聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
彼の宣告によって、聖域の虚構は暴かれ、女神の座は崩壊した。
空が裂け、浮上する黒き宮殿・伏魔殿。
それは、天をも拒む堕天の城。
アッシュ、サガ、そして黄金の聖闘士たち。
彼らが守ってきた秩序は、いま試される。
「神を生贄に、地上を清めよ」──ルシファーの福音が鳴り響く!
次回──
『虚構の秩序、堕天の福音』
聖域を覆う黒雲の下、暁の光はもはや救いにあらず。
燃えろ、小宇宙!
神をも欺く者たちの戦いが、いま始まる──!
聖域の中心、アテナ神殿。
そこはかつて幾多の聖闘士たちが命を懸けて守り抜いてきた、最も清浄なる地。
その静寂を破り、石畳を踏みしめる音が響いた。
駆け込んできたのは、ムウ、シャカ、そしてエレナ。
彼らの眼前に広がっていたのは、信じ難い光景だった。
女神アテナを象徴する巨大な神像──その首が断たれ、床に転がっている。
崩れた破片が散乱し、聖なる光を失った神殿の中は、死の空気に包まれていた。
「おお……この地上の永遠の平和を願うアテナの象徴とも言うべき、アテナ像が……!」
シャカの声に、かすかな震えがあった。
常に冷静沈着な男が、今は感情を隠せない。
エレナは唇を噛み、崩れ落ちた神像の首元を見つめた。
「誰が一体……こんな酷いことを。参謀長や教皇猊下の結界を破り、内部から……?」
ムウは神像の残骸を跨ぎながら、あたりを見回した。
聖衣の断片、焦げ跡、そして何よりも──漂う異質な小宇宙。
それは、神聖でも人間的でもない。
「……アテナは!?アテナはどこにおわす!!」
ムウの声が神殿の奥に響く。
「アッシュ師範!………シオン様!」
その叫びは、悲痛に近かった。
師の名を呼ぶことで、わずかでもこの現実が幻であると信じたかったのかもしれない。
しかし、返事はなかった。
代わりに、神殿の入り口から低い振動が伝わってきた。
空気が震える。
それは音ではなく、圧力。
存在そのものが空間を歪ませるような、異様な気配。
やがて、白い霧の向こうから、黒い人影が現れた。
四人の影が前に出る。
それぞれの背には翼があった。
片方は羽根、もう片方は闇の炎。
人と神と悪魔、その境界を嘲笑うような姿。
その中心に、一人の男がいた。
漆黒の衣をまとい、銀の髪をなびかせ、瞳には光を宿さぬ深い闇。
それは、人の姿をした異界の王だった。
「……アテナはここにはおらん」
その声は、低く、しかし絶対的だった。
空気が振動し、破壊された神殿の柱に微かな亀裂が走る。
ムウは反射的に身構える。
「貴様……何者だ!」
「名を問うか」
男はゆっくりと歩みを進めた。
床に触れるたび、黒い霧が石を腐食させる。
「我が名は──ルシファー。
かつて暁の子と呼ばれし者。神に見捨てられ、地獄に落ちた王だ」
エレナが小さく息を呑む。
「ルシファー……それは、あの聖書にも記された堕天使……」
彼女の声には、畏怖と理性が混じっていた。
神を語ることは容易いが、神に抗った者を語ることは、恐怖そのものだ。
その横で、シャカが目を開けた。
彼の瞳には、静かな光が宿る。
「うむ……。神の子でありながら魔界に落ち、地獄の王サタンとも呼ばれる者。
聖書によれば、創造主たる神より至上の美と知性を与えられながら、神以上の存在になろうとしたが故に天罰を受け、魔界へ堕とされたという。
その野望は、大天使ミカエル、そしてアテナによって幾度も阻まれてきたはずだ」
ルシファーは静かに笑った。
その笑みは、どこか悲しげでもあり、同時に人間には理解できぬ確信を宿していた。
「いかにも」
その一言が、すべてを肯定する刃のように響く。
「だがその神の意思により、私はこの世に蘇った。
思い上がった人間、サガとアッシュを滅ぼすためにな」
エレナの表情が凍る。
「……ルシファー……!?
