Fate/The White Fatalis   作:灯火011

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第六話:海魔と「天災」

 冬木市に、不気味な濃霧が立ち込め始めたのは、王たちの饗宴から数日後のことだった。

 

 子供たちが消える、という噂が、人々の間で囁かれ始める。聖杯戦争の裏で、明らかにルールを逸脱した「狩り」が行われている。その犯人が第七のサーヴァント、キャスターであることは、ほとんどのマスターが察知していた。

 

 そして、その狂気は、ついに隠しきれないほどの巨大な悪意となって、市の中心を流れる未遠川に顕現した。

 

「―――あれは、なんだ……」

 

 アジトの窓から川面を眺めていた雁夜は、絶句した。

 

 川の水が、異常な渦を巻き、盛り上がっている。その中心から、無数の触手を持つ、巨大で、おぞましい肉塊が姿を現したのだ。クトゥルフ神話に登場する邪神を彷彿とさせる、巨大な海魔。

 

 その頂点には、恍惚の表情で両腕を広げるキャスター、ジル・ド・レェの姿があった。

 

「おお、ジャンヌ! ご覧ください! この冒涜の祭壇こそ、神の怠慢を糾す我らの聖戦なのですぞォォ!」

 

 狂人の叫びが、街に響き渡る。もはや、これはマスター同士の殺し合いではない。冬木市そのものを贄に捧げようとする、大規模な破壊行為だ。他の陣営も、即座に動き始めていた。

 上空では、ギルガメッシュが宝具で海魔の触手を迎撃し、更にライダーの神威の車輪による電撃がギルガメッシュが打ち漏らした海魔の触手を食い止めている。川岸にはセイバーが魔力で編んだバイクを駆り、ランサーと共に海魔本体への突撃路を探っていた。

 

 雁夜はといえば、今は動けなかった。

 

 これは、自分の戦いではない。自分の目的は、あくまで遠坂時臣。この騒動に乗じて、手薄になったであろう遠坂邸を攻めるべきか。いや、しかし――。雁夜の葛藤を嘲笑うかのように、使い魔の蟲が耳元で羽音を立てる。

 

『何を呆けておる、雁夜。あの化け物を放置すれば、聖杯戦争そのものが頓挫するやもしれんぞ。お主の願いも、桜の救済も、全てが水泡に帰すのじゃ。行け。それに良い機会じゃ。お主のサーヴァントの力を、他の者たちに見せつけてやれ』

 

 臓硯の命令は、冷酷で、そして正しかった。不本意ながらも、雁夜は海魔を迎え撃つために腰を上げ、隣に立つ少女に視線を送った。

 

 彼女は、窓の外の惨状を、静かに眺めていた。

 

 だが、その関心は巨大な海魔にではない。狂喜するキャスター、恐怖に泣き叫び逃げ惑う人々、そして、絶望的な状況に立ち向かおうとするセイバーたちの、その「人間」の姿に向けられているように見えた。様々な感情が入り乱れる戦場は、彼女にとって、またとない観察の舞台だった。

 

 

 未遠川の戦いは、熾烈を極めていた。セイバーの剣も、ランサーの槍も、ライダーの軍勢も、確かに海魔にダメージを与えている。しかし、その肉体は瞬時に再生し、まるで尽きることのない悪意の奔流のように、その巨体を維持し続けていた。

 

「ラチがあかん!」

 

 イスカンダルが思わずそう叫ぶ。それはほかのサーヴァント達も同じようで、どこか苦い表情を浮かべていた。このままでは、ジリ貧であることは間違いなかった。

 

 そして雁夜は、川岸から少し離れたビルの屋上にいた。

 

 眼下で繰り広げられる、英雄たちの奮闘と、それに反比例するように増していく市民の絶望。そして、その光景を、やはり何の感情も見せずにただ「見て」いるだけの、己のサーヴァント。

 

「……バーサーカー」

 

