聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜   作:斉宮 柴野

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遥かなる神々の黄昏を越え、
新たな運命の風が城戸沙織を包む!

黒き法衣に銀の鎖、
頬に刻む蒼き紋様は、
彼女が選んだ影の翼──アズライール!

だが待ち受けるは、熾烈なる宿命ではなく──
安全講習!ヘルメット!ライン作業!

愛ゆえに闇を選び、
闇ゆえに光を護らんとする少女は叫ぶ!

「星矢……あなたの未来、私が切り拓く!」

次回!
『蒼き死の天使見習い、ヘルメットをかぶる』
地上よ、これが新時代のアテナだ!


蒼き死の天使見習い、ヘルメットをかぶる

大きな窓から朝日が差し込んで、磨き上げられたテーブルの上で、銀のカトラリーが光を跳ね返している。キッチンからは焼きたてのクロワッサンとコーヒーの匂い。新聞を広げたくなるような、絵に描いたような「上流階級の朝ごはん」ってやつだ。

 

……そのキッチンで、黄金聖闘士がエプロン姿でフライパンを振っていなければ、の話だけど。

 

「翔子、そっちのサラダ、もう少しオリーブオイル足したほうがいいかな?」

 

「うん、いい感じ。はいはい、アベル、パン皿取って」

 

「ふあぁ……。これだから地上は油っぽい……」

 

エプロンに「WORLD'S BEST DAD」と書かれたパパ――アイオロスが、卵料理を盛り付けている。向かいの席には、翔子ママ。そして端の席で、寝癖の残る髪をかき上げながらパンをかじっているのが、太陽神アベル。神様なのに、朝はだいたい不機嫌だ。

 

三人とも、わりと見慣れた風景。

問題は、ここからだ。

 

二階の廊下から、コツ、コツ、とヒールの音が響いた。

 

いや、正確にはローヒールなんだけど、それとは別に。

 

ジャラ……ジャラ……。

 

金属のぶつかり合う音が、階段にこだまする。

 

パパの手が止まった。

 

ママが「ん?」と顔を上げる。

 

アベルが、パンをかじったまま眉をひそめた。

 

私の足音だ。

そして、私に付属している「オプションパーツ」の音でもある。

 

階段の上に立ち、私は一瞬だけ肺いっぱいに空気を吸い込んだ。

 

……よし

 

背筋を伸ばして、ゆっくりと階段を降りる。

段を下りるたびに、腰から下げた銀の鎖が鳴る。ジャラ、ジャラ、と。

 

ダイニングに到着した私は、テーブルの前で一度立ち止まり、軽くスカートの裾を持ち上げて会釈した。

 

「おはようございます、皆様」

 

声のトーンは少し低め、落ち着いた感じを意識する。

 

「……いいえ」

 

そこで、わざと間を置いた。

 

「今の私は『城戸沙織』ではありません」

 

テーブル側の空気が、固まる音がした。

 

視線が一斉に私に集中する。

その瞬間のために、昨夜から何時間もかけてコーディネートを練ったのだ。

ここで引いたら負け。

 

今日の私は、ゆったりとした法衣っぽいシルエットの黒いドレス。

肩から袖にかけてはレース。裾は床すれすれ。

その上から、銀色の鎖を何重にもぐるぐる巻きにしている。腰、胸元、肩、あらゆるところにチェーン。

おまけに右の頬には、ハート型のタトゥーシール。

鏡で確認したとき、「暗黒微笑系」と自分で命名したくらいの出来栄えだ。

 

狙っているのは「冥界の美少女教祖」路線。

さあ、家族のリアクションやいかに。

 

最初に口を開いたのは、アベルだった。

 

「…………父さん」

 

めちゃくちゃ真面目な顔で、パパの名前を呼ぶ。

 

「僕の妹は、いつから冥界の神に転職したのだ?」

 

パパは、お玉を持ったまま完全に固まっていた。

スクランブルエッグがフライパンの中でじわじわ焦げている。

 

「いや……」

 

かろうじて声が出る。

 