そんな……あなたは伝承の中で、神々によって封印されたはず……!」
「封印など、永遠ではない」
ルシファーの唇に冷笑が浮かぶ。
「この世界に満ちる偽りの秩序が、再び私を呼んだ。
お前たちが信じる平和は、欺瞞でできている。
ゆえに、私は帰ってきた」
その言葉と同時に、背後の四人が一歩前に出る。
熾天使(セラフ)ベルゼバブ、智天使(ケルビム)アシタロテ、座天使(スローン)モア、力天使(ヴァーチュ)エリゴル。
それぞれが、聖域を破壊した張本人たち。
その身から放たれる光は、もはや神聖ではなく、禍福の対のように揺らいでいた。
「神々は我を裏切った。
だが、聖域は違う。ここには人の秩序がある。
私はそれを認めよう。
──ゆえに滅ぼす」
その瞬間、天井に残っていた最後の石柱が粉砕された。
ムウが防御壁を展開するも、間に合わない。
衝撃波が一帯を薙ぎ払い、三人の体が吹き飛ばされた。
ムウが床を転がりながら立ち上がる。
「……アテナを侮辱することは、許さぬ!」
両手を広げ、瞬時にクリスタルウォールを展開する。
空間を包み込む黄金の光がルシファーの前に壁を作る。
だが、ルシファーはその光に手を触れることなく、ただ一言つぶやいた。
「秩序、か」
次の瞬間、音もなく消えた。
存在そのものを否定されたかのように、光が跡形もなく霧散する。
ムウの膝が崩れる。
「……そんな……馬鹿な……!」
ルシファーが静かに歩を進める。
「人の作る秩序は、いつも壊れる。
だから私は神に問うた──なぜ、我らが創った世界を、我らの手で支配してはならぬのか、と」
その眼に宿るのは、狂気ではなかった。
むしろ、純粋な理。
それが恐ろしかった。
サガとアッシュが駆け付けた。
「──何奴!?」
ムウが叫ぶ。
「猊下!退避を!敵は──!」
だが、彼の声が届くより早く、アテナ神殿の天井が轟音と共に崩れ落ちた。
黒い雷が空を裂き、聖域全体を震わせる。
アッシュは無言で拳を握る。
ルシファーの瞳が、彼を見据えていた。
その視線には、長い時を越えて再び出会った旧知の者のような、薄い笑みが浮かんでいた。
「やはり……貴様がこの時代の管理者か」
ルシファーの声が、神殿の空気を凍り付かせた。
アッシュは、一瞬の間を置き、低く答えた。
「……ルシファー。
お前が帰ってきたということは、この世界の均衡が崩れ始めている証だな」
ルシファーは微笑んだ。
「均衡など、初めからなかった。
お前たちが作り出した虚構の平和こそ、最も醜い秩序だ」
◆
ルシファーは、すべてを見透かすように冷ややかな視線を送っていた。
背後には四体の聖魔天使。
空気を切り裂くその存在感だけで、黄金聖闘士たちの小宇宙が圧迫される。
「……これが、神々の守り人の末路か」
ルシファーの声は、嘲りと哀れみが入り混じっていた。
ムウが一歩踏み出す。
その瞳は怒りと焦りに揺れていた。
「アテナがいないとは、どういうことだ!?貴様らがどこかへ連れ去ったのか!」
その言葉に、ルシファーの口角が静かに上がる。
「……知らんと見える。アテナはここにはおらん。いや、最初からいなかったと言うべきか」
その言葉に場の空気が一変した。
沈黙が落ちる。
ルシファーはゆっくりと指を上げ、アッシュとサガを交互に指し示す。
「──そこにいる二人の男によって、な」
ムウの目が見開かれた。
「何を……言っている……?」
「白銀聖闘士の男──アッシュ。そして、教皇の仮面をかぶった双子座の男。
二人の狂言によって、この地上に虚構のアテナが作られた」
ベルゼバブが前に出る。
その翼が空気を裂く音が、まるで刃のように響いた。
「教皇を殺し、成り代わり、自らの野望のままに地上を支配する……。
随分と思い上がったものだな、教皇──いや、双子座のサガよ」
サガの瞳が激しく揺れる。
