無数の人の塊は、ただ肉塊となって男へとなだれ込んで行く。
人と人が肉体の可動域を無視して押し合い、元の形を失っても尚足を止める事なく行進を続ける。
押し潰される人、だったものから流れるのは血では無く、黒いヘドロだ。男は『対魔法少女用』に用意していた爆薬を真下に投げると爆風によって空を滑空する。
「………」
──面倒だ。
男の思考は、この魔法少女と自身の相性の悪さを告げていた。鋭く磨かれ、鏡のように景色を反射する得物のナイフも、本来であれば魔素で構築された肉体すら両断する暗器の筈。
殺しても死なない。それは自身より圧倒的な強者であっても今日まで下してきた男にとっては、はた面倒な代物。
攻撃に当たると死ぬのなら、躱せばいい。致死の攻撃も、どんなものでも当たりさえしなければ負ける事は無い。
魔法少女を相手にするという事は、常に最善を引き続けるという事。あらゆる手段を尽くし、運に頼ることになっても、生きているのならば殺せる機会は巡ってくる。
「───」
数多の人間の、魔法少女の命を自らの手で導いてきた。その経験が、あの魔法少女の異質さを認識させていた。
「ああああああああぁぁぁ゛゛ッ゛!!」
人としての尊厳、人として生きてきた全てを奪われた屍の数々。
人ならざる咆哮をあげて疾走する姿は実に痛ましく、建物で顔面をすりおろそうが関係が無い。ただ主の命令を受けて男の命を奪うことしかプログラムされていない無機物が、肉を纏って叫んでいるだけだ。
「──……」
「憐れみを」
「そして、慈悲を」
人の波から逃れる為、ビルの側面に腕を突き刺していた男は、手に握ったナイフを胸の前に置いて祈り、落下していく。
死体を動かしているのは、地表を埋めている黒い波と同質のもの。触れられる、もしくは男が触れれば、容赦なく男を飲み込み殺すだろう。
「だが」
「──操られているのであれば、その動きには操る者の能力が顕著に現れる」
あの魔法少女は、攻撃を地表に広がる黒い波の一部を使って行っているが、黒い波を操る能力であるのなら一部だけでなく全てを動かして圧殺させればいい。
だが、現にあの魔法少女は何度切り刻まれようとそれをしない、つまりは出来ない。自身を捕まえようと細く伸ばした波の一部も、速度は遅く……触れれば致命傷であるのにも関わらず、網状やワイヤートラップの様に変形させている様子も無い、の、であれば、出来ないと考えるのが必然。
「……」
ゾンビの如く人が人を踏み台に、射出される。そこに見て取れるのは意志を持たない筈の死人と死人の協力関係だ。
そう、細かい操作が出来ない筈の黒い波の操作を人で肉付けした所で変わる訳が無いというのに、自身は先程の数倍『詰められていた』。
「シッ───!」
落下をしながら、飛び交ってくる全ての人間を細切れにしていく。慈悲を、慈愛を込めてこの苦痛から解放させる為に、力を込めて裁断していく。
あの魔法少女の思考速度、反射神経、運動能力、思考能力は大方の目安が付いた。しかしこの人の波は予測していた行動を遥かに上回って、自身に攻撃を仕掛けている。
オートマ、自動殺戮人形、AI。男の脳裏にはこの死体の群れを表す表現が次々と浮かんでは消えていき、ある程度の理解を終えた後、
「…………」
「………済まない」
──男は、思考を捨て去った。
振り回すナイフの速度は、死体の腕の一振りの間に100を超える斬撃を放つに到る。
男が放つ拳は頭蓋を割り、その中から溢れ出る黒いヘドロに触れる前に腕を引っ込める離れ業を披露するようになり、数千の人間の塊が一瞬の間に解体されていく。
男が落下を始めて僅か、数秒。
「何故だ」
「……?」
再び、男は少女の目前へと降り立つ。襲いかかる魔の手を全て切り刻み、何一つ服装を乱す事なく、黒い波の上に破いた外套を乗せて立つ。
主題のない問いを投げかけられ、少女はコテン、と首をかしげ緩慢な歩みで近づく男の顔を見上げた。
「何故、自分の苦しみを理解しない?」
間近で見る男の顔は、ガラス細工の様な淡麗で整った顔に火傷がベッタリと張り付いており玉に瑕といった様子。
黒い外套、死神の様な漆黒の衣装と対象的な美しい白髪が、蒼い瞳に掛かっていた。
瞳を見つめれば、そこには優しさが浮かんでいる。
慈悲、慈愛。聖母マリアを想起させる穏やか表情は、一切が魔法少女に届かず「綺麗」という感想1つで片付けられる。
「私……苦しんでなんかないよ?」
「………」
「お兄さんから、私がどう見えてるか、分からない」
