聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
その主は――新米女官セレン!
音色に導かれ、オルフェウスとミーメが現れる。
憧れの音楽家を前に、潜入任務そっちのけでテンション急上昇するソレント!
一方その頃、セラフィナことシードラゴンは――。
同じ潜入任務なのに、なぜここまで待遇が違う!?
君は、小宇宙を感じたことがあるか!
「ふむ………。腕を上げたな、ミーメ。昨日の深夜特訓の成果かな?」
その冗談とは。昨夜は神々の小宇宙にまで付き合わされ、ようやく静かな昼を迎えたところだった。師の前でくらい、琴を持つ指を休ませていてもいいだろう。
「ご冗談を。しかし、やはり貴方は素晴らしい。流石はエリス様配下の中でも最強にして、最も気高き邪霊士………我が師・オルフェウスよ」
久しぶりに傍らで聴いた演奏は、記憶にあるものより深かった。かつてアフロディーテと渡り合った実力だけでも十分に遠い。そのうえ十年分、先を歩いている。教わった時と同じ場所に留まって待ってくれる師ではない。
ならば追いつくまでのことだ。そう思えるだけの鍛錬は、自分も重ねてきた。
「む…………この笛の音は……」
今度は冗談ではなかった。続きを聴きたくなるのはミーメも同じだった。
「ええ。素晴らしい…………。聴く者を虜にするような、妖しげで、かつどこまでも美しい……」
ここで息を継ぐだろうと思ったところを、途切れずに越えてくる。強引さはない。むしろ、その先まで聴かせるために余裕を残している。
知っている宮廷音楽家の誰とも違った。
「行こう、ミーメ。これほどの音色……ただの素人ではない。名のある音楽家に違いない」
「うむ。アスガルドに、これほどの腕の者はいなかったはずだ」
最後の音が消えるまで、話しかけるのは待つつもりだった。
何を持ってこの国を訪れた音楽家なのか、まずは演奏を通して知りたい。
ところが、広間に近づく頃には、ほかの者たちに先を越されていた。
◇◇
「おお……セレン殿! その笛の技術、一体どこで学ばれたのですか!!」
「息継ぎの滑らかさ、運指の正確さ……ただ者ではない!」
少し吹きすぎた。
ソレントとしては、宮廷で働ける程度の腕を示すだけでよかったのだ。
それなのに、途中から皆の反応が嬉しくなってしまった。もう少し聴いてもらいたい。次の一節なら、もっと驚いてもらえる。そうやって一曲を終えた結果がこれだ。
落ち着こう。ここではセレンだ。女性らしく、差し障りのない答えを返せばいい。
「い………いえ………わたくしは、その……〇〇音楽学校で………」
「なんと! あの超名門ではないですか……! 流石ですな!!」
しまった!! 思わず真実を口走ってしまった!! 潜入任務中なのに!!
ウィーンの名門。その一言で通じる学校を出してしまえば、次の質問など決まっている。分かっていたはずなのに、演奏を褒められた途端、口が勝手に動いてしまった。
「なるほど……では、マスタークラスの教授はどなたに師事されたので……??」
流石にそれは誤魔化さねば……。いや、しかし恩師の名を偽るなど、音楽家としてのプライドが……!
独学だと答えればよかった。最初からそう言っておけば、ここで迷う必要もなかったのだ。
だが、身につけたものを自分一人の手柄にするのも違う。息の使い方一つから直してもらった。何度も同じ箇所を吹き直し、ようやく頷いてもらえた時の嬉しさまで覚えている。その教えを褒められて、別人の名を挙げられるものか。
「………〇〇先生です……」
あああ私のバカ!! 正直に話すとは……!! しかし音楽のことで嘘などつけるものか……!
仕方ない。学校も恩師も同じ生徒など、ほかにもいる。今の姿からソレントに辿り着けるわけではない。そう考えれば、まだ取り返しはつく。
「おお……〇〇先生! しかし、むうう……去年、惜しまれつつ亡くなられましたな……。
貴女は、まさに先生の晩年の、最高のお弟子ですな!!!」
えっ!? 〇〇先生亡くなっていたのか!! ずっと海底神殿に引きこもっていたから知らなかった!!