「……貴様……どうして、それを……!」
ベルゼバブの笑みは冷酷だった。
「我らは天にいた頃から見ていた。人の野心も、偽りの平和も。
お前が神の座を模倣し、秩序を作り替えた瞬間をな」
シャカが静かに瞼を開いた。
その金色の瞳が、真実を見抜くように輝く。
「やはり……そうだったのか」
その呟きに、ムウは顔を向ける。
「シャカ……お前、まさか……知っていたのか?」
「悟りは、目を閉じることで得られるとは限らない。
私は、ただ見ていた。教皇の放つ光が、かつてのシオンのものではなかったということを」
シャカの声には怒りも悲しみもなかった。
ただ、事実を告げる僧侶のように淡々としていた。
ムウは崩れ落ちそうになる足を、必死に支えた。
「そんな……そんなことが……。
私が、敬愛し、仕えてきた方が……師シオン様の仇……だったというのか……!」
サガは一歩前に出ようとしたが、アッシュが手で制した。
「……ムウ。今は信じなくていい」
その言葉は優しかったが、どこかに諦めが滲んでいる。
ムウの中に、アッシュへの信頼と、恐ろしいほどの不信が入り混じる。
「……師範。貴方も……知っていたのですか?」
アッシュは目を閉じたまま答えなかった。
沈黙が答えとなる。
ルシファーはその様子を満足そうに見つめていた。
「ほう……。沈黙とは、方便か。それとも告白か?」
ムウの拳が震える。
だが、その震えは怒りだけではなかった。
自分の信じてきた正義が崩壊していく音が、耳の奥で鳴り続けていた。
「……私は……今まで……師の仇に……仕えていたというのか……!」
その声は掠れ、聖域の広間にこだまする。
シャカが目を閉じ、祈るように両手を合わせた。
「人は神を信じ、神は人を見放す。
それでもなお、人は祈る。
──ムウ、あなたもまた、祈る者のひとりだ」
「祈りなど……無意味だ!」
ムウの声が響く。
「今、目の前に神を騙る悪魔がいる。そして、その悪魔に真実を暴かれた我々は、何を信じればいい!」
その叫びに、ルシファーの笑みが広がった。
「いいぞ。その混乱こそが、真実への第一歩だ」
アッシュが鋭い視線を送る。
「ルシファー。お前の目的は何だ。
ただ神を侮辱し、聖域を破壊することか?」
「違う」
ルシファーの声は穏やかだった。
「私は奪う。
この地上に再び本物の神を呼び戻すために。
──アテナの魂は、もはやこの地にはいない。
だから私は、神を偽る者どもを滅ぼし、正しい秩序を創る」
「虚構の平和は終わった。
お前たちが作り上げた秩序も、今この瞬間に崩壊する」
アッシュが一歩踏み出す。
「……そう簡単にはいかない。俺たちは、まだ負けてはいない」
ルシファーは楽しげに笑った。
「強がりだな。だが、いい。
ならば見せてみろ。人の手で築かれた偽りの秩序が、いかに脆いかを」
そう言い放つと、ルシファーの背後にいる四体の聖魔天使が同時に翼を広げた。
空間が軋み、アテナ神殿全体が鳴動する。
ムウとシャカが同時に構え、サガとアッシュも戦闘態勢を取った。
◆
ムウは膝をつき、拳を握りしめていた。
耳の奥で、ルシファーの嘲りがまだ響いている。
自分が信じてきた教皇が偽物であったという衝撃。
心の支柱が音を立てて崩れていく中で、彼はただ、沈黙するしかなかった。
その横で、アッシュが一歩前に出た。
ルシファーの姿を睨み据える。
アッシュの眉がわずかに動いた。
「……神の意思?」
ルシファーはゆっくりと腕を広げた。
その動作ひとつで、神殿の空気が変わる。
黒い翼が音もなく広がり、そこからこぼれ落ちるように、光が闇に溶けていく。
「そうだ。お前たちが作り出した秩序は、神の創造に背くもの。
神は、天界を歪め、地上を支配しようとする者たちを粛清せんとした。
そのための刃が、私だ」
エレナが顔を上げる。
「そんな……あなたが神の使徒だというの?
