聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
だが、その道が最後に使われたのは――五百年前!?
狭い!
汚い!
そして抜けない!
絶体絶命の人魚姫が呼ぶのは、海闘士の証・鱗衣!
……ところでテティス。
その鱗衣、今どこにある?
君は、小宇宙を感じたことがあるか!
私の名前はマーメイドのテティス。ポセイドン様に忠誠を誓う、誇り高き海闘士よ……!
だけど私は今、誇りも何もない、ひどい場所を通らされている!!
膝が冷たい。肘も冷たい。コートを着ているのに、袖の内側へ泥水が入ってくる。
顔を上げれば額が岩にぶつかるし、下を向けば唇に土がつく。口を閉じていないと砂を食べる羽目になる。
これ、穴でしょう。どう見たって穴でしょう!
「ちょっと、何なのよこの場所はーーっ!? 本当にこれが、追手を撒くための逃げ道なわけ!?」
「あ〜〜……ヒック……。まあ文句言うなよ〜。ここをひたすら真っ直ぐ這っていけばよ、兵隊の目の届かねえ町外れの森に出るぞ〜……多分」
「た・ぶ・ん!? 今『多分』って言ったわね!?」
入口では、自信満々だったじゃない。細いお前が先に入れと言われたとき、断ればよかった。もう一度、表の道を探せと言えばよかった。
いま背後から聞こえるのは、頼りないしゃっくり。引き返したくなったところで、この男の身体が邪魔になる。
「そりゃあお前、ここ通るのなんて……ざっと五百年ぶりくらいだからなあ〜」
なんでそんな五世紀も放置された廃道を、現役の脱出ルートとして案内するのよバカーーッ!!
酔っ払いの年数なんか真に受ける必要はない。五年か十年の言い間違いでしょう。
ここを最後に通った人は、本当に外へ出られたのかしら。
いや。考えるのはやめよう。とにかく進んで、早く立ちたい。膝を伸ばして歩きたい。泥の入っていない空気を吸いたい。
「んん〜〜〜っ!! んん〜〜〜〜〜〜っっ!!」
進めない。
肘の置き場所を変えて、もう一度。駄目。胸が引っかかる。息を吐いて肩を斜めにしてみたが、固い岩の角がコート越しに食い込む。
痛い。ちょっと、これは本当に痛い。
「おやおや……? どうしたんだテティスちゃん、そんな狭い穴倉の中で色っぽい吐息なんぞ漏らしちゃってよぉ。……さては、俺を誘ってんのか? そうなんだろ? 男をこんな暗闇で挑発するたあいい度胸だ、じゃあ遠慮なくその美脚を……ぐっ!? チッ、穴が狭すぎて腕が前に伸ばせねえ……!」
「誰が誘うか変態野郎ーーーーッ!! 違うわよ!! 胸がつかえて前に進めないのよ!!」
さっき謝ったのは何だったのよ。こんなときにふざけるな。振り返れる広さがあったら、いまの発言の分も殴っているところだ。
「ああん? 胸がつかえたぁ? ……あー、お前、意外と着痩せするタイプで太めなのか? しょうがねえなあ……」
「太めじゃなくて発育がいいの!! ――きゃっ!? 痛い! 痛い痛い!! ちょっと、お尻を押さないでよ!!」
押せば通ると思っているの? 岩よ、岩! こっちの身体が先に潰れるでしょう!
両手を突っ張ろうにも、胸が締めつけられて力が入らない。助けを借りたのが間違いだった。どこが男の美学よ。押すな。
「文句言うな! お前のケツを押して押し込まねえと、俺だって進めねえだろうが! ……ふんっ……ぐぐっ……。だめだ、ピクリとも動かねえ。抜けねえな、これ。……おいテティス、諦めてバックするぞ。一旦戻ろう」
「言われなくたって戻るわよ! あんたの責任だからね!!」
最初にそれを言いなさい。
少しずつ息を吐いて、肩を戻す。入れたのだから抜けるはずだ。コートが破れるかもしれないけれど、ここに閉じ込められるよりはいい。
足を引こうとしたら、後ろにつかえた。
「へいへい、悪うござんしたよ……っと。やれやれ、ここが使えないとなると別の隠れ家を探すしか……むっ?? ……おい」
「何よ、早く下がりなさいよ!」
「いや……………俺の肩も………岩の突起にガッチリ挟まった…………。前にも後ろにも…………戻れねえ」
「何やってんのよ、この大スカタンーーーーーーッ!!!!」
どうするの。ここで朝を迎える気?
