その日も、うちは屋敷の朝は早かった。
朝日と一緒に燃え上がる火遁の音。
どこからか聞こえてくる爆発音と、「ぐわあああ!」といううめき声。
日常だ。戦乱だけど、日常だ。
私は、そんな騒がしい朝を尻目に、縁側で団子の数を数えていた。
「ひと〜つ、ふた〜つ……よし、五本あるわね」
マダラ家名物・三色団子(兄のお土産ver.)。
団子って、たまに無性に食べたくなるよね。あと甘味は正義。
背後で弟たちがざわつく。
「姉さん、それ一人で食べるの!?」
「えっ、違うわよ〜ん。ちゃんと平等に分けてあげるってば。
ね、カエデ、ヒズマ、イズナ、おいで」
「やったー!!」「団子だ団子!」「久しぶりだー!」
私は、縁側に弟たちを整列させて、団子を1本ずつ配った。
「一人一本ね。これは礼儀よ。食い物の恨みは命取りだからね。戦より怖いわよ」
「うわぁ……姉さんの教え、怖い」
「でもわかる……」
弟たちが団子を頬張る横で、私は自分の分をちょっと高く掲げて言った。
「これこそ……甘味界の、レボリュー──」
「……」
背後から、明確な“気配”がした。
(あっぶね)
「──ル……ではない、ですね。うん、なんでもないですよ、父上」
「……よろしい」
父は鋭い目で私をひと睨みし、そのまま静かに通り過ぎた。
(ふぅ……助かった)
ちなみに弟たちはもう慣れているので、誰もツッコミを入れなかった。
悲しい。
•
そのすぐあとだった。
兄が、戦装束で現れたのは。
「出陣の準備か……」
思わず私は立ち上がった。
(今日は戦か。兄さまも出るんだ……)
弟たちは、ぴたっと団子を口にしたまま止まった。
空気が、一気に変わる。
緊張感。嫌な予感。
胸の奥に張りつくような、黒い影。
でも私は、いつものように、ふざけた口調で言った。
「お兄ちゃーん! 戦はそこそこに、怪我しないようにねー!」
「…………」
兄は、ふっとわずかに口角を上げた。
そして──何も言わず、手を挙げて、玄関を出ていった。
父もまた、私たちを見ずに歩いていった。
(……あ、今日は、ちゃんと手、振ってくれたんだ)
ちょっとだけ、嬉しかった。
……でも、それが──最後だった。
昼下がり。
空は、うっすらと曇っていた。
陽射しは強いのに、どこか肌寒い。空気が、変だった。
弟たちは縁側で昼寝していた。
私は、室内で火をいじっていた──とか言うと物騒だけど、正確には火種の調整。
火遁の練習の一環として、紙を燃やす程度の小技を繰り返していたのだ。
(ふぅー……まだ手の中で転がすのが精一杯か)
あの日から、私は一応、毎日少しだけ火を出していた。
兄が遺してくれた“力”を、無駄にしないために。
そのとき、玄関から誰かが慌ただしく入ってきた。
「マダラ姉さん……!」
カエデだった。目を赤くしている。
(……あれ? なんでそんな顔──)
「……兄さんが……戦で……」
え?
「……?」
「あ……兄さんが、戻ってこなかったって……父上が……」
「……」
言葉が、頭に入ってこなかった。
カエデの口が何かを言ってる。けど、意味が……理解できない。
兄が? 戦で? 戻ってこなかった?
えっ、なにそれ。
いつ? 誰が? 本当に? ウソでしょ?
「……え……、はっ。あぁ、そう……何だ……」
それが、私の最初の反応だった。
我ながら、意味不明だった。
言葉になっていない。感情も、ない。
でも、たしかにそう言った。
身体の感覚が、どんどん遠ざかっていく。
音が遠い。景色も白っぽい。
自分がどこにいるのか、よくわからなくなる。
弟たちの泣き声だけが、ひどく遠くから響いていた。
•
葬儀の日。
家族内での小さな規模で葬式をした。
蝋燭の火。香の煙。沈黙。
うつむいていた。
泣いていた。弟たちは、嗚咽を漏らしていた。
私は──何も感じなかった。
泣けなかった。
悲しくなかったわけじゃない。
悲しすぎて、感情が動かなくなっていた。
(……あの兄さまが、死んだ?)
実感がなかった。
だって朝、団子を食べてたんだよ?
手を振ってくれたんだよ?
「いってらっしゃい」って、ちゃんと見送ったんだよ?
それがもう、“いない”?