「いや、あれは冥界というより……なんだろう、世紀末?」

 

「世紀末って失礼じゃない?」

 

一応抗議しておく。

 

「コンセプトは『中世+現代+黙示録』です。トレンドをミックスした結果なので、世紀末呼ばわりは心外です」

 

「黙示録がデフォルトで混ざる時点で、だいぶ問題だと思うけど」

 

ママが、額に手を当てた。

 

「沙織、その鎖、重くないの? 見てるだけで肩こりしそうなんだけど。というか、それで学校行くの?」

 

「ふっ……」

 

できる限り冷たく笑う。

いわゆる「暗黒微笑」のつもりだ。

 

「重さ? これは私が背負う『業』の重さに比べれば、羽のようなものよ」

 

「はいはい、カルマね」

 

ママは即答した。

 

「でもランドセル背負いにくいわよね、それ」

 

笑いをこらえながら、普通に現実的なツッコミを入れてくる。

 

パパが、お玉をフライパンの上に置き、ようやく我に返った。

 

「と、とにかく、その……朝ごはんに鎖を巻いたまま来る娘は初めて見たよ、パパは」

 

「慣れれば可愛いですよ、たぶん」

 

「たぶんで言うな」

 

アベルは、じっと私を観察している。

兄としてか、太陽神としてかは知らないけれど、視線に妙な圧がある。

 

「その服装に、何か意味はあるのか?」

 

「ありますとも」

 

椅子の背もたれに手を置き、くるりとターンしてドレスの裾を広げてみせた。

 

「『光の下で笑うことを許されなかった少女が、自ら闇を選んだ末に辿り着いた新しい翼』、というテーマです」

 

「長い」

 

アベルが冷静に切り捨てた。

 

「要するに、反抗期ということか?」

 

「違います。進化です」

 

堂々と言う。

 

「ただのアテナでも、ただの社長令嬢でもない。新しいステージへの進化。その一歩がこれなんです」

 

ママが、わざとらしく小さく拍手した。

 

「はいはい、テーマのプレゼンは上手にできました。えらいえらい」

 

「子ども扱いしないでください」

 

「実際子どもでしょ。十二歳」

 

ぐうの音も出ない。

私は黙って椅子に座った。

 

 

テーブルの上に、スクランブルエッグとソーセージ、サラダ、トーストが並べられる。

 

パパはまだ私の鎖を気にしている。

 

「イスの脚に引っかけるなよ。立ち上がる時、ひっくり返るぞ」

 

「それはそれで、演出的にはアリかなと」

 

「ダメです」

 

ママとパパが、珍しくハモった。

 

アベルが苦笑しながらパンをちぎる。

 

「しかし、妹よ。お前は、どうしてそこまで闇に寄せようとする?」

 

「闇じゃないです」

 

フォークを持ちながら言い返した。

 

「これは『影』です。光が強いほど影も濃くなる。なら、その影ごと引き受けられる女神になったほうが、物語的にも映えるでしょう?」

 

「物語的、という言葉の意味を、後でじっくり聞きたいな」

 

アベルはコーヒーを飲みながら、半眼になった。

 

「地上の物語文化に毒されている気がする」

 

「兄様だって、最近アベル会の勧誘パンフレットでやたら煽ってるじゃないですか。『君も太陽神の加護でリア充ライフ!』とか」

 

「やめろ、黒歴史を暴くな」

 

パパが、興味津々でアベルを見る。

 

「そんなコピーのチラシ作ってたのか? 後で見せてくれないか?」

 

「絶対に嫌だ!」

 

朝からいつも通りカオスで平和な食卓。

でも、今日はここからが本番だ。

 

ゆっくりと右腕を持ち上げた。

 

手首には、黄金に輝くブレスレット。

勝利の女神ニケの象徴。

 

「見てください」

 

家族全員の視線が、再び私の手首に集まる。

 

「勝利の女神ニケも、今の私に合わせて姿を変えました」

 

そう宣言してから、私は小宇宙を指先に集中させた。

 

