聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜   作:斉宮 柴野

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十二宮・第一の門――白羊宮!
穏やかな微笑を絶やさなかったムウが、
ついにその真の覚悟を露わにする!
神に縋るか、人として立つか。
運命の分岐点に立つアイオロスとアルデバラン!

そして青銅聖闘士たちは、死地へと駆ける!

次回、『白き羊は、神の奴隷を許さない』
星々よ照らせ、人の選ぶ未来を――!


白き羊は、神の奴隷を許さない

上空に浮かぶ巨大なデジタル・ファイヤークロック。

 

高輝度LEDが弾き出す数字は、無慈悲に減り続けている。『REMAINING TIME 11:50:00』 残り時間、11時間50分。秒数を示すカンマ以下の数字が、目にも留まらぬ速さで高速回転している。それは、アテナの命の残量であり、同時に聖域という組織が崩壊するまでのカウントダウンでもある。

 

その赤い光の下、十二宮へと続く長い長い石段を、一つの集団が駆け上がっている。先頭を行くのは、射手座(サジタリアス)のアイオロス。黄金聖衣の翼を背負い、誰よりも速く、誰よりも重い足取りで大地を蹴る。そのすぐ後ろに、巨大な影が続く。牡牛座(タウラス)のアルデバランだ。

 

彼もまた、今は「中立」という立場を捨て、友であるアイオロスと、危機に瀕したアテナのために走っている。そして、彼らに必死で食らいつく四人の青銅聖闘士たち。紫龍、氷河、瞬、一輝。彼らの額には大粒の汗が滲んでいるが、その瞳に宿る闘志は消えていない。

 

石段は急勾配だ。心臓破りの坂なんてレベルじゃない。一段一段が、侵入者の体力を削ぐように高く設計されている。だが、今のアイオロスたちに、疲労を感じている暇などない。一分一秒が惜しい。立ち止まれば、麓で倒れているアテナの、いや、愛娘である沙織の命が尽きる。

 

「皆、急げ!もうすぐ第一の宮、白羊宮だ!」

 

アイオロスが後続に声をかける。彼の声には、焦りと共に、ある種の「希望」が含まれている。

 

「白羊宮を守るのは牡羊座(アリエス)のムウだ。皆も知っての通り、彼は黄金聖闘士の中でも一際理知的で、冷静な男だ。アッシュたちの改革には協力しているが、根はアテナへの忠誠に厚い聖闘士のはずだ」

 

アイオロスは、自分自身に言い聞かせるように語る。ムウ。ジャミールの館で聖衣の修復を行っていた、あの穏やかな男。常に敬語を使い、争いを好まず、調停者としての役割を担ってきた彼なら、きっと分かってくれる。今の状況が異常であること。アテナがシステムエラーを起こしていること。

 

そして、それを救うためには神殿へ急がねばならないこと。理屈が通じる相手だ。問答無用で殴りかかってくるような野蛮人ではない。

 

「事情を話せば、必ずアテナへの忠誠心を示してくれるはずだ!彼は賢い。今の聖域の異常事態と、アテナの危機を天秤にかければ、どちらを優先すべきか即座に計算できるはずだ!」

 

アイオロスの言葉に、後ろを走るアルデバランが豪快に笑う。ドスドスと重い足音を響かせながら、彼は太い腕で胸を叩く。

 

「おうよ!ムウとはよく茶を飲む仲だ。あいつの淹れる紅茶は絶品だからな!俺たちはマブダチみたいなもんだ!」

 

アルデバランの楽天的な声が、張り詰めた空気を少しだけ緩める。

 

「あいつは確かに理屈っぽいが、義理人情も分かる男だ。強引に通ろうとすれば意地になるかもしれんが、誠意を持って頼めば通してくれるだろう!なあに、俺の顔に免じて、門を開けてくれるさ!」

 

「そうだといいのですが……」

 

龍星座(ドラゴン)の紫龍が、冷静に呟く。彼はムウと面識がある。聖衣の修復を頼んだ時の、あの得体の知れない静けさを覚えている。ムウは優しいが、甘くはない。その線引きがどこにあるのか、紫龍には読めない。

 

「大丈夫だよ、紫龍。ムウさんは僕たちの聖衣も直してくれた恩人だ。敵になるなんて、考えられないよ」

 