そんなの、あるわけないでしょ。おかしいよ。
だから、泣けなかった。
泣くってことは、認めることだから。
私はまだ、それを受け入れたくなかった。
だから私は、香の煙をぼーっと見つめながら、
心の中でただ一言、繰り返していた。
(……うそだ)
(うそだ)
(うそでしょ、兄さま)
•
葬儀が終わったときも、私は誰とも目を合わせなかった。
弟たちは私の袖をぎゅっと握っていたけど、それすらも遠く感じた。
心が──空っぽだった。
でも。
この後、私は“そこ”へ向かう。
兄と、私が共に過ごした──あの湖へ。
私は、湖に来ていた。
兄と二人で火遁の練習をしていた、あの場所。
うちはの集落から少し外れた林を抜け、湿った土の道を歩いた先にある、小さな湖。
朝露が降りる前の早朝、まだ蝉も鳴かない時間に、ふたりでここに来ていた。
(兄さまは、黙って私の印の手元を直してくれたっけ)
兄は、不器用だった。
あまり言葉で褒めてくれないし、笑ってくれることも少なかった。
でも、気づけばいつも、そばにいてくれた。
──小さい頃は、もっと優しかった。
そう思いながら、私は湖のほとりに腰を下ろした。
•
兄との一番古い記憶。
私がまだ、うちはマダラと呼ばれる前──
ひとりの“ちょっと変な幼女”だった頃。
「おとーしゃま♡らぶゆ〜♡」
そんなことを大真面目に言って、周囲を凍りつかせていた頃。
あの時、兄は、何も言わずに私に団子をくれた。
「マダラ、甘いの、好きだろ」
ただそれだけ。
何も聞かない。何も責めない。
その頃の兄は、たぶん──無敵だった。
「私の言動がおかしい」と誰もが思い始めた頃も、兄は最初は笑ってた。
でも、だんだん……ハリセンを持ち始めた。
いや、あれは多分“紙扇”というちゃんとした道具だったけど──
私の中では完全にハリセン。
•
「マダラ、印の流れを口で唱えるな。“午”でズレてまた爆発するぞ」
「午がむずいのが悪いんでしょ!」
パンッ!(ハリセン)
「BLE〇CHの鬼道で一言で出したいだけなのに!」
パンッ!(ハリセン)
「プリキュアなら変身バンクで火出すよね!!?」
パンッ!(ハリセン)
あれ? なんか……今思い返すと、私、ずっとハリセンで叩かれてない?
いやいや、もっと他に何か──もっとこう、温かい記憶とか──
(……いや、なんか、ハリセンしか思い出せない)
でも、それでも兄は、叩くときも本気じゃなかった。
紙扇の音は大きいけど、痛くなかった。
きっと、それは兄なりの“ブレーキ”だったんだと思う。
(あれが……兄なりの優しさだったのかな)
そう思った瞬間、喉の奥がつまるような感覚がきた。
目が、ちょっとだけ、熱くなった。
•
「できた兄だったな」
そう、私はつぶやいた。
優しかった。気が利いた。察しがよかった。
私の過去の珍発言も、寝言も、ふざけも──
何も咎めなかった。
でも最近は、ハリセンで叩かれてばっかりだった。
──あれ?
私、最後に兄とまともに話したのって、いつだっけ?
思い返せば返すほど、最後の会話がうすぼんやりしていた。
(……私、あの人と、ちゃんと喋れてたかな)
できた兄。優しい兄。うるさい兄。ハリセン兄。
いろんな兄が頭の中でぐるぐるして、だんだん悲しさより、ちょっとムカついてきた。
「ハリセンの兄なんか知らない! できた兄、無効!!」
思わず叫んだ。
でも──その声が、湖の水面に吸い込まれて、何も返ってこなかったとき。
ようやく、私は気づいた。
──もう、兄はいない。
叩かれたってよかった。怒られてもよかった。
その“音”がもう二度と聞こえないことが、
こんなに寂しいなんて、思ってなかった。
湖の水面に、風が走る。
ふわりと波紋が揺れた瞬間、
私はひとりごとのように、ぽつりと呟いた。
「できた兄、無効──って言ったけどさ……」
声がかすれる。
でも、もう止められなかった。
「やっぱ、ずるいよ兄さま。
いっつも黙って優しくして、困った顔して、黙って紙扇で叩いて、
……なんで、最後まで“いつも通り”なのよ……」
もっとこう──あったじゃん。
「マダラ、お前は強い」とか。
「次は任せたぞ」とか。
「団子はお前にやる」とかさ、さぁ!!
