聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜   作:斉宮 柴野

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――参謀長、長期視察に出発す。
残されたのは、ひとりの女と、ひとつの椅子。

その椅子に座った瞬間、歴史は動いた。
叫びが、祈りが、恋が――革命となる!

「愛のない聖域に意味はありませんのッ!」

炸裂する冥界波、燃え上がる白銀魂!
黄金聖闘士たちを巻き込み、
ついに聖域最大のストライキが始まる!!

次回――『聖域革命!アッシュ・ロス戦線』

その愛、もはや宗教。


聖域革命!アッシュ・ロス戦線

アッシュ参謀長が、長期視察へ旅立った。

出発ゲートで最後の確認を終えると、彼はいつもの穏やかな笑みを浮かべて言った。

 

「エレナ、留守を頼む。何かあったらサガに相談しろよ」

 

「はい、参謀長。お気をつけて」

 

完璧な微笑。完璧な姿勢。完璧な声のトーン。

職務上、彼女は常に冷静沈着でなければならない。

 

――だが、その「完璧」は、アッシュの姿が視界から消えるまでの話だ。

 

執務室に戻ると、エレナはドアを閉め、深呼吸した。

「……アッシュ様……行ってしまわれた……」

 

机の上には、整理された書類と、半分飲みかけのコーヒーカップ。

そして、ほんの少し残る香水と、体温の記憶。

 

彼女は無意識のうちに、アッシュの椅子に近づいた。

座面に指先をそっと滑らせ、ためらいがちに腰を下ろす。

 

「……ふふ……あぁ……この座り心地……」

 

彼女は椅子に深く沈み込み、両手で肘掛けを包む。

「アッシュ様の……腕の位置……っ」

 

5秒経過。

 

「アッシュ様……」

 

10秒経過。

 

「アッシュ様ぁ……アッシュ様ぁぁぁ……」

 

廊下を通りかかった雑兵が、ドアの隙間から覗いて悲鳴を上げた。

「ヒッ……! なんか執務室から呪詛みたいな声がするぅぅぅ!!!」

翌日、その雑兵は申請書に「勤務中に悪霊を見た」と書いて提出してくる羽目になった。

 

午後。

エレナは完全に参謀長ロス状態に突入していた。

 

報告書をチェックするはずが、気づけばメモ欄が「アッシュ様♡」で埋まっている。

会議室の出欠表の出席に〇を付けながら、心の中では「アッシュ様♡」と書いている。

 

しまいには自分の端末のパスワードまで「ASHlove001」に変えようとして、セキュリティシステムに止められた。

 

「……ふふ、セキュリティさん、意地悪ね」

 

そのセリフを聞いた隣席の事務官がガチで引いた。

 

「いけない……秘書官がこんなことで取り乱しては……!」

 

気を取り直したエレナは、スケジュールを再確認する。

(よし。午前は報告整理、午後は文書承認、夜は……夜は……)

 

夜の欄に、書かれていた文字を見て、エレナの目が光る。

 

参謀長宛・業務報告リモート送信(定時)

 

「リモート通信……っ!!!」

 

彼女は立ち上がり、目にも止まらぬ速さで髪を整え、スーツの皺を伸ばし、リップを塗り直した。

「ふふ……完璧。画面越しでも、彼はきっと私を見てくださる」

 

通信開始三分前。

彼女は緊張のあまり、机の上をピカピカに磨き、アッシュの写真(公的ポートレート)を背景に設置。

もう一度、鏡を確認してから、送信ボタンを押した。

 

ピコン、と音が鳴る。

画面には、通信が接続された表示。

 

……だが、映ったのは、無人のホテルの室内。

次の瞬間、アッシュの寝癖頭が画面に現れた。

 

『ん……あぁ、エレナ?あぁ、ごめん、時差ボケで寝てた。』

 

「ア、アッシュ様!? そ、その……お疲れではありませんか!? お茶を……いえ、遠隔ですので……お湯でも……!」

 

『いや、いいから。報告だけ聞かせてくれ』

 

「は、はいっ!」

 

