聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜   作:斉宮 柴野

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──神話の時代より続く「アテナの聖闘士」という枠組みが音を立てて崩れ落ちようとしていた。
破滅の鐘を鳴らしたのは神ではなく、ひとりの少女の形をしたシステム。

正義を掲げながら、誰よりも冷酷な存在となったアテナ。
その暴走に、聖域の誇る黄金たちが初めて「神への反逆」を選び取る。

自由か、絶対か。
個か、秩序か。
愛か、正義か。

聖域史上もっとも危険な「独立戦争」が、いま幕を上げる──。


人の意思、神の断罪 ~聖域防衛戦、開戦~

ギリシャ、聖域(サンクチュアリ)

 

かつては神話の神秘に包まれ、松明の炎だけが石壁を照らしていた教皇の間。

 

空調は完璧に管理され、快適な室温が保たれている。

中央には、威圧的な教皇の玉座ではなく、巨大な円卓が置かれている。それは、今の聖域が「支配」ではなく「合議」によって運営されていることの象徴だ。

 

その円卓の周りに、黄金聖闘士たちが集結している。さらに、その外側には在アテネの白銀聖闘士、青銅聖闘士たちも整列している。彼らの表情は一様に硬い。緊急招集のアラートが鳴り響いてから数十分。誰もが、事態の重さを肌で感じ取っている。

 

円卓の中央に立つのは、二人の男。聖域の現行運営責任者である双子座のサガ。そして、聖域改革の立役者であり、参謀長を務める杯座のアッシュだ。

 

サガが口を開く。その美貌には、深い憂色が刻まれている。彼は円卓に両手をつき、集まった聖闘士たち一人一人の顔を見渡すように視線を動かす。

 

「……皆、夜分に急な招集ですまない」

 

サガの声は、マイクを通さずとも広大な教皇の間の隅々まで届く。重低音の響きが、室内の空気を震わせる。

 

「単刀直入に言おう。本日未明、日本に滞在中のアテナ……城戸沙織様より、聖域との約定を一方的に破棄する旨の通告があった」

 

会場がざわつく。

 

「約定破棄?」

 

「不可侵条約のことか?」

 

「どういうことだ?」

 

困惑の声が波紋のように広がる。無理もない。彼らにとって、現在の「人間主導の聖域」と「日本のアテナ」の棲み分けは、恒久的な平和の礎だったはずだ。

 

サガは一度言葉を切る。そして、覚悟を決めたように、最も重い事実を告げる。

 

「アテナは宣言された。『力尽くでも聖域を奪還する』と。……つまり、我々に対する宣戦布告だ」

 

シーン。広大な空間から、音が消える。呼吸音さえ聞こえない。あまりの内容に、誰もが理解の処理落ちを起こしている。

 

宣戦布告。誰が?アテナが?我々聖闘士の主神が、我々に対して?

 

数秒の沈黙の後、爆発的なざわめきが巻き起こる。恐怖というよりは、「まさか」という困惑だ。

 

「冗談でしょう?あの沙織お嬢様が?」

 

「アテナが聖域を攻める?自分の家を自分で焼くようなものじゃないか」

 

「俺たちは誰と戦えばいいんだ?神か?」

 

混乱の渦中、アッシュが一歩前へ出る。彼の銀髪が、モニターの青白い光を受けて輝く。 彼は右手を挙げ、騒然とする聖闘士たちを制する。

 

「静粛に!」

 

アッシュの声には、現場を指揮する者特有の鋭さがある。

ざわめきが波が引くように収まる。全員の視線が、この若き改革者に集まる。

 

アッシュは、自身の胸に手を当てる。そこには、彼らが築き上げてきた「新しい聖域」への誇りがある。

 

「みんなの動揺はわかる。俺だって、正直まだ信じられない気持ちだ。あのアテナが……いや、沙織ちゃんが、こんな理不尽な命令を下すなんてな」

 

アッシュは苦笑いを浮かべる。その表情は、どこか寂しげだ。

 

「俺たちはアテナの聖闘士だ。本来なら、女神の命は絶対だ。神話の時代から、そうやって俺たちは命を使い捨ててきた。それが聖闘士の『常識』だった」

 

アッシュの言葉に、古参の聖闘士たちが頷く。かつてはそうだった。教皇の命令は神の命令。死ねと言われれば死ぬ。それが当たり前のブラック企業、それが旧聖域だった。

 