皮膚の下から、熱が込み上げる。

黄金の輝きが、ブレスレットからじわじわとあふれ出してくる。

 

「……え?」

 

パパが息を呑む。

 

「ちょ、ちょっと沙織、それ──」

 

言い終わる前に、ブレスレットが柔らかく溶けた。

 

金属なのに、液体みたいにうねりながら形を崩していく。腕の上を流れて、手の甲へ、指先へ。

 

「ジャキィン!」

 

短く鋭い音を立てて、黄金の塊が固まる。

 

私の右手には、一本の短いナイフが握られていた。

 

刃渡りは二十センチほど。

握りやすいグリップ。

そして、刀身の根本には、小さなハート型の刻印。

 

私の渾身のカスタマイズだ。

 

「どうですか、この可愛い細工!」

 

得意げにナイフを掲げる。

 

「自分で刻印したんですよ、このハート。ちゃんとバランスも考えて──」

 

「それ、呪いのルーン文字にしか見えないんだけど」

 

ママが、顔をひきつらせた。

 

「しかも、その形状、どう見ても『暗殺者のダガー』に寄せてるでしょ!」

 

「よろしくお願いします、ママ。今後ともご愛顧のほど」

 

「宣伝トーク挟まないで!」

 

パパは、完全に青ざめていた。

 

「さ、沙織……そのナイフの先っちょを、パパに向けないでくれるかな?」

 

「え?」

 

自分がナイフを向けている方向を確認して、慌てて軌道を変えた。

 

「ごめんなさい、無意識でした」

 

「無意識で神殺しの凶器向けないでくれ!」

 

パパは胸に手を当てて、大きく息をした。

 

「黄金聖衣でも、防げる気がしないんだが。今、何か嫌な汗かいたぞ」

 

アベルも、珍しく真顔だった。

 

「……妹よ。お前、いつの間にそんな危険物を錬成できるようになった?」

 

「昨日の夜です。徹夜で」

 

胸を張った。

 

「杖もいいんですけど、リーチが長いぶん、どうしても動きが読まれやすいんですよね。ナイフなら懐に入り込んで、一突きで──」

 

「一突きで、じゃない!」

 

ママが慌てて遮る。

 

「あんたねぇ! アテナの聖なる杖を、なんでそんな物騒な方向にアレンジするのよ!」

 

「だって、杖だと戦いにくいじゃないですか」

 

純粋な気持ちで首をかしげる。

 

「星矢を守るってことは、敵の懐に飛び込んででも攻撃止めなきゃいけないでしょう? なら、リーチ短くて取り回しのいい武器のほうが合理的です」

 

「合理性の問題じゃないのよ、もうそれ」

 

ママがこめかみを押さえる。

 

アベルはナイフを見つめて、低く唸った。

 

「これは……神殺しの波動と言っても差し支えない。少なくとも、神々の間でそういう扱いを受けるレベルの武器だぞ」

 

「便利ですよね!」

 

素直に頷いた。

 

「お兄様に何かあったら、これで──」

 

「そこでこれでって言うな!」

 

キッチンの空気が一気にざわつく。

 

パパとママが、同時にお兄様を見る。

 

「アベル、何か心当たりは?」

 

「なぜ私を見る」

 

「最近お前、沙織に変な漫画貸してなかった?」

 

「怖いことを言うな。私は真っ当な漫画しか──」

 

「『漆黒の死神プリンセス☆ルシファー』とかいうタイトルのやつ、あなたの部屋にあったけど」

 

ママの冷たい眼差し。

アベルは一瞬で視線を逸らした。

 

「……それは、その、文化的研究だ」

 

「出た、『研究』」

 

私はくすっと笑う。

 

「お兄様、そういうの、今後はちゃんと私にも回してください。参考資料として」

 

「これ以上こじらせるつもりか?」

 

パパが心底心配そうに言った。

 

「……沙織」

 

少し間を置いて、ママが改めて私をまっすぐ見た。

 

「そのナイフを、どうするつもり?」

 

