──視線だけが絡み合う。
泣いて、泣き腫らした明美優花を抱きしめる事もせず、ただただ慈愛の目線を送って慈しむ。
止まらない涙を指ですくい、舌先につけてしょっぱさを味わって、決壊しそうな少女の手を握った。
どうしようもない願いを、飾り気のない願いを受け入れも拒絶もしない。ただ、明美優花の向日葵の様な笑顔を今に重ね、それが歪んで崩れていく時間を過ごして、
「───優花、可愛い」
「───可愛いね」
呟いた声は、慰めじゃない。
情欲を含んだ粘着質な響きが、ただ静かに空気を震わせた。
明美優花の指先がわずかに震える。未知への恐怖か、羨望する者からの囁きへの甘い期待か。
涙が流れた箇所を舌先でなぞって、頬を這う涙の軌跡を唾液で上書きする。まるで自分がこの世で唯一の価値を持つ相手を穢しているような、マーキングしているような、暗い悦びが腹の底から湧いてくる。
「できるよ、きっと」
夢は叶えられる、私はその為にいる。
ただ、全部、優花へ捧げて私はそんな優花を味わいたい。息も、涙も、絶望も、すべてを味わい尽くして、
「なれる。魔法少女に」
顔を両手で包み込む。粘液に塗れた顔は困惑に包まれてばかりで、自分が今何をされているのか分かっていなさそうな可愛い顔から、手を離さなければいけない。空知祐奈は名残惜しそうに指を肌に滑らせながら、唇に指先を引っ掛けて手を離す。
手を離す途中で掛けた指で無理に引き上げた口角は、笑顔の形をしていながら、確かに悲鳴をあげていた。
──愛しい。
彼女の心がゆっくりと壊れて、解放されていく音が、甘美な響きとなって心臓を高鳴らせる。
「ゆう…な…」
まるで溶け合っていくような幻覚を覚える。
人の気配も、道理も、今はすべて遠い。ブレる視界は感情の揺れか、それとも暑さのせいか。空知祐奈はゆっくりとその細い喉元に指を這わせ、鎖骨のくぼみに指先を沈め、耳元で優しく、優しく囁く。
それが毒だと分かっていても、明美優花に拒絶する選択はなかった。
アスファルトと草の境界で、夕焼けの中に吹く熱波のような風を受けて、ずっとクラクラとしていた頭の中が、蕩けていく。
「全部──優花の、自由にしていいよ」
指先でなぞる胸元の布の上で、空知祐奈は被せられた女の要素を否定する。母親からの枷を解いて、汗と涙で濡れた生地が肌に貼りつき指で押された分、少し沈み込む。鋭敏になる感覚を前に優花は目を閉じていた。
遠くでカエルが鳴いている。
湿った夏の夜、藪に潜む虫の声は、ここに居る少年の旅立ちを祝福する様なもので、ふたりの間にある種の歪さを表し、2人の距離は吐息が触れ合うまでに溶け合って、
──うん。
たしかに、そう言ったのを、空知祐奈は耳にする。
その瞬間、すべての罪業が許される。
それは鎖に繋がれる音ではなく、解放の音だった。
「……!」
自分の身体の異常に気がついたのはそのすぐ後だ。変身体を持つ魔法少女としては最高峰の自分の身体が、損傷を訴えていた。
例えNo.1が相手だったとしても、数撃は耐えうる装甲が瞬時に溶解したのを感じて、
「──いいよ」
──魔法少女ユウナ・バレンタインは、悪の組織の魔法少女であるユウカとの戦闘を開始する。閉じていた瞳を開け、軽く手を振って。
瞬間、地面が陥没する。
空知祐奈の足元半径1メートルの範囲が、上から何かに押さえつけられたようにまるごと押し潰され、土煙と共にその場に残ったのはユウナだけだ。その破滅的な破壊力を自分へ浴びせておきながら、ユウナには傷一つ付いていないのが見て取れる。
魔法少女ユウナ・バレンタインのオリジナル魔法、自分を中心とした『重力制御』の一撃である超局所加重。
「ひ、あはッ…!」
それはあくまでも『制御』であるが故に、使用者であるユウナ・バレンタインには何ら影響が無い上に、理論上威力に上限は無い。
いや、そもそも重力操作自体、副産物と言えるだろう。ユウナ・バレンタインのオリジナル魔法は別途に用意されており、その影響を制御した結果がコレだ。
天才魔法少女、彼女が憧れる魔法少女は存分にその憧れをぶつけられ、明美優花の身体が飛ぶ。だが空中で、霧が尾を引くように広がった。
「───ふふっ」
自身の攻撃から命を守りきった彼女に笑みを飛ばし、空を見上げる。今ユウカが成っているのは『変身体』であり、魔法少女を辞めさせられたこの状況で、変身出来る筈がない。
つまり、オリテアが何処からか見ていたという事。そして願いを叶えたというのなら、ユウナ・バレンタインの目の前に立ち塞がるのは本物の───。
「あははッ!ははははははッッ!!」
悪の、魔法少女だ。
肉体変化、霧散していた霧から笑い声が聞こえ集結していく。
だがそれは余りにも非現実的な事だ、粒子レベルまで肉体を変化させておきながら、自己同一性を保ったままでいれるはずがない。
それこそ、二度と変化から戻れず地面に染み込むか、『自分』が消えてなくなろうが気にしない常軌を逸した精神の持ち主だけ。
彼女の魔法少女としての才能が、ギリギリで変体を可能とする。オリテアの訓練による自己の肉体への執着を捨てたことによる、自身の全てを魔法へと変換する事、その躊躇いの無さが逆に命を生きながらえさせた。