「……だが、俺たちは変わったはずだ。人間としての尊厳と、自立した生活を守るために、ここまでやってきた。有給休暇を取り、家族を持ち、趣味を楽しみ、自分の人生を生きる。そんな『当たり前の幸せ』を手に入れるために、俺たちは血を流して改革を成し遂げたんだ」

 

アッシュは視線を強くする。彼の瞳には、揺るぎない信念が燃えている。

 

「今回のアテナの要求は、それら全てを捨てろというものだ。再び思考停止した駒に戻り、神のために死ねと言っている。……俺には、それが『正義』だとは思えない」

 

会場の空気が変わる。困惑が、徐々に熱を帯びた「怒り」や「反発」へと変わっていく。 彼らは今の生活を愛している。週末のパブでの一杯を、恋人とのデートを、子供の成長を愛している。それを奪われることへの忌避感が、信仰心を上回りつつある。

 

しかし、相手は神だ。幼い頃から刷り込まれた「アテナへの忠誠」という楔は、そう簡単に抜けるものではない。迷う者もいる。震える者もいる。

 

アッシュはそれを見逃さない。彼は両手を広げ、彼らに「選択」を委ねる。

 

「だから、俺は強制しない。アテナに与したい者がいれば、罪には問わない。止めることもしない。今すぐここから去り、日本へ向かってくれ。退職金もしっかり出すし、再就職の斡旋もしよう」

 

まさかの退職金発言。いかにもアッシュらしい、現代的な提案だ。しかし、誰も笑わない。これは、魂の選択だからだ。

 

「だが、ここに残るなら……戦ってもらうことになる。相手は神だ。そして、かつての仲間であるアイオロスたちだ。それでも、俺たちの『自由』を守りたいと思う奴だけ、残ってくれ」

 

重い問いかけ。教皇の間に、再び沈黙が落ちる。誰も動かない。いや、動けない。

 

その沈黙を破ったのは、一人の青年だった。蜥蜴座(リザド)のミスティ。白銀聖闘士の中でも屈指の実力者であり、アッシュの改革によってナルシストな美意識を「自己プロデュース能力」として開花させた男だ。

 

「参謀長!しかし……」

 

ミスティが、美しい眉を寄せて叫ぶ。

 

「あなたはどうなさるのですか!?貴方はアテナ……城戸沙織と個人的にも親しかったはず。彼女と戦うことになれば、貴方の心が最も傷つくのではないですか!?」

 

ミスティの指摘は正しい。アッシュにとって、沙織は守るべき妹のような存在だった。 彼女のために美味しい紅茶を淹れ、彼女のワガママを聞き、彼女が人間として幸せになることを誰よりも願っていた。その彼が、彼女に拳を向ける。その苦痛は計り知れない。

 

アッシュはふっと息を吐く。そして、顔を上げる。その表情には、もはや迷いはない。

 

「……俺は、この聖域を作り変えた責任がある。そして、今のこの場所を愛している。ここで働くみんなの笑顔も、整備された訓練場も、美味しくなった食堂の飯も、全部俺の大切な宝物だ」

 

アッシュは拳を握りしめる。

 

「だから、誰にも奪わせない。たとえ相手が、敬愛する女神であってもだ。……戦うしかないんだよ、ミスティ」

 

アッシュの決意。それは、会場にいる聖闘士たちの心に火をつける。参謀長がやるなら。 あのアッシュが、悲しみを押し殺して戦うと言うなら。俺たちが引くわけにはいかない。

 

しかし、まだ最後の踏ん切りがつかない空気が漂う中、円卓の一席から、静かな、しかし凍りつくような声が響いた。

 

「……アッシュ。私も残ります」

 

全員の視線が、その声の主に向く。第一の宮、白羊宮を守る男。 黄金聖闘士、牡羊座(アリエス)のムウだ。彼はいつものように優雅に紅茶のカップを手にしているが、その纏う小宇宙の質は、普段の温厚なものとは明らかに異なっている。

 

「ムウ……」

 

アッシュが驚いたように彼を見る。ムウは本来、中立を好む男だ。争いを避け、調停者として動くことが多い彼が、真っ先に残留を表明したのだ。

 

ムウはカップをソーサーに置く。カチャリ、という硬質な音が、静寂に響く。

 