……なんで、手、振って終わりなんだよ。
私の声は、少しずつ震えていた。
目が、熱い。
手のひらで目元を覆っても、指の隙間から涙が滲み出す。
止まらない。止められない。
ぽた、ぽた、ぽた。
湖の岸辺に、涙が落ちる音がした。
「ずるいよ……ずるいな、兄さま……」
私はしゃがみこんで、膝を抱えた。
風が、木々を揺らす音だけが響いていた。
•
どれくらい、そうしていたんだろう。
涙が落ち尽くしたあと、私は静かに立ち上がった。
目の奥はまだ少し熱かったけど、心の中にひとつ、火が灯った気がした。
──兄が残してくれたもの。
それは、火遁・豪火球の術。
そして、私にだけ見せてくれた、優しさの記憶。
それだけで、私はこの先も、前を向いていける気がした。
(……そうだ、思い出した)
私は、もう二度も「強くなりたい」と言った。
一度目は、軽い気持ちで。
二度目は、兄に引っ張られて。
でも、今度は──
「三度目の正直、だよ」
私は、指を組み始めた。
印の流れが、手の中に自然に通る。
「寅、卯、辰、巳……午……」
ゆっくりと、確かに、火が集まってくるのを感じた。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「火遁・豪火球の術……!」
ボフッ……!
出たのは、小さな火玉だった。
兄のように大きな炎ではない。
けれど、それでも──まぎれもなく“私の火”だった。
その火を見つめながら、私は小さく笑った。
「兄さま、ちゃんと残ってるよ。
ほら、こんなに“火”がついてる」
この火は、誰かを焼くものじゃない。
守るための火。
弟たちを、家族を、仲間を守るための、あかり。
私は、静かに空を見上げた。
夕暮れの空には、まだ星はなかった。
けれど、私はその先にいる兄の姿を、はっきりと思い描いていた。
「見ててね、兄さま。私、守るから。今度こそ、本気で」
頬を伝って、涙が一筋、こぼれた。
でもその涙は、さっきまでのものと違っていた。
もう、泣いてばかりじゃいられない。
私は前を向く。
兄が残してくれた“火”を、その手に灯して。
夜の湖は、昼間とまるで違う表情をしていた。
昼間は風に揺れていた水面が、今は静かに、月と星を映している。
木々のざわめきも、虫の声も、小さく、静かに息をしているようだった。
私は、湖のほとりに腰を下ろし、空を見上げていた。
いつも兄と修行していた場所。
兄にハリセンで叩かれながら笑った場所。
そして──兄が、もう来ない場所。
「……星になる、ってさ。そういうことなんだね」
口に出した瞬間、胸の奥がきゅうっと締めつけられた。
•
「星になった人は、空から見守ってくれてるんだよ」
そんな話を昔、誰かから聞いたことがある。
前世だったか、今の人生だったか、もうよく覚えていないけれど。
当時の私は、「ふーん、なるほど〜」くらいの気持ちだった。
でも今、その言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。
星は遠い。触れられない。
でも、いつもそこにあって、どんなときも空から照らしてくれる。
(兄さまも、そんな風に──なれるのかな)
そう思った瞬間、ふっと風が吹いた。
頬を撫でたそれは、まるで兄の手のように優しかった。
•
「……やっぱりずるいよ、兄さま」
私は、少しだけ笑った。
「最後まで、言葉少ないくせに、
こうして私の心に火をつけて、逃げるんだもんね」
火遁・豪火球の術。
それは兄が、私に唯一“強さ”として残してくれたもの。
けれどそれは、技術じゃなくて──
心の灯火だった。
(強さって、たぶん……誰かを守りたいって思える心のこと)
私はそう、思うようになった。
•
弟たちは、きっとまだ泣いてる。
父も、今は何も言わないだろう。
でも私は、ちゃんと進まなきゃいけない。
私はもう一度、印を組んだ。
火を出すためじゃない。ただ、手を動かしたかっただけだ。
──兄が最後に教えてくれた、あの順番を忘れたくなかったから。
「寅、卯、辰、巳……午……」
(ねえ、兄さま)
(火が出なくても、これで合ってる?)
(私、もう間違ってない?)
夜空の星は、何も答えない。
でも私は、何も答えなくていいと思った。
ただ、そこにいてくれるだけでいい。
•
「……三度目の正直って言ったからさ、
もう失敗しない。今度は本気」
「今度は私が、弟たちを守るから」
「だから──兄さまは、安心して、星になっていいよ」
空に、ひときわ明るい星が、瞬いた気がした。
私の火遁なんかより、ずっとずっと強くて、遠くて、
だけどやっぱり、ちゃんとそこにある光だった。
「おやすみ、兄さま」
そうつぶやいた私の頬を、そっと涙が伝った。
でももう、泣きじゃくったりはしない。
これは、別れの涙じゃない。
心に灯った、小さな決意の火が、
ほんの少しだけ、熱くなっただけ。
──それだけの、涙だった。
やっとシリアスかけた(満足&昇天)