聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
灼熱の毒針は神の加護さえ焼き尽くし、閉ざされていた記憶を呼び覚ます。
追い詰められた不死鳥が放った鳳凰幻魔拳。その拳が狙うものは、なんと一輝自身だった!
神の命令を打ち破り、己の意志で立ち上がれ、一輝!
君は、小宇宙を感じたことがあるか!
【REMAINING TIME 07:35:00】
膨れ上がった紅蓮の爆炎が、天蝎宮(てんかつきゅう)の柱を呑み込んだ。
壁面のLED表示が衝撃で明滅し、石床を走った亀裂から炎が噴き上がる。その中心では、燃え盛る不死鳥と真紅の蠍が互いを食い破ろうとせめぎ合っていた。
だが、均衡は長く続かなかった。
不死鳥の胸を一条の赤光が貫き、紅蓮の翼を内側から弾けさせる。散り乱れた炎の中をさらに六条の毒針が駆け抜け、一輝の両肩、胸、脇腹、左大腿、右脚へ次々と突き刺さった。
「ぐああああああっ!」
青銅聖衣(ブロンズクロス)に新たな赤点が浮かぶたび、灼熱が傷口から体内へ流れ込んでくる。
これまでに受けたスカーレットニードルとは違う。皮膚も肉も焼けてはいないにもかかわらず、身体の奥へ入り込んだ炎が血管を駆け巡り、骨髄から神経まで焼き尽くそうとしていた。
一輝は床へ倒れた勢いのまま何度も身を転がり、全身を掻きむしった。神の力によって限界の外側まで引き上げられていた小宇宙も、その熱を押し返すどころか、触れた端から焼かれていく。
「な、なんだ……これは……! 先ほどまでとは違う……身体が、内側から焼き尽くされるううう……!」
「スカーレットニードル・カタケオは、心臓へ集中させた俺の小宇宙を熱へ変え、毒針とともに打ち込む奥義だ。神が植えつけた力であろうと、熱に耐えられなければ燃え尽きる」
一輝を射抜く眼差しに容赦はない。しかし、真紅に燃える指先は、制御しきれない何かに耐えるようにかすかに震えていた。
「聞こえているなら、自分を取り戻せ! お前の中に巣食う神の加護を、俺の炎で焼き尽くしてやる! それでも正気へ戻れぬというのなら――そのまま灰になって死ね、一輝!」
「まだ……俺を奴隷と呼ぶか!」
一輝は床へ拳を突き立て、焼けつく身体を無理やり起こした。両腕を広げると、行き場を失っていた炎が再び背後へ集まり、傷だらけの不死鳥を形作っていく。
「俺はアテナの聖闘士だ! アテナの敵は、この拳で消し去る! 鳳翼天翔(ほうよくてんしょう)!」
振り抜かれた両腕から炎の翼が広がった。
しかし不死鳥は、ミロへ届く前に形を崩した。真紅の熱に焼かれた小宇宙を、神の力が強引に繋ぎ止めているにすぎず、翼の先から炎が剥がれ落ちていく。
「それがお前の答えなら、遠慮はいらんな!」
ミロの指先が続けざまに閃いた。
放たれた真紅の毒針は、崩れかけた不死鳥を正面から突き破り、一輝の両腕と胸へ深々と食い込んだ。鳳翼天翔の炎は行き場を失って爆発し、その反動まで受けた一輝の身体が宙を舞う。
「これで十四発だ」
「残るは心臓を示す真紅の極星、アンタレスのみ。次を受ければ、神の加護が消えるより先にお前の命が尽きるぞ」
返事はない。
一輝の耳には、ミロの声も、炎の音も、遠くなりつつあった。
全身を焼き続ける熱だけが意識の奥深くまで入り込み、触れてはならない場所へ無理やり光を当てていく。砕けた記憶の断片が浮かんでは消え、その中に、見覚えがあるはずなのにひどく遠く感じられる光景が現れた。
◇◇
あれは、日本を出発する直前のことだった。
グラードコロッセオの控室には、一輝と城戸沙織しかいなかった。
いつもならば真っ直ぐに向けられる瞳から、あの日は人間らしい感情が消えていた。
沙織は黄金の杖を手にしたまま、一輝の名を呼ぼうともしなかった。
「フェニックス」
「どうした、お嬢さん。俺を星座で呼ぶとは珍しいな」
一輝が怪訝そうに眉を寄せても、その表情に変化はない。
「貴方はペガサスに次いで優れた才能を持っています。私の加護を授けましょう」
黄金の杖が掲げられると、その先端に冷たい光が集まり始めた。