アンドロメダ星座の瞬が、希望的観測を口にする。彼らは信じたいのだ。かつての仲間が、昨日の友が、今日の敵になるなんていう悲劇を。

 

石段の終わりが見えてくる。白い大理石で作られた、荘厳な神殿の入り口。白羊宮。十二宮の最初の砦。

 

そこには、一人の男が立っている。黄金に輝く羊の角を模した兜。優雅な装飾が施された黄金聖衣。そして、淡い紫色の長髪を風になびかせた、貴公子のような佇まい。牡羊座のムウだ。

 

彼は腕を組み、仁王立ち……ではない。ただ、静かにそこに「在る」。空気の一部のように自然に、しかし絶対に動かせない岩山のような存在感で、宮の入り口を塞いでいる。

 

アイオロスたちは、最後の数段を一気に駆け上がり、ムウの前で足を止める。息が切れる。肺が熱い。しかし、アイオロスは呼吸を整える間も惜しんで、かつての同胞に呼びかける。

 

「ムウ!済まないが緊急事態だ!アテナが……沙織が、矢座のトレミーの放った黄金の矢に倒れた!」

 

アイオロスは必死に訴える。黄金聖闘士としての威厳などかなぐり捨て、一人の父親として、友として懇願する。

 

「ここを通してくれ!アテナの命に関わるのだ!12時間以内にアテナ神殿にある『アテナの盾』を取らねば、彼女は助からない!頼む、ムウ!どいてくれ!」

 

アイオロスの声が、白羊宮の柱に反響する。悲痛な叫び。これを聞いて、心が動かない聖闘士などいないはずだ。

 

しかし。

 

「……………………」

 

ムウは動かない。眉一つ動かさない。いつものような、柔らかく、全てを包み込むような微笑みは、そこにはない。あるのは、能面のような無表情。その瞳は、アイオロスたちを映しているが、その奥底には何の感情も読み取れない。ただ、冷ややかな湖面のように静まり返っている。

 

「……ムウ?」

 

アイオロスが戸惑う。無視?それとも、事態の深刻さに言葉を失っているのか?

 

隣に立つアルデバランが、ポンと手を打つ。彼の大きな顔に、納得の表情が浮かぶ。

 

「?……おお、そうか!分かったぞムウ!」

 

アルデバランがニカっと笑う。

 

「お前も立場があるもんな!アッシュ参謀長やサガ教皇の手前、大っぴらに『反乱軍を通していい』とは口が裂けても言えんのだな?ここには監視カメラもあるだろうしな!」

 

アルデバランは、一人で勝手に合点がいったようだ。日本的な「察する文化」を、ギリシャの聖域で発揮している。

 

「つまり、無言ということは『俺は何も見ていない、見なかったことにしてやるから勝手に通れ』という意思表示か!なるほど、そういうことか!いやー、ありがたい!さすがムウだ!話が早い!」

 

アルデバランは豪快に笑い、アイオロスの背中を叩く。

 

「ほら、アイオロス!行くぞ!ムウの厚意を無駄にするな!黙って通るのが礼儀ってもんだ!」

 

「え、あ、ああ……そうなのか?」

 

アイオロスも、アルデバランのポジティブすぎる解釈に少し毒される。確かに、ムウが敵対するなら、すでに攻撃態勢に入っているはずだ。腕を組んで棒立ちしているのは、暗黙の了解ということなのかもしれない。

 

「よっしゃあ!行くぜ!サンキューな、ムウさん!」

 

代わりにはしゃぐ青銅聖闘士たちも、その空気に乗っかる。緊張の糸が、ふっと緩む。 なんだ、やっぱり黄金聖闘士は仲間なんじゃないか。最初から戦う必要なんてなかったんだ。

 

アルデバランが先頭に立つ。彼は親愛の情を込めて、ムウの横を通り抜けようとする。 すれ違いざまに、「後でまた茶でも飲もうぜ」と肩を叩こうと手を伸ばす。

 

その瞬間だった。

 

世界が、反転した。

 

カッ!!