馬鹿みたい。いいえ、馬鹿なのよ。案内を引き受けた男も、それを信じた私も。
……よし。
こうなったら、恥も外聞も言ってられない! 小宇宙を全開にして、この岩盤ごと粉々に吹き飛ばして脱出するしかない!!
何? 『閉所でそんなことしたら生き埋めになる』って死亡フラグ? 知るもんですか! こんな岩盤ごときに潰される海闘士がいるわけないでしょ!!
え? 後ろのグリムはどうなるかって? 自業自得よ、知らないわよ!!
「いでよ! 我が身を守護せし海の鎧! 来たれ!! 私の鱗衣ーーーーーーッッ!!!!」
さあ、来なさい。もう遠慮しないわ。この汚い穴から出て、身体を洗って、温かい寝床を探すのよ。
……。
…………。
何も来ない。
「…………え〜と、人魚姫? 『すけいる』って何だ? 何か来るのか?」
そうだった。
飛行機。荷物。空港のカウンターに貼ってあった料金表。
まさか、こんなところで思い出すなんて。
「ううううううーーーー!!!!! そ、そうだったぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
◇◇
ようやく着替えを終えたところだった。
今日はもう帰ろう。残った仕事は明日片づければいい。更衣室の時計を見ていた女子社員には、隣のロッカーから聞こえる音が、最初は携帯電話の振動に思えた。
忘れ物だろうか。けれど、そこを使っていたテティスさんは出国したはず。連絡するなら、社長に聞く必要がある。
触れようとした扉が、内側から大きく膨らんだ。
「きゃああっ!? 何事!?」
「な、何!? テティスさんのロッカーが、内側から激しく発光して暴れてる!?」
開けてはいけない。
何が入っているのか分からない。砕けた何かが当たる。
金属の扉が床を滑り、その直後に窓ガラスの割れる音がした。
顔を上げたときには、窓の向こうに赤い光があった。
人魚。
一瞬、そう見えた。赤い人魚の置物。なぜ会社の窓から飛び出していくのか、理解が追いつかない。
テティスさん。ロッカーに何を預けていったの。
社長には、何と報告すればいいの。
◇
「レ、レーダーに緊急反応!! 東京上空を未確認の深紅の飛翔体が超音速で北上中!! マッハ5……いえ、マッハ10を超えています!!」
作戦室に、確認を求める声が続いた。誤表示であってほしい。その期待は、次々に届く報告で否定されていく。
この進路は何だ。東京から飛び立って、北へ向かっている?
指揮卓から見える数字には、待って考える時間がなかった。
「何だと!? 国籍不明の新型弾道ミサイルか!? 迎撃態勢を取れ!! PAC-3を展開……いや、速すぎてロックオンが間に合わん!!」
「飛翔体は日本海を抜け、シベリア上空を経由して……北欧方面へ一直線に向かっています!!」
こちらへ落ちてくるわけではないのか。ならば何を目指している。発射の通告もない。こんな飛翔体の試験を承認した覚えもない。
北欧に何がある。思い当たる答えはなかった。
「一体……何が起きているというのだ……!?」
◇
そうよ……! 格安航空券は、手荷物の重量制限がめちゃくちゃ厳しかったのよ!!
超過料金を払うお金がなかったから、ロッカーに置き去りにしてきちゃったのよーーーっ!!
あのときは名案だと思った。身につけて搭乗したら怪しまれるし、鱗衣を預けて紛失されたら取り返しがつかない。会社のロッカーなら鍵がかかる。帰国してから取りに行けばいい。
現地で必要になったら呼べばいいと、そこは考えていたのよ。
いま呼んですぐ来る距離かどうかを、忘れていたのよ!
