Fate/The White Fatalis 作:灯火011
それはまるで地獄だった。
ギルガメッシュが放つ宝具の余波が、周囲の全てを破壊していく。コンクリートの破片が礫のように飛び交い、へし折れた電柱が火花を散らす。
雁夜は、ただ桜の小さな体を抱きしめ、その身を盾にすることしかできなかった。
(……守れない)
脳裏に、絶望的な事実が突き刺さる。
桜を救うために、この戦いに身を投じた。その結果が、これだ。自分のサーヴァントと、敵のサーヴァントの戦いの余波で、桜を死なせてしまう。これ以上の皮肉があるか。これ以上の、無意味な死があるか。
雁夜は、顔を上げた。
降り注ぐ死の雨の中、バーサーカーは、ただ静かにそこに立っていた。表情一つ変えず、世界で最も豪奢な宝具の嵐を、まるで穏やかな夕立でもやり過ごすかのように、受け流している。もう、雁夜には分かっていた。
彼女に、命令は通じない。懇願も、届かない。
自分は、マスターなどではない。彼女は、サーヴァントなどではない。
自分は、ただの引き金。彼女は、ただの現象。
ならば、引くしかない。この引き金を。
たとえ、その弾丸が、敵だけでなく、自分自身と、この世界そのものを撃ち抜くのだとしても。
そして雁夜は、よろめきながら立ち上がった。
桜の体をそっと地面に寝かせ、一歩、前へ出る。
右手の甲に刻まれた聖痕が、彼の決意に応えるかのように、灼熱の輝きを放った。
「――――令呪を以て命ずる」
その声は、もう弱々しくはなかった。
全ての希望を捨て、全ての未来を諦め、ただ一つの結果だけを求める、極限の意志が込められていた。
「ほう……?雑種が何かしようというのか。無粋な事を」
ギルガメッシュが、初めて雁夜へと侮蔑の視線を向ける。
「バーサーカー!」
そして雁夜は叫んだ。
「宝具を解放し、我が敵を滅ぼせッ!!」
その瞬間、世界が、変わった。
宝具の金属音、破壊の轟音、ギルガメッシュの哄笑。その全てが、ぴたり、と止んだ。
まるで、絶対的な指揮者のタクトが振り下ろされ、無秩序なオーケストラが強制的に沈黙させられたかのように。
ギルガメッシュの背後に浮かんでいた無数の宝具が、その輝きを失い、まるで主君の威光を恐れる臣下のように、揺らめきながら空間の波紋へと消えていく。
「……雑種。貴様、何をした」
王の顔から、笑みが消えた。
■
バーサーカーが、ゆっくりと、天を仰いだ。
その瑠璃色の瞳から、これまでの空虚な光が消え失せる。代わりに宿ったのは、冷徹で、荘厳で、そして、あまりにも巨大な、原初の意志。
彼女の体から、内側から、凄まじい光が溢れ出した。
「バーサーカー……!?」
雁屋は思わずそう叫ぶ。少女という人の形をしていた「枷」が、砕け散っていく。
純白のドレスが光の粒子となって霧散し、その下から現れたのは、真珠のように輝く純白の鱗。
小さな手足が、大地を掴むための強靭な四肢へと、その姿を解き放っていく。
細い首は、天を衝くほどに長く、優雅に伸びていく。
背中からは、オーロラの光を砕いて編み上げたかのような、巨大な二対の翼が、音もなく広がった。その翼は、夜空の月を完全に覆い隠してしまう。
それは、変身などという悩まさしいものでは無く、「解放」そのものだった。
■
人の形は、完全に消え失せた。
そこに顕現したのは、神話ですら語り得ぬ、あまりにも神々しい、巨大な白亜の古龍。
頭頂部に戴く水晶のような角は、まるで王冠のようだった。
そして、その瞳。かつて瑠璃色だった瞳は、今や、世界の終焉を映したかのように、不気味な紅い光を湛えていた。
その真の姿が顕現した時、その「名」は、言葉ではなく、魂への直接的な揺さぶりとなって、その場にいた者たち、そして、この聖杯戦争に関わる全ての者たちの意識に、強制的に刻み込まれた。
―――ミラルーツ―――
祖なる龍。
白き災厄。
それは、英霊ではない。
神霊ですらない。
星が、世界が、自らを浄化し、その歴史をリセットするために生み出した、「天災」という現象そのものが、意志を持った姿だった。
「……あ……あ……」
雁夜は、その場に崩れ落ちた。自分の呼び出したものが、自分の理解を、人間の想像力を、遥かに超越した存在であったことを、今、ようやく悟った。
「……ん」
眠っていた桜が、その圧倒的な存在感に目を覚ます。その虚ろな瞳が、天を覆う巨大な龍の姿を、ただ、映していた。
そしてギルガメッシュは、生まれて初めて、「絶句」していた。その表情は、恐怖ではない。驚愕。いや、それすらも違う。
自らの価値観、自らの世界の定義、その全てが、目の前の存在によって、根底から覆されたことに対する、純粋な「認識不全」と言っても良い感情に支配されていた。
彼は、天の龍を見上げ、そして、自分の掌を見つめた。まるで、この世界が、本当に自分の知る世界なのかを、確かめるかのように。
そしてミラルーツの存在は、全ての「英霊」達にすらも影響を与えていた。
遠く、アインツベルン城で、セイバーが剣を握りしめたまま凍り付いていた。
港で、ライダーの戦車を引く神牛が、本能的な恐怖に嘶いた。
ホテルでは、ランサーが槍でもって、反射的にケイネスを守っていた。
各陣営の混乱を尻目に、ミラルーツが、動く。
天を衝くほどに長い首が、ゆっくりと下ろされ、その紅い瞳が、地上の小さな黄金の王を、完全に見下ろした。
そして、音のない咆哮を上げた。
空気が、空間が、ビリビリと震える。
それは、裁きの始まりを告げる、終焉のファンファーレだった。