 

ムウの瞳が、見開かれる。今まで閉ざされていた感情のダムが決壊したかのように、凄まじい質量の小宇宙が爆発する。それは「敵意」ではない。 もっと純粋で、もっと研ぎ澄まされた「拒絶」のエネルギーだ。

 

「クリスタルウォール!!」

 

ムウの唇が紡ぐ、美しくも冷徹な技名。刹那、アルデバランの目の前の空間が歪む。透明な、しかしダイヤモンドよりも硬い光の壁が出現する。

 

ガギィィィン!!

 

硬質な衝撃音が、鼓膜を劈く。物理法則が仕事放棄したような光景が広がる。身長2メートルを超える巨漢、アルデバランの身体が、紙切れのように弾き飛ばされたのだ。彼が通り抜けようとした空間そのものが、彼を拒絶し、反作用の力で押し返したのだ。

 

「ぐわぁっ!?」

 

アルデバランが悲鳴を上げる。彼は後方へ吹き飛び、石畳の上を激しく転がる。巻き添えを食らった青銅聖闘士たちも、ドミノ倒しのように吹き飛ばされる。

 

「うわぁぁっ!」

 

「な、なんだ!?」

 

一瞬にして、白羊宮の前は阿鼻叫喚の地獄絵図となる。唯一、反応速度で勝るアイオロスだけが、翼を使って踏みとどまるが、それでも数メートル後退させられる。

 

「ぐっ!……ムウ、どうしたというのだ!」

 

アイオロスが体勢を立て直し、叫ぶ。信じられない。あのムウが。仲間思いで、平和主義者のムウが、友であるアルデバランを容赦なく攻撃した。手加減なしの、完全なる迎撃だ。

 

「アテナのことが聞こえなかったのか!?彼女は今、死にかけているんだぞ!?」

 

アイオロスの悲痛な叫びに対し、ムウはゆっくりと腕を下ろす。彼は乱れた髪を指先で払い、氷点下の視線でかつての英雄を見据える。

 

「………聞こえていますよ、アイオロス」

 

ムウの声。それは、いつもの穏やかなバリトンではない。ガラスの破片を混ぜ込んだような、鋭利で冷たい響きを持っている。

 

「耳は聞こえていますし、理解もしています。貴方がたはアテナを救うためにここを通りたい。そう言いましたね」

 

ムウは一歩、前に出る。その一歩だけで、周囲の空気がピリピリと帯電する。サイコキネシスの達人である彼が放つプレッシャーは、物理的な重圧となってアイオロスたちにのしかかる。

 

「ですが、答えはNOです。ここは通せません。一歩たりとも」

 

明確な拒絶。解釈の余地などない、完全なる通行止め宣言。

 

アルデバランが、痛む身体を起こす。彼は信じられないものを見る目で、親友(だと思っていた男)を見る。

 

「な、なにを……。冗談だろ、ムウ?」

 

アルデバランの声が震える。身体の痛みより、心の痛みのほうが大きい。

 

「お前、正気か?アテナが死ぬんだぞ?俺たちが嘘をついてるとでも思ってるのか?それとも……」

 

アルデバランは言葉を詰まらせる。認めたくない可能性。しかし、目の前の現実は、それを突きつけてくる。

 

「お前まで、アッシュたちの反乱に加担するというのか?神を捨て、あいつらの作った『人間のルール』に従うというのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「反乱?……ふっ、笑わせないでください」

 

ムウが口元だけで笑う。目は笑っていない。その瞳孔は、針のように鋭く収縮し、眼前のアイオロスたちを射抜いている。

 

「貴方がたは、我々がアテナに弓引く逆賊だと思っているのでしょうね。神の恩恵を忘れ、自分たちの都合で反旗を翻した愚か者だと」

 

ムウは静かに首を振る。その動作一つ一つに、抑えきれない憤怒が滲み出ている。

 

「勘違いしないでいただきたい。我々は、最初から戦うつもりなどありませんでした。アッシュ師範やサガの指示通り、まずは『対話』を試みたのです」

 

ムウの声が、わずかに大きくなる。

 

「我々は、使者として矢座のトレミーを送りました。彼は礼節をわきまえ、武器を抜きもせず、あくまで話し合いのテーブルに着くよう提案しました。……文明的な人間として、当然の手続きです」

 