「そ、そうでしたか……。悲しいことです………」
声を作る余裕がなくなった。
去年。そんなに前だったのか。便りの一つでも出しておけばよかった。また会えば聴いてもらえると、どこかで思っていた。今の吹き方なら何と言われるだろう。上達を認めてもらえるだろうか。そんな想像は何度もしたのに、実際には何もしていなかった。
最高の弟子などと言われると、かえって申し訳ない。
周囲の拍手を、今だけはそのまま受け取れなかった。演奏を褒めてくれることは嬉しい。
「君、凄いじゃないか。人間でありながら、それほどの音色を奏でられるなんて……」
太陽神アベル……!! 半神でありながらアテナの兄……! いかん、ボロを出さぬように……。
「あら……お褒めにあずかり光栄です。アテナ様御一行の………」
危なかった。知っている名を、そのまま呼びかけるところだった。
神の素性を言い当てては言い逃れができない。
「アベルだ。僕も昔は竪琴などの音楽をやっていたがね……。今はもっぱら、これさ」
床を打つ音に、返事が遅れた。
演奏の話をしていたはずだ。手にしているものも、先ほどから見えてはいた。
だが、神の趣味として改めて示されると、どう受け取ればよいのか分からない。
「バスケット………ですか?」
「ああ。だから今は聴く専門だ。ほかの者たちもよい腕をしている。褒めて使わす」
「あ………ありがとうございます……」
神の威厳とバスケが噛み合っていない……。
いや、余計なことは考えまい。演奏を聴いて、褒めてくれた。それで十分ではないか。
こちらの正体を問うつもりもないらしい。神の前で一曲吹くことになったとしても、音楽の話だけなら乗り切れる。
「む……貴女が、先ほどの素晴らしい笛の音の主でしたか」
オ、オルフェウス!! エリス配下最強の邪霊士にして、伝説の竪琴弾き!!
私の憧れの音楽家の一人!!
「お……お褒めに預かり恐縮です……!!」
聴かれていた。
あの演奏を。この人に。
ならば、もう少し丁寧に終えればよかったか。最後の一音を長く保ちすぎなかっただろうか。いや、今の言葉は褒めてくれたのだ。欠点を探していたわけではない。
そう分かっていても、さっきまで自然に持っていた笛を、どこに置けばよいかさえ迷う。
「なるほど……ヒルダ様の新しい女官ですか。むむ……師よ……どうやらまた一人、女性の心を射止めてしまったようですね」
違います!! 私は男です!! でも音楽的には完全に射止められてます!! 大ファンです!!
「そんな………恐れ多いですわ」
否定できない。女性というところ以外、ほとんど当たっている。
しかも、その隣はミーメだ。二人まとめて目の前にいるなど、海底神殿で過ごしていた頃には考えもしなかった。
「ふっ。私の美と旋律に惑わされる女性は多い……何と罪な男よ、私は。……日本での癖が抜けないな」
ホストクラブを経営しているという話は、こうして間近にすると妙に納得できた。
こちらが返事に困ることまで楽しんでいるような、慣れた間の取り方だ。
だが、今はそんなことより聞きたい話がある。演奏について、一つだけでも質問できないだろうか。どのような練習を重ねれば、あの音に近づけるのか。
「どうですかな、美しいお嬢さん? ぜひ一曲……我々ともセッションを」
な………何と素晴らしいご提案……! 海将軍の任務? 知るかそんなもの!!
「こ……光栄です!! ぜひ!!」
断る理由などあるものか。
音楽家に合流するよう言われたのだから、仕事にも背いていない。
潜入先に馴染むうえでも、これは必要なことだ。そういう説明なら、セラフィナにも通るはずだ。
いや、説明は後でいい。今は笛だ。
「おお! 良いですな。ミーメ様もぜひ、皆で音楽を楽しみましょう!!」
「うむ。音楽とは高め合い、楽しむもの。さあ……楽しい音楽の時間だ」
◇◇
最初の音を出すまでは、少し怖かった。
憧れの相手に、つまらないと思われたくない。誘ったことを後悔させたくない。
せめて、邪魔にならぬように合わせよう。そう思っていたはずなのに、数小節も進むと、次に吹きたい音が浮かんでくる。
ここなら入れる。今なら、この旋律を重ねられる。
控えているのが惜しくなった。
楽しい…………! これほど胸が躍るセッションはどれほどぶりか……!