その後、10分間。エレナはほぼ完璧に報告をこなした。

だが通信終了後、彼女はデスクに突っ伏し、小さく呟いた。

 

「……寝起きのアッシュ様、尊すぎて死ぬ……」

 

次の日。

エレナはまた、主のいない執務室にいた。

報告書を仕分けしながら、無意識に「アッシュ様」と書き込みそうになる自分を必死に抑える。

 

そこへ、サガが現れた。

 

「やあ、エレナ君。参謀長の代わりに何か困ったことはないか?」

 

「え? あ、いえ、特に……!」

 

「そうか。彼も君を信頼して出発したのだろう。君なら完璧にやれる」

 

そう言って去っていくサガ。

その背中を見送りながら、エレナは心の中で叫んでいた。

 

(サガ様、優しい……でも私は違うんです! 完璧にこなせばこなすほど、アッシュ様が恋しくなるの!!)

 

夜。

アッシュの帰還はまだ先。

エレナは誰もいないオフィスで、ひとり残業していた。

 

デスクの上には、積み上がった書類。

横には、アッシュのカップとマグスプーン。

 

「……アッシュ様、今日もコーヒーはブラックでいらしたでしょうね」

 

彼女はそのカップを両手で包み、そっと唇を寄せ――飲んだ。

 

「……冷たい……でも……幸せ……♡」

 

背後で音がした。

振り返ると、清掃係の雑兵が立っていた。

「ひ、ひぃっ!す、すみません!見てません!何も見てませんっ!!」

 

雑兵は叫びながら全力で逃げた。

その日以降、夜の聖域にはコーヒー幽霊が出るという噂が広がることになる。

 

「……あぁ、もう……っ! アッシュ様のいない日々なんて……!!」

 

とうとう限界を迎えたエレナは、机に突っ伏してスマホを握りしめた。

「ライン……既読つかない……!スタンプも送ってない……!あの方、仕事中でも絶対1分以内に返信くださるのに……!」

 

本気で涙目になりかけたその時。

机の通信端末がピコンと鳴った。

 

《新着:音声メッセージ(アッシュ)》

 

「っ!!!」

 

震える手で再生ボタンを押す。

 

『エレナ、留守を任せて悪いな。君のことは信頼している。無理はするなよ。……それじゃ、またな』

 

……短い。

だが、それだけで十分だった。

 

「……アッシュ様……ありがとうございます……!」

 

涙がこぼれた。

同時に、彼女の小宇宙がふわりと灯る。

心の奥から、淡い光があふれるように。

 

「……大丈夫。私は秘書官。彼の右腕。

 アッシュ様が帰る場所を、完璧に守り抜いてみせます……!」

 

翌朝。

出勤してきた雑兵たちは、いつもより輝く笑顔のエレナを見た。

そして、その背後の執務室の壁に貼られた新しいスローガンを目にする。

 

『――アッシュ様のために今日も頑張る――』

 

その横には、小さくハートマークが描かれていた。

 

雑兵A:「……あれ、誰が書いたんですかね」

雑兵B:「聞くな。命が惜しければ」

 

聖域の朝は、今日も平和である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アッシュ様がいない夜が、またやってきた。

 

……おかしい。

私は完璧な秘書官のはずだ。

書類処理も会議管理も完璧。

時間配分も体調管理も万全。

 

なのに――胸の奥がぽっかり空いている。

 

(あぁ、アッシュ様……。この寂しさは何なのですか……)

 

時計を見ると、まだ午後十時。

寝るには早い。

しかし、起きる気にもなれない。

 

執務室を片付け、帰ろうとして気づく。

誰もいない廊下がやけに寒い。

アッシュ様の足音が、もうここにはない。

 

(ダメ……。このままだと、心が壊れる……)

 

その時、ふと脳裏に浮かんだのは、ある人物の顔だった。

 

アスガルドの戦乙女。

アッシュ様の長期視察で同行していた、あの――女狐。

 

(……フレア。彼女なら、少しは分かってくれるかもしれない)

 