アイオロスは息を呑む。確かにそうだ。トレミーは最初、笑顔で出迎えた。お茶とお菓子を用意して待っていた。それをぶち壊したのは、こちらのほうだ。

 

「……しかし、あの『アテナ』は何と言いましたか?」

 

ムウの問いかけが、鋭いナイフのように突き刺さる。アイオロスは言葉に詰まる。反論できない。あのアテナ(システム)が放った言葉は、あまりにも残酷で、あまりにも一方的だった。

 

「ッ……!」

 

アイオロスが苦しげに顔を歪めるのを、ムウは見逃さない。

 

「『問答無用』……そう言いましたね」

 

ムウが一歩、前に踏み出す。クリスタルウォールが輝きを増す。

 

「『殺せ』……そう命じましたね」

 

さらにもう一歩。プレッシャーが増大する。

 

「何も聞かずに。相手の言い分を確かめもせず。交渉の余地すら与えず、即座に抹殺を命じる。……それが、貴方がたの信じる『愛と正義』ですか?」

 

ムウの髪が逆立つ。小宇宙が高まる。

 

「神の前では、我々人間の命など塵芥とでも言うつもりですか!!自分に従わない者は、生きる価値すらないゴミだと!!ふざけるのもいい加減になさい!!」

 

ムウの怒号が轟く。それは、彼個人の怒りではない。トレミーという同胞への侮辱に対する怒りであり、そして何より、人間という種族全体がないがしろにされたことへの義憤だ。

 

「いや……それは……!違うんだ、ムウ!」

 

アイオロスが必死に叫ぶ。弁解しなければならない。あれは本心ではないと伝えなければならない。

 

「しかし、アテナは今、正常な状態ではないのだ!彼女はシステムに飲まれ、ただの防衛プログラムとして動いている!だからこそ我々が、彼女を救わねばならないんだ!」

 

アイオロスは両手を広げる。分かってくれ、というポーズだ。

 

だが、ムウは冷酷に切り捨てる。

 

「いいえ!それこそが『神』というものの本質です!」

 

ムウは断言する。彼の目には、確固たる確信がある。

 

「システムだろうが、本人の意思だろうが、結果は同じです!神にとって人間は、管理すべきリソースか、排除すべきバグでしかない!アテナが正常に戻ったとして、彼女が『やっぱり人間は神に従うべき』と考えない保証がどこにありますか?」

 

ムウの言葉には、血の滲むような歴史の重みがある。彼は見てきたのだ。聖域の歴史の中で、どれだけの聖闘士が「神の意思」という曖昧な命令の下で命を散らしてきたか。そして、その連鎖を断ち切るために、どれだけの犠牲を払ったか。

 

「聖域は人間のものです!我々はもう、神の顔色をうかがって生きるのは御免なのです!」

 

ムウは右手を強く握りしめる。

 

「我が師・シオン様を犠牲にしてでも……!あの偉大な師が命を賭して遺した礎の上に、サガとアッシュ師範が築き上げた、この平和と繁栄!美味しい食事、清潔な寝床、そして明日を語り合える自由!私は、その未来に賭けたのです!」

 

ムウの背後に、巨大な牡羊の幻影が浮かび上がる。それは、彼の揺るぎない覚悟の具現化だ。

 

「ここは、我が命に替えても通さない!神の身勝手な論理で、我々の生活を破壊させるわけにはいきません!」

 

ムウの宣言。それは、アイオロスたちにとって絶望的なほどに堅い、拒絶の壁だった。 彼は悪ではない。彼なりの正義と、守るべき誇りを持って、そこに立っているのだ。

 

アイオロスは唇を噛む。分かる。痛いほど分かる。自分だって、今の聖域のほうが人間的で素晴らしいと思っている。娘の沙織に、こんな戦争をさせたくないと思っている。だが、それでも。今、目の前で苦しんでいる娘を見捨てることはできない。

 

「ムウよ……」

 

アルデバランが、重い身体を起こしながら呻く。

 

「本気なのか……。本当にお前は、俺たちを敵と見なすのか」

 

アルデバランの声には、悲しみが混じっている。つい数日前まで、一緒に笑い合っていた仲間だ。それが、こんな形で対峙することになるなんて。

 

ムウは、アルデバランの問いに答えない。代わりに、彼は両手を広げ、独特の印を結び始める。その構えを見た瞬間、黄金聖闘士たちは戦慄する。

 

