聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜   作:斉宮 柴野

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――文明の光が、兄弟の絆を焼く。
かつて神話を駆け抜けた黄金の獅子、今は渋谷の交差点で車に轢かれかける。
兄・アイオロス、弟・アイオリア。
二人の小宇宙がぶつかる場所、それはもはや聖域ではない――スクランブル交差点だ!

信号を無視して殴られ、カラオケでバズり、文明に敗北する英雄。
次回、『アイオロス、文明に沈む』

黄金聖闘士よ、スマホの充電は大丈夫か?


アイオロス、文明に沈む

(アイオリア視点)

 

日本。渋谷。

世界で一番「押しの強い交差点」と言われる場所に、俺は立っていた。

 

……いや、押しの強さは人じゃなくて信号機だ。

青になった瞬間、四方八方から人が一斉に流れ込んでくる。

しかも全員、妙に速い。

 

「(すごいな……ここが噂のスクランブル交差点ってやつか。これ、下手に立ち止まったら死ぬやつだ)」

 

人の波に巻き込まれそうになりながらも、何とか中央で体勢を保った。

聖域の闘技場で候補生の突進を受け止めたことはあるが、渋谷の群衆はそれ以上に手ごわい。

特にベビーカー。あれは戦車だ。

 

「(落ち着け、俺は黄金聖闘士だ。聖衣なしでも、一般人の波など……ぐっ、押され……うおお!?)」

 

すれ違いざまにぶつかったサラリーマンが「すみませーん」と言いながらコーヒーをこぼした。

その液体が見事に俺の胸に直撃。

……熱い。だが耐える。獅子の誇りがある。

 

「(ああ、なんて修行だ。兄さん……この国の人々は強い)」

 

そう、俺がここに来たのは修行ではない。

兄の痕跡を探すためだ。

シオン教皇からの極秘任務。

「日本に光の残響を感じる」との報告を受け、確認に来たのだ。

 

俺はその光を追って、朝から何十キロも歩き回った。

結果、得た情報は「渋谷は若者の街」という

……役に立たない。

 

「(兄さん……死んだなんて、信じられない。あの高貴な魂が、あんな形で終わるはずがない)」

 

そんなことを思いながら、俺は空を見上げた。

高層ビル。巨大スクリーン。人のざわめき。

そのすべてが、異世界のように感じられた。

 

そして――その瞬間だった。

 

信号の向こう側に、一組の親子がいた。

黒いジャケットの男が幼い少女を肩車し、その隣を笑顔の女性が歩いている。

男は穏やかな表情で、少女の手をそっと支えていた。

 

その姿を見た瞬間、俺の時間が止まった。

 

「(……あの背中。あの気配。あの小宇宙。まさか……兄さん!?)」

 

いや、そんなはずはない。兄・アイオロスは十数年前に死んだ。

 

だが――あの魂の輝きは、絶対に見間違えようがない。

 

涙が滲む。

胸が熱くなる。

頭では否定しても、心が叫んでいた。

 

「兄さん……兄さんなんだろ……!?俺だ、アイオリアだ!!」

 

俺は気づいたら走っていた。

信号?無視。

車?知らん。

周囲の人の悲鳴?聞こえない。

 

渋谷の真ん中で、黄金聖闘士が叫んだ。

 

「兄さーーーんっ!!!!」

 

 

 

(アイオロス視点)

 

交差点の向こうから、自分の名前を叫ぶ声が聞こえた。

それも、空気を震わせるような、とんでもなく通る声。

振り向いた瞬間、時が止まった。

 

あの金髪。あの瞳。あの勢いだけで世界を突っ走る性格。

 

「……アイオリア?」

 

嘘だと思った。

聖域を離れて、何年経つ。

もう二度と、弟と同じ地平に立つことはないと覚悟していた。

 

だが、いた。

渋谷のど真ん中、信号無視で車道を全力疾走してくる獅子座の黄金聖闘士が。

 

「……お前、何してんの?」

 

いや、そんなことより、赤信号!車!トラック!クラクション!