あなたこそ、創造主に背いた存在ではないのですか!」
ルシファーは目を細めた。
「皮肉なものだな。
神の秩序とは、常に罪の者を利用し、正義を成すという矛盾で成り立っている。
神は私をも、例外とはしなかった」
その言葉に、シャカが静かに反応した。
「つまり、神はあなたを利用して、アッシュを討とうとしているというのか」
「その通りだ」
ルシファーの声が、穏やかであるにも関わらず、鋭く突き刺さる。
「神は見ている。
天界の座から落ちた我を使い、人間の傲慢を罰する。
アテナが地上の秩序を神から離れた瞬間、神は見限った。」
ムウが顔を上げる。
「……何を言っている……アテナが、神の手に……?」
ルシファーは小さく笑った。
「女神はこの地を去った。
つまり、地上に残るアテナ信仰は、すでに形骸だ」
その言葉に、アッシュの心が激しく揺れた。
彼は知っていた。
この世界は原作の流れを外れ、幾度も修正してきたことを。
だが、いまルシファーが言ったことは、それ以上の意味を持つ。
──神の意思そのものが、もう地上から去っている。
「……そんな馬鹿な」
アッシュの声が低く響く。
「神が去り、女神が消えたなら、この世界は何のために存在している」
「創造は終わった」
ルシファーの声が答えた。
「神はもう、何も創らない。
だから私が創る。新しい世界をな」
その宣言に、シャカが目を閉じた。
「……福音か」
ルシファーの唇に笑みが浮かぶ。
「そう、これが福音だ。
旧き秩序を滅ぼし、神に代わって我が統べる世界。
それこそが真なる救いだ」
「救いなどではない!」
ムウが叫ぶ。
「お前のそれは破壊だ!滅びだ!」
ルシファーは首を傾げた。
「破壊こそ、再生の第一歩だ」
彼の言葉に応じるように、聖魔天使たちの小宇宙が膨れ上がる。
神殿の床が軋み、壁面の彫像が崩れ落ちる。
その中で、アッシュが静かに前へ出た。
「……お前の言葉は、理解できなくはない。
だが、それを神の代行と呼ぶなら、俺はお前を許せない」
ルシファーは目を細める。
「ならば抗え。
この福音の前で、お前の正義がいかに脆いかを見せてやろう」
ベルゼバブが一歩前に出た。
「主よ、ここで奴らを討ちますか?」
ルシファーは軽く手を上げて制した。
「いいや、まだだ。
この聖域が自らの重みで崩れ落ちるのを、まず見届けよう。
それこそが、虚構の平和の終焉にふさわしい幕引きだ」
彼が背を向けると、黒い翼が神殿の崩壊した天井を貫き、空へと舞い上がった。
その姿は、光を飲み込むかのように消えていく。
残されたアッシュたちの前に、ただ一つの現実が残る。
──神はすでにいない。
──そして、堕天使がその空白を埋めに来た。
沈黙の中、シャカが静かに呟く。
「福音とは、神の言葉。
だが今、それを語るのは神ではない。
……この世界は、どこで道を誤ったのだろうな」
◆
「愚かな人間は同胞で潰し合うものだ」
その声は低く、しかし全員の胸を貫いた。
「この真実を話しただけでも、貴様らは憎しみと疑いで内側から崩壊するだろう」
その一言に、空気が凍った。
アッシュの表情が険しくなる。
ムウは歯を食いしばり、サガは拳を震わせる。
シャカの瞳には、諦念にも似た光が宿っていた。
ルシファーはその反応を見て、愉快そうに口角を上げた。
「見ろ。もう始まっている。
心の揺らぎは、刃よりも速く伝わる。
一人の疑念は、百人の混乱を生む。
それが人というものだ」
「黙れ!」
アッシュの叫びが響く。
