聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜   作:斉宮 柴野

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月光きらめくエリス神殿──
ついに太陽神アベルは、自らの口で地上の裁定を告げた。

だが、妹への愛か、世界への慈しみか、
あるいは……ただの情緒不安定か!?

揺れる神。
ざわつく女神たち。
そして、何も知らない童守町の皆さん。

アベルは地上に猶予を与えた──
けれどそれは、ほんの序章にすぎない。

「神は人間を赦した……しかし、問題はここからだ」

次回、
『愛の天秤は揺れるのか!? 神々と人間のゆらぐ世界』
どうぞ、心を落ち着けてお待ちくださいませ。


愛の天秤は揺れるのか!? 神々と人間のゆらぐ世界

 月の光が差し込むエリス神殿の最上階で、僕は窓辺に立っていた。見下ろせば、童守町の夜景が小さく瞬いている。ネオンも街灯も、神話の時代には存在しなかった光だ。それでも、そこに生きる人間たちの営みは、あの頃とあまり変わらない気もする。

 

 背後で扉が開く音がした。

 

「全員、揃ったな」

 

 アイオロスの低い声が聞こえる。靴音が近づき、彼の後に翔子、響子、そして沙織の気配が続いた。僕はすぐに振り返らず、もう一度だけ夜景に視線を落とした。これから口にする言葉が、この光を消すかもしれないと考えていたからだ。

 

「アベル、一体何を話すつもりなの」

 

 翔子の声に、エリスの響きが混ざる。僕はようやく振り返り、四人を見た。父と母と、女神たちと、妹。地上に降りてから、僕の世界はずいぶんと騒がしくなった。

 

「今日は、僕の裁定を伝えに来た」

 

自分の聲が、少しだけ重く響くのが分かる。

 

「僕がこの地上に降り立った目的は、一つだけだ。人間が、生きるに値するかどうかを見極め、その結果によっては地上を浄化する。それが、太陽神アベルとしての務めだった」

 

 沙織の肩がぴくりと震える。アイオロスは腕を組み、表情を引き締めた。響子は口元に笑みを浮かべたまま、しかし真剣な目で僕を見ている。翔子は何か言いたげだったが、エリスが抑え込んでいるのか、黙っていた。

 

「神の眼から見れば、人間は本当に愚かだ」

 

僕は淡々と言葉を紡ぐ。

 

「争いを繰り返し、欲に溺れ、自分の過ちを他人のせいにする。正義と悪を都合よく塗り替え、昨日の敵を今日は利用し、明日の味方を平気で裏切る」

 

 アイオロスの拳が小さく握られた。けれど反論はない。それが事実であることは、彼自身よく知っているからだろう。

 

「僕は、神話の時代にもそれを見てきた。だからこそ、一度は世界を焼き払おうとした。あのとき、君たち三柱に止められたからこそ、今ここに立っている」

 

エリスが、むっとした顔で鼻を鳴らす。

 

「この数週間、僕はこの町で人間を見てきた。幾千の夜と、幾億の魂のうち、ごくわずかな断片だけど、それでも最初に見ていたものよりずっと鮮明だった」

 

視線を沙織へ向けた。

 

「愚かな者たちは、確かにいる。自分だけ得をしようとして他人を踏みにじる者。罪悪感もなく暴力を振るう者。神の加護だけを求めて、責任は一切負わない者。僕の配ったお守りの御利益だけを喜び、そこに込められた意味には目も向けない者たちもいた」

 

 沙織が、気まずそうに視線を泳がせた。彼女の周りで、嬉々としてお守りを欲しがっていたクラスメイトたちを、僕もよく覚えている。

 

「でも、それだけじゃなかった」

 

息を吸い込み、言い方を少しだけ柔らかくする。

 

「妹の周りには、裏表のない友人たちがいた。困っているときに、見返りもなく手を伸ばす子どもたちだ。君たちの会社で働く人間たちの中には、自分の家族の時間を削ってまで、誰かのために働こうとする者もいた。銀行で、見ず知らずの他人の前に無意識で立ちふさがる人間もいたな」

 

 それを言うと、翔子が得意そうに胸を張り、アイオロスが苦笑いした。あの銀行強盗のときのことを、全員が思い出している。

 

「僕の信者たちの中にも、本当に誰かの無事を願って祈る者がいた。自分のことではなく、家族や友達のために、だ。御利益があるからじゃなくて、誰かを守りたいから神にすがっていた」

 

そこまで言って、僕は一度言葉を切った。

 

「人間は光ではない」

 

はっきりと告げる。

 

「けれど、光を求め続ける者たちだ。泥の中で、手探りで、何度も間違えながら、それでも上を見ようとしている。僕はそれを、愚かだとは思う。けれど同時に、嫌いにはなりきれなかった」

