聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
そこで待っていたのは、かつて氷河へ「クールであれ」と教えた師――水瓶座のカミュだった!
アテナへの使命を叫ぶ氷河。
友への情と、自ら選び取った聖域の未来を信じるカミュ。
師の教えを守ってきたはずの氷河に、カミュが突きつける本当の意味とは!
そして明かされる、十三年の間にさらなる進化を遂げたカミュの凍気!
激突するオーロラエクスキューションとオーロラサンダーアタック!
氷河よ、過去の師を追うな!
現在の師を越え、自分自身の答えを掴み取れ!
君は、小宇宙を感じたことがあるか!
宝瓶宮の壁に設けられた表示盤で、赤い数字が切り替わった。
【06:30:00】
凍りついた宮内に、低い振動が伝わる。
腕を組んだまま、正面を見据えた。
歪んだ空間の奥で星々が渦を巻き、直後、一人の男が吐き出された。
何度か転がった身体は、霜を削ってようやく止まった。
サガの小宇宙は、すぐに空間の向こうへ遠のいていった。
「くっ……! ここは……?」
氷河が片膝をつき、顔を上げる。白い息の向こうで視線が柱を巡り、やがて宮の奥に立つ私を捉えた。
氷河の目が見開かれたのは一瞬だった。
よろめきながらも立ち上がり、両腕を胸の前へ引き寄せる。
数え切れないほど見てきた構えだ。
空間の狭間へ落とされても、身体に刻んだ基本だけは失っていない。
ならば、まだ教え直せる。
「氷河……。今回ばかりは、特別に指導してやろう」
「我が師、カミュ……!」
声とともに、氷河の小宇宙が膨らんだ。
だが、凍気は一定しない。
強くなったかと思えば、すぐに揺らぐ。
組んでいた腕へ、指が食い込む。
どれほど追い詰められても、感情に拳を曇らせるな。
状況を見極め、自分の頭で最善を選べ。
そのために、クールであれと教えた。
目の前にいる弟子は、何を見て、何を選んだ。
「どんな時でも感情を殺し、クールになれと教えたが……。『機械の手下』になれと教えた覚えはないぞ、氷河よ」
「う……」
「人間は、人間なりになんとかやっていける。だからこそ私は……」
その先を口にして、何になる。
言葉で解けぬのなら、拳で砕くしかない。
「いや、もはや問答は無用か」
氷河は冷気から顔を庇いながらも、退かなかった。
「俺は……アテナを救わなければならないんだ! それが聖闘士の使命のはずだ!」
自分で選んだ答えなのか。
それとも、アテナの聖闘士はそうあるべきだと、考えることをやめただけか。
「神の機工に支配され、対話すら拒絶する女神など、守るに値せん!」
「なぜだ! なぜ貴方は、神に逆らいアッシュに与するのか!! 『感情を捨てろ』と、あなたは俺に言ったはずだ! なのに、今の貴方はどうだ!」
やはり、そこを取り違えたか。
感情に呑まれるなとは教えた。
感情そのものを持つななどと、一度も教えたつもりはない。
「私は、あの馬鹿蠍(ミロ)が信じたアッシュ師範について行くと決めたのだ! あいつ一人では、暴走して死にそうだからな」
「なっ……! 友への情か!? それが、クールを貫くあなたの答えだというのか!」
情を理由から切り離す必要などない。
ミロが信じたから目を向けた。自らの目でアッシュを見、その言葉を聞き、聖域が歩んできた道を見た。そのうえで、誰に命を預けるのかを決めた。
神に与えられた答えではない。迷った末に、自分で選んだ答えだ。
「感情だけではない! 人間が自らの足で立つこの『聖域』の未来を……私の魂にかけて信じ抜くと決めたのだ!」
解き放った小宇宙が冷気を巻き上げた。
氷の粒が柱を叩き、床を這う霜が氷河の足元へ迫る。
守ると決めたものがある。
それを守るために、頭はどこまでも冷たく、魂は誰よりも熱くあればいい。
