聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜   作:斉宮 柴野

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華々しくデビューした蒼き死の天使は、勢い余ってビル一棟の電源を落とし、総務部を地獄に叩き落す。
そこへ雷鳴を裂いて現れる兄・アベル……もとい、雷光ケラウノス。

闇堕ち兄妹、誕生。

しかし、魔王の仮面の裏で揺れる少女の心。
アテナとしての宿命。沙織としての願い。
二つの名前の間で、彼女の輪郭が静かに削れていく。

次回──
『蒼き死の天使アズライール、ビルを落雷させる。──そして私は沙織でいられるのか』

ご期待ください。


蒼き死の天使アズライール、ビルを落雷させる。──そして私は沙織でいられるのか

夕暮れのグラード財団の支社ビルの最上階。

社長室の大きなガラス窓の向こうには、オレンジ色の光に染まった東京の街が広がっている。

 

その窓の前に、黒い影がひとつ。

 

 ゆったりとした法衣のような黒いドレス。そこに銀の鎖をぐるぐる巻きにして、腰から床までジャラジャラ垂らしている少女。

 頬にはハート型のタトゥーシール。目元だけ濃い紫のアイシャドウ。足下は、ヒール高めのブーツ。

 

当然ながら、それは私だ。

 

……うん。完璧

 

窓ガラスに映る自分の姿を、私はじっと確認する。

 

黒いドレスは、ネットで見つけた「地雷系ゴシック」を、財団のデザインチームにフルカスタムしてもらったもの。

銀の鎖は安全基準的にかなり怒られたけど、「これは儀礼用の装飾で実戦では外します」という建前で押し通した。

 

頬のハートシールは、鏡の前で二十回くらい貼り直した。

位置がちょっとズレるだけで、可愛いから不審者に早変わりするから。

 

今日から私は──

 

胸の奥で、言葉をそっと噛みしめる。

 

『城戸沙織』じゃない

 

声に出す前から、緊張で指先が少し震えていた。

 

「……神託を見るときだ」

 

低めの声を意識して、ゆっくりと口を開く。

 

「罪人たちよ。殉教を始めよう」

 

我ながら、よくここまで恥ずかしい台詞を滑らかに言えるようになったと思う。慣れって怖い。

 

「……沙織」

 

背中側から、ため息まじりの声が聞こえた。

 

 デスクの向こうで書類に埋もれているのは、この会社の社長であり、私の母の姉、響子おば様だ。こちらをじっと見ている。

 

「それ、多分女神じゃなくて違うものよ」

 

さらっと言われた。

 

「どっちかというと、世界を滅ぼすラスボスのセリフね」

 

「ラスボス女神でも良くないですか?」

 

窓から視線を外さないまま、肩だけすくめる。

 

「古い神々の時代は終わりました。これからはちょっと悪役寄りの女神が新時代のスタンダードです」

 

「どこの市場調査?」

 

おば様はペンを走らせながら、冷静にツッコミを入れてくる。

 

そこへ、空気がふわりと揺れた。

 

「まあまあ、キョーコさん」

 

小さな鈴の音のような気配。

 

おば様の身体の奥にいる、愛と美の女神ヴィーナスが、姿を現した。

 

「面白いじゃない。ねえ?」

 

ヴィーナスは、私の鎖だらけの姿を見て、楽しそうに微笑んだ。

 

「現代の女神像、ってやつよ。少しダークで、支配者っぽくて、でも可愛い。こういうブランディングは嫌いじゃないわ」

 

「ヴィーナス、面白がらないで」

 

おば様が頭を抱える。

 

「教育に悪いのよ、色々と」

 

「えー。女神の教育って、もっと柔軟であるべきだと思うのだけど」

 

擁護派と反対派で口論が始まりそうなので、私は割り込んだ。

 

「ふっ……」

 

右手を軽く掲げる。手首には、馴染んだ黄金のブレスレット。

 

勝利の女神ニケの力を宿した、アテナとしての証。

 

「重さを怖れていては、何も抱えられません」

 

ブレスレットの感触を確かめながら、私は言った。

 

「これは『強さ』の表現です。慈愛だけで世界は救えません。必要なのは、恐怖と、圧倒的なカリスマ」

 

言葉の半分は本心で、半分は自分を鼓舞するためのスローガン。

こうでも言葉にしておかないと、心が揺らぎそうになる。

 

私は、小宇宙を指先からそっと流し込んだ。

 

黄金の輪が、液体みたいに溶けて伸びる。

手首から掌へと流れ込み、指の間に絡みつき、そのまま硬化していく。

 

数秒後、私の右手には、細身の黄金のナイフが握られていた。

 

