聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
その前へ立ちはだかったのは――首席女官セラフィナ!
一方、謎の酔っ払いグリムもついに動き出す!
揺れる忠誠、交錯する思惑!
そして宮廷に、新たな女官が姿を現す!
君は、小宇宙を感じたことがあるか!
私の名はシードラゴンのカノン。今はセラフィナ。ワルハラ宮の女官だ。
海皇の使者として同盟を持ちかけるはずが、身内の失態を取り繕う羽目になっている。さっき届いた指示を読み返したいが、端末を取り出せる雰囲気ではない。
まず、落ち着け。
テティスを庇うにしても、ヒルダの機嫌を損ねれば終わりだ。あの提案を支持するわけにはいかん。海将軍を男選びの候補に並べた挙げ句、宮殿を壊しているのだぞ。
そもそも、本人たちに何の相談もない。私もその七人に入っているのか? ああ、今は考えるな。
ドレスの裾を避け、膝をつく。ここならガラスはない。声も、いつものセラフィナの声で。
「ヒルダ様。相手は海皇ポセイドンからの使者と名乗っておりますが……現在、我がアスガルドはギリシャの聖域と強固な同盟関係にあります。そのような軽々しい誘いに乗り、聖域との信義を崩しては断じてなりません」
そうだ。私はアスガルドに仕える女官だ。ヒルダの立場を考え、もっともな忠告をした。
ここで急に海界との同盟を勧めれば、なぜそんなに熱心なのかと聞かれる。それに答える用意がない。
まず、この場での結論を避ける。詳しい話を聞くのは後だ。テティスにも、少し黙っていてもらわねば。
「そうね……! セラフィナ、その通りよ!聖域のアッシュ卿やサガ教皇との盟約を、怪しげな言葉で違えるわけにはいかないわ!――誰か! 誰かおらぬかーーッ!!」
待て。呼ぶのは誰だ。
廊下から近づく小宇宙に、背筋を伸ばす。強い。しかも速い。扉の壊れた入口を見た途端、神闘衣が目に入った。
「はっ! アルファ星ドゥベのジークフリード、只今参上いたしました!!ヒルダ様、ご無事で――!?」
「ジークフリード! ポセイドンの刺客だ! 直ちに排除せよ!!」
そうではない!なぜ処分を急ぐ。確かに今のテティスを見れば、使者より刺客に見えるだろうが。
拳が上がる。こいつは命令を疑う気がないな。ヒルダを守るためなら、一瞬の躊躇もなく打ち込むつもりだ。
「海界の不届き者め! ヒルダ様に仇なす者は我が拳の露と消――」
「お待ちください、ジークフリード卿! ヒルダ様!!」
立ち上がり、両腕を広げて間へ入る。
殴るなよ。私は武装もしていない女官だぞ。今のところは。
ここで拳を受け止めれば、庇えたとしても別の説明が要る。避ければ後ろのテティスに当たる。頼むから、その腕を下ろせ。
「セ、セラフィナ!?」
「このテティスという者は、海皇の使者を名乗ってはおりますが……我が友であることは紛れもない事実!どうか、問答無用で斬り捨てることだけはご容赦を……!」
捜索を頼んだ。その話を使うしかない。
保護したことにしておけば、先ほどの捜索とも繋がる。海界の者だと知らなかった、で通せる余地はある。
テティス、何も言うなよ。今、お前を助けようとしているのだ。
「……そうでしたね。……ということは、もしかして……セラフィナ、貴女たち三人までもが、ポセイドンの手先だったというの……?」
来たか。
当然の疑いだ。よく気づいたと言ってやりたい。なぜその当然の疑いを、そんなに傷ついた顔で口にするのかはわからんが。
否定を急ぐな。言い訳を重ねれば、そこを調べられる。こちらから怯えて見せればいい。
目を伏せる。少し声を落とす。悔しさより、悲しさだ。
「いいえ…………私どもは断じて違います。ですが……このような状況です。一介の女官である私の言葉など、信憑性は極めて低いことでしょう……。いっそ私を投獄してくださっても……」
言ったぞ。
本当に投獄を命じたらどうするか、という問題はある。だが、ここで潔白を証明しろと言われる方が困る。
ヒルダ。お前の好きな、慎ましく清らかな女官だ。友を見捨てられず、自分が罰を受ける覚悟をしている。
……どうだ。
「いいえ! いいえッ!! 私の愛しのセラフィナ!!私は貴女を信じます! 世界中の全てが貴女を疑おうとも、このヒルダだけは貴女の清らかな魂を絶対に信じ抜きますともぉぉぉっ!!」
両手を掴まれた。そのまま胸元へ引き寄せられる。振りほどくわけにもいかず、礼を言うように頭を下げた。
……簡単すぎる。
私を疑ったのは、お前自身だぞ。さっきの問いを忘れたのか。一言否定されたら、それで終わりなのか。
ここに仕える者として、一度きちんと注意しておくべきではないかという気さえしてきた。
違う。私はここに仕えに来たのではない。潜入中だ。
成功したのだ。喜べ、カノン。
なぜ、行く末が心配になっている。
◇◇
何なの、この人たち。
私の処分はどうなったの? あの大きな男、まだいるんですけど。拳は下がったけれど、こっちを見る目が怖いんですけど。
セラフィナ。妹のように可愛がっていたって、何よ。
会ったこともないわよね? あんな綺麗な青い髪の女の人、知り合いにいたら覚えているわ。
ヒルダの前で優しいお姉様を演じたいのかしら。そのために、私を妹扱いしている?
今は訂正しないでおこう。知らない人ですと言ったら、また拳が上がりそうだもの。
「……グリム。あの小魚(テティス)、ポセイドンの手先だったそうですが……どうします?ここで私が息の根を止めますか?」
ひっ。お医者様!?