「私はシオン様のことは忘れました……ええ、忘れましたとも」

 

ムウはニッコリと微笑む。目が笑っていない。三日月形に細められたその瞳の奥には、絶対零度の冷徹さが潜んでいる。シオン。ムウの師であり、前教皇。サガの乱によって命を落とした偉大な先代だ。ムウは「絶対に忘れていないし、根に持っている」という意味であることを、黄金聖闘士たちは全員知っている。

 

「しかし、あの一件を許したわけではありません。神の気まぐれや、運命の悪戯によって、優れた指導者が失われる悲劇は、二度と繰り返してはなりません」

 

ムウは立ち上がる。その背後から、クリスタルウォールのような堅牢な意志が立ち上る。

 

「ですが、今まで地上の平和を守ってきたのは我々です。神ではありません。現場で血を流し、身体を張り、時には理不尽な命令に耐えてきた聖闘士たちこそが、平和の守護者なのです」

 

ムウの言葉に、力がこもる。

 

「ルシファー戦の時に誓ったはずです。『地上を守る聖闘士として戦う』と。神に依存するのではなく、我々の手で未来を切り拓くと」

 

彼はアッシュを見る。同志を見る目だ。

 

「アテナが道を誤り、破壊をもたらすなら……この力をもって、そのお考えを『矯正』していただくのも聖闘士の務めでしょう。躾のなっていない神には、少々お灸を据える必要があります」

 

「矯正」という言葉の響きが恐ろしい。ムウの本気だ。彼は、アテナを敵として排除するのではなく、教育的指導として叩きのめすつもりだ。その傲慢とも取れる自信こそが、最強の念動力使いの証だ。

 

「くくく……」

 

その時、低い笑い声が響く。円卓の反対側。 蟹座(キャンサー)の席だ。そこに座る男、デスマスクが、片膝を立てて座りながら、肩を揺らしている。

 

「ケッ、相変わらず理屈っぽいなァ、ムウ。お前の説教は、聞いてて肩が凝るぜ」

 

デスマスクはニヤリと笑う。悪役全開だ。しかし、その表情には陰湿さはなく、清々しいものが混じっている。

 

「いよいよ俺たちも、神様に弓引く『悪役』ってわけだ。最高じゃねぇか。ゾクゾクするぜ」

 

デスマスクは立ち上がり、指の関節をポキポキと鳴らす。

 

「正義の女神サマに楯突く、反逆の聖闘士軍団。世間様から見りゃ、どう見ても俺たちがラスボスだ。だがな、悪役が負けるのはアニメやゲームの中だけの話だぜ?」

 

彼はアッシュの方を向き、親指で自分を指差す。

 

「俺はアッシュ参謀長についていく。昔も、これからもな。お前が作ったこの聖域は、居心地がいいんだよ。死体臭くねぇし、壁に顔も浮かばねぇしな」

 

デスマスクなりの、最高の賛辞だ。

 

「地獄の果てまで付き合ってやるよ。黄泉比良坂への片道切符なら、俺が一番詳しいからな。案内してやるぜ」

 

頼もしすぎる宣言。死を司る黄金聖闘士が、生を肯定するために戦う。その皮肉な構図が、今の聖域の強さだ。

 

ふと、サガの視線が円卓の一角に留まる。空席がある。牡牛座(タウラス)の席だ。

 

本来なら、そこに座っているはずの巨漢、アルデバランがいない。彼は現在、とある任務……というか、個人的な事情で日本に滞在している。

 

「……あいつは今頃、日本で板挟みだろうな」

 

デスマスクが、空席を見ながらボソリと言う。その声には、からかうような響きはなく、友人を案じる色が濃い。

 

「アルデバランは優しいからな。アテナのことも、俺たちのことも、どっちも大切に思っているはずだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

獅子座(レオ)のアイオリア。

 

黄金聖闘士の中でも屈指の勇者であり、正義感の塊のような男だ。彼は、円卓に両手をつき、うつむいたまま動かない。その拳は白くなるほど強く握りしめられ、小刻みに震えている。

 

無理もない。彼にとって、今回の戦いはあまりにも残酷だ。敵はアテナ。彼が忠誠を誓うべき女神。そして、そのアテナの傍らには、彼の実の兄であり、一度は死んだと思われていた英雄、アイオロスがいる。敬愛する兄と、守るべき女神。その両方に拳を向けるなど、アイオリアの真っ直ぐな精神には耐え難いことだ。