氷河は両足を踏み締めた。
凍りついた床に罅が走る。両腕が白鳥の翼を描き、小宇宙が急速に高まっていく。
拳の芯に揺らぎが残っているぞ。
「俺は……、それでも! アテナを見捨てることはできない! ダイヤモンドダスト!!!」
白い奔流が押し寄せた。
微細な氷晶が幾重にも重なり、私の全身を呑み込む。
壁まで凍りつき、視界が白一色に閉ざされた。
だが、黄金聖衣の表面を薄氷が覆っただけだった。
この程度では、黄金聖衣を凍結させる温度には遠い。
氷河の凍気が弱いのではない。
放たれる寸前に、いくつもの迷いが力の流れを分断している。
「……甘いな。そのような迷いだらけの拳が、このカミュに通じるか!!」
ダイヤモンドダストは、広範囲を凍結させる技だ。
だが、その性質まで守り続ける必要はない。
アッシュの指導を受け、小宇宙の拡散を削り、無数に散るはずの凍気を一点へ圧縮した。
広がる吹雪ではなく、すべてを貫く一本の光へ。
掌の前で、空気が収縮した。
「ダイヤモンドダスト・レイ!!!!」
閃光が迸る。
氷河のダイヤモンドダストは、白い光を境に左右へ裂けた。
押し返す間さえ与えず、その中心を貫いた凍気が青銅聖衣の胸部を捉える。
「ぐわぁぁぁぁぁっ!!!」
生じた氷が、肩へ、腰へ、両脚へ走る。
氷河の身体は瞬く間に氷へ閉ざされ、そのまま後方へ弾き飛ばされた。
凍りついた背が宮の壁を打つ。
衝撃で舞い上がった白い粉塵が、ゆっくりと二人の間へ降り積もる。
氷の内側から、かすかに小宇宙を感じる。消えてはいない。この一撃で眠るほど、脆く育てた覚えもなかった。
立て。
教えられた答えを繰り返すのではなく、自分の目で見て、自分の頭で選べ。
そして、その選択を師の拳ごと越えてみせろ。
「立て、氷河。お前の力はそんなものではなかろう。私の『絶対零度』を越え、お前自身の答えを掴み取ってみせろ……!」
壁の表示盤では、赤い数字が一秒ずつ減り続けている。
構えは解かない。
愛弟子が再び立ち上がる瞬間を待った。
◇◇
「うう……っ! やはり我が師……。このままでは……やられる……!」
まだ声は出る。自分が追い詰められていることも分かっている。
ならば、次に必要なのは力ではない。
己が目指すべき場所を、正しく見定めることだ。
「氷河。……絶対零度とは何だ?」
「絶対零度……」
「そうだ。答えろ!」
反射的に背筋を伸ばしかけたのが分かった。シベリアで何度も繰り返した問答だ。身体が動かずとも、教え込んだものは残っている。
「絶対零度とは……すべての物質の分子運動が停止する、マイナス二七三・一五度の極限の世界……! 氷闘士にとっての、到達不能とされる最終限界……!」
答えに誤りはない。
だが、その言葉をいまだに到達不能のものとして口にすることこそ、氷河が越えるべき壁だった。
「たとえ……絶対零度に届かなくとも! せめて、あなたの領域(レベル)にまで小宇宙を高めてみせる!!」
「愚かな……。絶対零度は、このカミュにすらかつては不可能だったと教えたな……。そう……『かつては』……だ」
白鳥の翼が揺らいだ。
「ば……かな!?」
かつての私ならば、絶対零度は奥義の果てに垣間見るだけの領域だった。
小宇宙を高めれば凍気も強まる。ただ燃やせばよい。そう信じ、長い年月をかけて同じ鍛錬を繰り返してきた。
だが、アッシュ師範は、私が当然としていた一つ一つを分解した。
積み重ねてきた経験を捨てたのではない。
経験だけでは届かなかった最後の距離を、理論によって埋めたのだ。
「アッシュ師範による近代的トレーニング理論、そして効率的な小宇宙の増幅法……。我が経験と最新の理論が融合した今、私にとって絶対零度は……すでに『到達済みの領域』なのだよ」
音が消えた。
空気中に漂っていた氷晶が、床へ落ちるより先に動きを失っている。