周りが完全に阿鼻叫喚だ。

 

俺は沙織を肩車から下ろし、翔子に預けた。

「翔子、沙織を頼む!」

 

「はい!パパ、気をつけて!」

 

全力で駆け出す。

そして、信号の真ん中で両腕を広げた弟の顔が見えた瞬間、

全ての思考が吹き飛んだ。

 

――感動よりも、反射が勝った。

 

ゴンッ!!!

 

見事な角度で拳骨が決まった。

俺の拳が、弟の頭頂部にきれいに沈んだ音が響いた。

 

「いっ……たぁ……!!!」

 

アイオリアが涙目でうずくまる。

その様子に周囲の人々が「あっ、兄弟ゲンカ?」「やば、ガチ勢じゃん」とざわつく。

 

俺は息を整え、深くため息をついた。

 

「馬鹿者!!信号が赤だっただろうが!何やってんだお前は!!」

 

「い、いやっ!兄さんが見えたからついっ……!」

 

「ついじゃない!車に轢かれたらどうする!周りを見ろ!人に迷惑だろうが!」

 

完全に父親モードで説教していた。

……だが、ふと気づく。

 

「(いや、待て。俺、聖域にいた時に交通ルールなんて教えたこと、一度もないぞ)」

 

そもそも聖域には信号がない。

道路もない。車もない。牛車すら怪しい。

弟は生まれてからずっと坂と階段と神殿の往復だった。

 

「(……そうか。こいつ、信号の意味を知らないんだな)」

 

一瞬、罪悪感が込み上げた。

 

「お前……もしかして、赤信号が何か知らないのか?」

 

「し、知ってるさ!赤は止まれだ!」

 

「青は渡れだろ?」

 

「そうだ・・・。」

 

 

アイオリアは本気で首をかしげていた。

周囲の通行人たちは「外国人かな?」「でも日本語うまいね」とひそひそ声。

ああ、もう穴があったら飛び込みたい。

 

「いいか、アイオリア。赤は止まれだ。青は進め。黄色は注意。簡単だろ?」

 

「ふむ……兄さん、なんでそんな簡単なことを?」

 

 

その後、交番に呼ばれた。

警察官に事情を聞かれたが、「兄弟の感動的な再会でした」で押し通した。

苦笑しながら言った。

 

「お兄さん、もう飛び出しはやめてくださいね。あと、渋谷の真ん中で殴るのも」

 

「すみません……弟が獅子座なもので」

 

「え?星座関係あります?」

 

「あります」

 

「……はい、わかりました」

 

完全に諦め顔でメモを取る警官。

弟はその横で神妙に頭を下げていた。

「すみません!次からは青信号で渡ります!」

 

帰り道、翔子と沙織が駆け寄ってきた。

 

「パパー!おじちゃん大丈夫!?」

 

「うむ、大丈夫だ。頭が少し痛いだけだ」

 

「そっか!おじちゃん、かっこいいね!」

 

アイオリアは照れながら沙織の頭を撫でた。

「ありがとう、小さな女神よ」

 

その言葉に俺は思わず肩をすくめた。

 

「おい、娘にナンパみたいな口きくな」

 

「な、ナンパじゃない!純粋な称賛だ!」

 

翔子がクスクス笑いながら呟く。

「パパ、アイオリアさんって、やっぱり血縁者だね。テンション同じ」

 

「やめろ翔子。お前まで辛辣になるな」

 

 

 

 

 

 

カフェのテーブルを挟んで、俺は改めて弟と向かい合っていた。

 

アイオリアはまだ頭をさすっている。

拳骨の痕が見事に残っている。うむ、兄の教育の成果だ。

 

「……というわけで、こちらが妻の翔子と、娘の沙織だ」

 

俺が紹介すると、翔子と沙織が同時にぺこりと頭を下げた。

 

「はじめまして!」

 

明るく笑う二人。

だが、弟の顔は固まった。

本当に固まった。黄金聖闘士の動体視力でも、これほど動かないことがあるのかというくらいに。

 

「つ、妻!?娘!?兄さん、俺が聖域で血の滲むような修行をしている間に、一体何をしていたんだ…!」

 

