聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜   作:斉宮 柴野

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仕事を終えたテティスを待っていたのは――武装したアスガルド兵の大群!

逃げ場を失った人魚姫を救ったのは、酒臭い隻眼の男だった。

敵か、味方か。

謎の男、その名は――グリム!

君は、小宇宙を感じたことがあるか!


人魚の受難と、路地裏の片目野郎

私の名はマーメイドのテティス……! 海皇ポセイドン様に仕える誇り高き海闘士……そのはずだ……!

 

だが、今の私は世を忍ぶ仮の姿……日銭を稼ぐただの哀れなバイト店員……!

それなのに、それなのに……っ!!

 

「お、お待ちくださーーーーーいッ!!!!」

 

嫌よ!

鎧の音が近い。大通りを避けたのは失敗だったかしら。右も左も知らない建物ばかり。

食べ歩きのときには、もう少し道を覚えておくべきだった。

 

「なんでよぉぉぉぉぉッ!? バイト終わった瞬間、なんでこんな武装集団に包囲されて追われなきゃならないのよ!!」

 

悪いことなんてしていない。料理をつまみ食いした覚えもないし、お釣りも間違えなかった。最後の皿を洗って、明日もよろしくと言って、ちゃんと裏口から出た。

そこに槍を持った男が何人もいたら、逃げるに決まっているでしょう!

 

「待ってください! 貴女、セラフィナ様やイレーネ様のご友人でしょう!!?」

 

「人違いですーーーーッ!! 誰よその二人!! 生まれてこの方、一度も聞いたことないわよ!!」

 

店の常連? いいえ、お客の名前はそんなに覚えていない。そもそも友達を迎えに来るのに、この人数は何なの。振り返ったら、路地の入口からまだ追手が入ってくる。何人呼んだのよ。

 

腕に引っかけた包みが邪魔だ。賄いの肉が入っている。捨てれば走りやすくなるのは分かる。分かるけれど、これは明日の朝ご飯なの!

 

「誤魔化すのはおやめください! その『人魚姫』と評判の美貌!! セレン様からも『見目麗しい金髪に、ゆるいウェーブのかかった極上の髪の持ち主』と特徴を伺っております! 間違いありません!!」

 

セレン!? 誰!?

いや待って、金髪ウェーブの美貌……?

 

まさか……私の潜入任務がどこからか漏れて、海界のスパイだと完全に割れているの!?

ここで捕まったら、拷問の末に公開処刑される……!!

 

店で人魚と言いかけたせい? あれを聞かれていた? 駄目。思い出している余裕なんてない。いま足を止めたら捕まる。

 

小宇宙を使えば振り切れる。兵士を蹴散らすことも難しくない。けれど、その先は? 

神闘士を呼ばれたら? 私の居場所を探してくれるはずの海将軍様たちに、正体を明かすような真似をさせるわけにはいかない。

路地を曲がる。次は左。その先に暗い隙間が見えた。入れる。あそこなら――。

 

「……しまっ……!?」

 

壁だった。

建物の間の抜け道だと思ったのに、突き当たりが雪で白くなっていただけ。踏み止まろうとした靴底が滑って、手から包みが離れた。

 

ああ、朝ご飯。

拾いたい。けれど背後の足音は逃げ道を塞ぐように間隔を空けて、ゆっくり近づいてくる。

 

壁を越えるしかない? 高さを見上げている間に、後ろから腕をつかまれるかもしれない。鱗衣もないのに、何をしているの、私。

 

「ハァ……ハァ……! お、大人しく……してください……っ!」

 

「我々は……ハァ……ハァ……決して怪しいものでは……ハァ……!」

 

怪しすぎるわ!!

寒さで顔を紅潮させて、荒い息を吐きながら美女を壁際に追い詰める男たちの集団。これを見て安心できる女がいると思う?

 

何をする気なの。腕をつかむの? 口を塞ぐの? そこから一歩近づいたら、もう黙っていないわよ。

 

「近寄らないで!! 声を出すわよ!!」

 

とっくに出している。誰か窓を開けなさいよ。これほど騒いでいるのに。兵隊相手には関わりたくないというわけ?