足元から白い氷が走った。床を呑み、柱を這い上がり、宝瓶宮の壁を塗り替えていく。空気中の水分は雪へ変わる暇さえ与えられず、幾重もの結晶となって宙に連なった。
制御できる。
もはや一瞬だけ触れ、全身を損なうような力ではない。
求めたときに生み、技として放ち、止めることができる。
それが私の到達した絶対零度だった。
「我が師もまた……アッシュ参謀長と共に、限界を超えて進化していたというのか……!」
ようやく見えたか。
過去の私を目標にしているかぎり、今の私には届かない。
まして、教えられた言葉へ縋るだけでは、自らの限界さえ越えられない。
「思考を放棄し、過去の呪縛に囚われた弟子よ……。せめてこの技をもって葬ろう!」
両腕を頭上へ掲げ、指を組んだ。
小宇宙が膨れ上がる。凍気の向こうに、水瓶を抱く処女の姿が浮かび、その瓶口が氷河へ向いた。
構えを見た氷河の目が大きく開かれた。
水瓶座の黄金聖闘士が受け継いできた最大の奥義。
かつての私でさえ完全には届かなかった凍気を、いま初めて愛弟子へ向ける。
「オーロラエクスキューション!!!!」
掲げた両腕を振り下ろす。
水瓶から溢れ出した絶対零度の奔流が、一直線に氷河へ落ちた。
「くっ……! 我が師の最大奥義! だが……俺にも守るべきものがある! 星矢たちと誓った未来があるんだ!」
氷河は退かなかった。
胸の前で両腕を大きく交差させる。その軌道に沿って白鳥の翼が羽ばたき、青白い小宇宙が傷ついた身体へ吸い込まれていく。
「オーロラサンダーアタック!!!!」
二つの白光が宝瓶宮の中央で激突する。
轟音とともに、足元から衝撃が突き上げた。床を覆っていた氷が砕け、無数の破片となって宙へ舞う。その一片一片が凍気に捉えられ、落ちることなく空中で静止した。
氷河の技は、触れた先から私の凍気に呑まれていく。
だが、途切れない。
「うおおおおおおおおっ!!!!」
叫びとともに、白鳥の小宇宙がさらに大きく翼を広げた。傷口から血が噴き、青銅聖衣の継ぎ目が凍りついても、両腕を下ろそうとはしない。
押し返してみせろ。
絶対零度という言葉に怯えるな。師の背中を限界と決めるな。守るべきものがあると言うなら、借り物ではないお前自身の答えを、その拳で示せ。
「はあああああッ!!!!」
絶対零度の凍気を、さらに叩きつけた。
白と青の境界が激しく明滅する。衝突点から伸びた亀裂が床を裂き、柱を駆け上がり、天井へ達した。凍った石材が悲鳴を上げるように軋む。
腕に、これまでとは違う抵抗が返ってきた。
氷河の凍気が、押し潰される寸前で形を変えている。散りかけた小宇宙をつなぎ直し、何度でも一つの奔流へ戻してくる。
まだ絶対零度には届かない。
勝敗は、まだ決していない。
私は迫り来る白鳥の羽ばたきを正面から見据え、オーロラエクスキューションへ小宇宙を注ぎ続けた。
氷河「我が師カミュ……一つ聞いてもよろしいでしょうか」
カミュ「なんだ」
氷河「絶対零度へ到達された理由が、近代的トレーニングだったというのは……」
カミュ「不満か?」
氷河「いえ。ただ俺はシベリアの氷原で、何年も命懸けの修行を……」
カミュ「私もやった」
氷河「凍った海へ潜ったり……」
カミュ「私もやった」
氷河「極寒の中で小宇宙を燃やしたり……」
カミュ「私もやった」
氷河「それで最後の壁を越えた方法が?」
カミュ「科学的な栄養管理、休息、筋力トレーニング、小宇宙運用の効率化だ」
氷河「…………」
カミュ「どうした」
氷河「俺の青春はいったい……」
カミュ「無駄ではない。その経験が土台になる」
氷河「本当ですか?」
カミュ「ああ。だからまず十分に睡眠を取れ」
氷河「師から『寝ろ』と言われる日が来るとは思いませんでした」
カミュ「成長とはそういうものだ」
氷河「……師が一番変わっている気がします」