ああ、そのリアクションが見たかった。

完璧だ。

 

「まあ、色々あったんだ」

 

「色々で済ますな!」

 

「済ますさ。お前もそのうち分かる」

 

翔子が苦笑しながらフォローに入る。

「弟さん、すごく真面目なんですね。アイオロス君の話、全然信じてませんね」

 

「そりゃそうだろう。兄さんが結婚したなんて、冗談にしか聞こえない」

 

「おい、それどういう意味だ」

 

「だって兄さん、昔から聖闘士に女はいらんって言ってたじゃないか!」

 

う……。

痛いところを突いてくる。

翔子が隣で肩を震わせて笑っている。

 

「ねえパパ、聖闘士に女はいらんって言ってたの?」

 

「……若気の至りだ」

 

「ふーん。ママ怒るよ」

 

「今すぐ忘れろ沙織。あとでプリン買ってやる」

 

「やった!」

 

弟が小声でぼそっと呟いた。

「……兄さん、完全に尻に敷かれてるな」

 

「うるさい」

 

そのあと、コーヒーを飲みながら近況報告。

聖域の再建、パライストラの拡張、アッシュの近況、ムウの毛並みの話(あいつは相変わらずフワフワしてるらしい)。

そして、アイオリアが日本に来た理由をようやく聞けた。

 

「兄さんの痕跡があるとアッシュ師範にいわれたんだ。聖域に残っていた古い予言書にも太陽、東の地に沈むと書かれていて…もしかしてと思って」

 

「……東の地って、ここ日本か?」

 

「そうだ」

 

「なるほど。だが、よりによって渋谷に降り立つとはな」

 

「聖域の記録に光と音が交わる混沌の広場と書いてあった」

 

「それ、絶対スクランブル交差点のことじゃない」

 

翔子と沙織が笑っている。

弟は真剣だが、会話の半分が都市伝説みたいになっている。

 

しばらく談笑していると、翔子が「おかわりどうする?」と尋ねてきた。

俺は「ホットで」と答え、弟は「じゃあ、同じものを」と言った。

 

だがその瞬間。

翔子がニヤリと笑って、店員にオーダーした。

「アイスコーヒー、二つでお願いします」

 

届いた瞬間、弟が眉をひそめる。

 

「兄さん……これ、冷たい」

 

「うむ」

 

「飲めん!」

 

「日本ではな、氷のドリンクも礼儀だ」

 

「誰がそんなルールを!」

 

「俺が決めた」

 

「それルールじゃない!」

 

翔子が堪えきれずに吹き出した。

沙織もテーブルに突っ伏して笑っている。

いいぞ、娘。笑顔は正義だ。

 

さて、弟が落ち着いたところで、俺は心の中で密かに企んでいたことを実行に移す。

「(よし……こいつ、まだ日本の洗礼を受けていないな。ふふふ、弟よ。お前にも文化の衝撃という名の拳を喰らわせてやろう)」

 

「アイオリア、今日はまだ時間あるか?」

 

「え?特には」

 

「なら行くぞ。日本の真の試練だ」

 

「え、試練!?」

 

翔子が慌てて言った。

「ちょっと、アイオロス君、また変なこと考えてるでしょ」

 

「変じゃない。文化体験だ」

 

「あなたの文化体験って、たいていサバイバルなんだから」

 

「安心しろ翔子。今日は命の危険はない」

 

「今日はって言ったよね今!?」

 

だがもう止められない。

俺は弟の手を掴み、立ち上がった。

 

 

 

 

(アイオリア視点)

 

 

気づいたら腕を掴まれて、街中に連れ出されていた。

翔子さんは苦笑しながら「がんばってね」と送り出してくれた。

沙織ちゃんは「おじちゃん、気をつけてねー!」と元気に手を振っていた。

……たぶん一番気をつけるべきは兄さんだと思う。

 

最初に連れて来られたのは、ビルの脇に立つ自動販売機の前だった。

兄さんが胸を張って言う。

「さあ、見ろ!これが日本の文明の粋、自動販売機だ!ボタンを押すだけで飲み物が出てくる!」

 