おお……これがミーメ殿の旋律……私を誘っておられるな……ならば、こう返しましょう……!
一度聞いた流れを受け取り、少しだけ違う形で返す。言葉で確かめる必要はなかった。琴の音が次にどこへ進みたいのか、聴いているうちに分かってくる。
自分の思いつきも、独りよがりにはならない。返した旋律を、今度はほかの楽器が拾ってくれる。そのたびに、予定していた続きが変わった。
まだ吹ける。もっと応えたい。
◇
ふむ……こちらの誘いに乗ってきたか……。曲調を乱さずに、完璧なアンサンブル……いい腕だ。
さあ、ここからは君のソロだぞ?………そら!
ミーメにとって、合図はそれだけで十分だった。
出会ったばかりの相手に、細かく指図するのは惜しい。ここまで応えてくれるなら、自由に吹いた時の音を聴きたい。師も同じ考えらしく、竪琴の響きが静かに支える側へ回った。
遠慮はいらない。先ほどの一曲には収まらなかったものが、まだあるはずだ。
◇
優雅に………怪しく………そして美しく…………!
任された。
そう感じた途端、緊張より嬉しさが勝った。どこまで伸ばしても、下で支えてもらえる。
息を継ぐわずかな間さえ、音楽が途切れない。自分一人で吹いていた時とは、同じ笛なのにまるで違った。
ここで急いではもったいない。もう少し聴いていてほしい。
強く響かせることばかり考えていた頃には、こういう吹き方はできなかった。音を抑えても、聴き手は離れない。待ってくれる。その信頼があるから、次の音を大切にできる。
先生。今のところなら、褒めていただけただろうか。
答えは聞けない。だからこそ、教わった通りに吹きたかった。悲しさに任せて乱すのも、嬉しさに浮かれて粗くするのも嫌だった。
◇
素晴らしい……。まるで美しい歌声で船乗りを惑わし、深い海に引き込む『セイレーン』のような調べだ……。
この娘……いずれ世界的なフルート奏者になれるぞ……。
オルフェウスには、先ほどまでのためらいが消えたことも分かった。上手く見せようとしていた演奏から、聴かせたいもののある演奏へ変わっている。
これなら、誘った甲斐があった。
こちらにも応えてみせてほしい。終わりを決めるには、まだ早い。次の一節を差し出せば、きっと笛のほうからも、新しい答えが返るだろう。
◇
楽しい…………美しい………そして、尊い………っ!!