「どうするって」

 

私は、くるっとナイフを指の上で回してから、食卓の椅子に腰を下ろした。

椅子の背もたれに体を預け、足を組む。

玉座に座る女王のイメージ。

 

「決まってるじゃないですか」

 

ナイフの先端を、ひらひらと上に向けて掲げる。

 

「私は決めました。これより『女神見習い・蒼きアズライール』を名乗り、ヴィーナスおば様の元へ弟子入りします」

 

「は?」

 

食卓の空気が一気に固まった。

 

最初に反応したのはパパだ。

 

「アズライール!? それ、死を司る天使の名前だろう!?」

 

「そうですよ」

 

うれしそうにうなずいた。

 

「響き、良くないですか? 『蒼き死の天使』青い瞳の死神。ロゴも作ったんですよ、ノートに」

 

「アテナはどこ行ったんだ、アテナは!」

 

パパが頭を抱える。

 

「あなた、本職アテナでしょ!? 勝手に別の神様にジョブチェンジしないで!」

 

「ジョブチェンジじゃないです」

 

私は、人差し指を立てた。

 

「サブクラス追加です」

 

「そういう問題じゃない!」

 

ママが即ツッコミを入れる。

 

「アテナの上に死神乗せてどうするのよ!」

 

「だってアテナ、イメージが固いんですよね」

 

ナイフをテーブルの上にコトンと置き、パンをちぎりながら話を続けた。

 

「慈愛 智慧 戦いの女神って、教科書に書いてあることは分かるんですけど、今の時代、それだけじゃ弱い気がして」

 

「何と比べて」

 

「コンテンツ的に」

 

真顔で答えた。

 

「この世界、強烈なキャラじゃないと埋もれますから。アテナだけだと、だいたい聖母っぽいお姉さんで終わっちゃう。そこに、ちょっと危ない香りのする蒼き死の天使要素を足すことで、唯一無二のポジションが確立できるんです」

 

「コンテンツ戦略で神格をいじるな」

 

お兄様がこめかみを揉んでいる。

 

「お前はいつから自分自身をマネジメント対象にし始めた」

 

「生まれたときからです」

 

「そうだった」

 

ママが遠い目をした。

 

「幼稚園の頃から、このクラスのポジション取りとか考えてたもんね、あんた」

 

「だって、生存戦略ですから」

 

私はさらっと答えた。

 

「とにかく、これからは、もっとモダンで、アグレッシブな女神像が求められているんです」

 

「モダン……」

 

パパが小さく繰り返した。

 

「それ、ただの中二病じゃない?」

 

ママが現実を突きつける。

 

「うるさいです、そこは黙って見守ってください」

 

ママの言葉を遮った。

 

「ヴィーナスおば様の会社で見習いをしながら、真の強さと美しさを学ぶ計画なんです。おば様のプロデュース能力と、私のポテンシャルが合わされば、きっと最強の女神パッケージが完成します」

 

「パッケージとか言うなし」

 

パパが、半分笑いながら首を振る。

 

「……星矢が帰ってくるまでに、私は生まれ変わるのよ」

 

その言葉だけは、完全に本心だ。

 

星矢が、聖闘士として正式に日本に戻ってくるその日。

その時までに、「守られるだけのアテナ」から、「一緒に戦えるアテナ+α」へ。

 

私のわがままで、誰かが傷つくのは嫌だ。

でも、星矢が傷だらけで戻ってくるのも、もっと嫌だ。

 

だから。

 

「……まあ」

 

パパが、ふう、とため息をついた。

 

「星矢のために強くなりたいという気持ちは、買うよ」

 

ママも、頬杖をつきながら私を見つめる。

 

「響子姉さんのところなら、変な方向に行きすぎないように、たぶん……うん、たぶん手綱を握ってくれる……といいんだけどね」

 

「今、ちょっと不安そうに目をそらしたよね?」

 

「だってあの人、面白がると煽るタイプだし」

 

それは否定できない。

私も知っている。

 

「でも、誰かに止められても、私は行きますから」

 