「地上の愛と正義のため、私の駒として働きなさい」
避けるという考えすら浮かばなかった。
額へ注ぎ込まれた光は、熱も痛みも伴わず、一輝の意識へ染み込んでいった。
疑問も反発も、その瞬間には確かに存在していたはずなのに、まるで最初からなかったかのように消えていく。
沙織を「お嬢さん」と呼び、神であろうと頭を下げようとしなかった一輝の口から、ひどく平坦な声が漏れた。
「……ああ。感謝する」
そこで記憶は途切れていた。
◇◇
一輝は冷たい床へ頬を押しつけたまま、荒い呼吸を繰り返した。
「いまのは……なんだ……?」
思い出せば思い出すほど、胸の奥に別の声が響く。
アテナに従え。
アテナの敵を排除せよ。
命令へ疑問を抱くな。
それは自身の考えを装い、記憶と感情の隙間へ根を張っていた。
だが、カタケオの熱に触れた部分から剥がれ始め、隠されていた違和感が次々と意識へ噴き出してくる。
「あれは……本当に沙織お嬢さんだったのか……?」
「どうした。もう起き上がれんか」
ミロの声に促されるように、一輝の右腕が動いた。
身体を起こす力は残っていない。肘を床へ突き、震える拳を持ち上げるのが精いっぱいだった。
「最後に……一つだけ確かめさせてもらうぞ、ミロ」
「何をするつもりだ」
一輝の指先から、これまでとは異なる鋭い小宇宙が迸った。
「鳳凰幻魔拳(フェニックスげんまけん)!」
身構えたミロの前で、拳の軌道が不意に変わる。
「なにっ――自分へ!?」
一輝は小宇宙を宿した拳を、自らの眉間へ叩き込んだ。
精神を破壊し、相手が最も恐れる幻を脳裏へ焼きつける魔拳。その力が一輝自身の意識へ雪崩れ込み、命令によって閉ざされていた記憶を片端から引き裂いていく。
「ぐあああああああっ!」
頭の内側で何かが砕けた。
弟とともにパライストラで学んだ日々も、デスクイーン島の業火も、エスメラルダとの逢瀬も、星矢たちと語り合った記憶も、一切の順序を失って押し寄せてくる。そのすべてを覆い隠そうと、冷たい黄金の光が一輝の心を締め上げた。
アテナに従え。
立ち上がれ。
目の前の敵を殺せ。
「俺の心へ……勝手に入り込むな!」
幻魔拳が暴き出した命令の根へ、カタケオの炎が食らいついた。
二つの力が意識の内側で激突し、神の機工が記憶へ張り巡らせた命令だけを、片端から引き剥がしていく。
その激痛の中で、一輝は自分を縛る黄金の光だけを掴み取り、心の奥から引きずり出した。
「俺が従う相手は……俺が決める!」
全身を覆っていた異質な小宇宙に亀裂が走った。
殻が砕けるような音とともに、黄金の破片が一輝の身体から剥がれ、宙へ溶けていく。
やがて絶叫が途絶えた。
長い沈黙ののち、一輝は両手を床へつき、自らの力だけで立ち上がった。
呼吸は乱れ、十四の傷から流れた血が聖衣を赤黒く染めている。
再び開かれた瞳には、神の命令を映していた光など残っていなかった。
そこにあるのは、神にも死にも屈しない不死鳥の眼光だった。
「感謝しよう、ミロ。どうやら俺としたことが、神の力などに操られる、とんだ体たらくだったらしい」
「その目なら、もう心配はいらんようだな」
「ああ。思い出したぞ。あのとき沙織お嬢さんの姿をしていたのは、俺たちの知る城戸沙織でありながら、同時に沙織お嬢さんではなかった」
一輝は額から流れる血を手の甲で拭い、壁面で時を刻む数字へ目を向けた。
「神の機工に意識を呑まれ、自分の聖闘士まで駒として縛った。今回の理不尽な侵攻も、それが引き起こしたものだったというわけか」
「ならば、俺たちが何を守ろうとしているのかも分かったはずだ」
ミロは宮の奥へ通じる道を背にしたまま、右手を下ろさなかった。
「ここで引き返せとは言わん。十四発も受けた身体では、十二宮を下ることすら難しいだろう。洗脳が解けたのなら、そこで休んでいろ」
「そうはいかん」
一輝の足が、血の跡を残しながら一歩前へ出た。
「沙織お嬢さんが、黄金の矢によって死にかけていることは変わらない」
「それは必要な犠牲だ。アッシュ師範が築いた人間の聖域を守るためには、女神をその神の機工から切り離さねばならん。たとえ城戸沙織の命まで救えなかったとしても、俺たちは立ち止まるわけにはいかない」
