聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜   作:斉宮 柴野

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神々の争いが火蓋を切り、父と母は別れの道を選ぶ……!
愛する娘を救うため、射手座の黄金聖闘士アイオロスは、運命のステージへと歩き出す!
その胸に宿る決意は、ただ一つ。

「家族を、取り戻す」

次回――
『射手座の誓い、太陽の言葉』

さあ、燃えろ小宇宙!
運命はまだ、砕けていない!!


射手座の誓い、太陽の言葉

グラードコロッセオのバックステージ。

 

熱狂する観客たちの歓声が、分厚いコンクリートの壁を通して、遠い地響きのように響いている。コンクリートの冷たい壁が続く無機質な通路。そこに、一人の男が立ち尽くしている。射手座のアイオロス。黄金聖闘士としての輝かしい鎧、黄金聖衣を纏っているが、その背中は普段の彼からは想像もできないほど小さく見える。

 

彼は壁に片手をつき、自身の重みを必死に支えている。 その指先が、わずかに震えている。

 

カツ、カツ、カツ。通路の奥から、ヒールの音が近づいてくる。アイオロスはその音に反応するが、すぐに振り返ることはしない。誰が来たのか、小宇宙を感じなくても分かるからだ。彼の最愛の妻であり、そして今は複雑な運命を共有するパートナー。

 

「アイオロス君!」

 

切羽詰まった声が、通路の空気を揺らす。アイオロスはゆっくりと振り返る。そこに立っているのは、翔子だ。彼女は息を切らせ、乱れた髪を直すこともせず、夫の顔を真っ直ぐに見つめている。その瞳には、不安と、それ以上に強い意志が宿っている。

 

アイオロスは、強張った表情筋を無理やり動かし、妻に向かって微笑む。それは、見ている側が辛くなるほど、痛々しい笑顔だ。

 

「……翔子」

 

名前を呼ぶ声が掠れる。翔子は一歩、また一歩と彼に近づく。彼女の視線は、アイオロスの黄金聖衣に、そしてその奥にある彼の瞳に突き刺さる。

 

「アイオロス君、本当に行くの?あの『アテナ』に従って……沙織を取り戻すためじゃなく、彼女の兵隊として?」

 

翔子の問いかけは鋭い。彼女は誤魔化しを許さない。アイオロスは視線を少しだけ伏せる。床の無機質なタイルを見つめ、そして再び妻を見る。

 

「ああ。……この13年は、きっとそのためにあったのだと俺は思うから」

 

彼は静かに、だがはっきりと告げる。

 

「一度死んだはずの俺が、こうして生き永らえ、沙織を育てた。それは今日、彼女が『神』として覚醒するまでの露払いだったのかもしれない」

 

それは、自分自身を納得させるための言葉だ。アッシュと城戸光政に助けられ、生を繋いだあの日から、彼は常に「借り物の命」だと思って生きてきた。その命を、アテナのために使い切る。それは聖闘士として、あまりにも正しい結論だ。

 

しかし、それを聞いた翔子の表情が歪む。悲しみではない。怒りだ。

 

「そんな……!貴方はパパでしょ!?」

 

翔子の叫びが響く。その瞬間、彼女の周囲の空気が変わる。優しい母親の雰囲気が消え失せ、禍々しくも神々しい、圧倒的な圧力が通路を満たす。翔子の瞳の色が、鮮やかな赤へと変化する。彼女の内に眠る、争いの女神エリスが表層に現れる。

 

「……そんな顔で言うなよ、我が夫よ」

 

声のトーンが下がる。威厳と冷徹さを帯びた、女神の声。エリスはアイオロスの目の前まで歩み寄り、彼を見上げる。

 

「それに、これが終われば次は我々だぞ?」

 

エリスは冷笑を浮かべる。

 

「あの娘(アテナ)は言った。聖域を平定した後、ショーコごと我を封印すると。お前はそれを座視するのか?」

 

痛烈な指摘だ。アテナ(システム)は明言した。地上の支配者は一人でいい。他の神々は、たとえ家族であっても排除する、と。アイオロスがアテナに従うということは、最終的に妻である翔子を、そしてエリスを討つ側に回ることを意味する。

 

アイオロスの肩が大きく跳ねる。彼の脳裏に、アテナの冷酷な言葉と、翔子の笑顔が同時に浮かぶ。聖闘士としての忠義。夫としての愛。相反する二つの感情が、彼の心臓を引き裂くように暴れ回る。