ナイフを握り直し、椅子から立ち上がった。

 

「今日から、『蒼き死の天使(見習い)アズライール』としての一日が始まるのです」

 

「宣言が派手なのよ、いちいち」

 

ママが溜息をつく。

 

パパは、苦笑しながらエプロンの紐をほどいた。

 

「分かった分かった。とりあえず、朝ごはん食べてから出発しような、蒼き死の天使さん」

 

「はい、パパ」

 

意外と素直に椅子へ戻り、トーストを頬張った。

 

 

 

 

朝食を終えると、玄関前にはすでにリムジンが待機していた。

今日はグラード財団本社行き。

痛車に改造されていない、比較的普通の社用車だ。

 

ドアを開けて乗り込むと、車内には誰もいない。

一人になると、さっそく頭の中が騒がしくなった。

 

『……ねえ』

 

脳内で、落ち着いた女性の声が響く。

 

『嘘でしょ?』

 

「うるさいわね」

 

私はシートベルトを締めながら、心の中で返事をした。

 

「今は蒼き死の天使アズライールの時間なんだから、アテナは黙ってて」

 

『その服装』

 

脳内アテナの声が、心底あきれた感じになる。

 

『その鎖。頬のハート。そして、そのナイフ。どれもこれも、私のイメージから遠ざかる要素しかないのだけれど?』

 

「これは私のアイデンティティです」

 

私は窓の外を見ながら言う。

 

「地上には中二病という尊い文化があるの。自分の黒歴史を量産することで、人は成長するんです」

 

『私の神格を黒歴史の材料にしないでくれる?』

 

「大丈夫ですよ。ちゃんと将来的に笑い話にしますから」

 

『余計心配だわ』

 

車は静かに発進した。

街路樹が流れていく。

 

『それにしても』

 

アテナの声が、少しだけ真面目になる。

 

『アズライールという名を選んだ理由は?』

 

「カッコいいからです」

 

即答。

 

『即答した……』

 

「あと、意味的にもぴったりかなって」

 

私は膝の上でナイフをくるくる回した。

 

「星矢を守るために、邪魔な存在は全部天に還っていただく。そういう役回りには、死の天使って肩書きが合うでしょう?」

 

『物騒にもほどがあるわね』

 

アテナがため息をつく。

 

『私は「地上を守る」神。あなたは「人を殺す」ために力を得たわけではないのよ』

 

「分かってます。ただ、敵は敵ですから」

 

車窓に映る自分の姿を、じっと見る。

 

黒いドレス。

銀の鎖。

頬のハート。

 

「優しいだけの女神って、逆に残酷だと思うんです」

 

『……どういう意味?』

 

「全部守れないのに、守ってあげるって言うの、残酷じゃないですか」

 

そう呟いて、私は笑った。

 

「だから私は、守れないものは最初から敵として処理するスタンスでいきます。星矢の世界から邪魔なものは全部排除して、その代わり、守るって言ったものは、絶対に守る」

 

『あなた、十二歳よね?』

 

「成長期です」

 

『精神面が一周回ってない?』

 

「一周どころか三周目に入ってる気がします」

 

自覚はある。

でも、そのくらい極端に振り切らないと、神様と聖闘士に挟まれた生活はやってられない。

 

アテナが、少し沈黙したあとで呟く。

 

『……星矢のこと、好きなのね』

 

「う」

 

図星を突かれて、思わず声が漏れた。

 

「そ、そりゃあ……」

 

言葉を濁して窓の外を見る。

 

「まあ、その、嫌いじゃないです」

 

『嫌いじゃない程度で、ここまで全身鎖まみれにはならないと思うけど』

 

「表現の自由です」

 

窓の外に、グラード財団のビルが見えてきた。

 

高層ビルの上部には、相変わらず派手なロゴ。

太陽と翼、そして「GRADE FOUNDATION」の文字。

 

『最後にもう一度だけ言わせて』

 

アテナの声が、わずかに懇願混じりになる。

 