 

「落ち着いてください! 今夜、代行者ヒルダ様が……貴女をワルハラ宮へお招きし、共に温かい夜を過ごそうと……ふかふかのベッドでお待ち兼ねなのです!!」

 

「どっちに転ぼうと貞操の危機ッ!!!!」

 

ポセイドン様。お命じになった籠絡とは、私のほうから近づく話でしたよね? 

宮殿へ引きずり込まれるなんて聞いていません。まだ心の準備も、作戦も、何一つ――。

 

伸びてくる手が見えた。

もういい。正体なんか気にしていられるか。まずその腕を――。

 

「ぐわぁぁぁッ!? な、何だ、液体……!? うおおっ、酒だ!! 目、目に染みるぅぅぅぅッ!!」

 

何?

顔の前を飛び散った雫から、強い酒の匂いがした。こちらへ伸びていた手は引っ込み、兵士の顔を覆っている。私が何かするより早かった。

 

「おわっ!? ば、馬鹿な、一本数十万クローネは下らない、秘伝の超高級ヴィンテージ・ブランデーだぞ!? 誰だ、こんな貴重な酒を投げつけた奴は……!!」

 

よく分かるわね、そんなこと!

数十万? それを売ったら私の宿代は何泊分? いえ、違う。いまは逃げるのが先でしょう。

 

「お〜い、姉ちゃ〜ん。こっちだ、こっちに逃げろ〜」

 

上?

黒い眼帯。屋根の端からのぞく顔に見覚えがあった。何度もおかわりを頼まれて、こちらからも何度も酒を運んだ相手だ。さっき会計を済ませて出ていったはずなのに。

 

「えっ……? あ、あんたは……さっきの店の、眼帯のお客さん!?」

 

「いいから〜、早く来ねえと捕まるぞ〜。ヒック……!」

 

 酔っ払いの手を借りるなんて、不安しかない。けれど、目の前の兵隊に差し出すよりはまし。

 手首をつかまれた途端、身体が浮いた。屋根から降りてきたと思ったら、今度は石壁の出っ張りへ引き上げられている。待って。足を置くところくらい教えなさいよ!

 

「貴様、何者だ!! 待て、逃がす――」

 

「邪魔すんじゃねえよ、野暮天どもが」

 

足元が急に明るくなった。熱い。さっきの酒に火がついたのだと気づいて、思わず息をのむ。

 

「うわああああっ!? あ、熱いッ!! 火を消せ、雪を投げろーーッ!!」

 

兵隊の手がこちらを離れた。いまなら行ける。

壁の向こうの雪へ飛び降り、引かれる腕について走る。足音は二人分。背後の怒鳴り声が遠ざかっていく。振り返りたい気持ちを抑え、曲がる方向を覚えようとした。

 

……駄目。全然分からない。

さっきから自分がどちらを向いているのかも怪しい。私一人なら、ここで途方に暮れていたはずだ。

屋根の欠けた時計塔が見えたとき、ようやく手首の力が緩んだ。

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……あ、ありがとうございました。おかげで助かりました」

 

息を吸うと喉が痛い。軒下へ入れたのはありがたかったが、風は冷たいままだ。

コートに貼りついた雪を払いながら、路地の奥に耳を澄ます。鎧の音は聞こえない。

逃げ切れたの? 本当に?

 

「いいってことよ〜! ヒック……美人が困ってりゃあ、男なら手を貸すってもんさ……」

 

うっ……至近距離だとものすごい酒臭い……! さっきの高級酒をラッパ飲みした直後ね、この酔っ払いめ……。

 

お礼は言った。言ったけれど、顔をそむけるのは許してほしい。私の身体には酒場の匂いが染みついているのに、それを上回るって相当よ。

 

こんなに飲んで、よく屋根に上がれたものだわ。足取りも危なげがなかったし、私を引っ張り上げた力も強かった。

そういえば、火をつけたとき。

 

「……そういえば、さっきのアレ。壁に触れただけで、どうやって火をつけたの?」

 

まさか……指先から熱量を撃ち出す小宇宙!? この男、ただの酔っぱらいじゃなくて、隠遁しているアスガルドの闘士……!?