 

やがて、アイオリアが重い口を開く。

 

「……俺は、アテナがそんな暴挙に出るとは信じられん」

 

アイオリアの声は低い。怒りとも、悲しみともつかない感情が混ざっている。

 

「沙織お嬢様は……いや、アテナは、地上の平和を誰よりも願っていたはずだ。それが、聖域を武力で制圧するなどと……。何かの間違いだと思いたい。だが……」

 

彼は顔を上げる。その瞳には、深い苦悩の色が滲む。

 

「今の日本からは、あのかつての温かい小宇宙を感じない。アッシュ、お前の言う通り、それを止めるのが聖闘士の務めだという理屈も分かる」

 

アイオリアは言葉を切る。視線を、アッシュからサガへ、そして虚空へと彷徨わせる。

 

「だが……アテナに拳を向けることも、俺にはできん。俺の拳は、アテナを守るためにある。その誓いを破れば、俺は俺でなくなってしまう」

 

それに、と彼は続ける。声がわずかに震える。

 

「兄さん(アイオロス)も向こうにいる。……死んだと思っていた兄さんが生きていて、アテナを守っている。俺には……兄さんに牙を剥くことなどできない。……すまない、アッシュ」

 

アイオリアは、謝罪の言葉を口にする。それは、聖域の危機において戦力になれないことへの、彼なりの精一杯の詫びだ。アッシュは、静かにアイオリアを見つめる。責めるような色は一切ない。むしろ、その苦しみを我が事のように受け止めている。

 

「アイオリア……」

 

アッシュが名前を呼ぶ。アイオリアは決意のこもった目で、アッシュを見返す。

 

「俺は『中立』だ。どちらにも味方しない。だから……獅子宮は通す。誰が来ようとな」

 

会場がどよめく。獅子宮を通す。それは実質的なサボタージュだ。しかし、それは彼ができるギリギリの譲歩であり、抵抗でもある。彼は敵を攻撃しないが、味方の邪魔もしない。ただ、その場で事の成り行きを見守るという宣言だ。

 

「……これが今の俺の精一杯だ。許してくれとは言わん」

 

アイオリアが唇を噛む。アッシュはゆっくりと首を横に振る。

 

「十分だ。お前の苦しみは分かっている。無理に戦わせるつもりはない。そこにいてくれるだけでいい。ありがとう、アイオリア」

 

アッシュの言葉に、アイオリアの強張っていた肩の力が少しだけ抜ける。彼は深く一礼し、席に着く。戦わないという選択もまた、勇気が必要なのだと、ここにいる全員が理解する。

 

その時、アイオリアの隣に座る男が、閉じていた目を開かずに口を開く。

 

乙女座(バルゴ)のシャカ。「もっとも神に近い男」と呼ばれる彼は、常に瞑想しているかのような静けさを纏っている。

 

「迷いがあるな、アイオリアよ。だがそれもまた人の業。迷うからこそ人間なのだ」

 

シャカの声は、鈴の音のように澄んでいる。彼はアッシュの方を向く(目は閉じているが)

 

「私は、この『人間の聖域』……案外気に入っているのだよ」

 

意外な言葉に、デスマスクが「はあ?」という顔をする。シャカは続ける。

 

「かつての聖域は酷かった。瞑想をしていても、隙間風が入り、冬は寒い。食事も質素すぎて栄養バランスが悪い。だが、アッシュたちが改革してからはどうだ」

 

「トイレの水洗化。これは大きい。あの清潔さは、精神の安寧に直結する。そして空調の完備。一定の温度に保たれた処女宮は、まさに極楽浄土に近い。Wi-Fi環境も整い、世界中の経典を電子書籍で読めるようになった」

 

シャカが大真面目な顔で、インフラの充実を語る。アッシュは苦笑いするしかない。神に近い男の判断基準が、まさかトイレとWi-Fiだったとは。

 

「快適な生活は、心の余裕を生む。心の余裕は、他者への慈悲を生む。アッシュ、サガ。お前たちの作る世界に、私は仏の慈悲とは違う、確かな『人の正義』を見た」

 

シャカの口元に、微かな笑みが浮かぶ。

 

「アテナという神の独断で、この快適な環境が破壊されるのは忍びない。私は聖域につこう。天魔降伏をもって、神の蒙昧を払うのもまた一興」

 