スターダスト・レボリューション。ムウの最大奥義。銀河の星々を砕くほどの破壊力を持つ、必殺の一撃だ。彼は、本気でこちらを葬るつもりだ。

 

「そして!」

 

ムウの声が、さらに低く、冷たくなる。彼は印を結んだまま、アイオロスたちを見下ろす。その視線は、もはや友人を見るものではない。軽蔑すべき対象を見る目だ。

 

「その神に盲従し、思考を放棄した哀れな奴隷どもめ!!」

 

「なっ……!?」

 

息を呑む。奴隷。その言葉の響きは、彼らのプライドを深く傷つける。

 

「違う!俺たちは奴隷なんかじゃない!俺たちはアテナを……沙織さんを守りたいだけだ!」

 

反論するが、ムウは聞く耳を持たない。

 

「同じことです。神が『殺せ』と言えば従い、神が『死ね』と言えば死ぬ。自分の頭で考えず、ただ『アテナのため』という大義名分に酔っている。それを奴隷と言わずして何と言いますか」

 

ムウの小宇宙が極限まで高まる。無数の光の粒子が、彼の周囲に渦巻き始める。それは美しい星屑のようでありながら、触れれば消滅する死の光だ。

 

「よく聞け!この十二宮にいる黄金聖闘士の誰一人として、貴様らを殺すのに一片のためらいもない!」

 

ムウは宣告する。それはブラフではない。彼らは覚悟を決めている。自分たちの自由を守るためなら、かつての友を殺すことすら厭わないという、悲壮なまでの覚悟を。

 

「人間を舐めるなよ!!」

 

その一言が、決定的な合図となった。殺気。純度100%の、混じりっけなしの殺意。かつて仲間だった男が、明確な殺意を持って眼前に立ちはだかる。話し合い?説得?そんな甘いものが通用する段階は、とっくに過ぎている。

 

アイオロスは悟った。ここで言葉を重ねても、ムウの心には届かない。彼の信念は、言葉で覆せるほど軽いものではない。ならば。今は「力」で示すしかない。道を切り拓くには、その壁を物理的に粉砕するしかないのだ。

 

「………アルデバラン」

 

アイオロスが、隣に立つ巨漢の名前を呼ぶ。視線は合わせない。前だけを見据えている。

 

「合わせろ」

 

短い指示。しかし、アルデバランにはそれで十分だった。彼はアイオロスの背中から、悲痛なまでの決意を感じ取る。友を傷つけたくない。でも、進まなければならない。その矛盾した感情ごと、拳に乗せるしかないのだ。

 

「? ……」

 

アルデバランは一瞬だけ逡巡する。ムウの顔を見る。アイオロスの横顔を見る。そして、覚悟を決めて大きく息を吸い込む。

 

「……わかった」

 

アルデバランの瞳に、猛牛の闘志が宿る。彼は腰を落とし、居合のような構えを取る。

 

「行くぞ!!」

 

アイオロスの号令。二人の黄金聖闘士が、同時に小宇宙を爆発させる。それは、太陽の輝きと、大地の揺るぎなさが融合したような、圧倒的なエネルギーの奔流だ。

 

「アトミック・サンダーボルト!!」

 

アイオロスの右拳から、無数の光速プラズマ弾が放たれる。それは雷鳴を伴い、空間を切り裂いてムウへと殺到する。

 

「グレートホーン!!」

 

アルデバランの両掌から、衝撃波の塊が撃ち出される。黄金の野牛が突進するかのような、重厚かつ破壊的な一撃。

 

光速の雷撃と、猛牛の一撃。二つの最強技が、空中で交錯し、一点に集中する。標的は、ムウの展開するクリスタルウォールの一点。どんなに強固な盾でも、最強の矛を二つ同時に突き立てれば、耐えられるはずがない。

 

「くっ……!!」

 

ムウが表情を歪める。想定外の威力。黄金聖闘士二人の合体攻撃など、計算に入れていなかったわけではないが、その「想い」の強さが、計算値を遥かに上回っている。

 

ズガガガガガガッ!!

 

衝撃音が響き渡る。光と衝撃の渦が、クリスタルウォールに食らいつく。見えない壁が、悲鳴を上げるように軋む。

 

そして。

 

パリーン!!

