「お母さん、無自覚美人です」   作:松田義和

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第7話 「母、警察署で職質ならぬ“直視不能”案件」

「これ、どうしよう……交番に届けたほうがいいかな?」

 

昼下がり、母さんがそう言ってキッチンから財布を差し出してきた。

中身は小銭と診察券だけ。たぶん、誰かの落とし物だ。

 

「スーパーの帰りに見つけたの。道路の端っこに落ちてたのよ」

 

「うん、たぶん届けたほうがいいと思うよ。場所とか訊かれるけど」

 

「わかった、じゃあちょっと行ってくるわね」

 

……それが、事件の始まりだった。

 

母が選んだ服装は、上がややフィット感のある薄手の白ブラウス。

袖が肘上で、二の腕がほどよく出ていて、

首元はボタンを一つ開けた“何気ない”仕上がり。

下は、ベージュのセンタープレス入りのパンツで、ウエスト部分がぴったりしている。

 

軽くメイクをして、髪を後ろでひとつ結びに。

“届け物をするだけ”にしては、どう見ても爽やか上品すぎる。

 

「母さん、それちょっと……“届ける側”じゃなくて“届けられる美人”って感じなんだけど」

 

「え?きちんとしてないと失礼かと思って」

 

いや、それもう“きちんと”じゃなくて“無自覚で人を試すスタイル”だよ……。

 

案の定、僕も付き添いで交番に入った瞬間、事件が起きた。

 

「こんにちは〜、落とし物を……」

 

奥から出てきたのは、制服のよく似合う20代後半の若い警察官。

母さんを見た瞬間、彼の表情が──

**“前屈から起き上がったときに見た朝日”**みたいに晴れやかになった。

 

「お、お、お疲れ様です!い、いらっしゃいま……せっ!」

 

明らかに噛んでる。

 

母さんはいつも通り柔らかく微笑んで財布を差し出す。

 

「これ、近くで拾ったんです。中に診察券が入ってたので、念のため」

 

「は、はいっ!あ、あの、その、お名前と……その、場所と時間を……」

 

警察官の手元が震えていた。

明らかに「書く内容」よりも「目線の置き場」に苦しんでる。

 

なぜなら、母さんはカウンターに身をかがめるようにして、記入用紙を覗き込んでいたからだ。

そしてその瞬間、ブラウスの襟元がわずかに開いて、胸元がふんわり……

 

「ちょっと、母さん。俺、代わりに書くから」

 

「え?いいの?じゃあお願いね」

 

その後ろで、警察官が小さく深呼吸してるのが見えた。

 

僕が用紙を受け取ってペンを走らせているあいだ、母は交番内の掲示物を眺めていた。

白いブラウスが風に揺れて、背中のラインが浮かび、

彼女がふと後ろを振り返った瞬間──

 

警察官の表情が一瞬、**“職質すべきなのは自分の心です”**みたいな葛藤に染まった。

 

最後、書類を渡すとき。

 

「ではこちらでお預かりいたします……あの、また何かありましたら、いつでも……」

 

「ええ、ありがとうね。お世話さまでした」

 

──母のその笑顔が、とどめだった。

 

交番を出たあと、僕は母に言った。

 

「……なんであの人、最後ちょっと汗かいてたんだろうね」

 

「え?そう?暑かったのかしら?」

 

いや、それは多分……

母さんのせいだよ。

 

きっと今頃、あの交番の警察官は、

“拾得物対応マニュアル”の中に“耐性強化項目”を追加しているに違いない。

 

 

 




番外編「母、治安を良くする(理由は本人以外が知っている)」

数日後、異変はじわじわと始まった。

「なんか最近、このへんパトカー多くない?」
と、近所の犬の散歩仲間が母に話しかけたのは、夕方の公園。

母は、ペットボトル片手に笑顔で応じた。

「あら、そうなの?最近よくすれ違うかも……でも安心よね、こうして見回ってくれてると」

──安心なのはいいんだけど、
その“見回り対象”、母さんだからね?

僕は、その週にすでに4回、同じ若手警察官が我が家の前を歩いているのを見ていた。

朝のゴミ出しのとき。
昼に洗濯物を干しているとき。
夕方にベランダから花に水をあげているとき。
そして夜、キッチンの明かり越しに母のシルエットが浮かんでいるとき──

タイミングが完璧すぎる。
まるで、**“巡回コースを我が家の周囲3ブロックに縮小しました”**みたいな動きだ。

そのうちの一度、僕が玄関から顔を出すと──

「あっ……こ、こんにちは。変わりありませんか?」

と、ぎこちない敬礼。

「……変わりは、ないですけど」

「そ、それは何よりです!ええ、では、また!」

そう言って、わざわざ角を二回曲がって遠回りして帰っていった。
絶対コース変えてるだろ。

その夜。

「なんかさ、最近ほんとにパトカー多いよな」

と僕が言うと、母はのんびり笑いながら答えた。

「そうね〜。治安がよくなった気がするわね。○○くんの通学も安心だし」

──いや、違う。
母さんが“安心されてる”んじゃなくて、
守られてる側なの、完全に。

たぶんあの警察官、完全に“推し”認定してる。
パトロールじゃなくて警備に変わってる。
おまけにこのままだと、通報ゼロでも交番から花とか届く未来すら見える。

それでも母は、気づいていない。

「やっぱり日本って安全ねぇ。おまわりさん、ほんとに頑張ってるわ」

……いや、その“頑張り”の半分以上は、
あなたの白ブラウスと柔らかい笑顔のせいなんですけど。


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