私は無意識のうちに、彼女の部屋の前に立っていた。

ドアをノックする。

 

コンコン。

 

「フレア殿……いらっしゃいますか……?」

 

しばらくの沈黙の後、扉が開いた。

中から出てきたフレアは、パジャマ姿で紅茶を片手にしていた。

優雅。絵に描いたような貴族の夜。

 

……だが私の姿を見た瞬間、その顔が固まった。

 

「エレナ殿……? どうかなさいましたの?」

 

「アッシュ様が……いないんです……」

 

「それは存じておりますわ。視察ですもの」

 

「アッシュ様が……いないんです……!」

 

「だから、存じておりますわ」

 

そのまま床に崩れ落ち、カーペットの上でゴロゴロ転がった。

「光が……消えた……!この聖域から光がぁぁぁぁ!!」

 

フレアが少し距離を取りながら、困ったように眉をひそめた。

「ええと……お疲れですのね?お茶でも――」

 

「お茶じゃ足りませんの……!!」

 

「ひぃっ!?」

 

「私の心は、アスガルドの吹雪よりも冷たい……!

 だから、アッシュ様を想い合う同士……この火照った体を……慰め合いませんか……!」

 

「はぁぁぁぁぁっ!?」

 

フレアは完全にドン引きした。

そりゃそうだ。

私も言ってからおかしいと思った。

 

だが口が勝手に動く。

 

「だって、だって!フレア殿なら、アッシュ様の匂いがしそうで!

 肩とか胸とか髪とか!アッシュ様と一緒にいた空気を吸ってるじゃないですか!」

 

「な、なにを言ってますのあなた!?

 私とアッシュ様はまだ清い仲ですわ!!」

 

「嘘だぁぁぁ!!」

 

「なんで泣くんですの!?」

 

私は床に顔をこすりつけながら叫んだ。

「うわあああああ!アッシュ様の椅子の香りじゃもう足りないのぉぉぉぉ!!」

 

「……なんて業務ですの、それ」

 

数分後。

フレアの紅茶を無理やり飲まされ、ソファに座らされていた。

フレアは眉間を押さえながらため息をついている。

 

「エレナ殿。あなた、完全に限界を超えておりますわ」

 

「……アッシュ様ロス、ですの」

 

「ええ、見れば分かります」

 

「どうすればこの寂しさを埋められるのでしょうか……」

 

「簡単ですわ。仕事をすることです」

 

「仕事ではアッシュ様の代わりになりません」

 

「ならお茶でも飲んで落ち着きなさい!」

 

「……フレア殿。アッシュ様の好みの紅茶はアッサム・セレクトですわ。

 なのに、あなたが飲んでいるのはダージリン……。

 どうして……?まさか……!」

 

「まさかじゃありませんわ!お茶の嗜好で嫉妬なさらないでくださいまし!」

 

「うっ……悔しい……!私は完璧な秘書官なのに……女としては完敗だわ……!」

 

「そんな勝負してませんのよ!」

 

紅茶を三杯目までおかわりした頃、ようやく私の情緒が落ち着いてきた。

フレアも少しだけ柔らかい表情を見せる。

 

「まったく……アッシュ様の不在でこれですか。

 あなた、もし彼が本当に結婚でもしたらどうなさるつもりですの?」

 

「……え?」

 

「……」

 

沈黙。

そして、私の目からスッと涙がこぼれた。

 

「……燃やします」

 

「待ちなさい!!!」

 

「式場も……招待状も……全部、灰にします……」

 

「発想が完全にサガ様寄りですわよ!」

 

「……彼の幸福は祈りますわ。でも、私の心は、穏やかではいられませんの」

 

「怖い怖い怖い怖い!」

 

やがて紅茶もなくなり、時計の針が深夜を指した。

フレアが立ち上がり、軽く伸びをする。

 

「……さて、そろそろお休みになられて?」

 

「はい……フレア殿。お世話になりました」

 

「いいえ。次は泣く前にいらっしゃいな。

 正直、あなたがここまで壊れているとは思いませんでしたわ」

 

「……壊れてません」

 