『その格好と肩書きで、私の名を出歩かないで。ブランドイメージが』

 

「大丈夫です。今日はアズライール沙織として出社しますから」

 

『よけい嫌な予感しかしない……』

 

車がビルの地下駐車場に滑り込む。

エレベーターに乗り、最上階へ。

 

扉が開くと、そこはグラード財団の心臓部、社長室フロア。

重厚な扉の向こうから、紅茶の香りが漂ってきた。

 

ノックしてから入ると、窓辺のテーブルで、響子おば様――ヴィーナスが紅茶を飲んでいた。

 

「おはようございます、ヴィーナスおば様」

 

私が一礼すると、おば様は一瞬だけ目を瞬かせた。

紅茶を吹き出すことも、カップを落とすこともなく、優雅なまま。

 

「……あら」

 

少し口角を上げる。

 

「今日はずいぶんと前衛的な戦闘服ね、沙織」

 

「そうですか?」

 

私は嬉しくなって、ドレスの裾を軽くひるがえした。

 

「コンセプトは『蒼き死の天使』です。今日から、女神見習いとして修行させていただきますので、その決意表明を形にしてみました」

 

「鎖、多いわね」

 

「業の重さです」

 

「頬のハートも、なかなか攻めてるわ」

 

「血の契約です」

 

「そして、その手のナイフは?」

 

「ニケです」

 

私は右手を掲げる。

 

「勝利の女神ニケを、現代風にリメイクしました。可愛いでしょ? ここにハートの刻印も入れて──」

 

「それ、普通に見たら呪いの短剣よ?」

 

おば様は笑いながらも、きっぱりと言った。

 

「少なくとも、スイーツブランドのロゴには使えない種類の意匠だわ」

 

「そうですか?」

 

私はちょっとだけしょんぼりする。

 

「じゃあ、デザートナイフってことにすれば」

 

「もっとダメ」

 

おば様は、紅茶をソーサーに戻しながら目を細めた。

 

「……で?」

 

少し間を置いてから、改めて問いかけてくる。

 

「その格好で、今日は何をしに来たのかしら、アズライールさん?」

 

私は一歩前に出て、胸に手を当てた。

 

「今日からご指導お願いします、師匠」

 

「誰が師匠?」

 

「ヴィーナスおば様です」

 

私は即答した。

 

「本日付で、私は『女神見習い・蒼き死の天使(アズライール)』として、ヴィーナスおば様の下で修行させていただきます。まずはこのナイフで、敵の眉間を的確に──」

 

「はいストップ」

 

おば様の声が、きっぱりとした調子に変わる。

 

「ここ、お菓子会社よ?」

 

「知ってます」

 

「敵の眉間を狙う職場じゃないの」

 

私は少し考えてから言った。

 

「じゃあ、ライバル企業の会長の眉間を」

 

「もっとダメ」

 

ため息まじりに却下された。

 

「……でもね」

 

おば様は、口元に笑みを浮かべる。

 

「その常識をぶち壊す気概は、嫌いじゃないわ」

 

「ほんとですか!」

 

ぱっと顔を明るくした。

 

「じゃあ、この方向性でブランド展開を──」

 

「ただし」

 

おば様は、人差し指を立てた。

 

「その格好でお菓子工場のラインに入ったら、鎖が巻き込まれて大惨事になるから、まずは着替えなさい」

 

「えー!」

 

思わず素で声を上げてしまう。

 

「これが私のアイデンティティなのに!」

 

「アイデンティティより安全基準が優先されます」

 

おば様はきっぱり言い切った。

 

「死の天使が、労災の原因になってどうするの」

 

「死の天使だからこそ、現場に血の香りが似合うのでは」

 

「そんなコンセプトの工場、嫌よ」

 

おば様はこめかみを押さえた。

 

「いいこと? 沙織。強さと美しさを学びたいのは分かるけれど、まず覚えるべきは、ヘルメットのかぶり方と安全靴の履き方なの」

 

「……蒼き死の天使、ヘルメット着用ですか」

 

