「お母さん、無自覚美人です」   作:松田義和

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第16章 母と僕の日常

①【洗濯物を干す母の後ろ姿】

 

昼前の、ゆるい風が吹くベランダ。

母が洗濯物を両手に抱えて、ひとつひとつピンチハンガーにかけていく。

 

風に揺れる薄手のワンピース。

ふいに裾がめくれ、ふくらはぎがのぞいた。

母は何気なく裾を押さえながら笑っている。

 

その髪が光に透け、シャツの背中に貼りつくように汗がにじんでいる。

僕は思わず、その背中に見入ってしまった。

 

──これは…守るべき家族の姿なのか。

それとも、目を逸らさないといけない美しさなのか。

 

答えが出る前に、母が振り返って「今日も暑いわね〜」と笑った。

僕は「うん」とだけ返した。

 

 

②【昼寝中、頬に髪がかかる母】

 

午後のリビング。

テレビもつけず、母は横になってうとうとしていた。

枕元には読みかけの雑誌。

 

長い髪が頬にかかって、眉が少ししかめられている。

そっと直してやろうと手を伸ばしかけ──

 

母がうっすら目を開けた。

「あら、どうしたの?」とぼんやり笑う。

 

「……いや、なんでもない」

 

咄嗟に手を引っ込めた僕は、心臓が妙にうるさかった。

 

 

③【読書する母の横顔】

 

キッチンの隅にある小さなスツール。

そこで母は、炊飯器の音を聞きながら本を読んでいた。

顔にかかる髪を、何度も指で耳にかけながら。

 

ページをめくる音が、夕方の静けさにやさしく溶けていく。

 

──誰かのためでもなく、自分のためだけの時間。

 

その横顔に、僕は思わず目を奪われた。

家族の顔じゃない、“誰か”としての母がそこにいた。

 

気づかれないように視線を外し、冷蔵庫を開けたけど──

胸の奥のざわつきは、冷たい麦茶でも消えなかった。

 

 

④【汗を拭きながら髪をほどく母】

 

「ただいま〜。めっちゃ暑かったぁ〜!」

 

玄関から入ってきた母が、買い物袋を置いて、タオルで首をぬぐう。

額に貼りついた前髪を指でかき上げながら、後ろで束ねていた髪を解いた。

 

さらりと髪が肩に落ち、シャツの襟がずれた。

そこに汗のきらめきが浮かんで──僕は言葉を失う。

 

「冷たいの、入れてくれる?」と母が笑う。

 

「……うん」

 

自分の声が、どこかよそよそしく聞こえた。

 

 

⑤【食器を拭く姿にふと気づく】

 

夕食後、僕がテレビをつけると、母は水音の奥で皿を拭いていた。

 

静かな時間。

台所の蛍光灯が、母の肩と髪を淡く照らしている。

 

何気ない手つきで布巾を動かし、食器棚に皿を戻す。

 

僕はその横顔を、ぼんやりと見つめていた。

笑ってもいないのに、なぜかやさしさがあふれているようで。

 

「どうかした?」と振り返る母。

 

「……いや、なんでも」

 

僕はテレビの画面に目を戻した。

でもその光景は、頭から消えなかった。

 

⑥【雨上がり、洗濯物を取り込む母】

 

雨が上がった夕方。

母はベランダに出て、まだ湿り気の残る空気の中、洗濯物を抱えて戻ってきた。

 

そのまま部屋に入ろうとした母が、僕の視線に気づいてふと立ち止まる。

 

「……ちょっと濡れちゃったかも」

そう言って、ぴたっと貼りついたシャツのすそを引っ張る。

 

雨のしずくが髪先からぽとりと落ちる。

まるで映画のワンシーンみたいだった。

 

僕は、飲んでいたお茶を一口飲み込みながら目を逸らした。

それでも頬が熱い。

 

 

⑦【夜、髪を乾かす母】

 

お風呂あがり、洗面所から「ブォオォ…」とドライヤーの音が聞こえてくる。

何気なく覗いたリビングのガラス戸越しに、髪を乾かす母の姿が見えた。

 