 

しまった。助かったと思うのは早かったかもしれない。兵隊を追い払った理由が親切とは限らない。私を一人で捕らえたい事情があったら?

 

「あー? これのことか?」

 

差し出されたのは、小さな紙箱だった。ずいぶん安っぽい。印刷された模様も端が擦り切れている。中身を見て、考えすぎたことを悟った。

 

「…………マッチ…………?」

 

「路地のレンガがザラザラだったからよ。アスガルドの冬は、オイルライターの火がつかねえ時があるからな。こいつを持ち歩いてるんだよ」

 

「……マッチ……。ずいぶんとレトロね……」

 

小宇宙の気配を探った自分が恥ずかしい。

ただのマッチ。私が疑っている間も、向こうはしゃっくりをしている。何を大げさに警戒していたのかしら。

 

……いや、油断はしない。兵隊に酒を投げつけて平気な顔をしている人よ。真っ当な暮らしをしているとは思えない。

私の賄いは、あの壁際に置き去りか。いまさら取りに戻る勇気はない。せっかく肉を多めに包んでくれたのに。明日は店にも行けないかもしれない。給料を先にもらっておいてよかった。

 

「……まあ、何にせよ助かったわ。それじゃ、私はこれで」

 

「おおお!? 待て待て待てよ、人魚の姉ちゃん!!」

 

肩に置かれた手が重い。

何よ。また人魚って呼んで。店で言いかけたことを覚えているの? その呼び方、落ち着かないからやめてほしいんだけど。

 

「な、何よ? 私はあいつらに追われてる身なの。これ以上一緒にいたら、貴方にも迷惑が……」

 

というか、これ以上この酒臭い男に付きまとわれたくないし……!

 

「迷惑なんざ端から承知の上で首突っ込んでんだよ。――だが、命がけで助けてやった礼くらいは、キッチリしてもらわねえとなあ……? まさか『ありがとう』の言葉で済ませる気じゃねえだろうな?」

 

ああ、そういうこと。

 

親切なお客だと思って損をした。さっきの高級酒の代金を請求されたら払えない。

今日は何時間働いたと思っているの。皿を洗って、酒を運んで、足が痛くなるほど立ちっぱなしだったのよ。

 

置き引きの次はこれか。海底にいた頃、金を持っていないことがこれほど惨めだとは知らなかった。

 

「……はいはい、これでいいんでしょ? 今日稼いだばかりのバイト代、全額よ。チップだと思って受け取りなさい」

 

「いんや? 金なんざ端からいらねえよ」

 

封筒を押し返されて、胸元へ抱え直す。なら何が欲しいのかと聞く前に、背中が冷たい石へ触れた。

 

近い。横へ退こうにも、柱につかれた腕が邪魔だった。

さっきの兵隊と同じじゃない。逃げ道を塞がれて、相手の顔を見上げるしかない。助けてくれたことには感謝する。けれど、これは許していないわよ。

 

「よく見りゃあ……細身の割に、すげえいいカラダしてんじゃねえか。なあ?」

 

「……アンタも結局、欲情して襲ってくる側の男かよ!!!」

 

「くくっ、気のつよい女は大好物だぜ〜〜」

 

無駄に顔立ちが美形なのが、さらに腹立たしいわねコイツ……!!

 

怒っているのよ。冗談に付き合っているんじゃない。何を笑っているの。

 

こうなったら、みぞおちに膝蹴りを叩き込んで……!