 

最強の防御を誇るクリスタルウォールが、粉々に砕け散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キラキラと光る破片が、スローモーションのように宙を舞う。それは美しい光景だが、その実態は高密度の小宇宙の残骸だ。触れれば皮膚が切れるほどの鋭利なエネルギーの破片が、爆風と共に周囲に撒き散らされる。

 

煙が晴れる。そこには、吹き飛ばされたムウの姿があった。彼は数メートル後退し、白羊宮の柱に背中を預けるようにして体勢を立て直している。黄金聖衣には傷一つついていないが、その表情には明らかな動揺……いや、計算外の事態に対する再評価の色が浮かんでいる。

 

「今だ!」

 

アイオロスの叫びが、轟音の余韻を切り裂く。彼は自分たちの作った一瞬の隙を逃さない。

 

「行け!紫龍!瞬!氷河!一輝!ここを突破するんだ!」

 

アイオロスは振り返らずに叫ぶ。彼の視線は、体勢を立て直しつつあるムウに固定されたままだ。もしここで視線を外せば、即座に反撃のスターライト・エクスティンクションが飛んでくることを、彼は本能で理解している。

 

「フン、言われなくとも!」

 

一輝が、鼻を鳴らして地面を蹴る。彼は誰よりも判断が速い。アイオロスの指示が出るコンマ1秒前には、すでに助走に入っていた。彼の背中から炎のような闘気が噴き出す。迷いなどない。ここを突破しなければ、弟の瞬も、アテナも、そして自分自身も終わりだということを、極めてドライに理解しているからだ。

 

「行こう!みんな!」

 

瞬が、兄の後を追う。紫龍と、氷河も続く。四人の青銅聖闘士たちが、一塊の弾丸となって白羊宮の入り口を駆け抜ける。

 

彼らが通過するのは、ムウのすぐ横だ。距離にしてわずか2メートル。手を伸ばせば届く距離。黄金聖闘士であるムウなら、彼らが横を通り過ぎる瞬間に、指先一つで四人を異次元に飛ばすことなど造作もないはずだ。

 

紫龍が、走る速度を緩めずにムウの方を見る。警戒しているのだ。かつて聖衣を直してくれた恩人であり、底知れぬ実力者であるムウが、ただ黙って通してくれるはずがないと。 紫龍の筋肉が強張り、いつでも防御態勢に入れるように身構える。

 

しかし。

 

ムウは動かない。彼は柱に寄りかかったまま、冷ややかな瞳で青銅聖闘士たちを見送る。 その視線は、彼らを敵として見ているというよりは、道路の端を歩く蟻を眺めるような、無関心に近いものだ。攻撃の予備動作すらない。小宇宙の高まりも感じられない。ただ、そこに「存在」しているだけで、彼らを素通りさせた。

 

「……!?」

 

氷河が一瞬、不審に思って振り返りそうになるが、一輝の背中が「止まるな」と語っている。そうだ、今は止まれば死ぬ。理由はどうあれ、道が開いたのなら進むしかない。彼らの足音が、白羊宮の奥へと消えていく。その背中は、すぐに闇の中へと吸い込まれて見えなくなった。

 

残されたのは、静寂。そして、三人の黄金聖闘士たちだけだ。

 

「小僧ども!」

 

アルデバランが、去っていく青銅聖闘士たちの背中に向かって野太い声を張り上げる。

 

「ムウは俺たちが抑える!後ろは気にするな!脇目も振らずに先に行け!寄り道したら承知しねぇぞ!」

 

それは威嚇ではなく、不器用なエールだ。アルデバランは知っている。この先、彼らを待ち受けるのが、自分たち以上に厄介な「改革派」の黄金聖闘士たちであることを。だからこそ、ここで足止めを食らっている暇はないのだ。

 

青銅聖闘士たちの気配が完全に消える。白羊宮の前には、再びヒリヒリとした緊張感が戻ってくる。しかし、その質は先ほどとは少し違う。「突破する」という焦りから、「対峙する」という重厚な空気に変わったのだ。

 

