聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
沈黙の病室で、男と女が語るのは戦いではなく、信念のこと。
黄金聖衣が光を放つとき、
一人の女が秘書を捨て、戦士へと生まれ変わる!
蟹座の黄金が選ぶのは、血か、愛か――!
次回──『ロマンチストたちの聖域』!
聖衣は呼ぶ。愛と誇りを、背負える者の名を!
出撃まで、残された時間は一時間。
聖域中央病院の特別病室には、沈黙が漂っていた。
デスマスクは窓際に立ち、包帯の巻かれた腕をだらりと下げながら、外を眺めていた。
遠くの空では、物資を運搬する輸送機が整備塔の間を縫うように飛び交っている。
彼はいつものように軽口を叩く気にもなれなかった。
扉が静かに開く。
音もなく足音を響かせ、エレナが入ってきた。
デスマスクは振り返らずに言った。
「おう、首席秘書官様じゃねえか。なんだ? 俺の治療費の請求書でも持ってきたか?」
いつもの調子。
だがエレナは、笑いもしなければ言葉も返さなかった。
彼女のヒールが床を打つ音だけが、病室の中に響く。
デスマスクが眉をひそめ、ゆっくりと振り向いた。
その表情には、いつもの皮肉も飄々とした笑みもない。
エレナは、まっすぐに彼を見つめていた。
「デスマスク……少し、よろしいかしら」
その声音に、彼はわずかに驚いた。
あのエレナが、これほど真剣な顔で自分に話しかけるなど――そう多くはない。
「……どうした。珍しく堅い口調じゃねえか」
「なぜ……あなたは、アッシュ様の味方をするの?」
静かな問いだった。
だがその一言に、病室の空気が一瞬で張りつめた。
デスマスクは一拍の沈黙のあと、肩をすくめて笑った。
「ああ? そんなことかよ。そりゃあ俺は、なんて言ったってアッシュ師範の腰巾着だからなぁ」
エレナは眉を寄せ、じっと彼を見つめた。
「真面目な話をしているのだけれど」
「……おっと」
デスマスクは苦笑した。
エレナの目が、本気だった。
その気迫は、戦場で向き合った敵よりも怖かった。
「……どうした、お前らしくもねえな。せっかく結婚したんだろうに」
その軽口に、エレナは何も返さない。
ただ、まっすぐに彼を見ていた。
その沈黙に、デスマスクは観念したように息を吐き、窓際の椅子に腰を下ろした。
「……わかったよ。応えてやる」
彼は、腕を組みながら天井を仰いだ。
「俺はな、あのアッシュって奴が好きなんだよ」
エレナの瞳がわずかに動く。
「いつも『合理的だ』『非効率だ』って言ってるくせに、やってることはどれも非合理の塊だ。
親友一人のために教皇殺しの片棒を担いで、神々に喧嘩を売るなんざ、正気の沙汰じゃねえ。けどよ――」
デスマスクはそこで言葉を切り、わずかに笑った。
「最高にカッコいいじゃねえか。そういう馬鹿は。
合理とか正義とか全部無視して、自分の信じた奴を守るためだけに突っ走る。
そんな男、俺は他に知らねえよ」
窓の外で風が吹き、カーテンがかすかに揺れた。
彼の声には、普段の軽薄さとは違う温度が宿っていた。
「俺がこの聖域に残ったのは、そいつがいたからだ。
誰も信じねえ俺が、あいつだけは信じられた。
嘘も隠し事もあるだろうが、それでも一貫してる。
俺が決めたことは、俺が責任を取る――それをやってのける奴なんざ、アッシュぐらいのもんだ」
デスマスクは拳を軽く握った。
「だから俺は、絶対にあの人を裏切らねえって決めたんだ。
最後まで関わり抜いてやる。地獄の果てまでな」
エレナは黙って彼の言葉を聞いていた。
その横顔には、強がりと不器用さと、確かな誇りが見えた。
やがてデスマスクは、照れくさそうに頭を掻いた。
「……で? お前は俺に、こんな恥ずかしい独白をさせるために来たのか?