 

「そんなことはさせん!!」

 

アイオロスの怒声が、通路の壁をビリビリと震わせる。彼は衝動的に、エリスの両肩を掴む。黄金のガントレットが、翔子の着ているジャケットに食い込む。力加減を忘れている。それほどまでに、彼は追い詰められている。

 

「俺の命に替えても……お前たちだけは守る。アテナとしての命令であっても、それだけは!」

 

アイオロスの瞳には、狂気にも似た必死さが宿っている。彼は嘘をついていない。もしアテナが翔子に矛先を向ければ、彼はその瞬間に反逆者になるだろう。しかし、今はまだその時ではない。 だからこそ、彼は苦しんでいる。

 

エリスは、掴まれた肩の痛みなど意に介さず、アイオロスの目を覗き込む。そして、フッと鼻で笑う。それは嘲笑ではない。不器用な夫に対する、呆れと信頼が入り混じった笑いだ。

 

直後、瞳の色が戻る。エリスの気配が引き、翔子という一人の女性がそこに立つ。

 

「……なら、アイオロス君。私たちは、今回は行かない」

 

翔子は、アイオロスの震える手を、自分の手で包み込むようにして外す。そして、静かに一歩下がる。その一歩が、決定的な距離を作る。彼女の瞳には、子馬座の聖闘士として戦場を駆け抜けた頃の、強く、迷いのない光が宿っている。

 

「これはオルフェウスとヤンとも話して決めたことよ。私たちは日本に残る」

 

翔子は告げる。夫とは違う道を歩むことを。

 

「そして……場合によっては、私と邪霊士(ゴースト)たちはアテナと戦います」

 

アイオロスが目を見開く。

 

「娘(沙織)を取り戻すために。たとえ相手が、アテナの聖闘士である貴方であっても」

 

それは事実上の宣戦布告だ。しかし、そこには敵意はない。あるのは、役割分担という名の信頼だ。アテナの懐に入り、内側から暴走を食い止めようとする父。アテナの敵となり、外側からシステムを破壊しようとする母。手段は違えど、目的は一つ。愛する娘、沙織を救うこと。

 

「翔子……」

 

アイオロスは名前を呼ぶ。喉が熱い。

 

「……すまない。俺は……」

 

アイオロスは言葉を詰まらせる。「一緒に行こう」とは言えない。もし翔子が聖域に来れば、アテナの監視下に置かれ、即座に封印されるリスクがある。離れることが、今できる唯一の守る手段なのだ。それを理解しているからこそ、胸が張り裂けそうだ。

 

再び、翔子の雰囲気が変わる。エリスが顔を出す。彼女は腕を組み、不敵に笑う。

 

「フン……謝るな。我はアイオロス、お前を信じている。お前が誰よりも家族を愛していることもな」

 

エリスは知っている。この男が、どれほど愚直で、どれほど深い愛情を持っているかを。 だからこそ、彼を送り出す。彼が迷いなく戦えるように。

 

「だから今は……行ってくるといい。聖闘士としての務めを果たしてこい。娘の尻拭いは、親の務めだろう?」

 

「エリス……翔子……!」

 

アイオロスは、たまらず翔子を強く抱きしめる。黄金聖衣の硬さと冷たさが、翔子の身体に押し付けられる。しかし、その内側にあるアイオロスの体温は、火傷しそうなほど熱い。翔子の髪の香り。柔らかな感触。心臓の鼓動。その全てが、彼の生きる理由だ。

 

「必ず……必ず、戻ってくる。沙織を連れて、お前の元へ」

 

耳元で囁かれる誓い。翔子もまた、アイオロスの背中に腕を回し、強く抱き締め返す。

 

「ええ。待ってるわ。……行ってらっしゃい、パパ」

 

その言葉は、これから向かう血なまぐさい戦場には存在しない、家庭の温もりそのものだ。 ほんの数秒の抱擁。しかし、それは永遠にも等しい重みを持っている。

 

アイオロスは、ゆっくりと腕を解く。名残惜しさを断ち切るように。彼はもう振り返らない。振り返れば、歩き出せなくなるからだ。

 

彼は踵を返し、出口へと向かう。その足取りは重いが、もう迷いはない。背中に、妻と女神の視線を感じながら、射手座の黄金聖闘士は戦いの荒野へと踏み出す。

 