その怒りは、誰よりも自分に向けられていた。
自分が築いた秩序が、たった一人の言葉で揺らいでいる。
ルシファーが語った真実──それが嘘でも、仲間たちの心にはもう迷いが生まれてしまっている。
アッシュは地を蹴った。
黄金の光が爆発する。
そのまま一直線にルシファーへ突き進んだ。
拳に込めた小宇宙は、かつての戦いを超える。
だが、その動きを見ていたのはルシファーではなかった。
「下がれ、主に指一本触れさせはせぬ」
そう言い放ったのは、熾天使ベルゼバブだった。
その黒翼が一閃する。
衝撃が走った。
アッシュの体が宙を舞い、砕けた神像の残骸に叩きつけられる。
地面が抉れ、粉塵が舞う。
「アッシュ様!」
エレナの悲鳴が響くが、アッシュはすぐに立ち上がった。
口元から血を拭い、再び構える。
「……まだだ」
だが、ルシファーはもう戦う気などなかった。
彼はその場から一歩も動かず、ただ見下ろしていた。
「その目。悪くない。だが、それもすぐに曇るだろう」
アッシュは睨み返す。
「お前の目的は何だ。聖域を滅ぼして、何を得る」
「得る?」
ルシファーが薄く笑う。
「違う。これは裁きだ。
人間の傲慢に対する、神の最終宣告。
地上にいる神──アテナ、エリス、ヴィーナスの三柱を、生贄に捧げよ。
そうすれば、お前たちの滑稽な地上支配を、引き続き認めてやらんでもないぞ?」
その言葉に、全員の小宇宙が一斉に爆発した。
エレナの瞳に怒りが宿る。
「貴様……!女神を生贄などと……!」
シャカが低く呟く。
「……福音の次は、贖罪か」
ルシファーは満足そうに笑った。
「贖罪?いや、これは救済だ。
神々が地上に縋りつく限り、人間は進化しない。
だから私は、神を殺し、人を自由にする」
アッシュは歯を食いしばった。
「お前が言う自由は、ただの破壊だ!」
「破壊こそ、真の創造だ」
ルシファーは天を見上げた。
「この世界は偽りに満ちている。
平和を名乗る偽善者が、どれだけ血を流してきたか。
お前たちはその上に座って笑っている。
だから私は来た。お前たちが作った秩序を、神の名のもとに壊すためにな」
その声には確固たる信念があった。
その冷徹な理屈が、逆に誰よりも人間的だった。
アッシュは拳を握ったまま動けなかった。
ルシファーの言葉が、ほんの一瞬、自分の胸に刺さったのを自覚していたからだ。
彼の言うことは間違っている。
だが、完全な嘘ではなかった。
平和のために、どれだけの犠牲を払ってきたか──それを一番知っているのは自分だ。
沈黙の中、ルシファーが微笑んだ。
「黙ったか。ならば良い。
お前たちは戦うべき相手を見失った。
今度は神を疑い、仲間を疑い、己の信じる正義を疑う。
そうして、互いに滅びるのだ」
その瞬間、周囲の空間が揺れ始めた。
聖魔天使たちがルシファーの背後に集まり、光輪のような陣が展開される。
そこから漏れる光は、聖域のどの小宇宙とも異なる。
それは神々の祝福ではなく、堕天の光。
「フハハハ……!来れるものなら、我が伏魔殿で待っていよう」
ルシファーの声が響く。
「もう一度言う。地上の神々を連れてこい。
アテナ、エリス、ヴィーナス──三柱を生贄として捧げるのだ。
その時、お前たちの滑稽な楽園を、もう少しだけ見逃してやる」
ムウが叫ぶ。
「ふざけるな!我らはアテナを守る者だ!」
ルシファーは冷たく笑う。
「守る?いや、囚われているのだ。
神も人も、もう自由ではない。
だからこそ私は裁く。
そのために、天より堕とされたのだから」