肩にかかる長い髪をかき分け、手ぐしでととのえる。

 

ガラス越しのその姿が、なぜかとても大人びて見えた。

母である前に、“女性”としての輪郭を強く意識してしまった瞬間だった。

 

「なんか言った?」

 

母がふとこちらに気づいて笑う。

 

「……ううん、なんでもない」

 

僕はそっと扉を閉めた。

音を立てずに。

 

 

⑧【落とした髪ゴムを拾う母】

 

食卓で片付けをしていたとき、母がうっかり髪ゴムを床に落とした。

 

「あら……」

 

テーブルの下に身を屈めた母の背中が、シャツ越しに柔らかく浮き出ている。

 

そのとき、不意に僕と目が合った。

 

「ちょっと手伝って〜」

無邪気な笑顔に、僕は思わず固まってしまった。

 

「……うん」

 

立ち上がると、母の髪がふわりと肩に戻る。

ほんの一瞬のことだったのに、妙に長く感じた。

 

 

⑨【朝のストレッチ中、見惚れる】

 

ある朝、起きると母はヨガマットの上で軽くストレッチをしていた。

 

腕を上に伸ばし、ゆっくりと体を横に倒して──

Tシャツのすそがめくれ、ウエストがちらりとのぞいた。

 

「……ふぅ〜、やっぱり朝はこれね〜」

 

笑っている母はまったく無自覚。

だけど僕は、視線の置き場に困っていた。

 

「おはよう、まだ眠そうね〜」

そんな無防備な笑顔に、完全にノックアウトだった。

 

⑩【朝、鏡の前で髪を整える母】

 

僕がキッチンで水を飲んでいると、隣の洗面台の前に立つ母の姿が目に入った。

 

細い指先で髪をまとめたり、ほどいたり。

時折、鏡越しに軽く首を傾けて、前髪の分け目を調整している。

 

「なんかうまく決まらないなぁ〜」とつぶやいて、前髪をふうっと吹いた瞬間──

 

鏡に映るその顔と目が合った。

 

「ん? 変じゃない?」

 

「……いや、似合ってる」

 

僕は思わずそう言ってしまった。

母はくすりと笑い、また前を向いた。

 

鏡の中のその笑顔が、ずっとまぶしかった。

 

 

⑪【階段の上で立ち止まる母】

 

2階から母が下りてきて、途中の踊り場で立ち止まった。

何かを思い出したように振り返るその瞬間、髪がふわりと肩から落ちた。

 

「……あ、今夜カレーでいい?」

 

見上げた僕は、その一言がうまく聞き取れなかった。

 

「……うん、いいよ」

 

ただただ、母の姿に見惚れていた。

階段に差し込む夕方の光が、母の輪郭をまるで絵のように切り取っていた。

 

 

⑫【玄関で靴を履き替える母】

 

買い物に行こうとする母が、玄関でしゃがみ込んで靴を履いていた。

 

その背中。

白いブラウスが腰のあたりで自然にふわっと膨らんで、細い足首がちらりと覗く。

 

「お昼、なにか買ってくる?」と振り向いて言ったその目に、僕は瞬間、ドキッとしてしまった。

 

「……なんでもいいよ」

 

気を抜いてると、日常の一コマにやられてしまう。

それが僕の“母”だというのが、まだ信じられない。

 

 

⑬【料理中、指先を冷やす母】

 

台所でカレーを作っていた母が、ふと「熱っ」と声を漏らした。

じゃがいもの皮をむいた直後、湯気の中で指を冷やしている。

 

水道の下で手を当てながら、母が「あはは、油断した〜」と笑った。

 

その笑い方が、なんだか無防備で──

髪のすそから水がしたたり、うなじが濡れて光っていた。

 

「タオル持ってこようか?」

 

「うん、お願い」

 

僕は逃げるようにその場を離れた。

自分の鼓動の速さが、なぜか恥ずかしく感じた。

 

 

 

 

 

 

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