 

ヴィーナスが、楽しそうに目を細めた。

 

「僕はヴィーナス様から、人間を観客席から眺める楽しみを教えられた。最高の悲劇であり、最高の喜劇だと言っていたね。エリス様からは、人間が争いの中から何度でも立ち上がるしぶとさを聞いた。泥だらけで、それでも前を向く姿が美しいと」

 

エリスは、少し照れくさそうにそっぽを向いた。

 

「そして、アテナからは――」

 

沙織を真正面から見た。彼女はきょとんとした顔で首を傾げる。

 

「パンケーキが美味しいから、友達とおしゃべりするのが楽しいから、オタク談義が幸せだから、そんな単純な理由で『世界がなくなるのは嫌だ』と言われた」

 

「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃない!」

 

沙織が頬を膨らませる。けれどその言葉は、僕の心の深いところに残っていた。

 

「それを聞いたとき、僕は気づいた。僕はずっと、神の視点だけで人間を見ていたんだ。善悪や価値を天秤にかけて、重さで裁こうとしていた。でも彼らは、そんな秤の外側で、笑ったり泣いたりしている生き物なんだろう」

 

広間に静寂が降りる。僕は一度目を閉じ、ゆっくり開いた。

 

 

 

 

 

 

 広間の空気は、まだ重かった。さっき告げた「裁定」という言葉が、壁や天井に張りついているみたいに動かない。月の光だけが静かに差し込んで、僕たちの影を床に長く落としていた。

 

 僕はゆっくり歩き出した。円を描くように、皆の前を回る。裁く者らしく振る舞おうとすればするほど、胸の奥で何かが引っかかる。

 

「人間は矛盾の生き物だ」

 

 自分の声が、広間に素直に響いていくのを聞きながら、僕は続けた。

 

「愛を口にしながら憎しみを育てる。平和を望むと言いながら、戦う道を選ぶ。正義を掲げていながら、その正義を都合よく塗り替える。僕が見てきた人間は、いつもそんな存在だった」

 

 アイオロスが目を伏せ、翔子の奥でエリスが小さく舌打ちする気配がする。響子の中のヴィーナスは、相変わらず微笑んだまま僕を見ていた。

 

「その罪の多くは、無知と恐怖の果てにある。分からないから、怖いから、誰かを傷つけ、誰かにすがる。神に責任を押しつけ、祈りながら、明日も同じ過ちを繰り返す。神の目から見れば、これほど扱いづらい生き物はいない」

 

 言葉にしてみると、あまりにも冷たい評価だと自分でも思う。それでも、それが長い時間をかけて見てきた「事実」であることも否定できない。

 

 そこで僕は足を止め、沙織の前に立った。彼女はきょとんとした目で僕を見上げてくる。その瞳の奥には、さっきまでゲーム画面を追いかけていた無邪気さと、アテナとしての静かな光が、ぎこちなく同居していた。

 

「だけどね、アテナ」

 

僕は彼女に向かって、はっきりと言った。

 

「彼らは、闇だけの存在じゃなかった。無知の闇を抱えながら、その中に自分で火をつけようとする者がいた。恐怖に震えながら、それでも誰かの手を握ろうとする者がいた。僕はこの街で、そういう人間を何人も見た」

 

 星矢が血だらけになって立ち上がる姿。ぬ〜べ〜とやらが、それでも子どもたちの前に立ち続ける背中。弱いくせに諦めない、どこにでもいる大人たちと子どもたち。神話の時代には、意識すら向けなかった顔が、今はひとつひとつ浮かんでくる。

 

「彼らは星だ。生まれて、すぐに消えていく小さな光。でも、その一瞬だけ、本気で輝こうとする。自分のために、誰かのために。僕は、その光が夜空を照らすのを、この目で見てしまった」

 

 沙織が、少し驚いたように息を飲む。その反応に、僕は苦笑したくなる。言っている本人が、いちばん驚いていたからだ。

 

「だからね、僕はもう、『全部焼き払えばいい』とは言えない。どれだけ空が濁って見えても、どこかにまだ一つでも善い光が残っているかもしれない。神である僕は、その一つを見逃したくない」

 

エリスが、ふん、と鼻で笑った。

 

「『随分と甘くなったじゃないの、小僧』」

 

エリスの口から漏れたその声には、揶揄と、ほんのわずかな安堵が混じっていた。

 

「甘さかもしれない。でも、それを知ってしまった以上、僕は昔の僕には戻れない」

 

 そう答えると、今度はアイオロスへと視線を向ける。彼は黙って、こちらをまっすぐ見返した。守るべきものをたくさん抱えながら、それでも前に進もうとする、厄介な人間の代表みたいな男だ。