アイオロスは、ゆっくりと呼吸を整える。ムウに向き直る。先ほどの一撃で、ムウのクリスタルウォールを破った代償として、アイオロスの拳も痺れている。それほどまでに、ムウの防御は堅牢だった。

 

「……どうしてだ?ムウ」

 

アイオロスが問う。その声には、純粋な疑問が含まれている。

 

「なぜ奴らを通した?貴様の反応速度なら、彼らが横を抜ける瞬間に迎撃できたはずだ。今のお前なら、スターライト・エクスティンクションで彼らを光の彼方に消し去ることも容易だっただろう」

 

アイオロスの指摘は正しい。ムウは手を抜いていたわけではない。クリスタルウォールが破られた瞬間、彼は即座に攻撃態勢に移ることができたはずだ。それなのに、彼はあえて攻撃の手を止めた。見逃したのだ。それが、アイオロスには不可解だった。情けか?かつて聖衣を修復したよしみで、若い聖闘士たちに未来を託したのか?いや、今のムウの瞳に、そんな甘い感情は見当たらない。

 

ムウは、肩についた埃を優雅な動作で払う。その仕草は、戦場とは思えないほど洗練されている。彼は顔を上げ、アイオロスを見る。その口元に、フッと冷ややかな笑みが浮かぶ。それは、全てを見通している者が浮かべる、絶対的な余裕の笑みだ。

 

「作戦通りです」

 

ムウの答えは短く、そして衝撃的だった。

 

「……作戦、だと?」

 

「ええ。最初から、貴方がたを分断するのが目的でしたから」

 

ムウは淡々と語る。まるで、今日の天気の話でもするかのように。

 

「私の役目は、ここにいるアイオロス、そしてアルデバラン。貴方達という『最強戦力(黄金)』の足止めです」

 

ムウの視線が、アイオロスとアルデバランを交互に捉える。

 

「アテナ軍団の中で、真に脅威となるのは貴方達二人だけ。正直に申し上げまして、貴方達二人が同時に攻めてくれば、この白羊宮とて無傷では済みません。先ほどの攻撃でよく分かりました。やはり、腐っても伝説の英雄と、現役最強の剛腕ですね」

 

ムウは皮肉っぽく褒める。しかし、その目は笑っていない。

 

「だからこそ、貴方達をここで釘付けにする必要があります。私が相手をすることで、貴方達はこの白羊宮から一歩も動けなくなる。違いますか?」

 

正論だ。ムウの実力は、アイオロスたちと互角。彼を倒さなければ、先には進めない。 無視して通ろうとすれば、背後から強力なサイコキネシスで狙い撃ちされるだけだ。つまり、アイオロスとアルデバランは、強制的にこの場に縛り付けられたことになる。

 

「なんだと?」

 

アルデバランが眉をひそめる。彼の直感的な頭脳でも、ムウの言葉の裏にある不穏な気配を感じ取ったようだ。

 

「じゃあ、青銅の小僧どもはどうなる?お前が通したってことは、奴らを先に行かせても問題ないって判断したのか?」

 

「ご明察です、アルデバラン」

 

ムウは頷く。

 

「青銅聖闘士ごとき、私が手を下すまでもありません。彼らは所詮、セブンセンシズに目覚めたといっても、まだその入り口に立っただけの未熟者。我々黄金聖闘士の領域においては、赤子も同然です」

 

ムウの声に、残酷な響きが混じる。彼は青銅聖闘士たちを評価していないのではない。正確に「戦力外」として分析し、処理の優先順位を下げただけだ。リソースの配分。実に現代的な、アッシュ参謀長の影響を受けた思考回路だ。

 

「彼らの相手は、この先の宮を守る者たちが担当します」

 

ムウは白羊宮の奥、闇に続く通路を指差す。その先には、金牛宮、双児宮、巨蟹宮……と、強者たちが待ち受けている。

 

「デスマスク、シャカ、ミロ……。彼らは今、退屈しているのですよ。特にデスマスクなどは、『新しい実験台が来る』と喜んでいました」

 

ムウは薄く笑う。

 

「たっぷりと、『人間(オレたち)の強さ』を教育してあげる手はずになっていますから。神に頼らず、自らの力で研鑽を積んだ我々が、神の加護にすがる彼らに、現実というものを教えて差し上げるのです。それは、彼らにとっても良い経験になるでしょう……生きて帰れればの話ですが」

