Fate/The White Fatalis   作:灯火011

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最終話:白いドレスの少女

 第四次聖杯戦争が「終焉」という形で幕を閉じてから、一月が過ぎた。

 

 冬木市は、その中心部が巨大なクレーターと化したことで、原因不明の大規模災害地として外界から封鎖された。表向きには自衛隊が、しかし、その裏では魔術協会と聖堂教会が、生存者の救助と情報操作に奔走している。だが、失われたものはあまりに大きい。

 

 その惨状から遠く離れた、隣県の避難施設の一室。

 

 窓から差し込む穏やかな陽光の中で、三人の親子が、静かに時を過ごしていた。

 

 遠坂葵と、その娘である凛、そして――桜。

 

「……桜」

 

 凛が、妹の肩にそっと触れる。虚ろだった桜の瞳には、僅かながら光が戻っていた。あの間桐の家で彼女を苛んでいたはずの刻印蟲は、跡形もなく消え失せている。まるで、最初からそんなものは存在しなかったかのように。

 

 そして姉妹の母である葵は、まだ精神の均衡を完全には取り戻せていなかった。夫は行方知れず、街が壊滅する様を見せつけられたのだから、仕方のない事だろう。

 

 だが、失ったはずの次女が、そしてその冬木が消え去る大災害の中で長女も、2人揃って五体満足で腕の中にいる。その事実だけが、彼女の心を繋ぎとめる唯一の錨だった。

 

 何が起きたのか、誰も正確には理解していない。

 

 ただ、あの日。地獄のような炎と瓦礫の中で、意識を失っていた桜と雁夜を、一人の男ががれきの中から抱えて出てきたのだという。傷だらけだった男は、魔術協会の後処理部隊に桜と雁夜を引き渡すと、

 

「貴様らではどうにもならん。この娘と、その家族には……努、未来永劫、手を出すなかれ」

 

 とだけ告げ、どこかへ姿を消したらしい。

 

 

『雁夜おじさんは、助からなかった』

 

 桜は、そう聞かされていた。最後までその身で桜を守ろうとしてくれていた、あの姿が桜の脳裏に浮かぶ。

 

「……雁夜おじさん」

 

 そして桜は、この一か月の避難生活の間、自分の身に起きた変化にうすうす気がついていた。

 

 時折、彼女が悲しい気持ちになると、窓の外で、ほんの少しだけ、雨雲が厚くなる。彼女が、庭の花を「綺麗だ」と見つめると、萎れかけていたその花弁が、僅かに瑞々しさを取り戻す。

 

 それは、魔術ではない。もっと、根源的で、世界の法則に直接触れるような、小さな、小さな「奇跡」と言える力だった。

 

―――あの日、全てが終わった後、彼女の夢に、一度だけ、あの人が出てきた。

 

 純白のドレスを纏った、お人形さんのように綺麗な、名も知らない女の子。彼女は、桜に何も言わなかった。ただ、にっこりと、満足そうに微笑むと、桜の額に、そっと指で触れた。

 

 桜はその指先から、冷たくて、大きくて、そして、とても静かな何かが、自分の中に流れ込んでくるのを感じた。

 

『――面白かったわ、間桐雁夜。貴方は、私の観測史上、最も美しい人間だった』

 

 夢の中で、少女の声が響く。

 

『だから、これは置き土産。貴方が、命よりも大事にしていた玩具。これ以上、他の誰かにつまらなく壊されないように、少しだけ、私の理を上書きしておく』

 

 それは、善意ではない。慈悲でも、哀れみでもない。

 

『ああ、ついでに。この玩具の付属品も、壊れていては見栄えが悪いわね。そのままにしておいてあげる』

 

 最高の舞台を見せてくれた役者への、気まぐれで、傲慢なチップ。最高の芸術品に出会えた記念に、作者がそっと残していく、サインのようなもの。

 

 桜の救済とは、超越者にとって、ただそれだけの価値しか持たない、些事だった。

 

「桜、どうかしたの?」

 

 凛が、心配そうに妹の顔を覗き込む。桜は、姉に微笑み返すと、ふと、窓の外の青空を見上げた。どこまでも青く、美しい空。

 

 そして、ぽつりと、呟いた。

 

「……お空、きれい」

 

 そこまでは、歳相応の子供の言葉だった。だが、続く言葉に、凛は得体の知れない寒気を感じる。

 

「いつか、あのお空も、壊れちゃうのかな」

 

 その瞳は、空の美しさを見ていると同時に、その「脆さ」をも見ているようだった。世界が、どれほど精巧で、どれほど美しい「玩具」であるか。そして、それは、いつか必ず「壊れる」ものであるか。

 

「……お父様は、もういないのね」

 

 その声には、悲しみの色はなかった。ただ、事実を確認するような、静かな響きだけがあった。凛は、妹の変化に戸惑いながらも、その手を強く握った。

 

「大丈夫。これからは、私がお母様と、桜を守るから」

 

「……うん。ありがとう、お姉ちゃん」

 

 桜は、微笑んだ。

 

 その笑みは、かつての彼女が浮かべていた、どこか諦観の混じったものではない。純粋で、無垢な、美しい笑みだった。だが、その瞳の奥には、どんな感情も映っていなかった。

 

 

 あの最後の瞬間。

 

 世界が白く染まる直前、ミラルーツは、自らをこの世に呼び出し、最高の「面白さ」を見せてくれた道化――間桐雁夜に、敬意を表した。

 

 彼の、たった一つの願い。

 

「桜を救いたい」という、あまりに人間的で、あまりに脆く、そして、あまりに美しい願い。それを、気まぐれな神は、叶えてやることにしたのだ。

 

 ミラルーツは、消滅する直前、その力のほんの僅かな「欠片」を、桜の魂に植え付けた。

 

 それは、彼女を全ての呪いと苦痛から守る、絶対的な加護。

 

 桜を苛んでいた刻印蟲は、その「格」の違いの前に、存在を保てず消滅した。桜の心に巣食っていた闇もまた、その光に焼き払われた。

 

 そして、その「おまけ」として。桜が、心のどこかで繋がっていた、姉と母の存在もまた、ミラルーツの気まぐれな加護によって、あの終末の奔流から、うっかり守られてしまった。

ただ、それだけのことだった。

 

 結果、雁夜の願いは叶えられ、遠坂時臣は死に、間桐の蟲は駆除され、桜は救われた。

 

 彼女が、今後、間桐臓硯のような悪意に脅かされることは、二度とない。彼女が、人生に絶望することも、もう二度とないだろう。

 

 なぜなら、彼女の魂には、常に、あの白き龍がいるのだから。世界そのものである、あの観測者が。桜に、その親族に手を出そうものならば、かの祖龍はそれらを悪と断じ、存在の一片まで滅ぼすことだろう。

 

 故に彼女はもう人間ではない。姉の悲しみも、母の苦しみも、これから世界が復興していく様も、その全てを、どこか他人事のように、少しだけ「面白い」と感じながら、眺めていく。

 

 彼女はもう泣かない。ただ静かに全てを観察する。

 

 あの蟲蔵から救われた少女の瞳は、かの祖龍と同じように美しく。

 

 ―――そして空虚な、瑠璃色を湛えていた。

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