聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
アテナもアベルもエリスも不在!
アッシュとフレアも北欧を離れた!
今こそ任務を果たせ、テティス!
……のはずが。
なぜか人魚姫、酒場でアルバイト中!?
さらにワルハラ宮では、行方不明のテティス捜索が始まる!
君は、小宇宙を感じたことがあるか!
私の名はマーメイドのテティス。誇り高き海闘士である!
現在の情勢は極めて良好。報告によれば、この地からアテナ、太陽神アベル、邪神エリスの姿は消えた。さらに、あの恐るべき聖域参謀長アッシュとフレアも、妊娠発覚によりイタリアのアッシュの実家へ里帰り出産で不在! ドルバル総大主教もフレイ大主教も日本!
――つまり、天がポセイドン様に与え給うた千載一遇の好機!! 任務への追い風が吹き荒れているのだ!!
「おい、姉ちゃん!! こっちの酒が切れてるよ!!」
「はいはい! ただいまお持ちしまーす!!」
右手に三つ、左手に二つ。ジョッキの重さにも、泡をこぼさず人の間をすり抜ける歩き方にも、もう慣れた。空いた皿を見つければ回収。厨房から声がかかれば返事。
培った判断力を存分に発揮して、ただいま夕食時の給仕に従事しております。
……とまあ、内心でカッコつけてみたものの。
散財した挙げ句に置き引きに遭い、滞在費を完全紛失した私は、こうして時給850クローネで皿洗いに勤しんでいるのである……情けない!
空になった荷物入れには何度も手を突っ込んだ。底も裏地も調べた。あのときの自分を思い出すだけで、いま握っているジョッキまで叩きつけたくなる。
響子社長のところで、あんなに頑張って稼いだのに。
クレープがおいしかったことは認める。温泉もすばらしかった。木彫りのオーディーン様だって、買ったことを後悔するような出来ではない。ただ、いまの私を守ってくださるつもりがあるなら、どうか宿代くらいは返してほしい。
……ちなみに日本に救援要請の連絡を入れたら、響子社長自ら「可愛い社員のために北欧出張するわ!」と助けに来てくれるそうである。ありがたい……。
電話口で、うっかり泣きそうになった。給料の前借りをお願いするだけでも申し訳なかったのに、自分から来てくださるなんて。これはもう一生ついていくしかないでしょう。
海皇様への忠誠とは別の話として。
――そこ!! 『また余計な神(オリンポス十二神ヴィーナス)を呼び寄せた』とか言わない!!
救援は救援なの。誰の救援かという細かい話をすると、私が困るからやめなさい。
「姉ちゃん!! 骨付き肉と追加の酒、早く注文頼むぜ!」
「はい! ただいま参ります〜!」
またあの眼帯の人だ。
ついさっき、こっちの卓には持っていったはずでしょう。底に穴でも開いているの? いえ、飲んでくださるぶんには結構ですけど。あなたの酒代の一部が、巡り巡って私の明日の朝食になるわけですし。
空のジョッキと引き換えに置いた一杯から、白い泡がふくらむ。今度こそ厨房へ戻ろうとして、妙な視線に気がついた。
黒髪に、黒い眼帯。思ったより若い。さっきから大声で呼びつけるものだから、もっと年配のお客かと思っていた。
何よ。泡が多いとでも言いたいの?
「へえ……。姉ちゃん、よく見りゃあ……お伽話の人魚みたいに綺麗な顔してるな」
「当たり前でしょ!! 私は本物の人魚……じゃなくて、生まれつき美人なんですーだ!」
危ない。
褒められた途端に正体を言いかけるって、何をしているの、私。響子社長のところでは、作業が丁寧だとか、覚えが早いとか、そういう褒め方が多かったから。突然、人魚なんて言われたら反応もするでしょう。
「くくっ、威勢がいいねぇ。気に入ったよ」
……ごまかせた、わよね?
エールの向こうの片目からは、からかわれたのか、本気で褒められたのかも読み取れない。もう少し愛想よくすべきだったかしら。給料をもらっている身で、なんですーだ、はなかったかもしれない。
でも、気に入ったと言われたのなら接客としては成功でしょう。そういうことにしておこう。
食費を確保して、宿代を払い、響子社長をお迎えする。その次こそ海将軍様たちと合流する。
順番を間違えている気もするけれど、空腹で密命を果たせるものですか。
◇◇
「むむう…………テティスのやつ、一体どうしたというの……?」
到着便の記録を読み直しても、空港の先にはつながらない。カノンにとって、この画面ほど腹立たしいものはなかった。
無事なら無事と連絡を入れろ。こっちは女官をやりながら、お前の心配までしているんだぞ。
「アスガルド行きの航空便に乗ったところまでは、確認できたのですが……。ゲートを出た後、ぷっつりと足取りが途絶えておりまして」
セレンの報告にも、普段の笛談義のような弾みはない。空港までは来ている。それなら、なぜ宮殿へ来ない? 捕らえられたという知らせもなく、海界からの追加連絡もない。何が起きたか分からないまま待つのは、もうたくさんだった。
「そもそも、ポセイドン様の命から2ヶ月も経ってノコノコやってくること自体がおかしいと、私は思うけどねん」
その語尾をやめろ、イオ。今は三人しかいないだろうが。
女装にも女官勤めにも慣れすぎた。このままでは、テティスに会った途端に『どちら様ですか』と聞かれかねん。
「どうしたのですか? 三人とも、深刻な顔をして」
しまった。執務机から離れても、聞き耳があった。
ま……まずい! テティスが海闘士であることは絶対に伏せねば!