羞恥プレイか、コラ」
エレナは微笑んだ。
「いいえ。ただ、確認したかっただけ。
……あなたが、アッシュ様のために戦う理由を」
デスマスクは鼻を鳴らした。
「理由なんざいらねえよ。信じてるから動く。それだけさ」
「……あなたらしいわね」
彼女の声には、わずかな安堵が滲んでいた。
「なあ、エレナ」
デスマスクが言葉を続けた。
「お前も、アッシュのことが好きなんだろ」
「……ええ」
エレナは即答した。
「でも、私は彼を人としてではなく、夫として見ているつもりよ。
彼がどんな罪を犯そうと、どんなに非合理でも、私は彼を支える。それが妻としての役目だから」
デスマスクは軽く笑い、立ち上がった。
「へぇ……まいったね。
俺なんかより、よっぽど腰巾着じゃねえか」
エレナもつられて笑った。
「そうね。あなたに言われたくはないけど」
◆
エレナは立ち尽くしたまま、しばらく彼を見つめていた。
何かを決意したような、その瞳の奥に揺らぎはなかった。
「デスマスク」
その呼びかけは、先ほどの柔らかい声ではなく、ひとりの戦士のそれだった。
デスマスクは片眉を上げた。
「……なんだよ。改まって」
「私の――一生のお願い」
その言葉の響きに、デスマスクはわずかに目を細めた。
彼女がお願いなどという言葉を口にするのは、初めて聞く。
「……なんだそれ。物騒な響きだな」
「この戦いで、蟹座の黄金聖衣を、私に貸して」
短い沈黙が落ちた。
病室の空気が一瞬で重くなる。
「……は?」
デスマスクは聞き間違えたと思った。
「おい、そいつは冗談で言う台詞じゃねえぞ」
「冗談じゃないわ」
エレナの声は、真っすぐだった。
彼女は一歩、彼に近づいた。
「私はこの戦い、アッシュ様のため……いいえ、アッシュのために戦う。
これまで私は、あの人の隣に立つことしかできなかった。支えることしかできなかった。
でも、今回は違うの。初めて、ただ憧れるだけじゃない。
あの人が信じたロマンとやらのために、私も命を懸けてみたいの」
その言葉を聞いたデスマスクの瞳が、ゆっくりと細まる。
冗談ではない。本気の顔だった。
彼女の背筋には、戦士としての覚悟が宿っている。
誰かに命じられた戦いではなく、自分の意志で立とうとする人間の目だ。
沈黙が数秒、流れた。
その時だった。
部屋の隅に置かれた黄金聖衣の箱――蟹座の聖衣箱(パンドラボックス)が、
カチリ、と小さな音を立てた。
デスマスクは振り向き、目を見張った。
黄金の聖衣が淡く輝き、まるで持ち主の決意に呼応するように光を放っていた。
「……見ろよ」
デスマスクは笑った。
「相棒も、お前を認めたみてえだな」
エレナは一瞬だけその光に見惚れ、そして小さく息を呑んだ。
その聖衣は、今まで何人もの命を喰らい、血を浴び、そして再び輝きを取り戻してきた。
彼女はその重みを理解した上で、それを背負おうとしている。
デスマスクは、煙草を取り出すような仕草で手を動かしたが、途中で止めた。
彼の目の前にいるのは、もうただの秘書官ではなかった。
「……良いねえ」
低く笑いながら、デスマスクは言った。
「本当にいい女だよ、お前は。
会った頃から、ただの堅物じゃねえと思ってたぜ」
「光栄ね」
エレナは口元にわずかな笑みを浮かべた。
「俺は戦いに出られねえ。体がまだ動かねえんだ。
だが、その代わりに相棒を預けてやる。
行けよ、黄金聖闘士――今だけは、そう呼んでやる」
その言葉に、エレナの表情が一瞬だけ揺れた。
彼女は胸の前で両手を組み、深く頭を下げた。
「ありがとう、デスマスク」
そして、ほんの少しだけ照れくさそうに笑った。
「……私、あんたみたいな男、好きよ」
デスマスクは吹き出した。
「ふん、人妻に言われてもな……」
「褒め言葉よ」
「知ってるよ」
デスマスクは顔をそむけ、窓の外に目をやった。
彼の声が、少しだけ掠れて聞こえた。
「死ぬんじゃねえぞ」
エレナは力強く頷いた。
「死なない。
生きて、アッシュの隣に帰る。
それが私の、もうひとつの仕事だから」
彼女が背を向けると、蟹座の聖衣箱が眩い光を放った。
黄金の粒子が空気中を舞い、彼女の身体を包み込む。
その瞬間、エレナの姿は秘書官から黄金聖闘士へと変わった。
純白の衣装が黄金の輝きに染まり、髪が風に揺れる。
その光景を見ながら、デスマスクは苦笑いを浮かべた。
「……こりゃあ、本物の女神だな」
エレナは振り返らずに言った。
「女神は恐れ多いわ。私はただの、アッシュの女」
デスマスクは口の端を上げた。
「いいね。そっちのほうがずっと強え」
光の粒が弾け、聖衣が完全に彼女の体に馴染む。
それは不思議なほど自然な姿だった。
黄金の装甲が彼女の意志を認め、呼吸するように輝いていた。
デスマスクは、腕を組んでその背を見送った。
「……行ってこい。
その聖衣は軽くねえ。けど、お前なら背負える。
あいつが選んだ女だ。間違いねえ」
エレナは扉の前で立ち止まり、振り返った。
「デスマスク」
「ん?」
「もし、私が戻れなかったら――」
「バカ言え」
デスマスクは即答した。
「そういうもしは、戦う前に言うもんじゃねえ。
帰ってきてから言え。
そのときは、またコーヒーでも奢れ。ブラックな」
エレナは小さく笑い、頷いた。
「ええ、約束する」
扉が開き、光が差し込んだ。
エレナは黄金の輝きを纏い、静かに歩き出す。
彼女の背中が見えなくなってからも、デスマスクはしばらく立ち尽くしていた。
風がカーテンを揺らし、聖衣箱の残光が彼の頬を照らす。
「……行っちまったな」
呟きは誰に向けたものでもない。
だが、その声の奥には確かな誇りがあった。
「まったくよ。
ロマンチストばっかりだ、この聖域は」
そう言いながら、彼は口元を緩めた。
その笑みは、少しだけ寂しく、そして誰よりも温かかった。
デスマスク「……なあ、エレナ」
エレナ「なに?」
デスマスク「お前さ、出撃前に夫にただの女宣言するとはな。アッシュの心臓、二回は止まるぞ」
エレナ「それでも動くのがあの人でしょ。死なないわ」
デスマスク「そりゃあ、ロマンの病だからな」
(小さく笑い合う二人)
デスマスク「……行け。お前のロマン、見せてこい」
エレナ「ええ。帰ったら、コーヒー淹れてあげる」
デスマスク「砂糖三杯な」
エレナ「……ブラックだったはずじゃ?」
デスマスク「今は甘ぇ気分なんだよ」
デスマスク「……ロマンチストばっかりだ、この聖域は」
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真紅の少年伝説編(日本編)
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最終聖戦の戦士たち編(聖域編)