シャカの参戦決定。これほど心強いことはない。攻守において最強クラスの男が、インフラ維持のために立ち上がったのだ。

 

続いて、円卓の中央にあるモニターが明滅する。中国、五老峰からの通信だ。画面に映し出されたのは、小柄な老人。天秤座(ライブラ)の童虎だ。243年前の聖戦を知る、生きる伝説。

 

『フォッフォッフォ。若いモンが悩んでおるようじゃな』

 

童虎のしわがれた声が響く。

 

『アッシュよ、すまんがワシは動けん。五老峰で魔星の監視があるゆえな。ここを離れるわけにはいかんのじゃ』

 

それは建前だ。魔星の封印を監視する役目は重要だが、童虎の実力なら一時的に離脱することも可能なはずだ。彼は、あえて介入しないことを選んでいる。

 

『ワシは中立じゃよ。どちらが正しいか、歴史が決めることじゃ。……まあ、若いモン同士で決着をつけるがよい。紫龍には、自分の信じる道を行けと伝えておる。アイオロスと星矢、そしてアッシュとサガ。どちらの正義が勝つか、ここから見物させてもらうぞ』

 

童虎はそう言い残し、通信を切る。老獪な判断だ。彼は次世代の聖闘士たちに、未来を選択させるつもりなのだ。

 

これで、前半の宮を守る者たちの意思は示された。視線は、後半の宮を守る者たちへと移る。

 

 

 

蠍座(スコーピオン)のミロが、勢いよく立ち上がる。

彼は真っ直ぐな瞳でアッシュを見る。

以前から、アッシュの指導を受け、彼を「師範」と呼び慕っている熱血漢だ。

 

「俺は最初からアッシュ師範を信じると決めている!」

 

ミロの声には一点の曇りもない。

 

「たとえ相手がアテナでも、その誓いを違えることはしない。師範が作ったこの聖域は、俺たちの誇りだ。それを壊そうとするなら、誰であろうとスカーレットニードルの餌食にしてやる!」

 

ミロは拳を胸に当てる。

 

「俺はこの聖域を守る!師範、指示をくれ!誰を刺せばいい!?」

 

「刺すな、まずは話し合え」とアッシュが突っ込みたくなるほどの気合だ。しかし、その単純明快な忠誠心が、今は頼もしい。

 

その横で、山羊座(カプリコーン)のシュラが、やれやれと肩をすくめる。 彼は聖剣(エクスカリバー)をその身に宿す武人だが、意外にも現実的な性格をしている。

 

「俺の正義はアッシュ師範、そしてサガのもとにあります」

 

シュラは淡々と語る。

 

「それに……正直な話、今のこの『人間らしい暮らし』を捨てたくありませんしね。週休二日制、残業代の支給、そして何より、サガが導入したスペイン料理のケータリングサービス。あれは絶品だ」

 

シュラはニヤリと笑う。

 

「今更カビ臭い石造りの部屋には戻れませんよ。アテナが戻ってくれば、また『清貧こそ美徳』とか言い出して、給料をカットされかねない。そんなのは御免だ」

 

生活水準の維持。それは切実な問題だ。かつての聖闘士たちは、修行僧のような生活を強いられていた。一度「文化的な生活」の味を知ってしまった彼らにとって、旧体制への回帰は耐え難い苦痛なのだ。シュラの聖剣は、自身のライフスタイルを守るために振るわれる。

 

「やれやれ……。お前たちは本当に俗物だな」

 

冷ややかな声が響く。水瓶座(アクエリアス)のカミュだ。彼は腕を組み、冷気を漂わせながらミロを見る。

 

「だが、私はこの馬鹿蠍(ミロ)を信じることに決めた。コイツ一人では暴走して死にそうだからな。ならば、一蓮托生だ」

 

カミュはツンとした態度だが、その言葉には深い友情が滲む。ミロが「誰が馬鹿蠍だ!」と抗議するが、カミュは無視する。

 

「それに、約束を守らない神など気に入らない。約定を一方的に破棄するなど、契約社会においてあるまじき行為だ」

 

カミュの理屈は堅い。そして、彼の視線が鋭くなる。

 

「……向こうには我が弟子もいるようだしな。氷河の頭を冷やしてやる必要があるだろう。あいつは感情に流されやすい。私が直々に、絶対零度の棺に閉じ込めて、冷静さを取り戻させてやる」