「い……いえ……。大したことではございませんわ……」
「実は、私たちの友達がアスガルドに来ているはずなのですが、連絡が取れず行方不明になっておりまして……」
おい馬鹿イオ!! 余計な藪をつつくな!!
同郷なのか、どこで知り合ったのか、なぜこの三人を訪ねるのか。聞かれて困ることなら山ほどある。せめて先に設定を合わせろ。毎晩同じ宿舎に帰っているのは、何のためだ。
「まあ……それはそれは心配ですね……。……ところで、その三人のお友達というのは……女の子です?」
「は………はい。女性です」
「……美人ですか??」
……そこか。
出身地でも最後の目撃場所でもなく、そこなのか。
「………………まあ、巷では『人魚姫』と比べられるくらいには、容姿端麗ですが」
「まあ!! なんてことでしょう!! すぐに兵を出して、国を挙げて探させましょう!!」
ありがたい。ありがたいのだが、いま何を聞いて『なんてことでしょう』だったのか、確認したくはない。
隣にいるソレントにも、礼を言う前に引っかかったことはあった。
……美人でなければ、どうするつもりだったのだろう?
その疑問を口にするのは、さすがにはばかられる。相手は好意で捜索を申し出ているのだから。しかし、女性です、と答えるだけでは足りなかった。いまの一拍は忘れがたい。
カノンには、その答えを考えるまでもなかった。
決まっている。『探すには探すが情熱はゼロ』だったはずだ。どこまでもブレない女だ……。
◇◇
この三人はガードが硬すぎて、一緒にお風呂どころか手すら握らせてくれません……。
ヒルダにとって、日々の執務には切実に潤いが欠けていた。あれほど美しい顔がすぐそこにあるのに、差し出されるのは決裁待ちの書類ばかり。少しお茶でも、と誘えば次の仕事の確認。真面目なのは結構なことだ。非常に結構。宮殿を預かる立場として、文句などあるはずもない。
けれど、少しくらい親しくなれてもよいのでは?
しかし! この私が手ずから大切なお友達を助け出したとなれば、感謝のあまり抱きついてくるはず……! ついでにその人魚姫のような美少女も囲い込めば一石二鳥……じゅるり!
お礼なんてよいのですよ。困っている旅人を助けるのも、代行者の務めなのですから。
そう言って、そっと胸の方に手を添えるところまで想像できた。ああ、早く見つからないかしら。寒い思いなどしていなければよいけれど。温かいお部屋もお食事も、必要ならお布団(私入り)まで用意してあげられるのに。
「この私に任せておきなさい!! オーディーンの名にかけて、必ずや保護してみせます!!」
「あ、ありがとうございます……ヒルダ様」
ようやく頼ってもらえた。セラフィナの礼儀正しい声も、今日はいつもより近く感じられる。
――本当に欲望に忠実だな……。
そんな感想まで伴うお礼だったとは、知る由もなかった。
◇◇
着たかった。
メグレスのローブを、自分のものとして身につける。その日をどれほど待ち望んだか。腕の重さも胸の硬さも、勝ち取った暁には一つ残らず覚えておこうと思っていた。
ようやく願いがかなったというのに、鏡を見る気にもならん。
「良かったではないか、アルベリッヒ。これで名実ともに正当な神闘士だ」
「そうだぞ。フレア様がお元気なままなら、あと十年はお前にローブが継承されることはなかったかもしれん」
「うるさい!!!! 貴様らに何がわかる!!」
祝いに来たなら、祝いの品を置いて帰れ。手ぶらならなおさら長居するな。ハーゲンもシドも、どうしてそう余計なことばかり言う。
あと十年。
十年先も、あの方に勝てなかったかもしれない。そんなことくらい分かっている。
だからといって、この胸に落ち込んだものの正体を、お前たちに説明してやる義理はない。
「どうしたというのか、アルベリッヒは。せっかく念願の神闘士になれたというのに、なぜあんなに荒れているのだ?」
「わからないのですか、トール」
その琴をやめろ、ミーメ。いまから気の利いた解説でも始めるような調子を出すな。
「何がだ、ミーメ。俺には人間の考えることはさっぱりだ」
フェンリルはそれでいい。そのまま分からずに帰ってくれ。ここは見世物小屋ではない。控室だ。ローブの整備をする場所だ。なぜ全員で俺の顔を見ている。
「要するにだ。自らの実力で奪い取ったのではなく、フレア様の御懐妊に伴う『補欠繰り上がり』のような形で神闘士になったことに、男としての誇りが傷ついた……ということだろう」
「違うわ!!!! 貴様ら、揃いも揃って俺を笑いに来たのか!! さっさと出ていけ!! 帰れ!!!!」