「床で転がりながら匂いを嗅がせてくださいと言ってた人のセリフじゃありませんわ」

 

「……すみません」

 

フレアは小さく笑った。

「でも、あなたがアッシュ様をそこまで慕うのは分かります。

 彼は、人の心を温める不思議な人ですから」

 

「……ええ。あの方がいるだけで、世界が回る気がしますの」

 

「本当にね。……お互い、困ったものですわね」

 

私たちはしばし無言で微笑み合った。

奇妙な連帯感。

恋敵でありながら、同じ苦しみを知る者同士。

 

「……フレア殿。あなたとは、少し仲良くなれそうですわ」

 

「……ええ。ただし、次に変な提案をしたら凍らせますわよ」

 

「心得ました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日――私の心の中の理性は、すでに瀕死だった。

アッシュ様不在20日目。

スケジュール帳には仕事の予定よりも「アッシュ様ロス対策メモ」が増えていた。

 

「……いけない。こんなことでは、秘書官失格ですわ」

 

自分に言い聞かせながら、机の上の写真立てに目を向ける。

「アッシュ様……ご無事で……」

 

すると、ドアの向こうから控えめなノック音。

 

「どうぞ」

 

入ってきたのは、白銀聖闘士の三人組――ミスティ、アルゴル、そしてトレミーだった。

 

「……これは首席秘書官殿」

ミスティが優雅に頭を下げる。

金髪を揺らしながら、どこか挑発的な笑み。

 

「お心が乱れているご様子。…それも、黄金聖闘士ばかりが優遇される、この聖域の歪みのせいでは?」

 

「……は?」

 

思考が一瞬、止まった。

(何を言いに来たのこの人たち)

 

続いて、アルゴルが前に出る。

「そうだ!白銀はいつも中間管理職みたいな扱いだ!

 俺たちは盾にも矢面にもなるが、報酬は雀の涙!黄金は神殿付き!もう我慢ならん!」

 

「……はい?」

 

「アッシュ師範も白銀だろう!? その右腕である貴女が、黄金の下に置かれることに、納得されているのですか!?」

 

「……」

 

私は彼らの顔を一人ずつ見渡した。

その瞬間、私の中で何かがパチンと弾けた。

 

(そうね……確かに理不尽かもしれないわ……)

 

――が。

 

(でも、それはアッシュ様が評価されないという意味で理不尽なのであって!)

 

完全に違う方向に燃えた。

 

私は立ち上がり、机をドンッと叩いた。

 

「確かにそうですわ!」

 

三人が顔を見合わせる。

「おおっ!理解してくれるのか!」

 

「ええ、理解しましたわ!」

私は拳を握る。

「アッシュ様が白銀だからって、評価が下がるのは許せません!」

 

「そうだろうそうだろう!我々も同――」

 

「アッシュ様は特別ですの!」

 

「……は?」

 

「アッシュ様は黄金聖闘士100人分の価値があります!

 彼の一睨みで会議は静まり、彼の一言で世界が動くんですのよ!」

 

ミスティが引きつった笑みを浮かべた。

「えぇと……つまり……?」

 

「つまり!アッシュ様だけが報われていないのが問題ですの!

 貴方たちの待遇など二の次ですわ!!」

 

三人「」

 

トレミーが顔を真っ赤にして反論する。

「な、なにを言うんだ!俺たち白銀だって、命をかけて戦ってるんだぞ!」

 

「知ってますわ。えらいですわ。でもアッシュ様はもっとえらいですの!」

 

「比較対象おかしくない!?」

 

「アッシュ様は世界を背負っている!私たちはその世界を支えるだけ!」

 

「いや、俺たちも人間だぞ!?」

 

「アッシュ様も人間ですわ!!(※神扱い)」

 

「話が通じない!!」

 

ミスティが一歩前に出て、髪をかき上げる。

「ふ……だが美しい執念だ。

 なるほど、君も愛に生きる者か」

 

「……え?」

 

「美は力、愛は正義。私は美を愛する、君はアッシュを愛する。ならば同類だ」

 