「なるほど。お前たちにとっては、それが正しいのだろう」
この聖域で生きる者たちを守るために戦うミロの覚悟も、アッシュへ寄せる信頼も、偽りではない。そこへ神の名を持ち出し、自分たちの正義だけを押しつける気もなかった。
だが、一輝の周囲では、消えかけていた炎が静かに揺らめき始めていた。
「だが、俺にとって沙織お嬢さんは――星矢が心に決めた女だ」
ミロの眉が動いた。
「弟のために戦うことに、兄として何を恥じる必要がある。世界がどうなろうと、聖域がどうなろうと知ったことか。俺はただ、弟が惚れた女を死なせないために先へ行く!」
大義も使命も掲げない、あまりに私的な宣言だ。
だからこそ、その言葉には神の命令が入り込む余地などない。一輝自身の意志から生まれた小宇宙が天蝎宮を震わせ、血に濡れた不死鳥の聖衣を紅蓮の光で包んでいく。
「俺たちがアテナの盾を手に入れ、沙織お嬢さんを救う。そのうえで、彼女を操る神の機工も止める。それですべて済むことだ」
ミロは目を見開いたまま、しばらく一輝を見つめていた。
やがて肩が揺れ始める。
「ハッハハハハハ!気に入ったぞ、一輝! 神のため、地上の愛と正義のためなどと並べられるより、よほど信用できる! 男なら、そのくらい身勝手な理由を堂々と吐けなくてはな!」
笑いを収めたミロの瞳にも、戦士の光が戻っていた。
「だが、アッシュ師範がここを通すなと言った以上、俺も退くわけにはいかん。お前が弟のために戦うのなら、俺は師と友のために戦う。こればかりは、互いに譲れそうもないな」
「最初から、言葉だけで譲ってもらえるとは思っていない」
一輝の炎が大きく脈打った。
前へ進もうとする一輝自身の命が燃えていた。
紅蓮の炎は傷口から噴き出す血さえ呑み込み、天井を覆うほど巨大な翼を広げていく。
ミロはその輝きの中に、神の力を探した。
だが、どこにもない。
限界を超えて膨れ上がっている小宇宙は、何者から与えられたものでもなかった。
傷つき、地へ落ち、死の淵へ追いやられるたびに蘇ってきた男が、ただ自らの意志だけで黄金聖闘士の領域へ踏み込もうとしている。
「そうか……これがお前自身の第七感(セブンセンシズ)か!」
一輝の背後で、巨大な不死鳥が燃え上がった。
「ならば、あとは拳に聞くのみ! そこを通してもらうぞ、ミロ!」
両腕へ集まった炎が、翼を広げて天蝎宮を埋め尽くしていく。
「鳳翼天翔!」
一輝の拳から解き放たれた不死鳥が、石床を抉りながら飛翔した。
ミロもまた、己の胸へ小宇宙を集中させる。
心臓が強く脈打つたび、黄金聖衣の内側を真紅の熱が駆け上がった。肩から右腕へ流れ込んだすべての力が人差し指へ集まり、その先端に小さな赤い星を形作っていく。
蠍座の心臓に輝く、真紅の極星。
最後の一撃は、一輝の命を奪う。それでもミロの指に、もはや迷いはなかった。
手加減をすることこそ、一輝が取り戻した意志への侮辱となる。
「やってみせろ、一輝! お前の覚悟!アンタレスを超えてみせろ!」
真紅の蠍がミロの背後へ姿を現し、燃え盛る尾を天高く掲げた。
「スカーレットニードル――カタケオ・アンタレス!」
指先から撃ち出された真紅の極星が、光速の炎となって天蝎宮を駆け抜ける。
一方は、弟が愛した女を救うため。
一方は、師が築いた聖域を守るため。
どちらも神から与えられた使命ではない。互いに譲ることのできない、人間として選び取った意地だ。
真紅の極星と不死鳥の炎が、天蝎宮の中央で真正面から激突する。
瞬間、視界を埋め尽くす光が弾け、十二宮全体を揺るがす轟音が鳴り響いた。
かなり間が空いてしまいましたが、聖闘士星矢、再開です。
お待ちくださっていた方、本当にありがとうございます。
今回は、アテナの支配から抜け出すため、一輝が自分自身へ鳳凰幻魔拳を放つ展開となりました。
正気を取り戻しても戦いをやめず、それぞれが自分で選んだ理由のために拳を交える一輝とミロを書きたかった回です。
一輝の復活やミロとのやり取り、カタケオ・アンタレスについて、感想をいただけると嬉しいです。