「でも……私は、私が今幸せだって理解してる。……お兄さんが、私が苦しんで見えるって言うのなら…お兄さんも苦しんでるんだと思うよ?」
「私も、お兄さんも不完全。私に納得出来ないから、納得出来ない自分に苦しんでる。大切な何かを、無くしたまま。だから…お兄さんも自分に納得出来るといいね」
「─────」
目を丸く、そして虚をつかれた顔を浮かべる男。
青空より深く鮮やかな瞳に、少女の顔が映っては消えて、男は小さく息を漏らし黒い外套をたなびかせて地面を蹴る。
──対話しようと考えていたのは、慢心だった。絶対に相容れない存在も、この世界には存在する。
己が構築した分析と戦法のパズル、その全てが崩れる事は無い。だが、この魔法少女を殺すには些か手数と手段が足りない。
持久戦は自身の不得意とする所。相手の最悪と自身の最高を組み合わせ、瞬撃瞬殺を肝とする男にとって、既にこれ以上の戦闘継続は愚策でしかなく、
「……退く…か」
決断は早い。計算外の要素が混ざるより早く、男は跳躍した。
死地に立ち続けても尚、己の生存確率を機械的に計算するその思考は、人という個人に宿ってはいけない精神性。
「魔法少女よ、私は…必ず、お前を救ってみせる」
「必要無いのに」
「己が、『救われるべき』なのだと理解させるのも又私の役目」
「……どういう事…?」
少女は足元の黒い波をすくい上げるように手を差し入れ、それを紐のように巻き取りながら、指に巻いて困惑を誤魔化す。
男は再度、穏やかに微笑むと……空に漂う風のように消え去っていった。
「……」
「なんだったんだろ」
──適当に暴れてみてと言われたから、暴れてみた。
やってみたものの、人波の中になんか凄く強い人が混ざってて、戦ってたら勝手に帰って、よく分からないまま終わってしまった。
魔法での攻撃は届かないし、新しく作った魔法も全て打ち破られ、身体は何百回とバラバラにされたのに、何故撤退したのだろうと足をパタパタさせて考える。
考えてる内に、段々と諦めが先に来てしまい……空を見上げながら、ボヤく。
「……これでいいのかな?お姉さん」
録画を見直して、自分の欠点を埋めていこう。
次、またあんな人と戦って生き残れる可能性は低い、まるで動きについていけず切り刻まれた。
これがもし、レンカが相手だとしたら……瞬きをしている間に『暗黒物質』ごとレーザーで消し飛ばされて終わりだ。
襲いかかってきたあの男性がナイフしか攻撃手段が無かったのは、幸運としか言えない。
「…………」
「っ……」
「…………動けない……」
──疲れた。
普段しない運動を沢山してしまい、指先1本動かせる気がしない。
しかも眠い。
このまま寝てしまうと捕まるから、起きてみんなの元に戻らないと駄目なのに。身体から力が抜けて、溶けてしまいそうだ。
かろうじて開いたまぶたの奥で、空が滲む。
蒼く、どこまでも高く広がる夏の空。あの男の目と似ている空は、自分の存在を吸い込んで希釈しようとしてくる。
「…………」
「……!」
「だいぶこっぴどくやられたな…帰るぞ、ダーク」
「……とけるまえに……きてくれて、ありがとう……ございます……ドクターさん…」
「とける…って何言ってんだ…?」
──青空に連れ去られる前に、手を繋いでくれる人が、今の『あやね』には居るのだと、全部忘れる前に思い出せたのは、
「……」
とても、喜べることなんだなと思いました。
■
──心臓の血管に太い針を入れたような、そんなおかしな感覚に襲われる事がある。それは摩訶不思議な現実味の無い出来事や、逆に現実味がありすぎる苦しみを味わう時に引き起こる錯覚だ。
心臓というエンジンに対し、ニトロをぶち込んで強制的に稼働させるソレは緊張感元いアドレナリンと呼ぶ。
「どちらかじゃない」
「どっちも、殺す」
アドレナリンは精神へ多大な影響を及ぼす。興奮、高揚、過集中、出来るはずのない事を出来ると錯覚してしまう精神の麻薬は、視界の端をチリチリと焼いていた。
後ろ手で毒を貯め、少女は手放さないように右手に力を込める。やけに繊細に感じる周囲の音が、心臓の高鳴りと混ざって頭の中に煩く響いて堪らない。
必要なのは、普通に生きる事だけだったけど。
普通に生きるのに必要なのが、狂う事だった私にとって、最早『殺す』という選択肢は躊躇するべき要素では無くなってしまった。
『───ごめんね』
母親の、最期の姿を何度も何度も咀嚼する。
あの言葉を、あの顔を、あの家を思い出すだけで私は身勝手に振る舞えてしまう。
──こんなにも素敵な言い訳、この世に二つと無いだろう?