「……えぇ、確かに一理ありますわね」

 

「おお、やっと話が通じ――」

 

「ただし、私の愛は神聖ですの。貴方のナルシスト愛とは次元が違います」

 

「なにぃっ!?」

 

「アッシュ様はこの宇宙の中心。彼の存在が時空を安定させているのです!」

 

「それ物理法則レベルの話になってるよね!?」

 

アルゴルがぼそっと呟いた。

「……これ、扇動に来た俺たちが逆に精神的に削られてるな」

 

トレミーが頷く。

「なんか、白銀のプライドが遠くで泣いてる気がする」

 

だが、彼らは諦めなかった。

 

「……君の忠誠、認めよう。だが、その力を我々にも分けてくれないか」

「アッシュ様のためになるなら、考えます」

「よし、それでいい!我々と共に――」

「アッシュ様の栄光を称える祭典を開きましょう!!」

 

「え、違う違う!反体制の話を――」

 

「アッシュ様ファン感謝祭ですの!!」

 

「なにそれ怖い!!」

 

私は机にかじりつきながら、怒涛の勢いで企画書を書き始めた。

 

・主催:白銀聖闘士代表(※本人承認なし)

・目的:アッシュ参謀長の偉業を全聖域に知らしめる

・内容:講演、映像上映、等身大パネル展示(※私が手配)

・予算:サガ経費から

 

「完成ですわ!!」

 

「早っ!!」

 

ミスティが顔を覆う。

「……こいつ、本気だ……」

 

翌日。

本当にその企画書がサガの机に届いた。

 

「……アッシュ感謝祭?……エレナ君、何を考えてるんだ……」

「放っておけ、彼女の信仰は深い。下手に止めると教団になる」

「いやもう既に半分教団化してるんじゃ……」

「参謀長が帰ってきた時の反応が楽しみだな」

 

その日の夜。

私は部屋で一人、祭典の演出プランを練っていた。

 

「アッシュ様の名を冠した聖歌を……いや、賛美詩を……いや、ミュージカル化もありかも……」

 

そこへ、壁の陰からミスティの声。

「……もうやめろ……俺たちはただ、不満を言いたかっただけなんだ……」

 

「何をおっしゃいますの。

 アッシュ様のために汗を流す、それこそ白銀の誇りですわ!」

 

「俺たちの誇り、なんか違う方向に燃えてるーー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――あの日のことを、私は一生忘れない。

 

始まりは、ほんのささいな一言だった。

 

「白銀にも、もっと待遇を――」

 

あのミスティたちのぼやきが、私の中でなぜあそこまで膨らんだのか。

原因は単純。

 

アッシュ様が不在。

黄金聖闘士が暇そうにお茶を飲んでいる。

そして私は――留守番。

 

留守番。

 

(留守番……?私が?参謀長の右腕が?)

 

机に両手をつき、震える唇で自分に問いかける。

 

「なぜ、私は留守番なの……」

 

そこへ、事務員が書類を抱えて入ってきた。

「エレナ様、承認印を――」

 

「後にしなさい。今、私の中で革命が始まっているの」

 

「は、はい?」

 

夕刻。

私は、鏡の前で自分を見つめていた。

白いスーツ。完璧な髪型。端正なメイク。

 

でも、瞳の奥で何かが燃えている。

 

(そうよ……アッシュ様が築いたこの聖域を、停滞させてはならないのよ)

 

(黄金ばかり優遇される構造を壊し、

 白銀も、雑兵も、平等に愛と尊厳を得るべきだわ)

 

(そして私は……アッシュ様の帰る聖域を理想郷にしてみせる!)

