「お母さん、無自覚美人です」   作:松田義和

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第14章 母、図書館に通う

「今日は図書館、行ってこようかな〜」

その朝、母は紅茶を飲みながら何気なくつぶやいた。

 

最近また読書熱が再燃しているらしく、今読んでいる文庫本の続きが気になるという。

白いブラウスにネイビーのフレアスカート、髪はいつもよりきれいにまとめられていて、首には小さなスカーフが結ばれていた。

 

……いや、完全に“仕上げてる”だろ。

 

「そんな恰好で図書館?」と僕が突っ込むと、

「え?だって空調が寒いときあるし、スカーフちょうどいいのよ」

と、無邪気な笑顔で返された。

 

まあ、いい。母はただ本を借りに行くだけだ。そう思って送り出した数時間後──

 

 

 

帰宅した母の腕には、なぜか小さな紙袋があった。

中には、チョコの小袋と、紙製のしおりが数枚。

 

「どうしたのそれ?」と聞くと、

「図書館でお話したおばさまが、“甘いのがあると読書が捗るわよ”ってくださったの。あと、しおりは司書さんから!」

 

ちょっとした立ち話だったはずが、「今月のおすすめ」や「本棚の整理を手伝ってたボランティアさん」とも会話が弾み──

気づけば、3人から名前を聞かれ、「読書会やってるんですよ〜」と誘われる始末。

 

「へぇ〜、参加するの?」と僕が聞くと、

「んー、どうしようかなあ。でも楽しそうだったわよ?」

 

その後、図書館に行くたびに、なぜか「母の席」が暗黙のうちに空けられていた。

他の利用者たちが母に話しかけたがり、館内で静かな“人気者”になる母。

 

数週間後、図書館の壁に掲示された「読書会メンバー募集」のポスターに、こう書かれていた。

 

「読書が好きな方、おしゃべりも好きな方、○○さんのように“柔らかい時間を一緒に過ごせる方”歓迎」

 

名前こそ出ていないが、間違いなく“○○さん”は母のことだった。

 

 

 

「ちょっと嬉しかったわ。こんなに人が集まってくるなんて」

母はそう言って微笑んだ。

 

けれど僕は──知っている。

 

母が読んでいるのは、古典文学でも最新のミステリーでもなく、

“表紙が妙に華やかすぎる”ラブロマンス文庫ばかりだということを──。

 

──母、図書館すらざわつかせる。

 

 

特別  母、読書会に参加する

 

「第9回 読書とおしゃべりの会」

今月の課題本:『午後3時の手紙』

本について語り合いたい人、お茶とお菓子とお待ちしています

 

月末の金曜日、午後3時。

参加者は8人まで、予約制──とある。

 

母はそのとき、なんとなく予約してしまったらしい。

「なんとなくって…」と僕が笑うと、母はにこっと笑って「こういうの、初めてなのよ」と小さな声で言った。

 

 

 

当日。

 

母は白いカーディガンに、柔らかいベージュのワンピースという、図書館にぴったりの装いで現れた。

少し緊張した表情で本を抱えて、いつものように笑っていた。

 

読書会のテーブルには、年配のご婦人や眼鏡の若い女性、地元の高校教師らしき男性など、さまざまな顔ぶれ。

会はゆるやかに始まった。

 

「ええと、では今日は“午後3時の手紙”について、皆さんの感想を──」と司書さん。

 

そして順番が母にまわってきた。

 

 

 

「ええと……」

少し間をおいて、母が話し始めた。

 

「このお話、私は“手紙の内容”よりも、“その手紙をどう読むか”の方に心が動きました」

 

「手紙を書いた側と、受け取った側と、そして“誰かに見られる”ことまで含めて、なんだか“人生って他人の目越しに読まれていく物語”みたいだなって思って……」

 

空気が変わった。

 

誰もが「うんうん」とうなずき始め、他の参加者からも「それ、すごくわかります」「私もそう思ってましたけど言えなかった」と声が上がる。

 

 

 

その後も、母は飾らず、丁寧に、けれどどこか“人の気持ち”に寄り添う言葉を次々と重ねていった。

文学部出身でもなければ、書評家でもない──

ただ“普通の専業主婦”が語る言葉に、誰もが惹きつけられていった。

 

そして会の最後、司書さんが言った。

 

「○○さん、来月もぜひお越しください。“聞いてもらえるのが嬉しい”って、みんな言ってました」

 

 

 

それから、母は読書会の常連になった。

たまに僕に「この作品、読んだことある?」と相談してくるようにもなった。

 

ある日、僕がふと尋ねた。

 

「なんで参加しようと思ったの?」

すると母は、少し笑ってこう言った。

 

「読んだ本のことを誰かと話すって、ちょっと自分の人生を語るみたいじゃない?