刃先は鋭く、光を受けて冷たい光を返す。

柄の部分には、私がデザインチームに頼んで彫らせた、小さなハートの刻印。

 

「見なさい」

 

ナイフをくるりと回して、刃の側面を家族に見せつける。

 

「勝利の女神ニケも、今の私に合わせて姿を変えました」

 

「…………」

 

社長室に、微妙な沈黙が落ちた。

 

 おば様は「また仕事が増えた」という顔をしているし、ヴィーナスのほうはきらきらした目で興味津々。

 ドアの近くに控えているアトラスたちコロナの聖闘士は、表情を完全に消して直立不動だ。

 

 

 

アトラスが、完璧なビジネススマイルで頭を下げている。

 背後にはジャオウとベレニケ。全員、黒系スーツに無理やり付けた太陽マークのバッジという、謎の宗教団体っぽいビジュアル。

 

 でも、私が鎖ジャラジャラなので、相対的に彼らのほうがまだまともに見えるのが悲しい。

 

「ご苦労」

 

私は、魔王風に顎をクイっと上げて応じた。

 

「今から、神託を下す儀式を行う。立会人として、その目に刻め」

 

「はっ」

 

三人は同時に胸に手を当て、直立不動になった。

目の焦点がどこにも合っていないあたり、心を無にしているのがよく分かる。

 

 

その瞬間。

 

背後で「バンッ」というすごい音がした。

 

振り向くと、社長室の扉が、普通に開くのではなく、光の粒になって吹き飛んでいた。

ヒンジごとふっ飛ばされて、ドアの残骸が廊下へすべっていく。

 

「ちょっと!!」

 

デスクの前にいた響子おば様が、半分悲鳴のような声をあげた。

 

「誰、うちのビルを物理的に破壊してるの!!」

 

逆光の中に、ひとつのシルエットが現れる。

 

「ククク……」

 

マントを翻した男。

肩には過剰なくらいのスパイク。胸元にはよく分からない発光パーツ。

髪にはエクステが入り、額には「雷」と書かれたタトゥーシール。

 

声を聞くだけで、誰かは分かる。

 

「……お兄様?」

 

言う前に、彼はポーズを決めて叫んだ。

 

「我が名はアベルではない」

 

若干、音響効果を足したような声だ。

たぶん本人の小宇宙エフェクト。

 

「我は、『稲妻』の『雷光』の『ケラウノス』なり!」

 

背後のアトラスたちが、ぴくりと肩を震わせた。

 

……全部カミナリじゃない

 

ツッコミを飲み込むのに必死だった。

代わりに、アトラスたちの視線が「お願いだから何も聞かないでくれ」と訴えてくる。

 

「お兄様」

 

あえて真剣な顔で一歩前に出る。

 

「その服装……とても良いですね」

 

「分かるか、妹よ!」

 

アベル──もといケラウノスが、満面の笑みを浮かべる。

 

「昨夜から考え抜いたコンセプトだ。太陽神としての自分を一度壊し、新たな雷の権能を上書きすることで、アズライールであるお前と対の存在になる」

 

「最高です」

 

素で答えていた。

 

「兄妹で闇堕ちコンビ。絵面のバランスも完璧。配色もよく考えられています。黒と金と雷光の青。視覚的にとても映えます」

 

「であろう?」

 

ケラウノスは、得意げにマントを翻す。

 

そのたびに、背後のパーティションが少しずつ削れているのは、見なかったことにしたほうが良いのだろう。

 

「……ちょっといい?」

 

デスクの向こうから、おば様の低い声が飛んできた。

 

「その扉、誰が弁償するのかしら」

 

「アトラス」

 

アベルが即座に振り向いた。

 

「財布を持ってこい」

 

「お待ちくださいアベル様、私の個人資産ではビルの扉は……」

 

「冗談だ」

 

軽く笑ってごまかす兄。

全然冗談に聞こえないのは気のせいだろうか。

 

「さあ、妹よ」

 

ケラウノスは、どこからともなく雷鳴のような音を鳴らしながら、私の隣に立った。

 

ガラス窓に映るのは、黒い法衣と鎖をまとった少女と、トゲトゲしい雷神みたいな格好の青年。

第三者から見れば、完全に何かの撮影現場だ。

 

「思うがままに世界を支配しようではないか」

 

ケラウノスが、腕を広げて言う。

 

「この地上は我らの箱庭。人間どもは、我らの駒に過ぎぬ!」

 

「はい、ケラウノスお兄様」

 

すかさず乗っかった。

 

「下賤な人間どもめ。我が慈悲を知れ。我が権能を知れ。我が支配を受け入れよ!」

 