 

燃え上がった理想が、いつの間にか革命思想に変わっていた。

 

夜。

私は再びミスティたちを呼び出した。

神殿裏の地下倉庫。燭台の灯りがゆらゆらと揺れる。

 

「……エレナ殿? なぜまた我々を?」

「決まってます。革命を起こすためです」

「……はい?」

「……え、まさか本気か?」

 

「本気です」

 

私は机に手を置き、キラリと笑った。

 

「アッシュ様が帰るまでに、聖域の構造を完全に改革しておきます。

 黄金は平民化、白銀は貴族化、雑兵には週休二日と福利厚生!」

 

「……あ、あの、それ本当に聖域ですか?」

「ええ、社会的聖域です!」

「完全に別物だよね!?」

 

「だが……面白い。

 この停滞した聖域に、風穴を開けるのも悪くない」

 

「そうでしょう!? あなたも、燃えてきましたね!」

 

私たちはその場で拳を合わせた。

「革命開始は明朝六時!合言葉は――アッシュ様の笑顔を取り戻せです!!」

 

翌朝。

聖域の夜明けは、妙に騒がしかった。

 

「おい、なんだあれ!?」

雑兵が叫ぶ。

黄金聖闘士たちの宮を取り囲む、数百人規模(雑兵入り)のデモ隊。

 

プラカードには大書されていた。

「白銀にも宮殿を!」

「愛と労働の平等を!」

「アッシュ様の隣に寮を建てろ!」

 

その先頭に、メガホンを握る私。

胸には「総司令官(暫定)」の札をつけて。

 

「同志たちよー!!!」

 

聖域に響き渡る私の声。

「我ら白銀聖闘士にも権利を!

 我らに宮殿を!

 我らに愛を!

 我らに有給をぉぉぉぉ!!!」

 

「うおおおおおお!!!」

 

「や、やばい……想像以上のノリだ……!」

「完全に群衆煽動の才能あるだろこの人!」

 

「エ、エレナ様!おやめください!こんなことをしたら!」

 

「黙りなさい!」

 

私は右手を突き出す。

「積尸気冥界波!!」

 

「ぎゃああああああ!!!」

 

一発で雑兵が吹っ飛んだ。

……うん、ちょっとだけスッキリした。

 

(革命って、楽しいかもしれない)

 

「ああ、もう止まらん……!

 おい、エレナ殿!あれを見ろ!」

 

黄金聖闘士たちが神殿の上に現れた。

 

 

「……エレナ君。説明してくれ」

 

「説明も何も!これは魂の叫びです!!」

 

「いや、どっからどう見てもストライキだろ!」

「ていうか横断幕のアッシュLOVE革命って何」

 

マイクを握り直した。

「我々の理想は崇高です!アッシュ様の理想を形にするために!」

 

「いや、あの人そんな指示出してないから!」

 

神殿の階段の上で、黄金と白銀がにらみ合う。

 

 

 

 

 

 

 

(サガ視点)

 

 

頭が痛い。

いや、正確にはこめかみがズキズキしている。

 

執務室で、額を押さえながらため息をついていた。

机の上には、次々と運び込まれる報告書。

 

・聖域中央で白銀勢力がデモを実施

・指導者:首席秘書官エレナ

・要求内容:「週休二日・有給完全消化・アッシュ様の隣に家を建てろ」

 

(……何だこの要求リストは)

 

書類を放り出した。

あの女、やりやがったな。

まさか実際に暴動を起こすとは。

 

しかもよりによって、アッシュの名前を旗印に。

 

(……あいつが帰ってきたら、どんな顔するだろうな)

 

想像して背筋が寒くなる。

アッシュはああ見えて温厚だが、怒ると聖域ごと吹き飛ばしかねない。

 

(何としても収めねばならん。だが……)

 

エレナを説得できる人間がいるだろうか。

あの暴走機関車のような女を、止められる人間が。

 

書棚から一枚の書簡を取り出し、サインを走らせた。

 

――蟹座のデスマスク。イタリア出身。交渉術と口のうまさで生き延びてきた男。

 

「……同郷なら、話くらいは聞くかもしれん」

 

それに賭けるしかなかった。

 

翌日。

 

聖域・中央広場。

群衆の前でマイクを握り、再び演説を始めるエレナ。

その目は燃えていた。完全に何か見てはいけない方向を見ている。

 

「同志たちよ!この聖域を変えるのは、我ら白銀の拳ですの!

