聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
誰もが沈黙を選び、真実は石の奥に封じられた。
獅子宮──不在の勇者。
巨蟹宮──死を見つめる男。
金牛宮──去った者の静寂。
そして、双児宮の奥に潜む二つの光。
「ムウ、見てはならぬものを見ようとしている」
次回――
『聖域蝕(エクリプス・オブ・サンクチュアリ)』
真理を覗く者は、闇に覗かれる。
獅子宮の扉を押すと、埃の匂いがした。
誰もいない。
訓練の跡も、生活の気配もない。
風が差し込むたび、金色の鎧が静かに光を返している。
アイオリアの聖衣──彼の小宇宙の残滓が、まだこの場所に漂っていた。
温かく、まっすぐで、曇りがない。
「(アイオリア……お前なら、どうしただろう)」
その名を心の中で呼ぶ。
今の私には、彼のような単純な正しさが羨ましかった。
考えるより先に信じることができる者。
それがどれほど強いか、今になって分かる。
「(お前の真っ直ぐな言葉が、今は聞きたかった……)」
座に手を触れた。
石の感触が冷たい。
そこに座るべき男は、今、日本にいる。
新しい戦いの地で、彼なりの正義を貫いているのだろう。
「(あの清廉な小宇宙の輝き……彼なら、この聖域を見て何を思うだろうか)」
思考がそこまで届いたところで、私はそっと拳を握った。
「……すまない、アイオリア。お前のように信じ切ることは、私にはできない」
風が吹いた。
どこかで、遠くの鐘が鳴った気がした。
その音に背を押されるように、階段を下りた。
巨蟹宮の扉を開けると、空気が変わった。
湿ったような冷気。
そして、鼻をつく鉄の匂い。
「……デスマスク」
「おう、ムウじゃねぇか」
デスマスクが片肘をついて座っていた。
足を組み、気怠い笑み。
その後ろには、霊の影がぼんやりと揺れていた。
「何の用だ?また真面目な顔して説教か?」
「いや、違う。……お前に聞きたいことがあって来た」
「俺に?お前がか?」
デスマスクは片眉を上げて笑った。
「お前みてぇな真面目人間が、俺に相談?そりゃまた珍しいこった」
「お前は、魂の匂いに敏感だ。……何か、感じているのではないかと思ったからだ」
デスマスクは笑うのをやめた。
口から漏れた息が、薄く白く揺れる。
「……ほう。随分な言い方だな」
「聖域の空気が変わっている。
誰もが、何かを感じていながら、口にしようとしない。
お前は違う。死と隣り合う場所にいる者だ。
その目で、何かを見たのではないか?」
沈黙が落ちた。
背後の影が、わずかに蠢く。
地の底から、低い呻き声が響いた気がした。
デスマスクは舌打ちをした。
「……ケッ。お前、ほんっとに面倒くせぇやつだな」
「答えてくれ」
「……答えられねぇ」
短く、だが重い言葉だった。
「どういう意味だ?」
デスマスクはゆっくりと立ち上がった。
その目が、普段のふざけたものではなくなっていた。
冷たい光を宿している。
「ムウ。お前は上ばっか見てる。けどな、俺は下を見てんだよ。
冥府の底で、どれだけの魂が呻いてるか、知ってるか?」
「……」
「奴らの声を聞いてりゃ分かる。
聖域が光ってるほど、その影も濃くなるってな」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「……教皇猊下のことか?」
デスマスクは苦笑した。
「誰のことかなんて、言わなくても分かるだろ」
彼は肩を竦め、視線を逸らした。
「だがな、ムウ。その疑問は、お前のタメにならねえ。
どう転んでも、お前が傷つくだけだ。よく考えて、決断しな」
意外にも、その声には温度があった。
警告というよりも、忠告。
それも、私を案じてのものだった。
「……お前がそんなことを言うとはな」
「俺だって、一応人間なんだよ」
デスマスクは口の端を歪めて笑った。
「だがな、俺は俺の場所から聖域を見てる。この世の秩序ってのは、死者の上に積み上がってるんだ。お前が正義を探してるうちは、まだその下の声は聞こえねぇ」
彼の言葉が、静かに胸に沈んだ。
「……それでも、私は知りたい。聖域の闇を、そして──この光の意味を」
「やれやれ」
デスマスクは頭を掻きながら笑った。
「やっぱりお前は真面目すぎる。でもよ、ムウ……一つだけ言っとく。
真実ってのは、掘れば掘るほど墓に近づくもんだ。だから、覚悟だけはしておけ」
私は小さく頷いた。
「忠告、感謝する」
「勝手にしろよ」
デスマスクは手をひらひらと振り、玉座に腰を下ろした。
「ただし、次にここに来たときは、もう戻れねぇかもな」
外に出ると、夜の気配が濃くなっていた。
空を見上げると、星々が瞬いている。
その光は冷たく、遠い。
「(墓に近づく、か……)」
デスマスクの言葉が耳に残っていた。
あの男はいつもふざけて見せているが、
時折、誰よりも核心を突く。