……知ってる。俺だってインターネットぐらい使える。

 

「喉が渇いただろう、好きなものを買ってみろ。……ふふ、できるかな?」

 

兄さんが妙に自信満々だ。

これは、明らかに試されている。

いや、もはや挑発だ。

 

俺はポケットからスマートフォンを取り出し、Sui〇アプリを起動した。

「へえ、電子マネー対応なんですね。便利だな」

 

ピッ。ガコン。

 

缶が落ちる音が響く。

兄さんの笑顔が、凍りついた。

 

「(なっ……なぜだ!?俺は最初、硬貨の投入口すら見つけられなかったというのに……!)」

 

無言で俺の手元を見る兄さん。

俺は平然と缶コーヒーを取り出して、口に運んだ。

「ふむ……苦いけど、美味しい。これが大人の味ってやつか」

 

兄さんは目を見開いたまま、静かに自販機を睨んでいた。

「(おのれ……前回俺が10円玉を詰まらせて業者を呼んだ恥辱を、あっさり乗り越えるとは……)」

 

……兄さん、顔に出てるぞ。

 

次に向かったのは、コンビニだった。

兄さんは入口で腕を組み、講師のように言う。

「ここが日本の聖域、コンビニエンスストアだ。24時間開いていて、ありとあらゆるものが揃う」

 

中に入ると、冷気が心地いい。

兄さんが得意げに指さした。

「ここでは、公共料金の支払いも、チケットの予約もできる!これが日本の本当の小宇宙だ!」

 

「へえ、すごいですね。あ、兄さん。これ、セルフレジってやつですか?」

 

「せるふ……なに?」

 

「自分で会計するタイプです」

 

俺は買い物カゴを持ち、スキャンを始めた。

ピッ、ピッ、ピッ。

 

兄さんは硬直している。

俺はバーコードを読み取りながら言った。

「これ、すごく便利ですね。あ、袋いりますか?って聞いてくるの、AIですよね?」

 

「お、お前……どこでそんな知識を……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、今日は日本文化の真髄を味わってもらうぞ!」

昨日の自販機敗北事件がよほど悔しかったらしい。顔がやたらと真剣だ。

 

案の定、連れてこられたのはネオンが輝く雑居ビル。

看板には大きく『カラオケ』と書かれていた。

 

「カラオケ……?」

 

「そうだ。日本人が魂を燃やす場所だ。戦場で言えば闘技場、小宇宙を燃やす歌の聖域!」

 

兄さんがなぜか誇らしげに胸を張る。

(この人、間違った知識を堂々と語る癖があるんだよな…)

 

受付を済ませ、個室に入ると、兄さんはリモコンを取り上げて宣言した。

 

「さあ、アイオリア。お前の力を見せてみろ!これが日本の魂の歌だ!」

 

リモコンに入力された曲名を見て、俺は思わず目を丸くした。

 

『北の漁場』

 

「兄さん、これ……渋くない?」

 

「バカを言うな。これぞ日本人の心!北風と漁船の男気を学ぶのだ!」

 

「俺は漁師じゃないんだけど」

 

だが兄さんはもうマイクを渡してきた。

仕方ない、挑まれたからにはやるしかない。

 

イントロが流れる。

……重い。

……長い。

……なぜ漁船の映像が流れている。

 

俺は数秒で悟った。

(無理だ。これ、俺の小宇宙ではカバーできないジャンルだ)

 

「えっと……♪北の~……えーと、港に~……」

 

兄さんが隣で腕を組み、うなずいている。

「いいぞ!腹から声を出せ!」

 

(うるさい!)