 我らの愛と忠誠で、アッシュ様の理想を実現するのですわ!」

 

「おおおおおお!!!」

 

白銀たちの士気は高まっている。

ミスティがうっとりした目で「指導者って美しいな……」とか言ってる。

(やめろ、それ以上混乱させるな)

 

そこへ、金色の聖衣が陽光を反射しながら降り立った。

 

「やれやれ、イタリアの女は情熱的すぎるぜ」

 

蟹座の黄金聖闘士――デスマスク。

カジュアルにサングラスを外し、にやりと笑った。

 

「エレナ。少し話そうじゃねえか。同郷のよしみでな」

 

ざわつく群衆。

エレナはメガホンを下ろし、彼を睨みつけた。

 

「……何の用です、デスマスク」

 

「別に難しい話じゃねえ。

 お前の気持ちは分かる。俺だって最初は上の連中にムカついてた。

 でもな、暴れるだけじゃ何も変わらねえ。

 アッシュ師範だってそんなやり方、望んじゃいねえだろ?」

 

静かな説得。

その口調には珍しく誠意があった。

(おお、デスマスク。やればできるじゃないか)

遠隔の監視モニター越しに見守りながら、思わず頷いた。

 

だが――

 

「……黙りなさい」

 

エレナの瞳がぎらりと光った。

 

「アッシュ様の腰巾着め!!!」

 

「は?」

 

「貴方はいいですね!いつもアッシュ様のお側近くにいられて!

 参謀会議にも同行できて!

 あの……あの優しい声で『デスマスク、頼む』って言われるんでしょう!!

 そのポジション!私に寄越しなさい!!」

 

「お、おいおい落ち着け!これはそういう話じゃ――」

 

「羨ましい!羨ましいのよぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

気づけば彼女は泣きながらデスマスクの胸ぐらを掴み、

そのまま噛みついた。

 

「ぎゃああああああっ!?噛むな!!噛むんじゃねえ!!」

 

白銀たちが叫ぶ。

「エレナ様!落ち着いて!」

「やめてください!それは上司です!」

 

だが、彼女は聞かない。

「アッシュ様を奪う輩は、全員、粛清です!!」

 

拳を振り上げ――

 

「積尸気冥界波ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

……黄金聖闘士に放つなそれを。

 

「ぐわああああああ!?同郷の情けどこ行ったぁぁぁぁ!?」

 

彼は吹っ飛び、崖下に転がっていった。

 

頭を抱えた。

「……デスマスク、説得失敗か」

 

「説得っていうか……襲撃されてましたね」

「むしろ心を折られて帰ってくるのでは」

「ていうか、あの人イタリア繋がりで選んだんですよね?浅すぎません?」

 

「うるさい。ほかに適任がいたら出してみろ」

 

カミュが口を挟む。

「下手したら次の標的は俺たち黄金全員だぞ?」

 

「分かってる。だからこそ、手を打たねばならん」

 

深く息をついた。

 

「だがあいつ……アッシュに恋してるだけじゃない。彼の理想を代行する使命感まで持ってやがる」

 

「つまり、恋と忠誠が混ざって暴走してる、と」

 

「そうだ。最悪の組み合わせだ」

 

その頃、崖下。

 

デスマスクは氷のような川に腰まで浸かりながら、遠い目をしていた。

 

「……イタリアの女って、怖ぇな……」

 

空を見上げると、そこには白銀の旗がはためいている。

『アッシュ様に休日を!愛と残業代を!』

 

「……俺、もう帰っていいか?」

 

聖域のモニター室で、その光景を見ながら頭を抱えた。

 

(同郷の誼、完全に砕けたな)

 

結局、デスマスクは説得どころか、彼女の恋敵リストに加わった。

エレナの勢力はますます勢いを増し、聖域の白銀区画は祭り状態。

ビラにはでかでかとこう書かれていた。

 

《革命将軍エレナ、第二段階突入! 標的:黄金体制!》

 

椅子にもたれ、深いため息をついた。

 

「……頼む、アッシュ。早く帰ってこい。

 このままだと、俺が胃潰瘍で死ぬ」

 