「まずは、私……だもんね」
「うん!!」
「──いいよ。元からあげるつもりだったし」
「ユウナの手からは要らないっ!私が!私が自分の手でユウナを奪い尽くすから!」
散り散りになっていた霧が完全に集まりきって、その姿を晒す。
伸ばしていた髪を短く揃え、色彩の全てを溶かしあった様な色味をした端が破けたボロボロのTシャツを着ているだけの、到底魔法少女とは言えない見た目をしていた。
息を荒らげるユウカは、自分の勝ち筋を頭の中で探し続ける。物質、質量を持つものである限り、ユウナ・バレンタインに届き得るものは無い。
この魔法少女は、物理現象をなんとか魔法で再現するだけの現代魔法少女を根絶できるだけの力を持つ怪物だ。ビルを片手間に泳がせ、物質であるのならどんな操作も可能とし、あらゆる攻撃を反射しながら重力圏による圧殺が待ち構える。
それはまるで、今の魔法少女の姿を否定するような代物。それを相手にして毒等という普遍的でありふれた能力でどうするか。
「……!!」
再び、チリチリと表皮が炙られる感覚に襲われてユウナは自身の周囲に重力波を放つ。対魔法少女戦において最も重要とされるものは、互いに魔力を通す体内回路、パイプを破壊し魔素を枯渇させること。
肉体の損傷はそのどちらにも影響が大きく、肉体の修復に魔力を使えば使う程魔法を使える余力は失われ、回路の再構築を繰り返せばその分負担がかかる。
次に情報。時折魔法少女になる少女達の中には、最初から犯罪をさせられる為に魔法少女になるものだったり、法律に反する行いをする魔法少女が居る。その対応にも魔法少女が出勤するのだが、連合から抜けた魔法少女か否かでは圧倒的に情報戦の優位性が違う。
「毒なら、ユウカが私に届く攻撃は無い」
「そうかもしれない」
オリテアから、ユウカの魔法の詳細を聞いているユウナにとって、『敵』が何を出来て何が出来ないのかを把握している限り負けようがない。
どんな魔法少女にだって弱点は存在するし、相性次第では下克上が簡単に起きる世界で、情報量の差は勝敗を決める。
「………」
「─────」
そう、情報量の差が。
相手への理解の差が、勝敗を決めるというのなら。
──魔法少女ユウナ・バレンタインを理解している人間の中で、明美優花以上の『理解者』は存在しない。
「これ……は…っ」
杖を握っている左腕が破壊される。
すぐさま修復し、何一つ問題の無い状態へと回帰するが問題はそこではなく、自身の発する重力波を貫通した事。
「…オリテアは、ダークは、私は…私達は、本物の魔法少女」
「物理現象に縛られてる限り、私にはいくらだってユウナを殺せる手段がある」
その後も徐々に破壊される身体を常に修復しながら、ユウナは相性の悪さを悟った。No.1相手にすら素直に殺される気は無い自分の、この世界で一番の天敵。
「『レッサートラップ』…毒は、ダメージ系じゃなくて弱体化もしなきゃね」
魔法少女であるが為に呼吸が必要無いユウナにとって、重力のバリアは鉄壁の要塞だ。
肉体を溶かす酸程の質量があるものなら叩き落とせるが、今身体に起きているのは毒や酸では無く……『自分の魔法による圧壊』。
「なる…ほど、魔素そのものを壊死させる……どこまでの範囲を…」
「ユウナが自分の魔法の制御を失えば、そのまま圧死するのは知ってる。…知ってるのは、私だけだと思うけど」
「……そう、だね…!」
完全に動けなくなる前に走り出す、肉体を霧に変えて逃げるというのなら、周囲全域丸ごと圧縮すればいい。
それを理解しているのはユウナだけでは無く、次の一手を予想して急いで身体を毒の霧へと変えて、ユウナが自壊するまで逃げ切る。
───だが。
恥も外聞も無く、ここで勝つ為にどんな手でも打つ執念をもってしても、埋められない自力の差がそこにはあった。
「っ──」
ユウナ・バレンタインが操作する重力は、地球の引力では無く──極限にまで質量を付加させた変身体が引きつける引力。
レールガンの様に発射される、ユウナのただの体当たりを……躱す程の、身体能力はユウカには無い。
直接攻撃には重力圏の解除を必要とし、その瞬間にダメージを与える為にユウカはわざわざ『毒』という魔法を選んだ。
どんな相手にも、攻撃を当てなければ勝機はない。逆にどれだけの実力差があっても、攻撃さえ当たれば万が一がある。
魔法の動きを乱し尚且つ重力圏に影響されない『レッサートラップ』。常に重力操作の動きが見えるように散布している『シムーン』。そして自分に触れた瞬間に溶かし殺す為の『アシッドウェーブ』。
短期間で作り上げた粗末な魔法達ではあるが、それでも徹底的にユウナ・バレンタインを仕留める構築にして尚、最後は五分。
重力に圧殺されるのが先か、溶かし殺すのが先か、被弾覚悟で突っ込んだユウナと、体当たりにすら耐えられそうにないユウカでは、五分と言えるかは分からないが、
「──ユウナぁッッ!!!!」
この一瞬、気を失って魔法を解除しないように、体当たりに耐え。
互いにトドメの一撃を放とうとした、その瞬間。
《全人類のみなさん!こんにちはー!!》
──聞きなれた、腹の立つ声が両者の脳内に反響した。