 

教育。その言葉が、これほど恐ろしく響くことがあるだろうか。ムウは青銅聖闘士たちを「排除」するのではなく、「教材」として利用しようとしている。聖域の正当性を証明するための、生きたサンプルとして。

 

アイオロスは拳を握りしめる。ギリギリと音がする。怒りではない。ムウの、そして聖域側の周到な準備と、冷徹な覚悟に対する戦慄だ。彼らは本気だ。ただの反乱軍ではない。 組織として完成された、高度な軍事集団だ。

 

「……そうか」

 

アイオロスは呻くように言う。

 

「我々をここに釘付けにし、その間に紫龍たちを各個撃破するつもりか。合理的な判断だ。アッシュの入れ知恵か、それともサガの策か」

 

「両方です。そして、私自身の意思でもあります」

 

ムウは両手を広げる。その全身から、再び黄金の小宇宙が膨れ上がる。先ほどよりも強く、濃密なオーラだ。今までは「門番」としての力だったが、ここからは「殲滅者」としての力だ。

 

「さあ、アイオロス、アルデバラン。ここからが本番です。私一人で、貴方達二人を相手にするのです。手加減している余裕はありませんよ」

 

ムウの周囲に、無数の星屑が舞い始める。スターダスト・レボリューションの予備動作。 今度は威嚇ではない。確実に、こちらの息の根を止めに来る気だ。

 

アイオロスは、アルデバランと視線を交わす。言葉はいらない。やるしかないのだ。紫龍たちが先で生き残ることを信じて、自分たちはこの最強の敵を打ち倒すしかない。

 

「ならば我々も、全力でお前を倒し、先へ進むのみ!」

 

アイオロスが吼える。黄金の翼を広げ、小宇宙を極限まで高める。アルデバランもまた、構えを取る。

 

「おうよ!ムウ、お前のその余裕、俺の角でへし折ってやる!」

 

三つの巨大な小宇宙が衝突する寸前。白羊宮の空気が震える。

 

デジタル火時計の表示は、残り11時間35分。神殺しの戦いは、ここで大きく二つに分岐した。最強同士が激突する白羊宮の死闘。そして、未熟な青銅聖闘士たちが挑む、地獄の教育プログラム。

 

どちらの戦場も、生易しいものではない。しかし、賽は投げられた。もう、後戻りはできない。

 

アイオロスは心の中で、麓に残る星矢に語りかける。

 

(頼むぞ、星矢。沙織を……アテナの心を支えてやってくれ。俺たちは、必ず道を切り拓く)

 

そして、閃光が弾けた。




星矢「……なあ、沙織さん。聞こえてるか?みんな行っちまったよ。ムウさんのとこ……地獄みたいな戦場にさ。」

沙織「………………(微弱な呼吸だけ)」

星矢「本当なら、俺も行くつもりだったんだ。あそこで拳ぶつけて、道をこじ開けるのが俺の役目だと思ってた。でも……アイオロスさんが言うんだ。」

星矢「『星矢君、君にしかできないことがある。沙織を呼び戻せるのは、君だけだ』ってさ。」

(沈黙。風の音だけ。)

星矢「……それ聞いた瞬間、胸がズキッてしたよ。重すぎるって正直思った。黄金聖闘士より重い任務だろ、これ……。」

(沙織の指が、かすかに動く。)

星矢「でもな、沙織さん。俺、やっぱり逃げられねぇわ。だって――」

星矢は沙織の手を握りしめる。

星矢「俺、あんたのこと……大事なんだ。世界とか神とか知らねぇけど、沙織さんが笑ってくれる未来なら、絶対譲らねぇ。」

(沙織の唇が、微かに震える。)

沙織「……せ……いや……?」

星矢「おっ……!今、俺の名前……!」

沙織「……ま……もって……」

星矢「ああ、守る!守るよ!十二宮が全部敵に回っても、教皇が何人いても、アテナのシステムが止まらなくても……俺が、沙織さんを守る!!」

(そっと沙織の表情が和らぐ。)

沙織「……たより……に……してるわ……星矢……」

星矢「任せとけって!あんたのペガサスだろ、俺は!!」

十二宮編の最後は誰と誰の対決に?

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