 

弟子への愛ゆえの厳しさ。カミュなりの教育的指導だ。彼は聖域側につくことで、弟子と向き合う覚悟を決めたのだ。

 

最後に、円卓の端に座る美しい男が口を開く。魚座(ピスケス)のアフロディーテ。彼は手にした赤いバラの香りを楽しみながら、優雅に微笑む。

 

「私はアッシュ参謀長に恩がある」

 

アフロディーテの視線が、アッシュに向く。かつて、彼が自身の美学に悩み、周囲から孤立しかけた時、それを理解し、居場所を与えたのがアッシュだった。

 

「あの時、私の美学を理解し、救ってくれた恩がな。力をこそ正義と信じていた私に、『美しさとは守る強さだ』と教えてくれたのは貴方だ」

 

アフロディーテはバラを指先で回す。

 

「それを違えるのは美しくないというものだ。恩を仇で返すなど、私の美意識に反する。私は聖域につこう」

 

彼は立ち上がり、マントを翻す。

 

「双魚宮は私が守る。アテナの軍勢だろうと何だろうと、私のロイヤルデモンローズの葬列で歓迎してやるさ。美しい死に様をプレゼントしてやろう」

 

キザな台詞だが、彼が言うと様になる。最強の最後の砦が、アッシュへの個人的な恩義で動く。それは、組織の論理を超えた、個人の絆の強さだ。

 

これで、決まった。アルデバランと童虎を除く、全ての黄金聖闘士の去就が明らかになった。 ムウ、デスマスク、シャカ、ミロ、シュラ、カミュ、アフロディーテ。彼らは聖域(アッシュとサガ)につき、アテナを迎え撃つ。アイオリアは中立。アルデバランは不在(おそらく中立か、土壇場での参戦)

 

サガが深く頷く。彼の目から、迷いが消える。これだけの仲間がいる。自分の背中を預けられる、最強の戦友たちがいる。

 

「感謝する、皆の者」

 

サガの声が力強く響く。

 

「我々は神に挑む。それはかつてない困難な戦いになるだろう。だが、我々には守るべきものがある。それは神の威光ではない。我々自身の誇りと、自由な未来だ!」

 

「応!!」

 

黄金聖闘士たちの小宇宙が高まる。まばゆい黄金の光が、教皇の間を満たす。それは神々しいまでの、人の意思の輝きだ。

 

 

 

 

 

 

 

教皇の間に充満する黄金の小宇宙。

 

最強の聖闘士たちの決意表明を受けて、その場にいる白銀・青銅聖闘士たちもまた、心を決める。ミスティが、美しい髪をなびかせて頷く。彼らはもう、ただ神の顔色をうかがうだけの存在ではない。自分たちの美学、生活、そしてプライドを守るために戦う戦士だ。

 

その熱気の中、アッシュの隣に一人の女性が静かに進み出る。彼女が纏うのは、白銀に輝く祭壇座(アルター)の聖衣。聖域の影の補佐役とも言えるその星座の主、エレナだ。 彼女は、アッシュの妻であり、公私ともに彼を支えるパートナーでもある。

 

「……皆さん」

 

エレナの透き通るような声が、広間によく響く。彼女は一度、アッシュの方を見て、それから全員に向き直る。その表情には、戦場に赴く者の悲壮感はない。あるのは、愛するものを守り抜くという、母性にも似た強さだ。

 

「アスガルドは中立……なので、フレアは来られません」

 

彼女は、ここにいないもう一人の「妻」の名前を挙げる。北欧アスガルドの貴族であり、アッシュのもう一人のパートナーであるフレア。本来なら、彼女もまた、アッシュのために氷の大地から駆けつけたいはずだ。しかし、先ほどのドルバル総大主教の宣言がそれを阻む。

 

「ドルバル様の決定は絶対です。それに、オーディーンの地上代行者である姉のヒルダ様の立場もあります。彼女が動けば、アスガルド全体がアテナの敵と見なされ、故郷が火の海になりますから」

 

エレナは胸の前で手を組む。フレアの悔しさを、彼女は誰よりも理解している。きっと今頃、フレアは北の空の下で、アッシュの無事を祈りながら涙をこらえているはずだ。

 

「ですが……私たち『妻』の心は一つです。私たちはアッシュの味方です。だから、フレアの分も私が貴方のために戦います」

 