二人で、息を合わせる。

 

「アーハッハッハッハッハ!!」

 

社長室に、高笑いが響いた。

 

デスクで書類を持っていた響子おば様は、その瞬間ペンをへし折った。

ビシッという音がやけに生々しい。

 

「…………ねえ、キョーコさん」

 

ヴィーナスが、半眼でつぶやく。

 

「私たち女神のイメージって、今こんな感じなのかしら」

 

「貴女が煽るからよ」

 

おば様は、折れたペンをゴミ箱に投げ捨てた。

 

「あとで取引先に説明するの、全部こっちなんだからね。『本社ビルの扉が突然消し飛んだ理由』っていう議題、会議に出したくないわ」

 

「そんな細かいことは人間の仕事よ」

 

「私はその人間側の窓口なんですけど」

 

胃のあたりを押さえているおば様が、本気で気の毒になってくる。

でも、私も今はキャラを崩せない。

 

ここで崩したら、本当に飲み込まれる。

 

 

 

◆

 

 

 

「見よ、ケラウノス」

 

胸の前でナイフを掲げる。

 

「これが、アズライールの裁きの光」

 

「うむ!」

 

アベルが、隣で派手なポーズを決めた。

 

「示してみせよ、妹よ!」

 

いや、ほんのちょっと見せる程度のつもりだった。

 

ほんの少し、小宇宙を強めて、窓の外に軽い演出用の雷を走らせて──

そのくらいの「ライトな魔王ごっこ」で終わらせるつもりだった。

 

なのに。

 

「あ」

 

と思った時にはもう遅い。

 

胸の奥で、小宇宙が予想以上に膨らんでいた。

さっきの高笑いで、テンションが変に上がってしまったらしい。

 

「見よ! これがアズライールの裁きの光──!」

 

叫んだ瞬間、手の中のナイフから、黒い雷が吹き出した。

 

バチチチチッ!!

 

空気が焼ける匂い。

髪が逆立つ。

室内の機器から一斉に悲鳴のような電子音。

 

次の瞬間。

 

ドォォォォン!!

 

ビル全体が、どんと揺れた。

 

天井の照明が、ぱんっと音を立てて消えた。

パソコンのモニターが一斉にブラックアウト。

コピー機の中で紙が途中停止したまま動かなくなる。

 

薄暗い非常灯だけが、赤く点滅している。

 

「……あ」

 

最初に声を出したのは、おば様だった。

 

「あー……」

 

その声には、もはやツッコミをする元気もない。

 

「おお……!」

 

隣でケラウノスが感嘆の声を上げる。

 

「さすがは我が妹。ビル一棟の電源を落とすとは……これぞ闇の力!」

 

「うるさい」

 

おば様が、鬼みたいな顔で兄を睨んだ。

 

「黙って」

 

そう言いながら、電話機を手探りで探し出し、総務部にダイヤルする。

 

「はい、グラード財団総務部です。申し訳ございません、ただいまの落雷により──はい、落雷です。ええ、自然災害扱いで……」

 

明らかに自然じゃない災害について、自然災害扱いで押し通す社長。

胃薬の消費量が心配だ。

 

私はというと、暗闇の中で、自分の右手を見つめて立ち尽くしていた。

 

さっきまでナイフを握っていたはずの手。

今は、ただの細い指。

でも、その指先には、まだビリビリとした余韻が残っている。

 

やりすぎた

 

頭の奥で、鈍い痛みが広がり始めた。

 

アベルや響子おば様の声が、遠くでぼんやり響いている。

 

「……復旧を急ぎますので……」

 

「損害賠償につきましては追って……」

 

「アトラス、各フロアの被害状況を……」

 

全部、遠い。

 

頭が……痛い

 

こめかみをぎゅっと押さえたくなる衝動を、マントの下でこらえた。

 

『沙織』

 

脳内に、アテナの声が響く。

 

『力を使いなさい』

 

いつもより、少しだけ優しい。

 

『正しき方向に』

 

やめて

 

心の中で呟く。

 

『貴女はアテナ』

 

うるさい

 

声が重なる。

 

うるさい、うるさい、うるさい!

 

頭の中で、同じ名前が反響する。

 

アテナ、アテナ、アテナ

 

その名前が、私の輪郭を侵食してくる感覚。

 

私が「正しくて美しい女神」になったら

 

喉の奥が、きゅっと締め付けられる。

 

城戸沙織は、どこへ行くの?