魂の門番──彼は死者を見てきた。
だからこそ、生者の迷いをよく知っているのだろう。
◆
十二宮を下る風が冷たかった。
だが、それ以上に私の背筋を撫でる感覚が重く、冷え切っていた。
疑いという名の棘が、もう抜けなくなっていた。
私は双児宮の前に立っていた。
そこは聖域の中でも最も理の象徴とされる宮。
だが、その扉の向こうから漏れ出していたのは──理とは対極の気配だった。
空気が歪んでいる。
見えないはずの空間が波打つ。
耳鳴りのような低い振動が、胸の奥で鳴っていた。
「(……サガ)」
名前を口にした瞬間、空気が張り詰めた。
宮の奥で、確かに何かが動いた。
それは意識だった。
意識が、こちらを見返してきた。
息を潜めた。
手のひらに、微かな汗が滲む。
「(この小宇宙……!間違いない、教皇の間で感じたあの気配……。
あのときの穏やかなオーラは偽装だった。これが、あの男の本当の姿……!)」
胸の奥で血が騒ぐ。
逃げろと、理性が叫んでいた。
だが、同時に私の中の探求心が囁く。
──見届けろ。
「(だが……今ここで何かを言えば、私は生きてこの宮を出られない)」
冷たい空気が肺に刺さった。
足が勝手に後退する。
それでも視線だけは、双児宮の闇の奥を離せなかった。
黒く、深く、底の見えない気配。
それはまるで二つの人格が、互いに喰らい合っているような小宇宙だ。
一つは冷静で、統制の取れた理性。
もう一つは、燃え上がるような怒りと破壊の衝動。
「(……二つ、ある。)」
その事実に気づいた瞬間、喉が凍りついた。
その奥で笑うような気配がした。
声ではない。
だが確かにこちらを見る存在がいた。
足を止めたまま、背を向けた。
──そして、何も言わずに歩き出した。
心臓が、何度も強く鳴った。
歩くたびに、その鼓動がやけに大きく響いた。
汗が背中を伝い落ちる。
「(サガ……あなたは、何者だ)」
背後の双児宮から、何かが微かに動く音がした。
私の肩が跳ねる。
だが振り向かない。
振り向いてはいけないと、本能が告げていた。
宮の出口に辿り着く頃には、呼吸すら浅くなっていた。
外の風が、現実に戻った印のように頬を打った。
ようやく息を吐き出した。
「……危なかった」
小さく呟く声が震えていた。
階段を下り、次の宮──金牛宮の前に立つ。
重厚な扉。
だが、そこにも気配はなかった。
「(アルデバランは昨日、アイオリアに会いに日本へ発ったな……)」
その言葉を思い出す。
彼の低く穏やかな声。
大地を思わせる安定感のある小宇宙。
「(彼は言っていた。『俺はこの聖域が息苦しい』と。)」
その時の笑みを、私は覚えている。
どこか諦めたようで、しかし柔らかかった。
「(あの時は軽く流したが……今なら分かる。)」
この聖域には、見えない膜が張り巡らされている。
それは秩序という名の結界。
誰もがそれに守られ、同時に縛られている。
「(アルデバラン……お前はそれを感じ取っていたのだな)」
金牛宮の中に足を踏み入れた。
大理石の床。
高い天井。
だが、そこには何もなかった。
ただ静けさだけがあった。
奥の訓練場に目をやると、木製のダミーがいくつも倒れていた。
力任せに砕かれた形跡。
彼の性格が滲んでいる。
「……強く、優しい男だ」
呟きが漏れた。
あの豪快な笑い声が、この宮に響かないのが寂しかった。
歩きながら、自分の胸に手を当てた。
「(お前は、逃げたのではない。見極めに行ったのだろう。)」
アイオリアと再会すれば、何かを掴むはずだ。
あの二人なら、偽りに飲まれることはない。
そう信じたい。
だが、残された私はどうだろうか。
聖域に留まり、この淀んだ空気の中で生きていくことを選んだ。
その選択が正しいのか、自分でも分からない。
「……それでも、私は見届けねばならない」
この平穏は、真の光か。それとも、偽りの安寧か
胸の奥が痛い。
自分が信じるべきものを、見失いかけている痛みだ。
逃げるわけにはいかない。
この聖域に渦巻く何かを、確かめずには。
私は立ち止まり、双児宮の方を振り返った。
その宮の上空に、微かに赤黒い霞が揺れていた。
あれは幻か。
それとも、真実か。
どちらにせよ──
あの宮には、今の聖域の核心が眠っている。
デスマスク「なぁムウ、お前、墓掘りの真似事すんの好きだな」
ムウ「……墓ではなく、真実を掘っているつもりだ」
デスマスク「同じだよ。どっちも死人が眠ってる」
ムウ「なら、私はその上に立つ者として、それを見届けねばならない」
シャカ「真理に近づくことは、解脱ではなく、執着だ」
デスマスク「ほら見ろ、悟ってるようで、こいつも怖がってるんだよ」
シャカ「恐れを知らぬ者は、真実にも辿り着けん」
ムウ「……そうだな。だから私は、恐れたまま進む」
この次の映画編はどちらがいいですか?
-
真紅の少年伝説編(日本編)
-
最終聖戦の戦士たち編(聖域編)