 

どうにか一番を歌い終えた頃には、もう息切れしていた。

笑ってマイクを置き、冷静にリモコンを操作した。

 

「兄さん、ちょっと変えていい?」

 

「おお、やる気になったか!」

 

軽快に最新のヒットチャートを開き、人気アイドルグループの曲を選んだ。

リズムに合わせて、自然と体が動く。

 

「♪キラキラ光る星よりも~君の笑顔がまぶしい~♪」

 

……我ながら悪くない。

むしろ完璧だ。

 

兄さんがポカンと口を開けている。

ドアが開き、店員がドリンクを持ってきた瞬間、拍手が起きた。

「お客様、すごいですね!リズム感完璧ですよ!」

 

礼をして笑顔を返した。

「ありがとうございます。僕、歌うの好きなんです」

 

兄さんはその横で、完全に石化していた。

(兄さん、また固まってる…)

 

店を出ると、すぐに事件は起きた。

カラオケビルの前で、数人の女子高生たちがこちらを見てざわつき始めたのだ。

 

「ねえ、今の人、超イケメンじゃない?」

「さっきの歌声、聞いた?え、なにあれ俳優?」

 

彼女たちは一斉に近づいてきた。

兄さんが後ろで小声で「まさか俺か?」と呟いていたが、すぐ現実を知る。

 

女子高生Aが俺の腕を掴んだ。

「お兄さん、どこから来たの?この後ヒマ?」

 

兄さんの視線が背中に刺さる。

あ、絶対今、焼けるほどの小宇宙を感じる。

 

微笑んで答えた。

「僕はギリシャから来たんだ。少し日本に滞在してる。君たちが案内してくれるなら、この国の青春を学ばせてもらおうかな?」

 

「きゃーーーっ!!」

 

歓声が響く。

スマホのフラッシュが光る。

兄さんの眉間に、青筋が浮かぶ。

 

彼女たちはあっという間に俺のLINEを聞き出し、写真まで撮り始めた。

「明日、一緒にプリ撮ろ!」

「いやもう、外国人王子すぎる!」

 

兄さんは遠くの公園のベンチに座り込み、遠い目をしていた。

 

夜、家に帰る道すがら。

兄さんはずっと無言だった。

「兄さん、疲れました?」と聞いても返事はない。

 

ようやく口を開いたのは、駅前の信号でだった。

 

「……なあ、アイオリア。俺の時は、偵察任務だって言っただけで全員逃げたんだ」

 

「そりゃそうでしょ。兄さん、顔が真剣すぎるんですよ」

 

「……そうか」

 

兄さんはうなだれた。

なんか、ちょっとだけ可哀想になってきた。

 

「兄さん、元々顔が怖いだけで、モテるタイプですよ」

 

「フォローになってねえ!」

 

「いや、誉めてるんですって」

 

「……そうか」

 

 

 

 

 

 

 

兄さんは、明らかにおかしかった。

昼間のカラオケからずっと、どこか魂が抜けたような顔をしている。

家に帰る途中も、信号の前でも、コンビニのレジでも、ただ無言。

 

「兄さん、どうしたんだ?さっきから元気がないが……」

 

声をかけると、兄さんはベンチに腰を下ろし、うなだれたまま深いため息をついた。

「……俺の……俺の知っている可愛い弟はどこへ行ったんだ……」

 

「え?」

 

兄さんはゆっくりと顔を上げた。目の下にクマができている。

「もっとこう、都会の文明に戸惑って、『兄さんすごい!』って尊敬の眼差しで俺を見るはずだったんだ!それなのに、お前は自販機を使いこなし、カラオケで女子高生を魅了し、ニュースでバズり、しかも俺よりスマホ操作が速い!」

 

……ああ、なるほど。

そういうことか。

 

「兄さん、もしかして今の聖域を知らないのか?」

 

「なに?」

 

「アッシュ師範の改革で、もう聖域は全域に光ファイバーが通ってるんだ。

電子決済も一般化してるし、パライストラの娯楽室にはカラオケ機も入ってる。

今どき硬貨投入口が見つけられないなんて聖闘士、いないよ?」

 

「な、なんだとーーーーっ!?」

 

兄さんの叫びが、街中に響き渡った。

通行人が何人か振り向いたけど、誰も止められない。

 

「嘘だ……俺の頃は、通信手段といえば伝書鳩だったのに……」

 

兄さんはベンチに座り込み、膝を抱えた。

体育座りである。

黄金聖闘士の体育座りなんて、初めて見た。

 