遠くに応えは感じる。ちゃんとこちらへ来ようとしてくれている。頼もしい。ありがたい。けれど、いまは胸が痛くて仕方がないの。
「おい。結局、何を待ってるんだ?」
説明したくない。
鎧を日本の職場に預けてきました、と言ったら笑うでしょう。そんなものは持ってこいと説教するでしょう。
もういい。鱗衣が来るのを待っていられない。
「ええいっ!! もう仕方ないわ!! 生身だろうが何だろうが、このまま力技で突破するしかない!! 死の珊瑚礁よ、我が道を阻む岩を喰らい尽くせ! 『デストラップコーラル』ーーーーッ!!!!」
指先から小宇宙を、目の前の岩へ注ぐ。胸を圧迫している、この出っ張り。まずはここを崩せばいい。
硬かった表面に爪が入った。桃色の珊瑚を押し潰すと、胸の痛みが軽くなる。息を深く吸える。肘を前へ出せる。
抜けた!
「よしっ!! 抜けたわ!! 行くわよ!!」
「おいおい、岩が急にピンクのスカスカな置物になっちまったぞ!? 一体何が起きてんだ!?」
「死にたくなかったら、四つん這いで全力でついてきなさい!! 珊瑚礁の侵食で、このあたりの地盤が一気に脆くなってるんだから!!」
「それを早く言えバカ野郎ーーーッ!!」
いま言ったでしょう!
膝が擦れる。袖も引っかかる。構っていられない。頭の上から落ちてくる砂の量が増えた。さっき肩を挟んでいた突起も崩れたらしく、すぐ後ろから悪態が聞こえる。
はいはい、文句は外で聞くから。早く。そこの肘、止めないでよ。
手を伸ばした先に床がなくなり、身体が前へ落ちた。慌てて受け身を取る。膝を曲げられる。頭を上げられる。ようやく立てる広さに出たのだと分かったときには、心底ほっとした。
「ふう……っ! 危なかった……あそこだけが、昔の落盤で潰れかけていただけなのね……」
コートについた泥を払う手に、小石が当たった。
まだ落ちてくるの?
見上げた天井に細い亀裂。そこから砂が流れ落ちている。まずい。私が崩した場所は後ろなのに、どうしてこっちに亀裂が入るの。
「……おいテティス。お前のその派手な技のおかげで、洞窟全体が逝っちまいそうだぞ」
「ひっ……!?」
すぐ脇で、尖った石が砕けた。次はもっと大きい。床へ突き刺さった先端を避けると、今度は正面に岩が落ちる。
止まれない。どこに立てば安全なのか、分からない。
「うおおおおっ!! 走れええええええっ!!」
「最近、本当にこんなんばっかりーーーっ!! いやああああああああっっっ!!!!」
前に明かりがある。あそこが出口? 白く見えるのは雪? 早く外へ出たい。狭い穴も、兵隊も、もうたくさん。
すぐ隣の黒い上着を見失わないように走る。案内役を置いていくわけにはいかないし、この男も出口を目指しているはずだ。
その頭上で、天井の一部が外れた。
「グリム、危ないッ!!」
考える暇なんかなかった。
足を踏み切り、落ちてくる岩へ踵を叩き込む。砕けた。
着地した足に痛みが残ったが、走れないほどではない。
まったく、案内を引き受けたなら頭の上にも気を配りなさいよ!
「テティス……お前さん、素手で岩を……」
「勘違いしないでよね!! あんたを助けたわけじゃないんだから!! 道案内を途中で死なれたら、私が出られなくなるからよ!!」
「……へっ。よく言うぜ」
何よ、その笑い方。
こちらを見ていないで走りなさい。出口はもう見えている。あと少し。外へ出たら、二度と地下の抜け道には入らない。遠回りをしよう。ちゃんと空の見える道を――。
「うっ……!?」
痛い。頭が、痛い。
何が当たったのか分からない。右足を出したつもりなのに、膝から崩れた。冷たい。床に雪がある。出口に近いのだ。立てば出られる。立ちなさいよ、私。
腕に力が入らない。
耳鳴りで何も聞こえない。目の前の白い地面に、赤いものが落ちた。血? 私の?
