「お母さん、無自覚美人です」   作:松田義和

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第12話「母、プールに行きたいと言い出す」

ある日の昼下がり、アイスを食べながらクーラーの前でだらけていた僕に、母がぽつりとつぶやいた。

 

「……ねぇ、○○、今年まだプール行ってないよね?」

 

「は?」

 

あまりに唐突な言葉に、僕はアイスの棒を持ったまま固まった。

 

「ほら、去年も行こう行こうって言いながら結局行かなかったじゃない?

 今年こそ、ちょっと行ってみようかな〜って思って」

 

その言い方は完全に「思いつきレベル」の軽さだったが、母はすでにスマホで「市民プール 空いてる時間」などと検索している。

 

「……いや、ていうか行くの? 母さんが? プールに?」

 

「うん。ちょっと運動にもなるし、涼しそうだし。ね? 一緒に行こうよ」

 

そんな無邪気な笑顔で誘われたら、断るのも気が引ける。

が、すぐにとんでもない一言が追加された。

 

「……でね、ちょっと新しい水着、買ってきちゃったのよ」

 

「──は?」

 

「今日、駅前でセールやってて。ちょうどよくてね、試着もしてないけど多分ぴったり。あ、見せよっか?」

 

「いやいやいや、いい!! ぜったい見せなくていい!!」

 

それでも母はお構いなしに袋から水着を取り出した。

黒とベージュのシンプルな、でも明らかにビキニ──いや、オトナの“ちゃんとしたやつ”だった。

 

「ちょっとチャレンジだけど、たまにはね〜。上にラッシュガード着るから!」

 

──ラッシュガードごときでカバーしきれるわけがない。

そもそもそんな格好の母を公共の場に連れて行くとか、僕の心がもたない。

 

「母さん、それ……行くならひとりで行って。ていうか行かないで。お願い」

「え〜〜? なんでそんなに拒否反応? 息子とプール、そんなに嫌?」

「違う! ……そうじゃないけど……とにかくダメ!!」

 

「もしかして……嫉妬?」

「違うから!!」

 

母はくすっと笑いながら、買ったばかりの水着を大事そうにたたんだ。

僕はというと──

 

この夏、“母をプールに行かせない計画”を、静かに決意した。

 

 

プールに行くと言い出した日から三日。

母はあれから何度か「暑いわねぇ〜」とつぶやきつつ、水着の袋をクローゼットに出し入れしていた。

 

そのたびに僕は胸の奥をざわつかせていた。

「ほんとに行くのか……?」「父さんが止めてくれるだろう」と淡い期待を抱いていたが、父は完全に“蚊帳の外”だった。

 

そして今日。

 

蝉が本気を出しはじめた昼すぎ。

母が縁側から顔をのぞかせてきた。

 

「○○〜、ちょっと手伝ってくれる? 庭にビニールプール広げようと思って」

 

「……は?」

 

「ほら、前に買ったやつ。しまってあったでしょ? 今日ちょっと遊んじゃおうかなって。スーパーも行かなくていい日だし」

 

プール計画、まさかの“庭シフト”。

 

正直なところ、僕はホッとした。

これなら人目に触れる心配はない。何より、僕がついていく必要もない。

 

ただ──その安心は、ほんの序章だった。

 

 

庭の隅。

ビニールプールを広げ、ホースで水を入れ、空気を入れるのを手伝っていると、

母が軽快に家の中へ引っ込んだ。

 

「じゃあ、ちょっと着替えてくるわね〜」

 

──着替える!?

い、いや……まさか、とは思うけど。

 

しばらくして、引き戸が開く音がして、

「お待たせ〜」と母が戻ってきた。

 

──そして僕は、動きを止めた。

 

母はちゃんとラッシュガードを着ていた。

けどその下、チラッと見えた水着は、例の“黒いビキニ”。

 

大人っぽくて、シンプルだけど目を引く。

本人はまったく悪びれた様子もなく、

「庭で日焼けしたらもったいないし〜」と、帽子までかぶって完全装備。

 

「やっぱり水って気持ちいいわねぇ!」

ちゃぽんと水をはじけさせながら、嬉しそうにしゃがみこむ母の姿に、

僕は言い知れない動揺を覚えていた。

 

汗だくの作業よりもはるかに涼しげで、

日差しの中で笑う母は、まるでリゾート地の人のようだった。

 

──だからやめてほしい。

それ、家庭用のビニールプールだから。

 

「○○も入りなさいよ〜。ほら、水、冷たくて気持ちいいわよ!」

 

母の無邪気な声に、「……いや、いい」とだけ返し、

僕はタオルを持って家の中に逃げ込んだ。

 

でもそのあと、

窓のカーテン越しに見えた母の笑顔が、なんだかすごく楽しそうで。

 

僕は結局、タオルを首に巻いたまま、

扇風機の前でひとり“謎の敗北感”を味わう羽目になった。

 

 

ビニールプール事件から一夜。

母は満足げに朝食を作り、いつも通りのテンポで味噌汁を配っていた。

 

「昨日は楽しかったね〜、○○も久しぶりに手伝ってくれて助かったわ」

 

「あぁ、うん……まぁ……」

 

僕はまだ昨日の“あの姿”が脳裏に焼き付いていた。

いくらラッシュガードを着ていても、目に焼きつくものは焼きついてしまう。

 

ところが、母の次の一言で、僕の胃袋は軽くひっくり返った。

 

「ねぇ、今度は海、行ってみない?」

 

「…………は?」

 

思わず箸が止まった。

 

「やっぱりね〜、水って気持ちいいのよ。昨日久しぶりに遊んで、なんだか目覚めちゃって。

 どうせならちゃんと泳ぎたいし、潮の香りって夏じゃない?」

 

いやいやいや、昨日のは庭!

庭だからこそセーフだったんだよ!!

 

「……っていうか、母さん、泳げたっけ?」

 

「昔はね、平泳ぎなら得意だったの。今はたぶん……ぷかぷか浮かぶくらいかな〜」

「……浮かぶ必要ないから。行かなくていいから」

「え〜、○○と二人で行くの、楽しそうじゃない?」

 

無邪気な笑顔でそう言う母に、僕は完全に追い詰められていた。

 

「だって、ほら。せっかく水着もあるし?」

 

──来た。またその話。

 

例の黒ビキニ、まだ諦めていなかったらしい。

むしろ「水辺のシチュエーション」を探しているようにすら見える。

 

「それに、ちょうど今週、潮干狩りにもいい季節らしいのよね〜」

「それ、“潮干狩り”って名目で行こうとしてるだけでしょ……」

「ふふっ、バレた?」

 

母は悪びれもせず笑った。

 

もうやめてくれ。

こっちのメンタルはとっくに崩壊寸前なんだ。

 

「父さんは……仕事だよね?」

「うん、土曜は出勤らしいから、たぶん二人かな」

「その状況が一番ダメ!!」

 

僕は叫んだ。

 

まさか、この夏。

“海に母と二人”という超高難度クエストに挑む羽目になるなんて──

 

絶対、なんとか阻止!

 

 

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