エレナの瞳に力が宿る。彼女はアッシュを見上げる。そこには、絶対的な信頼がある。

 

「アッシュ。貴方が作ったこの聖域は、私たちの家です。フレアが愛し、私たちが暮らす大切な場所。それを壊そうとするなら、相手が神様でも容赦はしません」

 

彼女の身体から、蒼白い小宇宙が立ち上る。それは美しくも、どこか恐ろしい、霊的な波動を含んでいる。

 

「祭壇星座の聖闘士として、そして……『積尸気』使いとして!」

 

彼女の宣言と共に、周囲の空気が一瞬で冷たくなる。積尸気。それは現世と冥界の狭間にある場所、そして霊魂を操る禁断の技。

 

「へッ、よく言った!流石は俺のライバルだ!」

 

歓声を上げたのは、デスマスクだ。 彼はニヤリと笑い、エレナを指差す。彼もまた、積尸気を操るエキスパートだ。普段から霊的な話題で気が合う二人は、奇妙なライバル関係にある。

 

「女だてらに霊魂(タマ)の扱いが上手いとはな。背中は任せたぜ、エレナ。冥界の入り口でアテナ軍を歓迎してやろうじゃねぇか」

 

「ええ、デスマスク。貴方が取りこぼした霊魂は、私が責任を持って浄化します」

 

エレナが不敵に微笑み返す。頼もしすぎる妻の姿に、アッシュは目頭が熱くなるのを感じる。彼は知っている。 エレナがどれほど優しい女性か。本来なら、戦いなど好まない性格だ。それでも彼女は立つ。夫のため、友のため、そして自分たちの未来のために。

 

「……エレナ。ありがとう」

 

アッシュは短く礼を言う。多くの言葉はいらない。感謝と愛は、視線だけで十分に伝わる。

 

アッシュは、改めて円卓を囲む聖闘士たちを見渡す。ムウ、デスマスク、シャカ、ミロ、シュラ、カミュ、アフロディーテ。 そしてミスティ、エレナ、その他の多くの仲間たち。

 

彼らの顔を見る。そこには、かつてあったような「神への恐怖」はない。あるのは、「自分たちの家を守る」という、生活者に根ざした強い意志の光だ。彼らは今、歴史上初めて、自分たちの足で立っている。

 

アッシュは大きく息を吸い込む。腹の底から、指揮官としての声を張り上げる。

 

「分かった。……これより、聖域防衛戦を開始する!!」

 

アッシュの号令が、教皇の間を震わせる。モニター上のアラートが、赤から戦闘モードの青へと切り替わる。

 

「敵は強大だ。だが、俺たちには守るべき日常がある!美味い飯、暖かいベッド、そして愛する家族!それらを奪おうとする理不尽な神に、人間の意地を見せてやれ!」

 

アッシュは拳を突き上げる。

 

「狙うはアテナの無力化、および神権政治からの完全なる独立だ!殺す必要はない、ただ、分からせてやるんだ!俺たちはもう、ただの駒じゃないとな!行くぞお前たち!!」

 

アッシュの魂の叫びに、全員が呼応する。拳が、天井に向かって突き上げられる。

 

「「「オオオオオーーーッ!!!」」」

 

轟音のような雄叫び。それは聖域の空を突き抜け、アテネの街にまで響き渡るほどの熱量を持っている。小宇宙が共鳴し、巨大な光の柱となって立ち上る。

 

こうして、聖域は一枚岩となった。内部崩壊を狙ったアテナの目論見は、アッシュたちが築き上げてきた「信頼」と「生活の質」の前に脆くも崩れ去ったのだ。

 

神話の時代より続く「神に従う聖闘士」の歴史が、今ここで終わる。そして、「自らの意思で神に抗う、人のための聖闘士」の戦いが幕を開けたのである。

 

かつてない内戦(シビル・ウォー) いや、これは聖戦ではない。これは、独立戦争だ。 神からの卒業試験が、今まさに始まろうとしていた。

 

モニターに映るアテナの軍勢の光点が、刻一刻と聖域に近づいている。しかし、ここに恐れる者は誰もいない。彼らは知っているからだ。自分たちの背中には、仲間がいることを。そして、守るべき「帰る場所」がある限り、人間は神よりも強くなれることを。

十二宮編の最後は誰と誰の対決に?

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