「兄さん、そんなに落ち込まなくてもいいじゃないか」

 

「いや、無理だ。弟にQRコードって何?と聞いた数時間前の俺を返してくれ……。

俺は、文明という名の小宇宙に負けたんだ……」

 

なんか詩的なこと言い出した。

この人、時々中二病が再発する。

 

そこに翔子さんと沙織ちゃんがやってきた。

二人とも買い物帰りらしく、両手に袋を提げている。

 

「ただいま~……って、どうしたの二人とも?」

 

「兄さんが文明に敗北してる」

 

「文明に……?」

 

兄さんは顔を上げ、どこか遠くを見つめながら呟いた。

「……電子決済……光ファイバー……クラウド……聖域はもう俺の知らない場所になっていたんだ……」

 

翔子さんが吹き出した。

「ぷっ……あははは!何そのポエム!?アイオロス君、最高!」

 

沙織ちゃんも爆笑している。

「パパ、ちっちゃい!」

 

「ちっちゃいって言うなぁぁぁ!」

 

兄さんが叫んだ。

でももう遅い。翔子さんと沙織ちゃんは笑いすぎて立てなくなっていた。

俺もさすがに笑いをこらえきれなかった。

 

「兄さん、落ち着け。誰だって、時代の流れには勝てない」

 

「いや、俺は勝ちたかったんだ……。せめて弟の前では威厳を保ちたかった……!」

 

兄さんが天を仰いだ。

夕陽がちょうどその顔を照らしている。

その光景は、一見すると英雄の背中に見えなくもない。

……いや、見えないな。体育座りしてるし。

 

翔子さんが兄さんの隣に腰を下ろし、肩を軽く叩いた。

「大丈夫。あなたは十分立派よ。ねえ沙織?」

 

「うん、パパは昭和の香りがしてかっこいいよ!」

 

「おい、それ褒めてるのか!?」

 

「もちろん!だってパパ、スマホ持ってるだけでドキドキしてるし!」

 

兄さんの顔が真っ赤になる。

翔子さんはさらに笑って続けた。

「ふふ、アイオロス君ってほんと可愛いよね。

ねえアイオリア君、兄さん昔からあんな感じなの?」

 

「まあ……昔から少し抜けてましたね。

でも、弟思いで、正義感が強くて、優しい兄です」

 

兄さんが顔を上げる。

「お、お前……」

 

「ただ、文明には弱いです」

 

「ぐはぁぁっ!」

 

翔子さんと沙織ちゃんが再び笑い出す。

兄さんは膝を抱えて、完全に小宇宙が沈黙した。

 

そのあと、俺たちは公園のベンチで、しばらく夕陽を眺めた。

兄さんがポツリと呟いた。

「……なあ、アイオリア」

 

「うん?」

 

「俺、パソコンの電源ボタンどこか分からなかったんだ」

 

「……そうですか」

 

「あと、Excel開いたら、なんか数字が勝手に動いた」

 

「それ計算式っていうんですよ」

 

「恐ろしい……文明ってやつは……」

 

翔子さんが肩を震わせながら笑っている。

「もうっ、アイオロス君、本当に面白いんだから!」

 

兄さんは顔を真っ赤にして立ち上がった。

「もういい!俺は風呂入って寝る!」

 

翔子さんがニヤニヤしながら言った。

「ふふ、じゃああとで文明的に追いかけてあげる♡」

 

「文明的ってなんだぁぁぁぁ!!」

 

兄さんの叫びが夕暮れに溶けた。




アイオリア「兄さん、文明に敗北した気分は?」

アイオロス「……伝書鳩の方があたたかかった。」

翔子「いや、鳩に光ファイバーは通らないでしょ」

アイオリア「でも兄さん、弟思いなのは変わらない」

アイオロス「当たり前だ。弟が信号に飛び込んでも、俺が殴って止める」

沙織「それもう愛じゃなくて暴力だよ!」

翔子「いいの、あれが聖域流のスキンシップ」

十二宮編の最後は誰と誰の対決に?

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