聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
愛する者に忘れられ、心を砕かれ、それでも彼は立ち上がる。
友の言葉に背を押され、黄金の聖衣は変容する――脈打ち、羽ばたき、神話をも裏切る「本物の翼」として。
次回――
「黄金の翼、絶望より羽ばたく」
翔子の瞳に映らぬとしても。
名を呼ばれぬとしても。
射手座の黄金聖闘士は、ただ翔子を守るために戦う!
(アイオロス視点)
神殿の前に立ち尽くしていた。つい先ほどまで、ここに翔子がいた。彼女は確かに俺を見た。俺の名を呼んだ。けれど、その声音には、何の温度も宿っていなかった。まるで、初めて会った相手に向けるように「はじめまして」と言われた。
胸の奥に突き刺さったその言葉は、今も抜けずに疼き続けている。
翔子…。いや、翔子なのか?あの瞳は、確かに彼女のものだった。けれど、そこに映っていたのは俺ではなかった。彼女の中で、俺はもう存在しないのかもしれない。
「翔子…エリス…。いったい、何が…俺は、君を助けに来たはずなのに…」
声が震える。俺が黄金聖闘士として、どれほどの修羅場を潜り抜けても、この感覚だけは耐えられなかった。愛する人を目の前にして、その心が届かない。否定される。忘れられる。それは、敵に傷を抉られるよりも痛かった。
その時だった。足音もなく、闇が揺れた。女の影が現れる。邪精霊、アテ。さきほど翔子を襲った存在だ。あの雑草のように伸びる根の気配は、記憶に新しい。だが、俺は剣を構えることができなかった。
「あらあら、英雄様のお出ましですか」
艶めいた声で、アテが笑う。その瞳は、人を値踏みするように冷たい。
「でも、残念。あなたの愛しいお姫様は、もうあちらへ行ってしまわれましたわ。あの方こそ、真の女神の器にふさわしい。あなたのような人間の男が、気安く触れていい存在ではございませんのよ」
胸が抉られる。言葉の一つ一つが、心臓に針を刺す。
翔子が器。真の女神の器。そう言われると、否定できない。確かに、彼女の中にはエリスがいる。あの薄紫の光。人のものではない輝き。俺はそれを目の当たりにしてしまった。
そして今の彼女は、俺を知らない顔で遠ざかっていった。
「嘘だ…嘘だろ…」
呟いても、現実は変わらない。願いは届かない。まるで神が、俺を試すかのように、残酷に道を閉ざしてくる。
その瞬間、アテの笑みが深まった。
「無視をしないでいただけますか、黄金聖闘士!」
足元から無数の根が噴き出した。光速で襲いかかる鞭の群れ。それを見ても、体は動かない。避けるべきなのに。反射でかわすべきなのに。俺はただ、呆然と突っ立っていた。
次の瞬間、鋭い衝撃が全身を貫いた。背中に重い痛みが走る。聖衣の上からでも分かる。血が流れている。
息が詰まる。視界が揺れる。それでも、俺は動かなかった。
「翔子……」
名前だけが、口から漏れる。だが返事はない。彼女はもう、神殿の奥へ消えた。振り返ってはくれない。俺は助けに来たはずなのに。俺の存在は、もう彼女の中にない。
アテの声が、耳の奥で響いた。
「どうなさったのかしら、英雄様?戦う気もない?それとも、愛しい人に忘れられて、心まで折れてしまったのですか?」
挑発だ。分かっている。だが、心は応えられない。絶望が、すべての反応を奪っていく。構える腕も、力も、声を張り上げる意志も。すべてを喪った男に、何が残るというのか。
俺は立っているだけだ。黄金聖闘士のはずなのに。英雄と呼ばれたはずなのに。翔子一人守れず、ただ絶望の淵に沈むだけの、哀れな人間に成り下がっていた。
それでも胸の奥で、かすかな声が囁く。「立て」と。だが、その声は誰のものか分からない。翔子の声か。仲間の声か。自分自身の残響か。
掴もうとしても、すぐに消える。
再び根が襲いかかる。痛みが増す。視界が赤く染まる。だが俺はまだ立っている。
翔子…。君はどこへ行ったんだ。なぜ俺を忘れた。俺は、まだ君を――
◆
痛みはもう感じない。ただ、心の奥に空洞が広がっている、何をしても埋まらなかった。翔子の瞳に俺が映っていなかった、その事実だけが、すべてを飲み込んでいく。
「私の根から逃れられるとでも?その心臓、今すぐえぐり出して差し上げますわ!」
アテの声が耳を打つ。次の瞬間、鋭く尖った根が、俺の胸を目がけて突き刺さった。終わりだと思った。抗う理由も、抗う意味も、もうなかった。
だが、甲高い音が響いた。黄金聖衣が、俺の心臓を守ったのだ。砕け散ることなく、輝きを放ちながら。
俺の意識は、その衝撃に無理やり引き戻される。
「聖衣が…俺を…?」
まるで意志を持つかのように、黄金聖衣が俺を立たせた。守ってくれた。俺が立ち上がることを望んでいる。いや、きっとそうなのだろう。黄金聖衣は、持ち主が諦めることを許さない。アテナの戦士であることを、投げ捨てることを許さない。
「フン、黄金聖衣は厄介ですわね。ですが、何度も繰り返せばいずれ…」
アテが新たに根を振り上げる。その瞬間、俺は動いていた。無意識だった。胸を貫こうとしたその根の先端を、片手で掴んでいた。焼けつくような痛みが手のひらを走るが、もう構わなかった。
「俺は…アテナの聖闘士だ…」
絞り出す声。けれど、胸の奥にはまだ迷いが残っていた。翔子の笑顔。翔子の「はじめまして」あの残酷な言葉が、心を切り裂く。俺は戦えるのか?立ち上がる資格があるのか?