ほら、私ってあんまりそういうの、してこなかったから」

 

 

 

──図書館の読書会。

本の内容だけじゃなく、語られる“その人自身”を読む場所。

 

母は、静かにその中心に座っていた。

 

 

特別編「母、未完の小説の“勝手な続編”に心を奪われる」

 

「あれ……これ、最後のページが……変?」

 

母がページをめくりながら眉を寄せたのは、図書館から借りてきた中編小説『十七夜』を読み終えたときだった。

読後のティーカップを手に、読書の余韻に浸っていたはずのその顔に、ほんのり戸惑いが浮かんでいた。

 

「何かあったの?」と聞くと、母は本をそっと僕に差し出した。

 

 

 

僕もその小説を手に取り、最後のページをめくった。

 

「あ……なにこれ」

 

見開きの裏──本来は白紙であるはずのページに、小さな活字が印刷されている。

フォントは本文と異なり、明らかに後から差し込まれたような風合いだった。

 

「あの夜、灯りが消えたあとも、彼女の声は耳の奥に残っていた。

名前を呼ばれた気がして、振り返った。けれど、そこには誰もいなかった。

なのに、胸の奥で何かが確かに、ひとつ終わったように思えた。」

 

僕は首をかしげる。「これ、作者のエピローグじゃないよね?」

 

「違うわよ。ほら、奥付(あとがき)には“この作品は未完のまま絶筆となった”ってあるもの」

母がページを指差す。確かに、作者はこの小説の連載中に急逝し、完結しないままだったとある。

 

 

 

「じゃあこれ、誰が……?」

 

僕らは顔を見合わせた。

 

不思議なのは、その“続編のような文章”が、やけに作品の空気感と調和していたことだった。

違和感がない、というより──むしろ、その一段を読んで初めて、物語が静かに幕を閉じたような、そんな感覚。

 

母はしばらく無言でページを撫でたあと、ぽつりとつぶやいた。

 

「なんか……この文章書いた人、“彼女”のこと、本当にわかってる気がするのよね」

 

 

 

気になった母は、翌日図書館へ出向いた。

カウンターの司書さんに「この本、最後のページが少しおかしくて……」と訊ねると、少し驚いた表情で返された。

 

「実はそれ、数年前からあの本にだけあるんです。

初版にもないし、他館の蔵書にも印刷されていません。

でも、誰が差し込んだのかはわからなくて……」

 

母はさらに尋ねた。「何か、そういうことをしてる人、心当たりありませんか?」

 

司書さんは「そういえば……」と棚を見ながら、小さく声を落とした。

 

「以前、“読書カード”をたまに挟んでくる利用者の方がいて……“作品の続きを自分で想像して書く”って楽しんでたみたいなんです。

名前は書いてなかったけど、たぶん年配の男性。決まって静かな時間に来て、文芸書ばかり借りていかれてました」

 

 

 

それを聞いた母は、本を再び借り直して、もう一度最初から読み始めた。

 

──今度は、“続き”の言葉を意識しながら。

 

「ねえ、なんだかこの本……また読み直したら全然違う物語に見えるの。

“彼女”が何を言いたかったのか、あの続きがあってやっと見えてきたような」

 

 

 

一冊の本が、誰かの静かな“愛読”によって、そっと完結していた。

 

それを偶然読んだ母は、誰とも知らないその“もう一人の作者”に、少しずつ惹かれていくようだった。

 

 

 

「その人、また続きを書いてくれたらいいのにね」

僕が何気なく言うと、母はページを閉じて言った。

 

「……ううん、きっともう書かないと思う」

 

「どうして?」

 

「“もう終わった”って、あの文章に書いてたもの。

でもそれでよかったのかも。“手を離す物語”って、あるのよ」

 

 

 

それからしばらくして。

図書館の読書会の課題本に、その『十七夜』が選ばれた。

 

そして、ラストページの“続編”について話題になったとき──

母は静かに手を挙げて言った。

 

「その文章を書いた人は、きっと作者の続きを書いたんじゃなくて、

“読んだ人の想い”を、物語にそっと添えたんだと思います」

 

「終わった物語に、ひとひらの返事を──って、きっとね」

 

 

 

誰も知らない、誰かの筆跡。

 

けれど、それを読んだ人の人生は、ほんの少しだけ、変わっていく。

 

図書館の静かな棚の中で、そんな“続き”の奇跡が起きていた。

 

 

 

 

 

 

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