その言葉と共に、ルシファーたちの身体を包む光が一層強くなった。
禍々しい渦が天へと伸び、空間そのものが裂けていく。
闇と光がねじれ合い、まるで天界へ通じる門のように開く。
アッシュが駆け出した。
「逃がすかッ!」
だが、その瞬間、アシタロテの掌から放たれた黒い波動が、アッシュの足元を飲み込んだ。
空気が歪み、彼の体が一瞬動きを止める。
その隙に、ルシファーたちの姿が完全に光に包まれ、消え去った。
残されたのは、沈黙と、焦げた石の匂いだけだった。
エレナが駆け寄る。
「アッシュ様!大丈夫ですか!?」
「……ああ」
アッシュは息を整え、拳を握った。
「伏魔殿、か……。やつの拠点が、ついに姿を現すというのか」
サガが低く呟く。
「神を生贄に、か……。もし奴の言葉が真実なら、アテナ様の危機は……」
シャカが静かに答える。
「いや、危機ではない。
すでに始まっている。
神々の裁きと、人の業の清算が」
アッシュは空を見上げた。
そこには、ルシファーが消えた裂け目が、ゆっくりと閉じていくのが見えた。
だが、その奥に、黒い宮殿の影が確かに見えた。
──伏魔殿。
神をも拒む、最悪の地。
◆
神殿に響き渡るのは、今まで聞いたことのない警報音だった。
先ほどまでのアテナ神殿の事件など、前触れに過ぎなかったのだと誰もが悟る。
モニターのアラートが赤く点滅を繰り返す中、通信回線のノイズを突き抜けて、エレナの叫びが響く。
「参謀長!聖域上空に、先ほどのアテナ神殿の反応を遥かに上回る、超巨大エネルギー反応!
何かが……何かが浮上してきます!」
アッシュは反射的にモニターの操作盤に手を伸ばした。
「映像を出せ!」
次の瞬間、聖域上空の映像が拡大表示された。
青く晴れ渡っていた空が、急速に暗転していく。
太陽の光がねじ曲がり、雲が渦を巻く。
まるで空間そのものが何かに侵食されているようだった。
サガが息を呑む。
「……空が……裂けている……?」
それは比喩ではなかった。
空間が縦に割れ、裂け目の奥から、黒い光が漏れ出していた。
その光が地表を照らすたびに、聖域全体のエネルギーフィールドが歪み、神殿の防護壁が警告音を鳴らす。
「……何だ、あれは」
アッシュが呟いた。
目を凝らすと、裂け目の向こうに、ゆっくりと姿を現す何かがあった。
最初は霧のように見えたが、それが次第に形を取り始める。
巨大な塔群。
黒い尖塔がいくつも連なり、頂点からは流れるような血のような光が滴っている。
全体が岩とも金属ともつかない素材でできており、重力を無視して宙に浮かんでいた。
それは、かつてアッシュが知る限り、二度と現れてはならない禁忌の構造体。
「……伏魔殿……!」
彼の声に、サガが振り返る。
「まさか、それは……伝承の……!」
アッシュは唇を噛みしめた。
「間違いない。堕天使ルシファーが神に反旗を翻した時、その居城ごと地獄に封印された堕天の都。
それが……地上に出てきた」
その言葉の意味を、理解できた者はほとんどいなかった。
だが、モニター越しの光景が、全てを物語っていた。
黒雲の中から現れた伏魔殿は、ゆっくりと聖域上空へと浮上していた。
その規模は、聖域全体を覆うほど。
塔の頂から放たれる光線が、まるで神罰のように大地を照らす。
聖域全域に設置された防衛衛星群が自動で照準を合わせ、エネルギー砲を発射した。
だが、光線はすべて伏魔殿の外郭で弾かれた。
まるで、何億年も前からそこに存在していたかのような、絶対的な防壁。
