチンピラ達を、視界に捉え続けるように後退して……テレポート。
カツアゲをされていた少年の前に現れたレイは、背後に彼を庇いながら叫ぶ。
「早く逃げるんだ!ここは僕に任せて!」
「ひっ!わ、分かりましたありがとうございます!」
「……ふぅ。これ言ってみたかったんだよね」
感謝と共に走り去った少年を見送って、相対するのはチンピラの集団。
ターゲットをまんまと逃がされ、コケにされたと感じた彼等の怒りはより暴力的な衝動を強めて──
「殴ればなんとかなんだろ!やるぞ!」
「来い!僕が相手だ!」
──数分で片が付いた。
元より群れている事、そして身体能力が平均より高めな男性である事が強みの集団だ。
レイがテレポートで撹乱し、成人男性を殴り倒せる膂力を使って各個撃破に徹すれば敵ではない。
蹴られ、殴られ、はたまたテレポートを利用した同士討ち。
たかだか四肢を振るう程度の相手であれば、レイはもはやそう苦労する事はなくなっていた。
「はい、おしまい。これからはもう悪い事しちゃダメだよ……って聞いてる人居る?」
チンピラは全員倒れ伏し、ノックダウンといった様子。
今日もレイは街に平和を──暴力でもって暴力を排除するという方法を使って──もたらした。
だがしかし、それを行う正しい存在が居るはずだ。
法治国家であるからには、バッジを与えられた者達がそのような方法を時に用いる。
例えばそれは、暴力を振るって周囲に危害を及ぼした時など。
「動くな!そのまま両手を挙げて静止しろ!」
具体的には、能力者が複数人の市民を殴り倒した時。
「やばっ警察!逃げないと──」
「こちらクロス巡査、能力者による暴行事件発生。場所は……」
無線で通信する警察官を見て、レイは思わず呆気に取られて逃げる事を忘れてしまった。
そして口を突いたのは分かりきった疑問。
「なんで……!?」
なんで、というのは適切ではない。
レイ自身もその問いに対する答えを知っている。
自らの家族が、どんな仕事をしているのかを知っているのだから。
このような非合法な活動を行う上で、彼の帰宅時間を想定した予定を立てているのだから。
顔を合わせていない時間、何をしているのかを知っているはずなのだから。
(まさかこの状態で叔父さんと出会すなんて)
活動を続けていれば、いずれこうなった可能性は大いにあっただろう。
ただそれが今であっただけの事。
活動範囲も、目的が犯罪現場にある事も同じなのだから、確率的にはそう珍しくもない偶然。
だがそんな偶然に、レイは少しの勇気を持って問い掛けをする。
この勇気は以前なら湧かなかったもの。
人助けを繰り返し、レイの変わった部分だった。
そしてそれが、軽挙妄動を招く。
「動くな!……君、まだ子供だろう。テーザーであれ、撃ちたくないんだ」
「僕、悪い事してますか?」
「何?」
それはある程度得意げで、返ってくる反応を期待した言葉。
だからこそ、意図を掴みかねている叔父さんの疑問符には、レイは手応えの無さを感じて自分の正当性を主張する。
「カツアゲされてた子を助けただけですよ。良い事をしてる!」
「なら通報をするべきだった。実際、君が助けた男の子は通報をしたんだよ。君を心配してね」
「でも僕の方が早かった。これであの子はあれ以上怖い思いをしなくて済んだんだ」
「でも、それは君の仕事じゃないだろう?」
レイモンドにとっては叔父さんだが、このテレポーターの少女レイにとってはクロス巡査だ。
向けられるのは警戒心。
クロス巡査の手はレイを制止しようと手のひらを向けた左手と、ホルスターに納めたテーザー銃に掛けた右手。
歓迎や優しい言葉は待っていてもやって来ない。
(なんで?僕は良い事をしてるのに?叔父さんなら分かってくれるんじゃないかって、思ったのに)
期待したものとは違う反応に、幼い子供のような思考に陥ってレイはわなわなと震えだす。
「ぼ、僕は良い事をしてる……」
「動かないでくれ!そのまま落ち着いて、下がってくれないか……」
「ひとりじゃこの人数を倒せなかったでしょ!?」
「応援を呼ぶ。警察官は大勢居るからね、みんなでちゃんと市民を守るさ」
「だとしてもふたりとかじゃ、この人達を倒せなくて、僕はそれが出来る……」
「君がやっているのはただの暴力だ。そこで倒れてる人達と変わらない」
「じゃあ、僕は犯罪者?」
「っ……注意で済ませたり、きっと方法はあるはずさ。落ち着いて、大丈夫」
レイは既に何度も犯罪者への私刑を行い、更には警察からの警告を振り切って逃走を繰り返している。
注意で済ませるというのは些か希望的観測が過ぎるだろう。
それはクロス巡査も、その言葉を聞いたレイも理解した。
「僕は……僕は、ただ良い子にして、なって──」
「それ以上近付くな!撃ちたくないんだ頼む!」
流石に身の危険を感じ、クロス巡査もテーザー銃を抜いて構える。
レイへしっかりと狙いを定め、それでもトリガーに指を掛けるのを躊躇うのは子供を撃つ事への抵抗感から。
しかし相手は能力者、常にトリガーへと指を掛けているようなもの。
その僅かな躊躇いの間に能力を使う事が出来る。
「本物に──!」
「待っ……消えた?」
一瞬にして、レイの姿は路地裏から消えた。
クロス巡査には幸運と言えるだろう。
いち早く現場に駆けつけて能力者と対峙し、相手が精神の不安定な子供だった。
更には撃つのを躊躇って、ともすれば自分自身に危険が及んでいただろう。
だが、レイモンドはただ逃げただけだ。
能力を攻撃的に利用せず、ただ逃避に利用した。
この状況から、思い通りにならない現実から、自分から。
レイモンドの能力とは、逃げる為の力だ。