聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜   作:斉宮 柴野

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冬の夜のデートに姿を見せるのは、
待ち合わせに遅刻した少年か――
それとも、少女の心を侵食する女神の声か!?

迫りくる同化の運命!
揺れるアイデンティティ!
そして、星矢の想像を絶する鈍感パワーが奇跡を起こす!

泣いて、叫んで、踏んで、抱きしめる!
神と人間の距離が、今、夜景の中で試される!


神と人との境界線 ~私はまだ、ここにいる~ 後編

寒い。シンプルに寒い。

 

今は12月だ。クリスマスムードで浮かれる街の空気は熱いが、物理的な気温は一桁台だ。なんで私はこんな薄着で来てしまったのか。白いワンピースに、薄手のカーディガン。足元はサンダルに近いパンプス。完全に「デート気合入りすぎ女子」の典型的な失敗例だ。ファッション雑誌の『冬のモテコーデ特集』を鵜呑みにした私が馬鹿だった。「守ってあげたくなる華奢見せコーデ」って書いてあったけど、これじゃ「病院に搬送してあげたくなる低体温症予備軍」だ。

 

場所は、港の見える丘公園。名前の通り、横浜の港が一望できる絶好のロケーション。 周囲を見渡せば、視界に入る人間の9割がカップルだ。あっちでもイチャイチャ、こっちでもベタベタ。二人の世界に入り込んで、周囲が見えていない人たちばかり。本来なら、私もその中の一組として、甘い空気を醸し出しているはずだった。 はずだったのに。

 

「……遅い」

 

腕時計を見る。待ち合わせ時間を10分過ぎている。星矢。私の彼氏。主君と従者?戦友?幼馴染?いや、私の気持ち的には完全に「本命」なんだけど、彼が驚異的な鈍感スキルを持っているせいで、未だにフラグが立っては折れ、立っては折れを繰り返している。

 

『……愚かしい。アテナが、下賤な兵士を寒空の下で待つなど』

 

脳内に響く、冷ややかな声。今日何度目かの、女神からのクレームだ。

 

(うるさいわね。デートの待ち合わせに遅刻はつきものよ。それが恋のスパイスになることだってあるんだから)

 

心の中で反論しながら、かじかむ手をこすり合わせる。寒さで思考が鈍りそうになるけれど、アテナの声だけはクリアに響いてくるから厄介だ。

 

『スパイス?無駄な思考です。遅刻は怠惰の証。規律の乱れは敗北に繋がります。彼が来たら、即座に拳立て伏せ1000回を命じなさい』

 

(やめてよ!どんなブラック企業の上司よ!デート初っ端から筋トレさせる女なんて嫌われるわ!)

 

『ならば、聖域への出入り禁止を……』

 

(もっと重いペナルティ課さないで!)

 

脳内会議で消耗していると、公園の入口の方から、ドタドタという足音が聞こえてきた。 普通、デートの待ち合わせ場所に現れる男子の足音というのは、もっとこう、颯爽としているものじゃないのか。なんで「猪突猛進」って四字熟語が具現化したような音がするの。

 

「さーおーりさーん!!」

 

大声で名前を呼ばれた。周囲のカップルが一斉に振り返る。恥ずかしい。お願いだから、公衆の面前でフルネーム絶叫するのはやめて。

 

走ってくる人影が見える。赤いTシャツ。デニムのパンツ。そして、その背中には――

 

巨大な金属製の箱(聖衣箱・クロスボックス)。

 

(嘘でしょ……)

 

絶句する。デートに?聖衣箱を?背負って来たの?

 

星矢が私の目の前で急停止する。ザザーッと砂利が舞い上がる。

 

「わりぃ!待ったか!?バイト先の店長がなかなか帰してくれなくてさー!」

 

星矢は息も切らさずに、ニカッと笑う。その笑顔は、相変わらず少年漫画の主人公そのもので、無駄に輝いている。でも、その背中の箱の存在感がすごすぎる。天馬のレリーフが彫られた、重さ数十キロはあるであろう青銅の箱。周囲の人が「え、何あれ?ウーバーイーツの新型?」みたいな顔で見ている。

 

「星矢……その箱……」

 

私が震える指で指摘すると、星矢は「ん?」と背中を親指で指した。

 

「ああ、これ?いやー、いつ敵が襲ってくるかわかんねーだろ?丸腰でデート中に襲撃されたら、沙織さんを守れねーからさ!」

 

彼は本気だ。100%の善意と、120%の危機管理意識で持ってきている。それが、乙女心を粉砕していることに気づかずに。

 

(普通、デートに仕事道具持ってくる!?殺し屋だってデートの時は銃を隠すわよ!?)

