Fate/The White Fatalis   作:灯火011

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第三話:理不尽なる蹂躙

 アジトに戻ってからも、雁夜の頭にはセイバーとランサーの戦いが焼き付いて離れなかった。

 

「あれが英霊…あれがサーヴァント。人の身では到底及ばない、神話の戦いだった」

 

 それに引き換え、自分のサーヴァントは、テレビドラマを眺め、街を歩く人々を観察するばかり。その力の片鱗は感じさせるものの、彼女に「戦う意志」はあるのだろうか。あるいは、戦いという概念すら、彼女にとっては数ある「面白い見世物」の一つに過ぎないのではないか。

 

 焦りが、雁夜の心を黒く塗りつぶしていく。

 

 刻印蟲の痛みは、少女がそばにいる間は奇跡のように和らいでいる。だが、その代わりに、精神的な苦痛はじわじわと彼の思考を蝕んでいた。

 

『――まだ動かんのか、雁夜』

 

 背後の闇から、声がした。いつの間にか、部屋の隅に一体の翅蟲がとまっていた。臓硯だ。

 

『他のマスターは、互いの力量を探り合い、次の一手を模索しておる。言峰綺礼という男は、お主が呼び出したその『玩具』の正体を探るべく、既にアサシンを放ったやもしれんぞ。お主だけじゃ、蚊帳の外なのは』

 

「……分かっている」

 

『分かっておるなら、なぜ動かん。桜は待ってはおらんぞ。あの子が完全に『間桐の魔術』に染まりきる前に、聖杯を手に入れねばならぬのであろう?』

 

 桜、という言葉が、鈍器のように雁夜の胸を打つ。

 

 ―――そうだ。感傷に浸っている暇はない。どんな手段を使おうと、どんな犠牲を払おうと、勝ち残らねばならないのだ。

 

 雁夜は、震える手で冬木市の地図を広げた。

 

 セイバー、ランサー、アーチャー。強力な騎士クラスは、まだ情報が少なすぎる。ライダーやキャスターは、その行動から居場所が掴みやすいが、それ故に罠である可能性も高い。

 

 ならば、狙うべきは――。

 

「……アサシンだ」

 

 諜報に特化した暗殺者。その特性上、単独での戦闘能力は他のサーヴァントに劣るはず。まずは、この姿を見せない敵を叩き、聖杯戦争のイニシアチブを握る。それが、魔術師として未熟な自分が取れる、最善の一手のはずだった。

 

「……行くぞ、バーサーカー」

 

 雁夜の決意に満ちた声に、部屋の隅で本をめくっていた――とはいえ文字を読んでいるわけではなく、ただインクの染みと紙の質感を見ているようだった――少女が、静かに顔を上げた。

 

 

 夜の冬木新都。再開発から取り残された古い雑居ビル群は、闇を深く吸い込み、まるで巨大な墓石のように立ち並んでいた。

 

「読み通りなら、おそらく……」

 

 彼のジャーナリストとしての経験が、アサシンの気配をこの一帯から感じ取っていた。人払いの魔術、入り組む裏路地は、おそらく、いずれかのマスターを監視するための拠点としては最適だ。

 

 答え合わせをするように、雁夜は、バーサーカーを伴い、人気のない路地裏へと足を踏み入れた。

 

 息を潜め、壁に身を寄せる。角を曲がった先、ゴミ捨て場の影に、一つの人影があった。酒瓶を片手にうずくまる、初老の男だ。酔っ払いだろうか。

 

 いや、違う。その男の目が、闇の中で爛々と輝き、常人ならざる殺気を放っている。

 

 アサシンだ。

 

 次の瞬間、背後から、横から、そしてビルの屋上から、次々と人の気配が現れた。

 

 買い物帰りの主婦。道に迷ったかのような旅行者の女。ボールを抱えた少年。その誰もが、表情を能面のように固まらせ、その手を懐やカバンの中へと滑り込ませる。

 

「……全部、アサシンか」

 

 雁夜は、事前に調べたサーヴァントの情報を思い出し、歯噛みした。一体のサーヴァントが、多数の個体として分裂する宝具。囲まれた。完全に、誘い込まれたのだ。

 