「そうなる前に、鎮圧命令を出しましょうか?」

「いや、下手に手を出すとアッシュ様の敵扱いだ」

 

「じゃあどうするんですか」

 

「……俺が土下座するしかないのかもしれん」

 

「何に対してですか」

 

「アッシュの女運に、だ」

 

そして数時間後。

デスマスクが泥まみれで帰還した。

 

「サガ……俺、もうイタリア人やめていいか?」

 

「無理だ。戸籍は変えられん」

 

「……じゃあ、地獄に帰るわ」

 

彼は静かに涙を流しながら、カニの姿のまま去っていった。

 

その背を見つめながら、つぶやいた。

 

「……南無三」

 

聖域の空に、カニ座の星がひときわ明るく輝いていた。

 

 

 

 

 

(アッシュ視点)

 

俺が数週間の視察を終え、エーゲ海の風に吹かれながら聖域へ戻ってきたとき。

まず最初に見えたのは――プラカードの森だった。

 

「待遇改善を!」

「アッシュ様の愛を均等に!」

「黄金聖闘士の残業代廃止!」

 

「……は?」

 

耳を疑った。

いや、目も疑った。

何をどう見てもデモである。

そして何より問題なのは、そのデモのスローガンの大半に、俺の名前が入っていることだ。

 

(……いやいや、待て。落ち着けアッシュ。

 これはきっと幻覚だ。長旅の疲れで、幻聴と幻視が出ているだけだ。

 寝不足のせいだ。うん、きっとそうだ)

 

そう自分に言い聞かせながら、一歩、ゲートをくぐった。

 

――その瞬間、どこからともなく爆音。

 

「同志たちよ!今日こそ、黄金支配を打ち倒すのです!!!」

 

見上げると、演説台の上で旗を振る女。

俺の首席秘書官、エレナだった。

 

(……終わった)

 

頭の中で何かが崩れ落ちた音がした。

 

「アッシュ~~~っっ!!!」

 

どこからともなく、教皇の法衣を着た男が涙ながらに走ってきた。

サガだった。

 

「お、お前……その格好、何だ」

「俺にも分からん!!!」

 

マスクを半分ずらしたサガは、俺の胸ぐらを掴む勢いで泣き叫んだ。

 

「もう無理だ!俺には止められん!エレナ君が、エレナ君がああああ!!」

 

「何をしたんだ」

「俺が聞きたいわ!!!」

 

泣き崩れる教皇。

周囲の黄金聖闘士たちは、なぜか一斉に俺の方を見て距離を取った。

 

「……これ以上近づくと巻き込まれるぞ」

「いやもう巻き込まれてますよ」

「俺たちも最初、止めようとしたんだ。でもアッシュ様の敵扱いされて……」

 

 

「えっ」

「見てください、私の宮殿。氷の壁に改革断行って彫ってある」

「うわぁ……」

 

呆然としながら、演説台に目をやった。

エレナは革命の旗を掲げ、群衆に向かって絶叫している。

 

「アッシュ様がいない聖域に価値はありませんの!!

 我ら白銀にも宮殿を!

 我らに有給を!

 我らに愛をぉぉぉ!!」

 

「おおおおおお!!!」

 

群衆の熱狂。

その後ろで、なぜかデスマスクが看板を持っている。

『アッシュ様ファンクラブ・カリスマ部門担当』と書いてあった。

 

「お前も混ざってんのか!!!」

 

デスマスクがこちらに気づき、すごい勢いで手を振ってきた。

 

「おーいアッシュ! 助けてくれぇぇ!もう止められねぇぇ!」

 

「お前が一番止めろよ!!」

 

とりあえず、俺は現場に入ろうとしたが、すぐさま雑兵たちに止められた。

 

「危険です!今、指導者エレナ様が革命将軍として頂点に立たれています!」

「将軍!?いつの間に!?」

「昨日の深夜です!本人が自称しました!」

「自称かよ!!」

 

 

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  • 真紅の少年伝説編(日本編)
  • 最終聖戦の戦士たち編(聖域編)
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