 

心の中でツッコミを入れるが、口に出す気力がない。寒さと、アテナの精神攻撃で、HPが削られているからだ。

 

『……殊勝な心がけです。常に戦場にあるという覚悟、評価に値します。褒めて遣わしなさい』

 

脳内のアテナがデレた。なんでこういう時だけ評価基準が甘いのよ。戦闘狂なの?

 

「……ううん、いいの。来てくれてありがとう、星矢」

 

なんとか笑顔を作る。引きつっていなければいいけれど。

 

「お、おう!にしても寒いなー!沙織さん、そんな恰好で大丈夫か?鼻の頭、赤くなってるぜ?」

 

星矢が私の顔を覗き込む。近い。急に距離を詰めるのは反則だ。心臓がトクンと跳ねる。 こういう無自覚なところが、彼の最大の武器であり、最大の罪だ。

 

「だ、大丈夫よ。少し、涼しいくらい……」

 

強がりを言った瞬間、くしゃみが出そうになるのを必死で堪える。

 

「無理すんなって。あ、そうだ。あそこに自販機あるから、なんか温かいもん買ってくるわ!ここで待ってて!」

 

星矢は言うなり、返事も待たずにダッシュで自販機へ向かう。そして、ドカッと聖衣箱をベンチの横に置いた。ズシーン、という地響きがする。やっぱり重いんじゃない。そんなものを背負って走ってきたの?

 

彼が自販機の前で小銭を探してポケットをまさぐっている後ろ姿を見つめる。赤いTシャツの背中。頼もしい、大好きな背中。

 

でも。その背中が、一瞬、二重に見えた。

 

視界がぐにゃりと歪む。星矢の姿が、ぼやけて、光の粒になりかける。

 

『……見なさい、沙織。彼の小宇宙を』

 

アテナの声が、さっきよりも大きく、そして近く響く。

 

『あれは天馬星座の輝き。神話の時代より、アテナのために血を流し、骨を砕いてきた、忠実なる下僕の光です』

 

(やめて……星矢は、下僕なんかじゃない……!)

 

『いいえ、道具です。貴女を守るための盾であり、敵を討つための矛。それ以外の価値などありません』

 

(違う……違うわ!星矢は人間よ!彼氏よ!私の大切な人よ!)

 

『個人の感情など不要。貴女は女神として、彼を正しく使い潰せばいいのです。それが、彼にとっての至上の喜びなのですから』

 

視界が明滅する。公園の街灯が、十二宮の火時計の炎に見える。カップルたちの笑い声が、亡者たちの呻き声に聞こえる。寒さとは違う、芯から凍りつくような悪寒が全身を駆け巡る。

 

怖い。私が消えていく。「城戸沙織」としての記憶が、「アテナ」としての膨大なデータに上書きされていく感覚。パソコンのOSを強制的にアップデートされているような、あの逃れられない絶望感。

 

「おーい、沙織さーん!ココア買ってきたぞー!」

 

星矢の声が、遠くから聞こえる。彼が走ってくる。右手に缶ココアを持って。その笑顔が、眩しすぎて直視できない。

 

「ほら、あったかいぞ。……って、おい、どうしたんだよ沙織さん。顔色、すげー悪いぞ」

 

星矢が心配そうに眉を寄せる。彼は差し出した缶ココアを、私の手に握らせようとする。 温かい。缶の熱が、冷え切った掌に伝わってくる。でも、その温もりが怖い。アテナが、それを拒絶しようとするから。

 

『人間の作った泥水など飲む必要はありません。神酒を渇望しなさい』

 

私の手が、勝手に動く。星矢の手を振り払おうとする。

 

(ダメ!振り払っちゃダメ!これは星矢の優しさなの!)