 雁夜は、絞り出すように言った。

 

「……あいつを、あの化け物を、なんとかしろ」

 

 それは、令呪を使わない、マスターとしての命令だった。少女は、ゆっくりと雁夜に視線を向けた。そして彼の命令に対して、僅かに不満そうな色を瞳に浮かべた。まるで、

 

『せっかく面白い見世物が始まったのに、終わらせてしまうのか?』

 

 とでも言いたげに。

 

 だが、彼女は逆らわない。マスターのこの命令は、この「ゲーム」における、このゲームを維持させるためのルールの一つだと認識しているようだった。

 

『あの海魔とサーヴァントを倒さなければ、そも、この面白い『盤』が無くなる』

 

 それを理解しているであろう少女は、再び川へと視線を戻すと、おもむろに空を仰いだ。その仕草に、雁夜は既視感を覚えた。アサシンを「消滅」させた、あの時と似ている。

 

「……バーサーカー?何を……」

 

 そして次の瞬間、世界から、音が消えた。

 

 いや、実際に消えたわけではない。だが、戦場の喧騒、人々の悲鳴、英雄たちの雄叫び、その全てが意識から遠のくほどの、圧倒的な「何か」の予感が、その場にいた全ての者の肌を粟立たせた。

 

 天が、赤く光った。

 

 冬の夜空を覆っていた厚い雲が、内側から発光するように真紅に染まる。そして、一条の、巨大すぎる紅い雷が、天から地へと突き刺さった。

 

 その標的は、巨大海魔の、ど真ん中。

 

 轟音は、なかった。ただ、閃光が全てを白く染め上げ、一瞬遅れて、空気を引き裂く衝撃波が周囲のビルの窓ガラスを粉々に砕いた。

 

 光が収まった時、そこにいた誰もが、我が目を疑った。

 

 巨大海魔の上半身が、綺麗に、消え失せていた。

 

 焼かれたのでも、吹き飛ばされたのでもない。まるで、神が消しゴムで念入りに消したかのように、その存在が完璧に「削除」されていた。残された下半身の断面は、不気味なほどに滑らかだった。

 

「……な……」

 

 ウェイバーは、言葉を失った。

 

「なんだ、今の魔術は…いや、魔術……じゃ……ない!? 自然現象…?あのバーサーカー、天災そのものを、宝具として行使したっていうのか!?」

 

 離れた場所で戦況を見守っていたケイネスは、学者としての恐怖と興奮に打ち震えていた。

 

「素晴らしい……まさか、この東極の島国の聖杯戦争で、根源にも届くであろう現象を見る事が出来るとは……!」

 

 そして、セイバーは、息を呑んだ。彼女の宝具『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』は、人々の願いを集めて放つ、希望の光。

 

 だが、今のは違う。

 

 そこには、願いも、希望も、意志すらも介在しない。ただ、絶対的な力による、無慈悲で、冷徹で、あまりにも理不尽な「破壊」だけがあった。

 

 そして、宝具の上で上空からそれらを見下していたギルガメッシュが、声を上げて哄笑した。

 

「ハハハハ!ついに正体を見せたな化け物め!それが貴様の力の片鱗か!神罰!天災!それを玩具のように振るうか!良い、良いぞ!それこそ、我を愉しませるに足る光景だ!」

 

 

 ビルの屋上で、雁夜はへなへなと座り込んだ。

 

 彼は、ただ、「なんとかしろ」としか言っていない。

 

 自分のサーヴァントが、天災そのものを呼び寄せ、街の一部を巻き添えにしながら、敵を「削除」するなどとは、想像だにしていなかった。

 

 隣で、少女は、何事もなかったかのように、自分の小さな手を見つめていた。まるで、新しい遊びを一つ覚えた、と言わんばかりに。

 

 その姿に、雁夜は、もはや恐怖を通り越して、諦観に近い感情を抱き始めていた。

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