柱に背を預け、足元を確かめた。その拍子に、目の前の黒髪とは違う色を思い出した。

 

ジュリアン様。

お会いしたい。

どうしてこんなところで、知らない男に迫られているのだろう。

あの方のおそばにいたかった。お仕えできることがうれしくて、海闘士の務めにも誇りを持っていた。

 

誰かに褒められたいから、この地へ来たわけではない。まして、恩を理由に身体を差し出すためじゃない。

 

「ふざけないで!! 私には……命を懸けてお仕えしたい、心から好きな人がいるの!! だから、アンタなんかに指一本触れさせる気は絶対にないわ!!」

 

押し返した胸から手を離さず、顔をにらむ。笑うなら笑いなさいよ。気に入らないなら、もう一度はっきり断ってやる。

 

見返される時間が長かった。次は何を言うつもり? その相手はここにいない、と笑うつもり? 関係ないわ。いま、ここにいる私が嫌だと言っているの。

 

「………………チッ。嘘……ではねえか。本気で惚れてるツラだな」

 

「え……?」

 

腕がなくなった。肩を寄せれば、その脇を通れる。思わず一歩離れてから、自由に動けることを確かめた。

 

「まあ……それなら仕方ねえ。他人の女を強引に奪う『寝取り』は、俺の美学じゃねえんでな。悪かったよ、冗談が過ぎた」

 

他人の女、って。

そう呼ばれるような間柄だったら、どれほどよかったか。こちらが一方的にお慕いしているだけなのに。

 

訂正はしない。その勘違いのおかげで手を引くなら、私から教える必要はないでしょう。

それに、あれを冗談で済ませないでほしい。逃げる途中でつかまれた手首も、柱に当たった背中も、まだ痛い。

 

目の前には新しい酒の容器。まだ飲むつもりなのかと呆れたが、もうこちらへ手を伸ばしてくる様子はなかった。

 

「それはそうと、だ。あの宮殿の兵隊どもから本気で逃げ切るつもりなら……俺を連れて行け。このアスガルドの裏道、抜け穴、隠れ家……どこに何があるか熟知してるぜ?」

 

「……今さっき私を襲おうとしたばかりの、正体不明の男に案内を頼めと?」

 

よくそんな提案ができるわね。

頼りになるのは確かだ。この時計塔へ来る道すら、私一人では見つけられなかった。ただ、それと信用できるかどうかは別の話よ。

 

宿へ戻るのも危ない。金髪の人魚姫といえば、あの女将さんならすぐ私を思い浮かべる。店に帰れば兵隊が待っているかもしれない。困った。行く場所を一つも言えない。

 

「そう警戒すんなって。俺の名はグリム……『グリム』と呼びな。人魚姫?」

 

警戒するに決まっているでしょう。

グリム。初めて聞く名前だ。本名かどうかは知らない。さっき兵隊が口にしていた三人の名前より、いまはこの男のほうが気になる。

 

どんな隠れ家へ連れていくつもりなのか。ほかに誰かいるのか。入口は一つなのか。

案内を頼むなら、聞くことはある。

 

「…………テティスよ。変な真似をしたら、次は海に沈めるからね、グリム」

 

「へっ、威勢のいいこった。よろしくな、テティス」

 

よろしくするかどうかは、これから決めるわ。

 

封筒をコートの内側へしまい、十分に距離を取る。給料は無事。身体も動く。賄いは諦める。まずは今夜、兵隊に見つからずに休める場所が要る。




【アッシュの用語集】

■テティス捜索隊
ヒルダ殿の命令を受け、行方不明になった新任女官たちの友人を捜していたアスガルド兵。

目的は保護。

武装した大人数で追いかけた結果?

本人には完全に敵だと思われたらしい。

捜索方法を考え直そう。

■人魚姫
今回、テティスを特定するために使われた特徴。

「人魚姫と評判になるほどの美女」

……かなり目立つ特徴ではある。

ただし本人が本当にマーメイドだとは、兵士たちは知らない。

偶然って怖いな。

■グリム
アスガルドの街にいた、黒髪に眼帯の男。

かなりの酒好き。

土地勘があり、兵士相手にも物怖じしない。

テティスを助けたようだが、本人の素性についてはまだ不明。

俺なら少し調べる。

■ヴィンテージ・ブランデー
長期間熟成された高級酒。

今回、兵士の顔へ投げつけられ、そのまま着火された。

数十万クローネ。

…………もったいない。

■マッチ
火を起こすための古典的な道具。

今回テティスは、グリムが小宇宙で発火させたのではないかと疑った。

普通にマッチだった。

何でも小宇宙で説明しようとする癖は、そろそろ直した方がいいかもしれない。
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