補欠繰り上がり。
ほかに言いようはなかったのか、ジークフリート。その言葉だけで殴る理由には十分だ。事情を察してやったという顔までついている。なお悪い。
「いや、違うな。あいつはただ……麗しのフレア様の御懐妊にショックを受けているだけだ。昔からこいつは、フレア様に横恋慕していたからな……」
やめろ。
琴に合わせて話すな。皆の前で、そんな簡単に言うな。
「……………まさか、本気だったのか……」
バド、お前まで知っていたのか。
顔が熱い。ローブの内側にまで熱がこもって、息苦しい。否定しなければ認めたことになる。しかし違うと言えば、この連中に笑われたくないばかりに、長年の気持ちまで自分で踏みつけることになる。
「帰れと言っただろうがーーーーッ!!!」
勝てば、もう一度こちらを見てくださる。そのための鍛錬だった、とまでは言わん。
だが、次こそ一本取るつもりで向かえば、少なくともその間だけは相手にしてもらえた。
あの方には、ただの指導だったのだろう。
分かっている。今さら、お前たちに言われなくても。
「しかしアルベリッヒ、フレア様はもう十年前からアッシュ様一筋だったではないか……」
「だから『横恋慕』と言ったのだよ。哀れな男だ……まあ、お前の傷心のために一曲くらいは奏でてやろう」
「いらん!!! 余計なお世話だ!! ……だ、だがな!! 俺がこれから神闘士として誰よりも功績をあげ続ければ……いずれは俺を認め……!」
「ないない」
まだ最後まで言っていない。俺の功績にまで口を出す権利がお前にあるか、ハーゲン。
その落ち着き払った顔を見ていると、悔しさが別の方向へ噴き上がる。よくもまあ、俺にだけ。
「ぐっ……!! 貴様こそ、いつまでもヒルダ様に未練がましく付き従いおって!!」
「……あ?」
ほう。効くではないか。
他人のことなら何とでも言えるくせに、己に矛先が向いた途端、それか。もう少し余裕を見せてはどうだ。俺に勧めたように、素直に現実を受け入れてみろ。
「…………ハーゲン、一歩下がれ」
今度は何だ、ジークフリート。止めに入るなら、ミーメが琴を持ち出したときにしてほしかった。もう遅い。こちらは散々さらし者にされたのだぞ。
「い………いや…………ジークフリート、俺は別に……」
「ヒルダ様をお守りし、その御心を射止めるのは……私だ。……いや、騎士として、職務全般を……」
「……………………はあ」
どいつもこいつも気持ち悪いな。
職務全般、でごまかせると思っているのか。誰もそんな話はしていなかっただろう。
何を見せられているのだ、俺は。
馬鹿馬鹿しい。怒鳴る気まで失せた。
◇◇
人魚姫。
やはり髪は長いのかしら。セラフィナたちと並べば、どんなに華やかなことか。まずは無事に見つけて、それから宮殿へお招きして、お茶を飲みながらゆっくりお話を。
ヒルダの頭に浮かぶ席順には、ジークフリートもハーゲンも入っていなかった。
感謝の抱擁(裸)については、まだ十分に期待していた。
【アッシュの用語集】
■マーメイドのテティス
ポセイドンに仕える海闘士。
現在、密命を帯びてアスガルドへ潜入中。
……のはずなのだが、現地の酒場で働いているらしい。
旅費を失った?
海界。
本当に活動経費を見直した方がいいぞ。
■響子
ヴィーナスの依代であり、日本で会社経営もしている女性。
テティスを雇っていた縁から、今回わざわざ北欧まで救援へ向かうらしい。
海界が神々の不在を好機と見ていたところへ、新しい神を一柱追加。
テティス。
多分、そういうところだぞ。
■メグレスの神闘衣
デルタ星メグレスの神闘士が纏う神闘衣。
これまではフレアが使用していたが、今回アルベリッヒへ正式に継承された。
本人がずっと望んでいたものだ。
……もっと喜ぶと思っていたんだがな。
■アルベリッヒ
新たにメグレスの神闘士となった男。
実力でフレアから一本取って継承することを目標としていたため、本人としては少々複雑らしい。
まあ、神闘衣を受け継いだことが終点じゃない。
ここから自分の実力で証明すればいい。
■神闘士
オーディーンに仕えるアスガルドの戦士たち。
今回分かったこと。
戦闘能力は高い。
忠誠心もある。
恋愛事情は思った以上に面倒くさい。
俺は関与しない。
■ヒルダによる捜索命令
新任女官たちの友人がアスガルドで行方不明と知り、ヒルダ殿が国を挙げた捜索を決定。
迅速な判断だ。
立派だと思う。
……決断が急に速くなった理由については、聞かないことにする。