通路には、再び静寂が戻る。翔子はその場に立ち尽くし、夫の姿が見えなくなるまで見送っている。その目から一筋の涙がこぼれ落ちるが、彼女はそれを拭おうとはしない。 今はただ、彼が無事であることを祈るだけだ。

 

そして、その様子を少し離れた柱の陰から見ている少年がいる。アベルだ。彼は壁に背中を預け、バスケットボールを小脇に抱えている。その表情は冷静そのものだが、瞳の奥には静かな炎が燃えている。

 

「……やれやれ。うちの両親は、本当にドラマチックなんだから」

 

 

 

 

 

 

 

「……随分と、辛気臭い別れだね」

 

涼やかな、しかしどこか冷めた少年の声が、アイオロスの足を止める。彼は視線を上げる。そこには、壁に背中を預け、気だるげに立っている少年の姿がある。アベルだ。 太陽神の化身でありながら、皿屋敷中学においてはバスケットボール部のエースとして君臨する、アイオロスの義理の息子。

 

「アベル……」

 

アイオロスは足を止め、その名を呼ぶ。普段のアベルなら、指先でバスケットボールをクルクルと回し、重力を無視したボール捌きを見せつけてくるところだ。だが今は、そのボールを小脇に抱え、指一本動かそうとしない。その瞳は、いつになく真剣だ。遊びの色が完全に消えている。直感する。これは、家族としての会話ではない。神としての助言だ。

 

アベルは壁から背中を離し、アイオロスの正面に立つ。身長差はある。黄金聖衣を纏ったアイオロスの方が遥かに巨大だ。しかし、アベルから放たれる存在感は、黄金聖闘士をも凌駕する。

 

「アイオロス。単刀直入に言うよ。今の沙織の状態についてだ」

 

アベルの口調は淡々としている。感情を排し、事実だけを並べる医師のようだ。

 

「沙織は『神の機工(システム)』に完全に飲まれている。君も気づいているだろう?あれは洗脳や闇堕ちといった類の精神的な変容じゃない。もっと機械的で、不可避な強制執行だ」

 

アイオロスは無言で頷く。総帥室で対峙した時の、あの娘の冷たさ。それは、人格が変わったというより、人格そのものが削除されたかのような空虚さだった。

 

「原因は容量オーバー(キャパシティ・オーバー)だ」

 

アベルは続ける。

 

「この狭い日本に、僕や母さん(エリス)、ヴィーナス様といった強力な神気が密集しすぎている。そこに加えて、聖域からのプレッシャーだ。沙織の未熟な器では、アテナという巨大な神の出力に耐えきれない」

 

アベルは自分の胸元をトントンと指差す。

 

「パソコンで言えば、旧式のハードウェアで最新の重いOSを動かそうとして、熱暴走を起こしかけている状態だ。だから、防衛本能として『システム』が作動した。本体である沙織の肉体を守るために、一番負荷のかかる『個』――つまり城戸沙織としての自我や感情をシャットダウンしたんだよ」

 

なるほど。アイオロスの中に、腑に落ちる感覚がある。沙織は消えたのではない。眠らされたのだ。システムエラーによる強制終了を防ぐための、緊急措置(セーフモード)として。

 

「では、どうすれば沙織は戻る?」

 

アイオロスは身を乗り出す。希望の糸口が見えた気がする。アベルは静かに頷き、解決策を提示する。

 

「環境(場所)を変えることだ。聖域(サンクチュアリ)が鍵だぞ」

 

「聖域……?」

 

「ああ。あそこは神話の時代から、アテナのために最適化された土地だ。強力な結界があり、神の力を効率よく循環させるシステムが構築されている。いわば、アテナ専用の冷却装置付きサーパールームみたいなものだ」

 

アベルの例えは現代的だが、分かりやすい。

 

「聖域に連れ帰り、アテナの神気を安定させれば……システムの負荷が下がる。そうすれば、あるいは強制的に閉じられた『沙織』の意識ファイル(自我)を、再び浮上させることができるかもしれない」

 

アイオロスは目を見開く。聖域への帰還。それはアテナ(システム)が望んでいることだが、同時に沙織を取り戻すための唯一の道でもあるのか。敵の懐に飛び込むことが、救出への近道となる。

 

「聖域が……鍵……」

 

アイオロスは拳を握りしめる。希望はある。絶望的な状況に見えて、まだ手はあるのだ。 自分の役目は、ただアテナに従うことではない。アテナを聖域まで安全に送り届け、そのシステムを安定させること。それが、父親として娘にしてやれる最大の支援だ。

