「お母さん、無自覚美人です」   作:松田義和

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第9話「母、町内会の盆踊りで“浴衣無双”」

「○○〜、今夜の盆踊り、行かない?」

 

夕方のリビングで麦茶を飲んでいた僕に、母が何気なくそう言った。

 

「え、町内のやつ? 行かないよ、あんな人混み」

 

「そっか。母さんちょっとだけ顔出してくるわね。せっかくだし」

 

そう言って立ち上がった母は、いつもより少しだけ背筋がピンとしていた。

浴衣姿だった。

藤色の地に、白い撫子の模様。

髪はいつもの後ろで軽く束ねるスタイルに、今日は飾り紐が添えられていた。

 

──なんだその“完全武装”。

 

思わず僕は目をそらした。

だって、いつものエプロン姿とは違いすぎて、

一瞬「誰?」って思うくらい、“綺麗”だったから。

 

「そんな気合い入れるほどのイベントじゃないでしょ、あれ」

「え〜? だって浴衣、着る機会あんまりないじゃない。たまにはいいでしょ」

 

母はそう言って、笑った。

 

その笑顔がまるで、

“この後起きる騒動”の前フリだったなんて、そのときの僕は知る由もなかった。

 

 

午後7時すぎ。

町内会の広場に、提灯の明かりが灯り、太鼓が鳴り響く。

焼きそば、金魚すくい、ラムネ売り。

夏祭りらしい喧騒が続く中──

 

「──あれ誰? めちゃくちゃ綺麗なんだけど」

「おいおい、あれ○○の……母ちゃん、じゃない?」

 

その声は、町内の中高生たちの間でささやかれはじめていた。

 

母はただ、浴衣を着て歩いているだけだった。

盆踊りの輪に混ざって、周囲に合わせてゆるやかに手を動かし、

踊っていた。

 

──ただそれだけのはずなのに。

 

周囲がやけにざわめき出したのは、たぶんその“所作”のせいだった。

所作というか、あの人は本当に、“ゆっくり動くのがうまい”。

 

指先をふわっとなぞらせるように揺れる腕。

腰のひねり方もどこか上品で、見ている側が勝手に“色っぽい”と感じてしまう。

 

なのに本人はまったくの無自覚。

それがまた、やばい。

 

気づけば子どもたちや若い男性たちが踊りの輪に近づき、

踊りもしないでただ“見ている”。

 

町内会の役員のおばちゃんが、

「あなた〜、その浴衣どこで買ったの?」「素敵ねぇ〜」と絡みに行っても、

「え? これ? ずいぶん昔に買ったやつよ〜」と、さらっと笑う。

 

その“ふつうの反応”がまた周囲をざわつかせる。

 

母はただ、

「たまにはこういうのもいいわねぇ」

と楽しそうに言いながら、焼きそばを買い、かき氷を食べて帰ってきただけだった。

 

だが、事件はその翌日からだった。

 

 

翌朝、掲示板の前で町内の人がざわついていた。

盆踊りの写真が何枚か貼られており、

その中央には、母が写っている。

 

しかもなぜか、囲み線つきで「今年の“踊り姫”」の文字。

 

「え? これ……」

 

思わず声に出してしまった僕に、近所のじいちゃんが言った。

 

「いやぁ、君のお母さん、実に“品がある”んだよな。目立ってたよ」

「そ、そうですか……」

 

さらに午後。母宛てに町内会から電話が来た。

 

「え? 来年、司会……? いや、私なんかが……ふふ、でも……まぁ、前向きに……」

 

──やめて、前向きに考えないで!

 

夏の夕方、うちの母は“ただ浴衣を着ただけ”だった。

なのに、なぜか町全体の空気を持っていった。

 

その影響は、きっと来年の夏まで続くんだろう。

 

そして僕は、静かに誓った。

 

「来年は……絶対、一緒に行かない」

 

 

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