「だけど…それだけじゃない。俺は、翔子のための戦士でもあるんだ」
言葉にした途端、胸の奥が震えた。翔子を忘れた彼女を見てなお、それでも翔子のために戦うのか、と自分に問う。答えはすぐには出ない。だが、足は勝手に前へ出る。聖衣が、いや、翔子との記憶が、俺を動かしている。
「聖闘士風情が何をほざく?愛だの恋だの、そんな甘い感傷で、この私に勝てるとでも?」
アテが嘲る。だが、その声も遠くに感じた。俺の中で、聖衣の光と、翔子の面影が重なっていく。忘れられても構わない。俺が覚えている限り、翔子はここにいる。
根を掴む手に力を込める。焼け付く感覚が腕を焦がしても離さない。俺はまだ立てる。黄金聖闘士である前に、一人の男として。
「翔子…。俺は…まだ君を守りたい」
声は震えていた。だが、迷いの奥で確かな火が灯り始めていた。
アテの瞳が細められる。「面白い。絶望しながらも立ち上がるか。だが、それこそが人間の愚かさ」
そうだろう。俺は愚かだ。何度も倒され、それでも翔子を追い続ける。ただそれだけの、どうしようもない愚か者だ。だが、その愚かさこそが、俺をまだ立たせている。
根がさらに締め付けてくる。息が詰まる。視界が狭まる。だが、離さない。絶対に。
聖衣が光を放つ。その光は俺の誇りを映していた。
「俺は…アテナの聖闘士。そして、翔子のための戦士だ」
声が震えを越えて、叫びに変わった。黄金聖闘士の誇りと、一人の男の想い。その二つを抱えて、俺は今、再び立ち上がる。
◆
アテの嘲笑が耳にこびりつく。俺を貶めるその声は、確かに胸を刺していた。翔子の瞳に俺が映っていなかった時と同じように、俺の存在が否定されていく。だが、そこで記憶の底から、懐かしい声が浮かび上がってきた。
『アイオロス、お前の欠点は頑固なことだ。頭が固い。だけど美点でもある。お前は自ら課した仕事は必ずやり遂げる責任感を持っている。まあ、なんだ。だから友達やってるところもある。……頼りにしてるってことだよ!』
あの、不器用な言葉。肩をすくめながら笑っていたアッシュの顔が脳裏に焼き付いて離れない。あの時は冗談半分で受け止めた。だが今になって、その言葉がずしりと重みを持って俺の胸を貫いてくる。
「アッシュ……」
唇が自然に動いた。彼の言葉は、凍り付いた心の奥で、確かに火を点けた。俺はまだ、投げ出してはいけない。仕事は終わっていない。翔子を、エリスを守ると決めたばかりだ。責任を果たさなければならない。
「そうだ、仕事はまだ終わっていない。俺は翔子を、エリスを、守って戦うと決めたばかりなんだよ。……だから、そこを通してくれ」
俺の中で小宇宙が膨れ上がっていく。心臓の鼓動と共に、黄金の光が全身を突き破るように溢れ出した。暗黒に覆われた「闇のエデン」が、その光に押し返されていくのを感じた。黄金聖闘士としての誇りと、翔子への想いが、確かに俺を立たせていた。
「なっ…!?この小宇宙は…さっきまでとは比べ物に…!」
アテの声が震える。あれほど傲慢だった彼女の口から恐怖の色が滲み出た。俺は静かに言い放つ。
「もう、わかっているはずだ。お前では俺に勝てない」
「ほざきなさい!この闇のエデンでは、我々邪精霊の力は何倍にも膨れ上がるのよ!」
「……それでも勝てない。どけよ」
俺の声は低く、冷たかった。怒りでも叫びでもない。ただ事実を突きつけただけの言葉だった。それが彼女には最も恐ろしいものに映ったのだろう。
アテの瞳が揺れる。だが従うはずもない。
「ひっ…!ですが、通しませんと言ったはずですわ!」
恐怖で喉を震わせながらも、彼女は無数の根を振り絞る。俺を貫かんとする漆黒の大雨。
「……どけぇっ!!!!」
叫びと共に、全身から怒りの小宇宙が迸った。黄金聖衣が共鳴し、天へ突き抜ける光の柱を生み出す。その瞬間、俺はもはや一人ではなかった。アッシュの言葉、翔子の笑顔、守るべきものが全て背中を押していた。
闇のエデンの空気が焼き尽くされる。アテの根が触れた途端、光に弾け飛んで消えていく。俺は一歩、また一歩と前へ進んだ。
アテの顔に浮かぶのは困惑と恐怖。「な…何なの、この小宇宙は…!?魂が…沸騰しかける…!?」
俺は答えない。答える必要などない。翔子を守る。それだけだ。
「アッシュ…。俺は約束を果たす。翔子…。俺は君を取り戻す」
声は震えていない。黄金の矢のように、まっすぐに放たれていた。
◆
