Fate/The White Fatalis   作:灯火011

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第二話:静かなる観測者

 蟲蔵の地獄から、一夜が明けた。

 

 雁夜が拠点として用意したのは、冬木市の中心部から少し離れた、古い雑居ビルの空き部屋だった。最低限の家具と、外部との情報を得るためのテレビが一台だけの質素な部屋。聖杯戦争を戦うマスターのアジトとしては、あまりに粗末で、そして静かすぎた。

 

 原因は、部屋の隅、窓際に佇む少女の存在にあった。

 

 彼女は食事も、睡眠も、一切を必要としなかった。召喚されてからこの方、雁夜が知る限り、彼女はただそこに「在る」だけだった。時折、ガラス玉のような瞳で雁夜を見つめる以外は、そのほとんどの時間を窓の外――行き交う車、歩く人々、ささやかな人間の営み――を眺めて過ごしていた。

 

「……君は、一体何なんだ」

 

 雁夜は、何度目になるか分からない問いを少女に投げかける。もちろん、答えはない。

 

「未だに真名も判らないまま、か」

 

 少女はゆっくりと振り返り、毎回小首を傾げるだけだ。

 

 その仕草は歳相応の子供のように無垢だが、瞳の奥に感情の色は一切浮かばない。

 

 バーサーカー特有の狂化のスキルが彼女から理性を奪っているのか。それとも、元より人間的な感情が存在しないのか。そのどちらもあり得るのだろうな、と雁夜は考えていた。

 

 雁夜は、昨夜の出来事を思い出す。令呪も使わずに、あの臓硯の蟲たちを沈黙させた威圧。そして、彼の体を蝕む地獄の苦痛を和らげた、奇跡のような力。

 

 おそらく、彼女は弱くはない。むしろ、その力の底は計り知れないのかもしれない。だが、一見すればただの少女のサーヴァントに、英雄たちとの殺し合いができるというのだろうか。

 

 沈黙に耐えかねた雁夜がテーブルの上のパンをちぎり、

 

「食べるか?」

 

 と差し出しても、彼女はただ不思議そうにそれを見つめるだけだった。人間という生物の「食事」という生態を、初めて見たかのように。

 

「どうしたもんか」

 

 埒が明かない。雁夜はリモコンを手に取り、テレビの電源を入れた。映し出されたのは、ありふれた昼の連続ドラマ。愛憎の果てに罵り合う男女の姿が、液晶画面の中で繰り広げられる。

 

 すると、今まで街の風景を眺めていただけの少女が、初めて明確な興味を示した。

 

 食い入るように画面を見つめ、人間の剥き出しの感情――嫉妬、怒り、悲しみ――が、テレビの中でぶつけられるたびに、その瑠璃色の瞳を微かに細める。

 

「……面白いか? こんなものが」

 

 その無垢な横顔に、雁夜は言いようのない戸惑いを覚えた。このサーヴァントは、戦いよりも、人間の醜い感情の機微の方に興味があるというのだろうか。

 

その時、窓ガラスをカリ、と引っ掻く音がした。見れば、臓硯の使い魔である翅蟲が、不気味に足を動かしている。

 

『――いつまでままごと遊びを続ける気じゃ、雁夜。他の駒は、とうに盤上で動き始めておるぞ』

 

 老人の嘲るような声が、直接脳内に響く。

 

『今宵あたり、最初の脱落者が出るやもしれんのぅ。お主が、そうならんよう祈っておるぞ。ほっほっほ…』

 

 蟲は嘲笑を残して飛び去っていく。

 

「くそジジイ……!」

 

 雁夜は拳を握りしめた。焦燥感が胸を焼く。そうだ、遊んでいる時間はない。桜のため、一刻も早く戦果を上げねばならないのだ。

 

 彼はテレビを消し、静かに佇む己のサーヴァントに向き直った。

 

「……行くぞ、バーサーカー。戦争の時間だ」

 

 少女は、何も答えなかった。ただ、ふいとテレビの消えた画面から雁夜へと視線を移し、静かに立ち上がった。

 

 

 夜の冬木港、コンテナが並ぶ倉庫街。潮風に、鉄と魔力が混じり合った匂いがする。

 

 雁夜は、バーサーカーを伴い、クレーンの影から戦場を見下ろしていた。

 

 眼下では、二騎のサーヴァントが激突していた。

 

 一方は、見えざる剣を振るい、騎士の甲冑を纏った金髪の剣士――セイバー。

 

 もう一方は、二本の魔槍を携え、俊敏に立ち回る緑衣の騎士――ランサー。

 

 鋼と鋼がぶつかり合う轟音、魔力がほとばしる閃光が、夜の闇を切り裂く。

 

「……これが、聖杯戦争。これが、英雄たちの戦いか」

 

 そのあまりの速度と威力に、雁夜は息を呑んだ。魔術師として三流の自分では、一撃たりとも受けきれない。隣にいる、この小さな少女の英霊で、本当にあの怪物たちと渡り合えるというのだろうか。

 

 不安げに隣のバーサーカーを見る。

 

 しかし、彼女は、目の前の死闘を前にして、恐れるでもなく、気圧されるでもなかった。クレーンの縁にちょこんと腰掛け、まるで特等席から舞台を鑑賞するように、静かに戦場を見つめている。

 

 ランサーの魔槍がセイバーの左腕を傷つけ、その腕の腱は宝具の呪いによって断たれるその瞬間だった。

 

 今、この場には様々なものが渦巻いている。セイバーのマスター、衛宮切嗣の非情な策。ランサーのマスター、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの傲慢な怒り。主君への忠義と騎士の誇りの間で揺れるランサーの葛藤。そして、己の願いのために、傷つきながらも決して屈しないセイバーの覚悟。

 

 戦場で爆発する、人間の、英雄たちの、剥き出しの感情。少女の視線は、槍や剣の応酬ではない、その感情の渦そのものに向けられているようだった。

 

 彼女の瞳は、楽しんでいるようにも、悲しんでいるようにも見えない。ただ、純粋な好奇心の色だけが浮かんでいる。未知の生態を観察する研究者のように、全ての事象をその瑠璃色の瞳に焼き付けている。

 

……面白い

 

 ふと、雁夜の耳に、鈴の鳴るような声が届いた。はっとして隣を見る。だが、少女は唇を動かしてはいない。空耳だったか、と雁夜が再び戦場に目を戻した、その時。

 

 クレーンの上で、少女が小さく足を揺らした。

 

 その仕草は、退屈な授業を終え、待ちに待った娯楽を前にした子供のようにも見えた。

 

 雁夜は、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。

 

 自分の呼び出したこの存在は、聖杯を巡る殺し合いを、この戦争を、人間の必死の願いを、ただの「面白い見世物」として眺めているのではないか。

 

「お前、本当に何者なんだ……?」

 

 その底知れない本質を前に、雁夜は、サーヴァント同士の戦いとは全く別の次元にある、新たな畏怖を抱くのだった。

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