暗くなった。
違う。頭の上に、岩が。
「しまっ…………た…………」
「テティスーーーーッ!!!!」
こんなところで。
ジュリアン様に、まだ――。
◇◇
間に合った。
岩は、入口を塞ぐほどの大きさだった。こいつの頭に落ちていたら、無事では済まなかっただろう。
左腕の中に息がある。意識はないが、生きている。額から流れる血が眼に入らないよう、抱える角度を変えた。
まったく。俺を助けに戻ったばかりに、余計な石をもらいやがって。
足元に転がる岩を避け、雪のある場所へ踏み出す。後ろで残りの天井が崩れた。中に人の気配はない。俺たちを追う兵隊も、まだここは見つけていない。
なら、放っていいな。
「……ふんっ」
右手の岩を山肌へ放り出す。地面が揺れ、雪が舞い上がった。開いていた穴も、これで塞がった。
ずいぶん古い道だったが、もう使うことはあるまい。
空いた手で、テティスの頭を支える。力を緩めた拍子に首を痛めさせるのは間抜けだ。
静かになったらなったで、落ち着かねえな。
酒をもう一口、という気にもならなかった。
「………………ポセイドンとアテナの聖戦か…………」
鱗衣を呼ぶ声で、もう疑う余地はなくなった。あの技もそうだ。こいつは海皇に仕える戦士。
何を命じられて来たのか、まだ聞いてはいない。
金に困っているのは分かる。隠し事が得意でないことも、よく分かった。
道案内が死んだら困る、だったか。
出口は見えていたぞ、人魚姫。
「ややもすれば、冥王ハーデスすらも動き出す兆し……。俺にはとうに関係のないことだと思っていたんだがなあ……。……そうも言えなくなってきたか」
酒場で顔を合わせた女を一人、逃がしてやる。それくらいで終わるつもりだった。
惚れた相手がいると聞いて、手も引いた。夜が明けたら別々の道へ行けばいい。
それで済むはずだった。
だが、こいつは俺を置いて逃げなかった。
俺の正体も知らずに。
そのことが、妙にうれしかった。
「人魚に命を助けられた…………か。……これは、借りを返してやらねばなるまいよ」
息は落ち着いている。出血も多くない。まずは風を避けて休ませよう。目を覚ました途端に騒ぎ出すだろうから、その前に湯も沸かしておくか。
どうやって外へ出たのかと聞かれたら、運がよかったと答える。信用しそうにないな。
まあ、答え方はあとで考えればいい。
髪についた小石を一つ取り除く。泥だらけだ。酒場で会ったときとは、ずいぶん変わっちまった。
怒った顔を思い出す。好きな男がいると言い切ったときの、あの眼も。
「……………幸運に思えよ? 人魚姫よ。お前は…………美しい」
【アッシュの用語集】
■鱗衣(スケイル)
海皇ポセイドンに仕える海闘士たちが纏う鎧。
所有者の呼びかけにも反応するらしい。
今回、テティスの鱗衣が置かれていた場所は――日本。
本人は北欧。
航空会社の重量超過料金を惜しんだ結果だそうだ。
気持ちは分かるが、戦士が装備を置いてくるな。
■マーメイドの鱗衣
テティス専用の鱗衣。
呼び出された結果、日本から北欧へ向けて超高速で飛翔。
日本側では正体不明の飛翔体として大騒ぎになったらしい。
……後でグラード財団から関係各所へ説明を入れておこう。
俺の仕事がまた増えた。
■デストラップコーラル
テティスの技。
対象へ珊瑚を侵食させる。
今回は狭い地下道の岩盤を脆くして脱出するために使用。
脱出には成功した。
地下道まで崩れ始めた。
加減しろ。
■アスガルドの旧地下道
街の地下に残っていた古い通路。
グリムによれば最後に使ったのは約五百年前。
テティスは酔っ払いの戯言だと思っているようだ。
……本当に戯言なのか?
■グリム
黒髪に眼帯の謎の男。
酒好き。
アスガルドの古い道に詳しい。
聖戦についても妙に詳しい。
そして今回、巨大な岩を片手で受け止め、そのまま放り投げた。
…………。
ただの酔っ払いではないな。