「そんな馬鹿な……!」
サガが声を荒げた。
「防衛網が通じない!?アッシュ、どうなっている!」
「……通じないんじゃない。拒絶されてる。
この構造体そのものが別の次元に存在しているんだ。攻撃が届くわけがない」
アッシュの額に汗が滲む。
指先で入力するたび、モニターの反応速度が落ちていく。
まるで聖域そのもののシステムが、外部から干渉されているようだった。
「内部侵入プログラムを走らせている……!?」
彼の思考が追いつかない。
どんな超技術も、これほど完璧に聖域のネットワークを掌握することは不可能なはずだった。
サガは拳を握った。
「アッシュ、俺たちの上に浮かんでいるあれは……神の領域なのか?」
「違う。あれは……神から堕ちた者たちの領域だ」
アッシュの目が細く光る。
「アベルやエリス、ポセイドン──どれもまだ健在のはずだ。
本来なら、ルシファーが再び地上に顕現する時期ではない。
タイムラインが……完全にバグっている」
サガが怪訝そうに眉を寄せた。
「バグ?」
「いや、何でもない」
アッシュは自分の口を押さえた。
原作の知識を口走りそうになる癖が、無意識に出ていた。
だが今は説明している暇もない。
伏魔殿の外壁が淡く光り、次の瞬間、地上に向けて幾筋もの光柱が放たれた。
それは熱でも炎でもない。
聖域の一部の塔が、音もなく消えた。
跡形もなく、ただ消滅した。
「くそっ!」
アッシュが歯を食いしばる。
「防御結界、最大出力!」
エレナの声が通信越しに響く。
「無理です!結界がすでに逆位相に干渉されています!このままでは……!」
「全域避難を優先しろ!
非戦闘員をすべて地下区画へ!
聖闘士は前線へ集結!」
指示を飛ばしながらも、アッシュは伏魔殿を睨み続けていた。
あれはただの城ではない。
ひとつの意志だ。
「……ルシファー……!」
黒き翼の王が、再びこの地に降り立つ。
その眼は、神々の座に返り咲こうとする者の冷たい光を宿していた。
サガが息を呑む。
「これが……神に弓引いた者の姿か……」
アッシュは拳を握り、ゆっくりと立ち上がった。
「いいかサガ、これはただの侵攻じゃない。
世界そのものの再構築が始まる」
聖域の上空を覆う黒雲の中で、雷が走る。
伏魔殿の頂に立つルシファーが、微笑んだ。
「──我は帰還した」
その声は、聖域全土に響き渡る。
地平線の向こうまで、空が完全に黒く染まる。
偽りの平和は、堕天使の降臨によって唐突に終わりを告げた。
神に挑む者と、それを止めようとする者。
聖域史上、最も絶望的な聖戦の幕が、今、上がった。
サガ「……で、アテナ神像の首が落ちた時、お前、冷静に観察してたな」
アッシュ「性だ。つい切断面の構造が気になってな」
サガ「まるで科学者の死体解剖だな」
アッシュ「神の遺体を分析する科学者、っていうのも悪くないだろ?」
サガ「……お前、冗談を言える余裕があるうちはいい。俺は胃が痛い」
アッシュ「お前が教皇の仮面をかぶってる限り、胃痛は職業病だ」
サガ「……ルシファーに暴露された件、どう落とし前をつける?」
アッシュ「あとがきで話すことじゃないな」
サガ「読者が一番聞きたいところだろう」
アッシュ「……さて、次回は翔子・響子・エリスが出張る番だ。
神の裁きより、女神たちの方がよほど恐ろしい」
サガ「間違いない。俺は地獄より姉妹喧嘩の方が怖い」
この次の映画編はどちらがいいですか?
-
真紅の少年伝説編(日本編)
-
最終聖戦の戦士たち編(聖域編)