「そうよ。反抗期でもヘルメットはかぶるの」

 

想像してみる。

黒い法衣に銀の鎖、頬にハートのタトゥーシール、手に黄金のナイフ。

その上から、黄色いヘルメットと安全靴。

 

中二病と安全衛生のミスマッチがすごい。

 

「……ギャップ萌えですかね?」

 

「そういう問題でもないわね」

 

おば様は苦笑したあと、少し真面目な声になった。

 

「でも、来てくれて嬉しいわよ、沙織」

 

「え?」

 

「星矢くんのために強くなりたいって、その気持ちは本物でしょう?」

 

「……まあ」

 

私は視線をそらした。

 

「否定はしません」

 

「だったら、その気持ちを、ちゃんと現実に役立つ形に変えていきましょう」

 

おば様は立ち上がり、私の前まで歩いてきた。

そして、鎖だらけの肩にそっと手を置く。

 

「強さっていうのはね、殴る力だけじゃないの。守るために必要な知識、仲間を動かす言葉、人を笑顔にする余裕。全部含めて強さよ」

 

「……」

 

「そのうえで」

 

おば様はにやっと笑った。

 

「殴る力もちゃんと磨いてあげるから、安心なさい」

 

「さすがヴィーナス、話が早いです」

 

私は思わず笑ってしまう。

 

「ね。だからまずは、工場に入る前のオリエンテーションから。死の天使も、安全衛生講習は受けなきゃいけないの」

 

「死の天使が、ヘルメットかぶってビデオ見るんですか」

 

「ええ。『指差し確認ヨシ!』ってやるのよ」

 

頭の中に、あり得ない光景が浮かんだ。

 

黒い法衣に鎖をじゃらじゃらつけた自分が、ラインの前でヘルメットをかぶり、真顔で「転倒注意ヨシ」とか言っている姿。

 

「……面白そうですね」

 

「でしょ?」

 

おば様も、楽しそうに微笑む。

 

「さあ、アズライール。まずは更衣室で、鎖とナイフを一旦預けてらっしゃい。今日の君は、見習いなんだから」

 

「はい、師匠」

 

私はナイフをそっと胸元に戻しながら、うなずいた。

 

蒼き死の天使(仮)の一日は、こうして、やや地味な安全講習から始まることになった。

 

地上は、私のランウェイ。

でも、そのランウェイにも、ちゃんと滑り止めは必要なのだ。




沙織(アズライール)「今日の私のデビュー、完璧でしたよね? 鎖の揺れ方も、登場の間も、死の天使としての威厳も──」

ヴィーナス「ええ、威厳はあったわ。……主に近寄ってはいけない系のカリスマとしてね」

沙織「ですよね! やっぱりそう見えました!? 星矢もきっと──」

ヴィーナス「星矢くんはまず警戒すると思うわよ。自宅前に鎖まみれのアテナが立ってたら」

沙織「……それはそれでイベント発生では?」

ヴィーナス「中二イベントじゃなくて恋愛イベントを発生させなさい、恋愛を」

沙織「だ、大丈夫です。アズライールは恋愛強者ですから」

ヴィーナス「その肩書のどこに恋愛要素があるのよ」

沙織「闇と愛は隣り合わせです!」

ヴィーナス「あなたの言う愛は、たまに人の生死が隣り合わせになるから怖いの」

沙織「でも師匠、私は本気で星矢を──」

ヴィーナス(微笑)「分かってるわよ。だからこそ言うの。殴る力だけ磨いても、惚れられる女神にはなれないわ」

沙織「……うぐっ」

ヴィーナス「安心しなさい。強さの磨き方も、恋の進め方も、両方教えてあげる」

沙織「本当に!? 師匠、今恋も教えるって──」

ヴィーナス「ただし条件があるわ」

沙織「何でもします!」

ヴィーナス「明日、その鎖、半分減らしてきなさい。まずはそこからよ、蒼き死の天使さん」

沙織「…………そんな……っ!!」

十二宮編の最後は誰と誰の対決に?

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