拳を握った瞬間、全身を駆け抜ける衝撃があった。稲妻でも炎でもない。もっと原始的で、もっと純粋な力。天を駆ける伝説の賢者ケイローンが纏っていたとされる、神話の翼そのものが背に宿る感覚。俺の腕が、拳が、ただ振るわれるだけで周囲の大気を裂き、黄金の風が吹き荒れる。
「ケイロンズ・ライト・インパルス!」
叫んだ途端、視界が光で満ちた。轟音と共に全てが弾き飛ぶ。アテが放った無数の根は、もはや何の抵抗も示さず塵となり、光速の嵐に飲まれて消えた。彼女の体はそのまま神殿の壁に叩きつけられ、苦悶の声を上げる暇もなく意識を手放した。
だが、俺は勝利の感覚を覚えなかった。胸の中にあるのは、得体の知れないざわめきだけだった。力を振るったのは俺自身のはずだ。それでも、この小宇宙の奔流は、まるで俺を乗っ取ろうとするかのように膨れ上がり続けている。
壁際に崩れ落ちたアテが、かすかに目を開いた。彼女の視線が俺を捉える。いや、俺ではない。俺が纏う聖衣を見ていた。
「……聖衣が、変容している……?」
か細い声が漏れた。俺も気づいていた。聖衣はこれまでの射手座の姿ではなかった。背に広がる黄金の翼は、単なる装飾ではない。脈打ち、うねり、まるで生き物のように羽ばたこうとしていた。神話を象徴するだけの装具が、今は血肉を持ったかのように息づいている。
アテは震えながら続けた。
「あれは……射手座の聖衣ではない……本物の…………神々しささえ……」
その声はすぐに途切れた。俺は彼女を一瞥すらしない。もう俺にとって彼女は意味を持たない存在だ。翔子の姿が消えた神殿の奥へ進むこと、それだけが俺を動かしている。
足を一歩踏み出すたび、床石が軋む。黄金の風がまだ俺の背を押し続けていた。アテが再び目を見開いた。理解ではなく、本能で反応していた。
「……身体が……勝手に……道を……開けた……!?」
俺の進路を阻むことなく、彼女の身体が無意識に左右へ退いた。俺は何もしていない。ただ歩いただけだ。だがその圧力に、彼女の肉体も魂も抗えず、道を譲らざるを得なかった。
「この……私が……」
アテの震える声が背に届いた。彼女が俺に向けるのは憎悪でも敵意でもなく、純粋な恐怖。
「……魂が、沸騰しかけた……?」
俺自身も同じ感覚を抱いていた。小宇宙が俺の内から溢れ出すのではなく、外から押し寄せ、俺を超えて燃え上がろうとしている。友の言葉が心に火を灯したことは間違いない。だが、その火はもはや俺の制御を離れ、神話すら変えかねない業火へと変貌していた。
翔子……。
俺はその名を心の中で呼んだ。だが応えはない。翔子は神殿の奥へと姿を消した。あの瞳には俺が映っていなかった。俺を忘れ、俺を知らず、ただ淡々と歩み去っていった。
ならば、この翼は何だ。翔子を守るための力か。それとも、翔子を失った俺をさらに遠くへ突き落とすための呪いか。わからない。だが歩みは止まらなかった。
俺は進む。彼女を取り戻すために。
背に宿った新たな翼が、神話をも裏切る音を立てて羽ばたいた。
アッシュ「……アイオロスの聖衣が変わった。あれは射手座の聖衣がただ進化しただけじゃない。おそらく――エリスの血を浴びたことが原因だろうな」
「アテナの血を受けて輝くのが神聖衣だとすれば、あれは似て非なるもの。『聖なるもの』じゃない。もっと曖昧で、危うい力だ。……だが、翔子を取り戻すために戦う今の彼には、必要だったのかもしれない」
「翼は光をもたらすか、それとも墜落の兆しか――答えは、まだ先だな」
この物語の着地点は‥‥。
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十二宮編までで十分
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ハーデス編で終わらせて
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ΩやNDまで続けて欲しい
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エピソードGの世界線も欲しい
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黄金魂とか海皇再起も手を出そう
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もうつまらない。今すぐ完結