 

星矢が好きな私。

BL本を読んでニヤニヤしている私。

体育の時間にドッジボールで本気を出しそうになって慌てている私。

 

そういう、ちょっと残念で、ちょっと俗っぽくて、それでも自分で選んできた「私」の部分が、全部削ぎ落とされていく未来がふと頭をよぎる。

 

女神として完璧になったら

 

誰かが言うだろう。

 

「さすがアテナ様ですね」

「ご立派です」

「神々しいです」

 

でも、その時、誰が「沙織」と呼んでくれるのだろう。

 

星矢は、どっちを好きになるの。

 

アテナなのか、沙織なのか。

両方一緒だと言われたら、それはそれで、私の居場所がよく分からなくなる。

 

だから

 

胸の奥で、何かが叫んでいた。

 

だから私は、魔王ごっこをやっている

 

アテナという巨大な名前に押し潰されないように。

「私が、私である」という印を刻んでおきたくて。

 

「私はアテナじゃない」

 

心の中で、必死に繰り返す。

 

「私は、『変な中二病の沙織』だ」

 

頬に貼ったハートシール。

ジャラジャラの鎖。

黄金のナイフ。

 

全部、私が選んだ「楔」だ。

 

痛いくらいのキャラクターを自分に貼り付けておかないと、意識を持っていかれる気がする。

 

静かな恐怖が、背骨を撫でていく。

 

飲み込まれたくない

 

それだけは、はっきりしていた。

 

 

◆

 

 

 

 

非常用電源が回り始め、天井の非常灯が少し明るくなった。

完全復旧には時間がかかるらしいけど、真っ暗ではなくなっただけマシだ。

 

「……ふ」

 

私は、震えそうになる手を、マントの中でぎゅっと握りしめる。

 

ここで怯えた顔を見せたら、全部崩れる。

 

だから私は、もう一度だけ仮面をかぶる。

 

「見たでしょう」

 

なるべく落ち着いた声で言った。

 

「これが、アズライールの力の片鱗」

 

おば様が、電話の受話器を肩と耳の間で挟みながら、じろっとこちらを見た。

 

「片鱗でビル一棟の電源を落とすな」

 

「始末書は書きます」

 

「当たり前よ。あと、修理費はアベル様に請求しますから」

 

「む」

 

ケラウノスが、微妙な顔をした。

 

「アトラス、財布を持ってこい」

 

「アベル様、だから私の財布は……」

 

「冗談だと言っているだろう」

 

やりとりを聞きながら、私は胸を反らせて高らかに宣言した。

 

「我が名はアズライール」

 

喉が少し震える。

でも、それを笑い声に紛れ込ませる。

 

「女神見習いにして、常闇を統べる者!」

 

言葉は、いつもの魔王ムーブの延長。

けれど、その実態は、ほとんど悲鳴だ。

 

社長室のガラス窓に、私の姿が映る。

頬のシール。鎖。ナイフ。

その全部を見ながら、私は内心でそっと呟いた。

 

星矢‥‥遠く聖域で試練中の少年の姿を思い浮かべる。

 

早く帰ってきて

 

この世界で、私を「アテナ」じゃなく「沙織」と呼んでくれる人は、そんなに多くない。

 

その一人が、今は遠い空の下にいる。

 

私が完全に神になってしまう前に

 

全部を諦めて、全部を役割として受け入れてしまう前に。

 

私を、ちゃんと見つけて

 

そんな弱音を、誰にも聞こえない場所でこっそり吐き出してから、私はもう一度だけ笑った。

 

「アーハッハッハッハッハ!」

 

高笑いは、魔王の声に聞こえたかもしれない。

でも、私には、自分の喉から洩れた悲鳴のようにも聞こえていた。




沙織「……ママ。アテナに飲み込まれそうなんです」

エリス「ええ。見ていて分かったわ。あなた、今日ずっと苦しそうだったもの」

沙織「でも……強くならないと。星矢が帰ってくる前に、ちゃんと……」

エリス「ちゃんとって何かしら?」

沙織「……アテナとして完璧になること?」

エリス「それは違うわね」

エリス「星矢が好きなのはあなた。完璧な神様ではなく、不器用で、やりすぎて、泣きたくて……それでも前に進もうとする、あなたよ」

沙織「……でも、私、今日……ビル停電させましたけど……」

エリス「可愛いじゃない。多少の停電くらい、愛よ、愛」

沙織「愛、ですか……?」

エリス「そう。あなたがあなた自身を守るためについた嘘も、背負った鎖も、全部まとめて沙織という一個の少女の形よ」

エリス「大丈夫。あなたがアテナに飲まれそうになったら、私が引き戻す。……世界が壊れても、娘は手放さないわよ」

沙織「……ありがとう、ママ」

十二宮編の最後は誰と誰の対決に?

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