「……水を、煮立てるんじゃ」
沸いた茶をぼんやり眺めながら、サクナがぽつりと呟いた。
その意味不明な発言に、隣のココロワは作業の手を止めて、ぱちりと瞬く。
「……えっ、水……ですか?」
「そうじゃ。“湯気”、つまり“蒸気”の力を使うんじゃよ」
唐突すぎる言葉に、ココロワは思わず眉をひそめる。
だがサクナはおかまいなし。作業台に転がっていた木製の歯車をつまみ上げ、くるくると指先で回しながら、いつものように“何かが見えている”目をしていた。
「鍋に水を入れて火にかけると、湯気が出るじゃろ?
あれは、ただの煙じゃない。“力”なんじゃ。見えぬが、すごい力がそこにあるんじゃよ!」
言葉の熱に、ココロワの視線がすっと細くなる。
──それは、“知っている”者の語り方。
転生者・サクナヒメにとって、“蒸気”とは神秘じゃない。
すでにかつて、世界を動かしていた“道理”なのだ。
「水が蒸気に変わるとき、大きさが一気に何百倍にも膨れ上がる。その時に生まれる圧力が──そのまま動力になるんじゃ!
その力をな、筒に閉じ込めて、行き場をなくした蒸気を“風車のような羽根板”に当てて回す!」
サクナは歯車を弾きながら、まるでそれがすでに目の前にあるかのように語る。
「それを歯車につなげて、その回転で──
色々あるが、たとえば円柱状に切り出した砥石をぐるぐる回す! 刃物を押し当てれば、勝手に研がれる!」
ココロワの目が、ぱちっと開かれる。
「……それ、力をかけずに……刃を研ぐ装置……!?」
「そうじゃ! “自動で回る砥ぎ機”じゃ!!」
サクナの言葉に、ココロワの頭が一気に熱を帯びる。
ぱたんと筆を取ると、彼女は紙束の上に夢中で線を引き始めた。
羽根車。軸。歯車。蒸気の流路。
「蒸気を筒に閉じ込めて……圧力を逃がさず……回転に変えるには……」
呟く声がどんどん速くなる。
「熱された水が蒸気に変わって……羽根車を回し……排気を管に流して……冷やして戻す!
再利用できる! 無駄がない! 効率がいい! 圧力の制御さえできれば……」
興奮で声が重なる。
ココロワの瞳はもう、完全に“発明の目”に切り替わっていた。
その速度と情熱に、サクナが思わず目を見張る。
「ふひっ……サクナさん、それ、たぶん可能です!
密閉と排気さえうまくいけば、回転の維持、できると思います!!」
「流石発明神ココロワじゃ!一を話せば十を生む。
その頭の回転の速さには感服するわい」
サクナがガッツポーズで跳ね上がる。
「しかもその技術、様々なことに応用可能です!無限の可能性を持ってます!」
静かに笑ったココロワの手元では、すでに図面の第一草案が描かれはじめていた。
「待て待て、羽車式はまだ早い!部品の加工が追いつかん…まずはこっちじゃ!」
サクナは近くの木箱を引き寄せて、筒状の器に見立てると、丸めた布を中に押し込んだ。
「“往復機(ピストン)”の出番じゃ!こうして密閉した筒に蒸気を送り込む。すると中の“押し板”が、蒸気の圧力でぐいっと押し出されるじゃろ?」
ごとり、と木箱が前へ動く。
「これが“往復運動”──押して引いてを繰り返す。
それを歯車や軸をずらした柄(クランク)につなげれば、回転運動に変えられるんじゃ!」
「でも……押されるのは分かりますけど、戻すのは……?
蒸気で“押す”だけでは、往復機は行きっぱなしでは?」
「鋭いな! よくぞ気づいた!」
サクナがにんまり笑い、手元の木の棒と紙筒を使って即席の模型を作り始めた。
指先でそれを押し動かすと、筒の横にあいた二つの穴の前を、交互にふさいだり開けたりした。
スライドバルブである。
「蒸気を送り込むだけじゃダメなんじゃ。
ちゃんと、入れるときと、抜くときを決めんと、動きが止まるんじゃ」
「……はい、でも……それ、どうやって……?」
サクナはにんまりと笑って、さっきの板を動かして見せる。
「この板で、穴の前をずらしながら、
押し板の棒と細い腕木(リンケージ)で繋げてやるんじゃ。
そうすると、動く“板の弁”が、中の押し板と息を合わせて動くんじゃ。
押し板が前へ進めばこれも動き、戻れば逆へ──自然と“蒸気の通り道”が切り替わる!」
「つまり……板の動きで、蒸気の通り道を操る……?」
「そうじゃ!
“動く板の弁(スライドバルブ)”が、中の押し板(ピストン)と息を合わせて動くんじゃ。
そのおかげで、押して・抜いて・押して・抜いて──がずっと続く!」
「ふひっ……なるほど……まるで、息を吐いて吸うように……」
ココロワは目を見開き、小さく息を呑む。
サクナは歯車の軸を指で弾いた。
「それを軸をずらした棒に繋げ、歯車につながれば──止まらぬ回転が手に入る!」
「すごい……これなら“蒸気を生かした動力”が……完全に成立します……!!」
ココロワは急ぎ、紙を引き寄せてピストンの断面図を描きはじめた。
図面の中で、筒の両端に設けられた“蒸気口”と“排気口”、そしてピストン棒が、次々と配置されていく。
「これ、今までの全てを過去にするほどの大発明ですよ!!!」
ココロワの声が震えるほど高まる。
その図面の上には、歯車と圧力と知恵が織りなす、まさに大革命の設計があった。
「わはははは! どうだすごいじゃろ!!」
サクナが両手を広げて天井を仰ぐ。
「凄いなどという次元ではありません!! 貴方は天才! 大天才です!!!」
ココロワも負けじと机をバンッと叩き、神速で線を引き足していく。
「……問題は、この複雑極まる機構をどうやって形にするか、じゃが……」
サクナが図面をじっと見つめ、唇を噛む。
静寂。
だが、次の瞬間──ふたりの視線が同時に交差した。
「「……まぁ、ヒラヌイ(様)ならなんとかするじゃろう(でしょう)」」
その場に風が吹いたような、決定的な空気。
二人とも、すでに確信していた。
あの鍛冶神ならば──
この“蒸気機関”、必ず形にできる。
ココロワが笑う。
サクナが笑う。
そしてふたりは図面を抱え、工房を飛び出した。
──世界が、回り始める。
神の手を離れ、蒸気の力で──確かに、確かに。