「間桐雁夜、お下がりください」

 

 分裂したアサシンの一体が、冷たい声で告げる。その手には、黒い短剣(ダガー)が握られていた。

 

「我らの標的は、貴方の命にあらず。そのサーヴァントの命のみ」

 

 一見すれば絶体絶命の状況だった。だが、雁夜は不思議な落ち着きでもって、アサシンたちを見つめていた。なぜならば、彼の隣に立つ少女は、無数の殺意に囲まれても、全く動じる様子がなかった。

 

 むしろ、様々な「貌」を持つ存在を前にして、その瑠璃色の瞳に、これまで見せたことのない種類の好奇心を浮かべていた。まるで、万華鏡でも覗き込んでいるかのように。

 

「お命、頂戴する」

 

 アサシンたちが一斉に跳躍する。四方八方から、死の刃が迫る。もはや、躊躇している暇はなかった。

 

「バーサーカー!敵を排除しろ!」

 

 雁夜はそう叫ぶも、少女はただ首を傾げるばかりだ。命令を全く理解していないどころか、闘争心の欠片も無いように、雁夜には見えていた。

 

「……くそっ。なら、令呪をもって命ずる!」

 

 雁夜は右手の甲を掲げ、叫んだ。聖痕が、灼熱の痛みを伴って一画、輝きを失う。

 

「バーサーカー! 敵を、敵を排除しろッ!!」

 

 その言葉が、引き金だった。

 

 少女が、静かに右手を持ち上げる。白魚のような、小さな手。そして、最も近くにいたアサシンの一人――初老の男の姿をした個体――へと、その手をかざした。

 

 その瞬間、理解しがたい『何か』が、起きた。

 

 轟音も、閃光もない。

 

 ただ、男の姿が、ぐにゃり、と歪んだ。まるで、水面に映った絵が乱れるように。

 

「ぎ……?」

 

 悲鳴すら、音にならなかった。

 

 次の瞬間、アサシンの体は、空間ごと捻じ切れるようにして、消滅する。血も、肉片も、悲鳴の残響すら残らない。ただ、そこにいたはずの存在が、何の痕跡もなく「いなくなった」という、絶対的な事実だけが、その場にいた者たちの脳髄を焼いた。

 

「な……!?」

 

 他のアサシンたちの動きが、ぴたり、と止まる。恐怖が、彼らの暗殺者としての経験則を麻痺させた。

 

 ―――これは魔術ではない。宝具でもない。もっと根源的な、世界の法則そのものを書き換えるような、理不尽なまでの「理の改竄」。

 

「退け!撤退だ!この情報は綺礼様に……!」

 

 アサシンの一人が叫び、散開しようとする。

 

 だが、少女は逃がさなかった。彼女は追撃すらせず、ただ、逃げようとするアサシンの一人、また一人へと、無作為に視線を向ける。指をさすかのように。

 

 ――消えた。

 

 ――また、消えた。

 

 路地裏で、屋上で、影の中で。アサシンの個体が、次々と「エラー」を起こしたプログラムのように、世界から削除されていく。それはもはや戦闘ではなく、一方的な駆除。あるいは、気に入らない絵を消しゴムで消していくような、無邪気で無慈悲な作業だった。

 

 辛うじて数体が逃げ延びた後、路地裏には静寂が戻った。

 

 少女は何事もなかったかのように、かざした手を下ろし、雁夜を振り返る。その瞳は、難しいパズルを解き終えた後のような、微かな満足感を宿しているようにも見えた。

 

 雁夜は、その場にへたり込んだ。

 

 正直にいって、彼の心に安堵はない。手に入れた力の確証も、勝利の喜びもない。ただ、自分の呼び出した存在の、そのあまりの非人間性に、根源的な恐怖が背筋を駆け上っていた。

 

 桜を救うための「力」を手に入れたはずだった。

 

 だが、これは本当に、そのための力なのだろうか。

 

「俺は、一体、何を、この世に呼び出してしまったんだ……?」

 

 新たな恐怖と小さな絶望が、雁夜の心を静かに侵食し始めていた。

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