 

「僕は、善い者たちの存在を知ってしまった。自分より弱い誰かのために、平然と自分の命を差し出す者。傷つけられても、それでもまた誰かを信じようとする者。そういう人間を見た時、神としての僕は思ったんだ」

 

言葉を区切って、ゆっくりと息を吸う。

 

「人間は、本当にどうしようもない愚か者だ。でも、同時に、とんでもなく愛おしい生き物でもある」

 

響子が小さく笑い、ヴィーナスの気配がくすぐったそうに揺れる。

 

「完全な存在は変わらない。僕たち神は、完成しているせいで、成長しづらい。でも、欠けているからこそ、君たちは変わる。痛みを知って、後悔して、それでも少しずつ前に進む力を手に入れていく。その『変わる力』は、神にはない奇跡だ」

 

 自分で言っておきながら、その言葉が胸の中に静かに沈んでいくのを感じた。これは、ここに降りてきて初めて理解したことだ。上から見下ろしていた頃の僕には、見えなかった景色だ。

 

「だから僕は、こう決めた」

 

広間の中心まで戻り、皆を一度に見渡す。月の光が、四人の顔を淡く照らしていた。

 

「人間の粛清は、保留にする。全面的な赦しじゃない。けれど、僕は見続けたい。夜空がどれだけ汚れても、まだどこかで誰かが光ろうとしている限り、その火を消すわけにはいかない」

 

エリスが眉をひそめる。

 

「『いつまで保留にしておくつもり?永遠なんて、ないのよ』」

 

「もちろん、永遠じゃない」

 

首を振った。

 

「この街で僕が出会った、良い人たちがいる。家族になった者たち、友と呼べる者たち。彼らが自分の人生を走り抜けるまで。その天寿を全うするまでは、僕はこの世界に猶予を与えたい」

 

 アイオロスが目を見開く。翔子の奥で、エリスが黙り込む。響子は、どこか寂しそうに、それでも満足げに微笑んでいた。

 

「それは、僕のわがままだ。神としての判断というより、僕という一個の存在の、個人的な答えかもしれない。けれど、今の僕には、これしか選べない」

 

 そう言い切った瞬間、肩の力がふっと抜けた。長い長い独り言を、やっと終えた気分だった。

 

「…それが、太陽神アベルとしての裁定だ」

 

 静寂が広間を満たす。誰もすぐには口を開かなかった。外から、童守町のかすかな喧騒が届いてくる。笑い声、車の音、遠くの犬の鳴き声。その全部が、今はやけに近く聞こえた。

 

 最初に動いたのは、沙織だった。彼女はぱたぱたと足音を立てて僕のところまで駆け寄ると、そのまま僕の右手を力いっぱい握った。

 

「お兄様」

 

見上げてくる顔は、子どものようで、女神でもあった。

 

「ありがと」

 

その一言に、僕は少しだけ目を見張った。感謝されることなど、考えてもいなかったからだ。

 

「僕は、自分のやりたいことを言っただけだよ」

 

 そう答えながら、握られた手に少しだけ力を込める。温かい。人間の体温だ。神々の宮殿では、決して味わえなかったぬくもりだ。

 

「じゃあ、僕もしばらくは、ここで一緒に生きてみるとしよう。君たちがどこまで変われるのか、この目で見届けてやる」

 

 そう告げると、アイオロスが安心したように笑い、翔子が「やれやれ」と肩をすくめた。響子は立ち上がり、窓の外の夜空を見上げる。

 

「ねえ、アベル君」

 

ヴィーナスの声が、響子の口を通して聞こえてくる。

 

「その猶予が終わる頃、あなたの天秤がどう傾いているのか、楽しみにしているわ」

 

「その時までに、君たちの方こそ、答えを用意しておきなよ」

 

そう言い返すと、広間に小さな笑い声が広がった。

 

 神としての顔を少し外して、僕は妹の手を引き、階段へ向かう。下の階では、きっと誰かがゲームをつけっぱなしにしている。明日になれば、また学校と仕事と、どうでもいい日常が始まる。

 

人間は矛盾だらけだ。それでも――

 

「まあ、悪くない」

 

僕は妹と並んで、月の光の中を歩いていこう。




アベル「……父さん。さっきの裁定の件なんだけど」

アイオロス「ああ、ようやく腹をくくったな、アベル」

アベル「……ひとつ、確認しておきたい」

アイオロス「うん?」

アベル「なんで、アテナ──沙織を止めるときより、僕の世界浄化を止めるほうが嬉しそうなんだい?」

アイオロス「そりゃあ……父親として娘の恋路も大事だが、世界存亡はもっと大事だからな」

十二宮編の最後は誰と誰の対決に?

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