「『アシッドウェーブ』」
「全員防御体勢っ!!」
オリテアによる補助が必要無くなったユウカの、その掌から毒が滲み出す。圧倒的な高火力が特徴であるこの魔法は、その弱点として液体であるが故の弾速の遅さと見切られやすさが問題点。それを変身体による肉体変化に効果を適用する事で自由自在に活用する事が可能になった。
放たれる無臭の液体を、警察に属する魔法少女達は魔力で形成したライオットシールドで受け止めようとする。警戒はしながらも、受け止められると信じて疑わないその心には、強力な腐食性を持つ毒物特有の刺激臭を微塵も感じない為だ。しかし───。
「ッ゛──!?!?」
「ダメだよ、毒は『溶かす』もの。受け止められる訳無いじゃん」
まるで、砂糖菓子が水に触れた瞬間のようにシールドはその形を失い、盾を掴んでいた右腕も消失した。
魔法少女であれば感じない筈の『激痛』に、泣き崩れそうな程顔を歪め、先頭を務めていた魔法少女は地面にのたうち回る。
顔から液体という液体を垂れ流し、赤子のような表情を浮かべて地面へと墜落していった。
「あっはははハハッ!──さぁ早く助けに来なきゃ!この子を溶かされたく無いでしょ!?」
「ぐっ…公務執行だっ!全員武装……」
「だから遅いんだって!!」
これだから、と顔を凶悪に歪めながらユウカは身体を変形させる。背後から忍んで迫っていた黒服からの射撃を躱しつつ、空でまごまごと準備をしている魔法少女へ叫ぶ。
遅い、遅すぎる。魔法少女の犯罪者を目の前に余りにも悠長が過ぎる。ユウナならもう私の事を押さえ付けている。
空中に群がる虫にスプレーを噴射するように、『シムーン』を撒けば予想通りに足を止めて苦しみ出す。
呼吸の間を置かずに襲いかかってくる男達も、何やら奇妙な色と形をした拳銃を握りこんで、
「チッ…」
「貴方達って目玉焼きが
「生憎半熟派だ──撃たれて死んでくれるなよ」
魔法少女として成った事で、強化された視力が捉えた光景が、焼けた飴の様に延びて感じ取れる。
黒服が放った弾丸は、まるでクリスマスキャンディ。白と赤のカラーは目に悪くチカチカとする。
見た目からして確実に命中してはいけない代物だ、毒で溶かすか変形して避けるか、この引き伸ばされた感覚の中では自由に選択出来る。
選択出来るからこそ───当たってみよう、という気まぐれにも行き着いて、
「ぅお……?」
「──へへ、あひ…」
世界がひっくり返る感覚、血管が無理矢理押し広げられ、脳裏がじんわりと暖かくなって鼻血が垂れ流される。身体が硬直して硬いアスファルトの上で、鉄板の熱さのような地表に体を跳ねさせる。
視界がぐるんぐるんと回っては、とぐろを巻いた大気が笑って笑って笑って笑って笑って、頭の中が全部洗われた。
非現実に非現実を重ねた、非現実で非現実な非現実の非現実が襲いかかっ───。
「……」
「…………コレ!いいですね!!」
「うぉわ!?」
中々映せない絵で地面に転がっていたユウカはグリンと、仰向けに倒れている姿勢から起き上がり、目を星にしながらユウカは黒服へと飛び付いた。
「何ですかコレ!?麻薬?薬物にしたって劇物過ぎません!?」
「なんっなんだお前…!」
「しかも今の…魔法で作られて…!誰の魔法ですか、コレ」
「っ…」
「んふふ、もしかして効果が無いのに絶望してます?」
「……」
「私、毒系魔法少女なんです。丁度新しい魔法をどんなのにするか困ってまして、3つ全部使い勝手悪かったものですから……」
「───今の、使わせてもらってもいいですよね?」