Fate/The White Fatalis 作:灯火011
未遠川の戦いは、キャスターこそ討ち取られたが、後味の悪い形で幕を閉じる形となっていた。
というのも、バーサーカーが放った「天災」は、聖杯戦争のパワーバランスを根底から覆し、各陣営に深い衝撃と、それ以上の戦慄を刻み込んでいたからだ。
ライダー陣営が拠点とする民家では、ウェイバー・ベルベットが小刻みに震えていた。
「見たかい、ライダー! アレはダメだ! 魔術じゃない、宝具ですらない! 星の、いや、世界の怒りそのものみたいだった! あんなのと、どうやって戦うんだよ!」
対照的に、征服王イスカンダルは、豪快にワインを呷りながら不敵に笑う。
「フハハハ! だからこそ面白いではないか、坊主! 神の雷か龍の息吹か知らんがな、我が『王の軍勢』は、神域にすら挑む無双の軍勢よ! 相手が強大であればあるほど、蹂躙した後の酒は美味い!」
ウェイバーはその楽観主義に頭を抱えるが、王の瞳の奥に、かつてないほど強い闘志が燃えていることには気づいていなかった。
一方、ホテルの一室では、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが、興奮した様子で魔術理論を書き殴っていた。
「素晴らしい、実に素晴らしい! あの現象を数式に落とし込めれば、根源への道すら開けるやもしれん! ランサーよ、次こそはバーサーカーと接触し、必ずやその力のサンプルを…」
「ケイネス様。アレは、我ら英霊が振るう武技とは、理が異なります。次、対峙すれば、この身がどうなるか…」
ランサーの冷静な進言も、己の学術的探求心に燃えるマスターには届いていなかった。
そして、アインツベルン城の地下工房。衛宮切嗣は、モニターに映し出された、複数の情報源から解析した「紅い雷」のデータを、冷徹な目で見つめていた。
「……脅威度判定、アーチャーを上回り、最優先排除対象とする」
その呟きに、傍らにいたセイバーが反論する。
「待ってください、切嗣。確かに、あの力は異常です。しかし、そこには何の意志も感じられなかった。ただ、マスターの命令に従い、敵を排除しただけに思えるのです。挑むのではなく、相手のマスターと対話を行うなどの、戦略の変更の余地はあるはずです」
「対話?」
切嗣は、初めてセイバーを嘲笑した。
「意志がないからこそ危険だ。あのサーヴァントは、善悪も、状況も、被害の規模すらも判断しない。マスターの命令一下で、街ごと消し飛ばしかねない『天災発生装置』だ。あんなものが、万能の願望機を手にしてどうなるか、想像もしたくない」
「それは…! しかし、あのような絶大な力は、必ずや強い願いや信念に支えられているはず。そうでなければ、英霊として座に刻まれることなど…」
「それじゃあセイバー。もし、アレが英霊ですらない、何かだったとしたら?」
切嗣の冷たい言葉に、セイバーは息を呑んだ。自分たちの知る聖杯戦争のルール、その大前提すら、あのバーサーカーの前では意味をなさないのかもしれない。二人の間の溝は、決定的に深まっていた。
■
雁夜は、アジトの床に座り込んだまま、動けずにいた。未遠川での出来事が、何度も脳裏で再生される。自分の命令で、いくばくかの街並みが破壊され、多くの命が危険に晒された。桜を救うためなら、どんな罪も背負う覚悟だった。
「……なんだったんだ、あれは」
だが、あの光景は、彼の覚悟を、あまりにも矮小なものへと貶めていた。自分は、核兵器の発射ボタンを、ただ押してしまっただけなのではないか。
「……バーサーカー」
雁夜は、か細い声で少女に話しかけた。
「君は……君はこの聖杯戦争で何がしたいんだ? 聖杯が欲しいのか? それとも、ただ、戦いたいだけなのか?」
少女は、雁夜の問いには答えなかった。彼女は、部屋の隅に置かれていた、一つの箱に興味を惹かれていたようだった。それは、雁夜がいつか桜に渡そうと、密かに買っておいた絵本の詰め合わせだった。
少女は、その中から一冊の絵本を取り出すと、ソファに座り、ページをめくり始めた。その姿は、一見すると、ごく普通の子供のように見える。だが、雁夜は気づいてしまった。
―――絵本が、上下逆さまだ。
少女は文字を読んでいるわけでも、絵を見ているわけでもない。ただ、人間が「本を読む」という行為そのものを、その仕草を、正確にトレースしているだけなのだ。やがて、彼女は絵本に飽きたのか、今度は部屋の隅にある小さなキッチンへと向かった。
そして、火もついていないコンロの上に鍋を置き、中には何もないのに、おたまを手に取ってかき混ぜるような仕草を始めた。
「バーサーカー……?」
それは、彼女なりの「テーブルマナー」だった。彼女は、戦場で英雄たちの感情を観察するように、この部屋で、雁夜の、そしてテレビの向こうの人間たちの、ささやかな日常の営みをも観察し、それを自らにインプットし、模倣しているに過ぎない。
「食事」
「読書」
「料理」
その意味も、目的も、一切理解しないまま、ただ「そういうものだから」という理由だけで、その行動を完璧にコピーする。あまりに無邪気で、あまりに異質な光景に、雁夜は言いようのない恐怖を感じた。
自分は、このサーヴァントの「マスター」などではない。
自分は、動物園の飼育員だ。
「……いや、違うな」
自分は、この地球という惑星に初めて降り立った、知的な地球外生命体を案内する初めての人類なのだろうと、雁夜は思う。彼女にとって、聖杯戦争も、人間の日常も、全てが等価値の「観察対象」でしかないのだろう。
雁夜は、もはや彼女を「道具」として使うことを、諦めざるを得なかった。自分の手にあるのは、便利な兵器などではない。
人間の全てを、その善性も、悪性も、喜びも、悲しみも。
全てを吸収し、学習し、そしていつか、彼女自身の基準で「何かの答え」を出してしまうかもしれない、未知の観測者。
その途方もない事実に、雁夜は、聖杯戦争に敗北するのとはまた別の、静かで、底なしの絶望と恐怖を感じるのだった。