 

「星矢には僕から言っておく。『とにかくアテナのそばを離れるな、チャンスを待て』とな」

 

アベルは小さく息を吐く。

 

「あの単細胞な天馬星座(ペガサス)のことだ。放っておけば、アテナに特攻して自爆しかねないからね。君が内側から支え、星矢が外側から呼びかける。その両方が必要だ」

 

完璧な布陣だ。アベルは、自分はこの戦いには参加しないと言った。だが、誰よりも冷静に状況を分析し、家族が生き残るためのルートを計算してくれている。彼は、彼なりのやり方で、妹を救おうとしているのだ。

 

「……感謝する、アベル」

 

アイオロスが頭を下げようとする。しかし、アベルはその動作を制するように、一歩踏み込んだ。そして、黄金聖闘士の顔を真っ直ぐに見上げる。その瞳には、太陽のような強い意志と、そして隠しきれない家族への情が宿っている。

 

「頭を上げるんだ。これから戦場に向かう男が、少年に頭を下げてどうする」

 

アベルは少しだけ口角を上げる。いつもの生意気な笑みではない。もっと柔らかく、信頼に満ちた表情だ。

 

「妹を頼むよ。……お父さん」

 

「……!!」

 

アイオロスの全身に、電流が走る。 時が止まる。今、何と言った?神であるアベルが。 太陽神の化身であり、プライドの塊である彼が。人間である自分を、明確に「父」と呼んだのか?

 

それは、どんな神託よりも重く、そしてどんな賞賛よりも温かい言葉だった。アイオロスの中で、張り詰めていた何かが溶けていく。孤独感も、迷いも、その一言が吹き飛ばしてくれる。自分は一人ではない。妻が信じてくれている。息子が頼ってくれている。 ならば、父親としてやるべきことは一つだ。

 

アイオロスの目頭が熱くなる。だが、彼は涙を流さない。ここで泣けば、息子に笑われる。彼はグッと奥歯を噛み締め、涙を堪える。そして、その顔を、誇り高き黄金聖闘士の仮面で覆う。

 

「……ああ。任せておけ、息子よ」

 

力強い返答。アイオロスは大きく頷く。その声には、もう微塵の迷いもない。

 

「必ず、沙織を連れて帰る。家族全員で、また食卓を囲むためにな」

 

「期待しているよ。……あーあ、早く終わらせてくれよな。僕のバスケの練習時間が削られるのは御免だからね」

 

アベルは照れ隠しのように視線を外し、再びバスケットボールを抱え直す。その横顔は、どこにでもいる反抗期の少年のようで、アイオロスは思わず吹き出しそうになる。

 

アイオロスはマントを翻す。バサリ、と重厚な音が響く。彼はもう、下を向かない。前だけを見据えて歩き出す。

 

その背中は、悲劇の父親のものではない。神を護り、娘を救い、家族の未来を切り拓く、最強の黄金聖闘士、射手座のアイオロスのものだった。

 

通路の奥へと消えていく父の背中を見送りながら、アベルは小さく呟く。

 

「……行ってらっしゃい。まったく、世話の焼ける家族だ」

 

アベルはボールを床に落とす。 ダムッ、という音が、静寂の中に確かな希望の音として響いた。




翔子「…………ねぇアベル。あなたさっきお父さんって呼んだわよね?」

アベル「……聞こえた?あれ、深い意味は無いよ。状況的に必要な呼称というだけで」

翔子「必要な呼称であんな照れくさい言い方するわけないでしょ。アイオロス君、内心すごく喜んでたわよ?」

アベル「べ、別に喜ばせるつもりじゃ……!あれは妹を預ける立場として最低限の――」

翔子「お父さん」

アベル「やめろその言い方やめろ母さんっ!!」

翔子「ふふっ。……でも、本当にありがとう。あなたの言葉で、あの人は救われたのよ」

アベル「……まあ。家族だからね。……それと母さん?」

翔子「ん?」

アベル「さっき父さんに抱きついてたけど、あとで状況を説明してくれる?公の場で突然いちゃつき始めるのはやめてくれない?」

翔子「…………それはエリスのせいよ」

アベル「母さんの時点で同じでは?」

翔子「アテナに封印されたいの?」

アベル「すみません黙ります」

十二宮編の最後は誰と誰の対決に?

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