もう、時間が分からなかった。
誰がどの神に仕えているかなど、今は何の意味もない。海将軍であることも、名を偽っていることも、吹いている間は思い出さずに済んだ。
一曲だけのはずだった。だが、終われば次が欲しくなる。ほかの音楽家の得意な曲も聴きたい。知らない旋律に合わせてみたい。今の続きを、もう少しだけ。
やがて最後の響きを見送った時、名残惜しさと満足が一緒に来た。
また明日も、ここへ来られる。
それが何より嬉しいのだ。
◇◇
「ソレン………いや、セレンよ。随分と嬉しそうだな………。蕩けきったアホ面をしおって……」
何をしてくれたんだ、その顔は。
俺は今日、笑顔を保つだけで何度寿命が縮んだか分からんというのに。帰ってきたこいつは、宿舎に入ってから一度も口元が緩むのを止められずにいる。
「ふふふ……。いえ………音楽とは素晴らしいものだと、改めて実感しまして……」
そうか。よかったな。
手入れをする笛にまで愛情が伝わってくる。念願の演奏会にでも招かれたような顔だ。
「女官の皆も可愛らしくてね。力仕事を少し手伝っただけで、キャーキャー言われてお茶まで淹れてもらっちゃった。私も不覚にも、この任務が楽しいわ……」
お前もか、イオ。
資材の搬入だろう。大理石を運ばされたのだろう。朝はあんなに不満そうだったではないか。それが、お茶まで淹れてもらった、だと。
俺にも茶はあった。だが、飲もうとするたび背後が気になって、味など少しも覚えていない。
「…………お前たちのような、お気楽な部署とは違うのよ……。私は今日、現代の事務仕事とパソコンの恐ろしさというものを思い知ったわ……」
女の口調が抜けない。
直す気力もなかった。机から顔を上げるのさえ億劫だ。もう誰にも愛想を振りまかなくていい。それだけが、この部屋のありがたさだった。
「何かあったのですか、セラフィナ?」
あったとも。
書類の数など、まだ大した問題ではなかった。分類を覚えれば手は動く。間違いがあれば直せばいい。だが、あれは違う。一度でも見抜かれれば、その場で終わりだ。
「……仕分け作業中、ずっと、ずっとよ……。参謀長が、私の後ろをウロウロつきまとってきて……『君、やっぱりどこかで……』『タイピングの癖が、同僚に似ているんだよな……』って、ずっと至近距離でジッと観察してきたのよ!!生きた心地がしなかったわ!! あの男、絶対に何か疑ってる!! 怖かった……本当に怖かった……!!」
朝は、立つのも辛そうだったではないか。あのまま休んでくれればよかったのに、俺の背後を歩き回る元気は戻っていた。
打ち方を変えれば不自然になる。変えなければ、似ていると言われる。入力を止めれば、困っているのかと近づいてくる。
親切なのが、また怖い。
詰問ならば拒める。疑いを向けられたなら、否定する言葉も選べる。
だが、ただ懐かしそうに話しかけてくる相手に、近寄るなとは言えんだろう。
しかも上司にあたる男だ。無視もできない。声を低くするな、返事を急ぐな、兄に似た顔をするな。書類を一つ片づけるたび、そんなことばかり考えていた。
セレンの演奏相手は竪琴弾き。イレーネの休憩相手は女官たち。
同じ潜入任務で、なぜここまで違う。
「ポセイドン様……早くこの地獄から私を救い出してください……」
【アッシュの用語集】
■オルフェウス
エリス配下の邪霊士であり、卓越した竪琴の奏者。
ミーメの音楽の師でもある。
戦闘能力だけでなく、音楽家としても一流。
本人は自分の美貌についても一流だと思っている。
否定はしない。
■ミーメ
神闘士にして琴の名手。
オルフェウスを師と仰ぎ、現在も腕を磨き続けている。
今回、新任女官セレンの演奏に興味を持った。
音楽家同士、すぐに通じ合ったようだ。
■セレン
ワルハラ宮へ新しく入った女官。
笛の腕前が尋常ではなく、宮廷音楽家として働くことになった。
オルフェウスとミーメを相手に即興で合わせられる時点で、普通の音楽家ではない。
どこでそこまで鍛えたのか、少し気になる。
■セイレーン
美しい歌声で船乗りを惑わせる、海にまつわる伝承上の存在。
今回、オルフェウスはセレンの笛を「セイレーンのようだ」と評した。
妙に似合った比喩だな。
■宮廷音楽家
ワルハラ宮で演奏を担う音楽家たち。
式典や宴だけでなく、日常的な演奏も担当する。
今回、新しく加わったセレンはかなり歓迎されているらしい。
■セラフィナ
新任女官。
現在、決裁書類の仕分けを担当中。
真面目で仕事も速い。
ただ……。
顔を見ていると、なぜか知人を思い出す。
タイピングの癖まで妙に似ている。
…………誰だったかな。
■タイピングの癖
キーボードの打ち方には、意外と本人の癖が出る。
指の使い方。
間の取り方。
よく使うキー。
修正の仕方。
顔や声を変えても、長年染みついた癖までは簡単に変わらない。
セラフィナ。
やっぱりどこかで会ってないか?