 

必死に、自分の右手を左手で押さえつける。星矢が驚いて目を見開く。

 

「沙織さん……?」

 

「星矢……」

 

声が震える。歯の根が合わない。ガチガチと音が鳴る。

 

ココアを受け取ることができない。手が言うことを聞かない。だから、私は、とっさに彼にしがみついた。

 

彼の赤いTシャツの胸元を、両手でギュッと掴む。聖衣箱を背負っていない今の彼は、ただの少年の身体だ。硬い筋肉の感触。心臓の鼓動。洗剤と、少しの汗の匂い。

 

「お、おいっ!?沙織さん!?ど、どうしたんだよ急に!」

 

星矢が慌てふためく。缶ココアを持ったまま、両手を上げてバンザイのポーズになっている。周囲の視線が突き刺さる。「うわ、積極的ー」とか「痴話げんか?」とかいうヒソヒソ声が聞こえる。でも、そんなのどうでもいい。

 

「星矢……私を見て」

 

彼の胸に顔を埋めたまま、懇願する。

 

「え?み、見てるよ?めっちゃ見てるよ?近すぎて毛穴まで見えそうなくらい見てるけど?」

 

星矢の返答が、相変わらずムードがない。でも、その素っ気なさが、今は逆に救いだ。

 

「違うの!『アテナ』じゃなくて!女神じゃなくて!『沙織』を見て!」

 

顔を上げて、彼の瞳を真っ直ぐに見つめる。涙が勝手に溢れてくる。視界が涙で滲んで、星矢の顔が揺れている。

 

「声が……うるさいの。『地上を守れ』『愛は不要』って……私を消そうとしてくるの」

 

言葉にすると、恐怖が倍増する。口に出してしまったことで、それが現実であることを再認識してしまう。

 

「怖い……。私が私じゃなくなっちゃう」

 

脳内のアテナが、激しく抵抗する。

 

『黙りなさい!なんて見苦しい!神としての威厳を損なう発言です!貴女はアテナ!この地上の支配者!男に泣きつくなど、言語道断!』

 

頭痛がする。頭が割れそうだ。こめかみの辺りで、誰かが工事用のドリルを回しているみたいだ。

 

「ねえ星矢、お願い……」

 

星矢の背中に腕を回す。彼の体温にしがみつく。爪を立てるほど強く、彼のアウター……着てないからTシャツ越しに背中を引っ掻くくらいの勢いで抱きしめる。

 

「私を愛して……もっと強く、繋ぎ止めて……」

 

星矢の体が強張るのがわかる。そりゃそうだ。いきなりこんなこと言われたら、誰だって引く。重い。今の私は、ブラックホールより重い女だ。でも、こうするしかない。

 

「聖闘士としての忠誠心なんていらない。アテナへの誓いなんて破っていい。ただの男の子として、私を好きだって言って!」

 

なりふり構わず叫ぶ。プライドも、羞恥心も、全部かなぐり捨てる。

 

「私はまだ、ここにいるから……!まだ『沙織』だから……!」

 

私の叫び声が、夜の公園に響く。少し離れたベンチでキスしようとしていたカップルが、ビクッとして離れた。鳩が驚いて飛び立った。

 

脳内のアテナが、最終手段に出る。

 

『……無意味です。貴女は――』

 

思考が白く染まる。ホワイトアウト。意識が飛びそうになる。まるで、激辛カレーを食べた直後に熱湯を飲んだ時の口内のように、私の脳内は大パニックを起こしていた。

 

(消えてたまるかぁぁぁぁ!!)

 

星矢にしがみついたまま、意識を繋ぎ止めるために、彼の足を踏んだ。ピンヒールの踵で。思いっきり。

 

「いってぇぇぇぇぇ!!!」

 

星矢が絶叫する。その悲鳴が、私の意識を引き戻す。

 

「さ、沙織さん!?なんで!?なんで今、俺の足を踏んだ!?感動的なシーンじゃなかったのかよ!?」

 

星矢が涙目で私を見下ろしている。痛そう。ごめんね、星矢。でも、あなたの悲鳴のおかげで、アテナの声が一瞬止まったわ。

 

「……星矢」

 

もう一度、涙に濡れた顔で彼を見上げる。

 

「痛かった?」

 

「痛ぇよ!小指の骨いったかも知れねぇよ!」

 

「痛みは、生きている証拠よ……」

 

「いや、そういう哲学的な話じゃなくて!物理的なダメージの話!」

 

星矢は片足でケンケンしながら、それでも私を突き飛ばしたりはしなかった。右手のココアも、こぼさずに持っている。さすが聖闘士。バランス感覚がすごい。

 

「……たく、もう」

 

星矢はため息をつくと、空いている左手を、私の頭にポンと置いた。大きくて、ゴツゴツした手。

 

「よくわかんねーけどさ。沙織さんは沙織さんだろ?」

 

彼の言葉は、驚くほど軽かった。私の深刻な悩みを、軽さで受け止める。

 

「俺にとってのアテナは、確かに守るべき女神だけどさ。でも、俺が守りたいのは、あのでっかい像じゃなくて、目の前で鼻水垂らして泣いてる沙織さんだぜ?」

 

「……鼻水垂らしてないわよ」

 

「垂れてるって。ほら」

 

星矢は親指で、私の目元(と鼻の下あたり)を乱雑に拭った。痛い。扱いが雑だ。でも、その雑さが、たまらなく心地いい。アテナなら、絶対にこんな扱いは許さないだろう。 これは、城戸沙織に対する扱いだ。

 

「俺は難しいことはわかんねぇ。神様の事情とか、宇宙の心理とか、学校のテストに出ないしな」

 

星矢はニカッと笑う。

 

「でも、沙織さんが消えそうなら、俺が何度でも呼んでやるよ。大声で。近所迷惑になるくらいにな」

 

「……もう十分、近所迷惑よ」

 

「へへっ。だろ?」

 

星矢はそう言うと、私の背中に回した腕に、少しだけ力を込めた。抱きしめ返してくれた。ぎこちないけれど、確かな力強さで。

 

「だから安心しろよ。俺の小宇宙で、沙織さんのこと、がっちり捕まえといてやるからさ」

 

彼の体から、温かい気が流れてくるような気がした。それは攻撃的な小宇宙ではなく、陽だまりのような、優しいエネルギー。 それが私の中に入り込んで、冷たいアテナの声を溶かしていく。

 

『……ふん。不愉快です』

 

脳内のアテナが、捨て台詞を残して、奥へと引っ込んでいく気配がした。勝った。星矢の天然力と、私のピンヒール攻撃の勝利だ。

 

「……ありがと、星矢」

 

彼の胸に顔を埋めたまま、今度は安堵の涙を流した。ココアの缶が、私の背中に当たって温かい。

 

「おう。……で、そろそろ足から降りてくんねぇかな?マジで痛いんだけど」

 

「あ、ごめんなさい」

 

慌てて彼の足から足をどける。 星矢の右足の甲が、少し凹んでいる気がする。聖衣を着ていれば防げたのにね。

 

「ったく……最強の攻撃だったぜ……」

 

星矢は苦笑いしながら、私にココアを差し出した。

 

「ほら、冷めちまう前に飲めよ。沙織さん」

 

「うん」

 

ココアを受け取る。プルタブを開けると、甘い香りが漂う。一口飲むと、甘ったるい液体の味が、身体中に染み渡った。泥水なんかじゃない。これは、私が今まで飲んだ飲み物の中で、一番美味しいものだ。

 

「……美味しい」

 

「だろ?俺の奢りだぜ。高いんだぞ、130円もするんだから」

 

「ふふっ。城戸財団で工場ごと買い取ってあげましょうか?」

 

「出た!お嬢様ジョーク!勘弁してくれよー」

 

星矢が笑う。私も笑う。夜景は綺麗だ。寒さは相変わらずだけど、もう震えは止まっていた。

 

私はまだ、ここにいる。この鈍感で、優しくて、ちょっと乱暴な少年の隣に。神と人との境界線なんて、ココア一本で飛び越えられるのかもしれない。なんてね。

 

「さ、帰ろうぜ。辰巳のおっさんが心配して、竹刀持って探しに来る前にさ」

 

「そうね。……あ、星矢」

 

「ん?」

 

「あの聖衣箱、持って帰るのよね?」

 

「当たり前だろ!置き去りにしたら、魔鈴さんに殺される!」

 

星矢は再び、あの巨大な箱をよっこらせと背負う。その姿はやっぱり、デートの帰り道というよりは、これから修行に向かう修行僧だ。でも、今の私には、その姿が世界で一番格好良く見えた。

 

「手、繋いでいい?」

 

「え?ああ、まあ、暗いしな。転んだら危ないしな」

 

星矢が差し出した左手を、私はしっかりと握りしめる。ゴツゴツした指。私はこの手を、絶対に離さない。たとえ、アテナがどれほど文句を言おうとも。

 

(ざまぁみなさい、アテナ。私の勝ちよ)

 

夜空に向かって、心の中でVサインを送った。 星空の向こうで、誰かが舌打ちしたような気がしたけれど、きっと気のせいだろう。

十二宮編の最後は誰と誰の対決に?

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