正門から入れるようにしてくれた人よね。その人が、何でそんなに気軽に殺す話をするのよ!
聴診器を弄ぶ手つきも、さっきと変わらない。冗談? 冗談なら笑って。そういう薄い笑い方じゃなくて、わかるように笑ってちょうだい。
駄目だわ。この人なら本当にやりそう。
逃げる? 入口には神闘士。外は廊下。その先の道はよく覚えていない。上なら穴が開いている。鱗衣もある。思い切り跳べば――。
死にたくない。
ジュリアン様にも会っていないし、日本で正社員になる話も残っている。グリムとだって、昨夜、ようやく好きだと……。
こんなところで終わりなんて嫌よ。
指先に小宇宙を集める。せめて、最初の一撃で隙を作れれば。
「……いや。やめとけ、アンドレアス。俺が惚れたのはよ……相手がポセイドンの使者だからってわけでもねえし、街の酒場で皿洗いしてたネーチャンだからってわけでもねえのさ」
「……え?」
グリム。
私を見ている。頭を掻いていた手を下ろして、こっちへ歩いてくる。逃げようとした足が止まった。
怒っていないの?
私、肝心なことを話していなかったわよ。海皇様の命令で来たことも、何をしようとしていたかも。泊めてもらって、助けてもらって、そのお礼もろくにしていないのに。
近づくと、やっぱり酒臭い。
「テティス……。お前、俺のこと……好きか?」
……何よ。
今、聞くこと?
みんないるのよ。さっき、私を殺すって言っていた人もいる。神闘士も、ヒルダも、あの女官も。
そんな真っ直ぐな目で見ないで。からかっているなら、いつものように言い返せるのに。
昨夜のことを思い出してしまうじゃない。
温かかった腕も、あの声も。
好きよ。
嫌いだったら、あんなふうに首へ腕を回したりしないわ。さっき夫婦だと言ったのも、ヒルダを遠ざけるためなら誰を選んだっていい、というわけじゃなかった。
アンタだから言えたのよ。
「………………好き」
声、小さすぎたかしら。
顔が熱い。マスクを被っていてよかった。頬が赤いのは見えてしまうでしょうけれど、耳は隠れるもの。
……笑った。
満足そうね。聞こえたなら、もう聞き直さないでよ。
「なら、それでいいじゃねえか。――おい、ヒルダ様よう。とりあえず、この娘の話だけは聞いてやろうじゃねえか。ポセイドンとの同盟がどうなる云々なんざ、言い分を全部聞いた後でゆっくり決めりゃいいこったぜ」
そんな言い方でいいの?酒場で店主に頼むのと同じ調子じゃない。
さっき私が怒鳴られたところ、見ていたでしょう。アンタも怒らせないで。本当に出られなくなるわ。
「………………貴方様が、そう言われるのでしたら」
え。頭を下げた。
ヒルダが、グリムに?
何で?
そうか。セラフィナが庇ってくれたから。
お気に入りの頼みを聞くつもりだったところへ、グリムも口を挟んだ。それで話を聞く気になったのかしら。
……それにしては、妙に恭しい。
さっきからグリムを気にしているのも、私の思い違いではないわよね。あの言葉遣い。あの目。
まさか。惚れた?
……わかるけれど。わかるわよ。さっきのは格好よかった。私だって、顔が熱くなったもの。
女の人が好きなヒルダさえ、黙って頷いてしまうのね。ずいぶん罪作りな酔っ払いじゃない。
ただし、この人は私のよ。
あとでお礼を言おう。
好きだって、もう一度言うかどうかは……その時に考えるわ。
◇◇
……どうにか、収まったか。
ジークフリードは動かない。医者も、殺すという話を重ねる気はなさそうだ。テティスの小宇宙も落ち着いた。
今のやり取りで、なぜこれほど簡単に矛を収めたのか。
目の前の男をオーディーンだと考えれば、辻褄は合う。
合うのだが。あの白衣。そのスキットル。テティスに好きと言わせて喜んでいた顔。
私の想像する北欧の主神とは、いろいろ違う。
いや、海皇のメールを思い出せ。神だからといって、人間の思う威厳を保ってくれるとは限らんのだったな。
確かめたい。だが、今ここで私から正体を問うわけにもいかない。なぜ正体を疑ったのか、逆に尋ねられるのは避けたい。
「マーメイドのテティスとやら。話し合いに応じる以上、まずはその物騒な武装(鱗衣)を解いてはもらえぬか。話はそれから聞こう」
「は……はい! 直ちに!」
紅い装甲が身体を離れる。見慣れたマーメイドの形に戻ったのを確かめて、息を吐いた。
よし。そのまま置いておけ。再び呼び寄せるなよ。
これで話を聞いてもらえる。いきなり処刑される危険は薄れた。次に必要なのは条件だ。
対等な相互互助。潜在的な脅威への備え。既存の同盟を捨てろとは言わない。その説明なら、先ほどの私の忠告とも矛盾しない。
問題は、どうやってテティスに伝えるかだな。
「グリム様は……テティスと同じ客室でよろしいですか?」
「ああ。あと、美味い酒も頼むぜ」
「わかりました。手配させましょう」
やはり、聞き間違いではない。客に対する礼儀としても、態度が違いすぎる。酒を要求されて、機嫌を損ねるどころか素直に手配を約束した。
正体を隠しているなら、もう少し周囲にも隠させろ。
……テティスはどうなのだ。
隣の男を見上げて、嬉しそうにしている。あの顔で何を考えているのか、さっぱり読めん。少なくとも、自分の立場を慎重に検討している顔ではない。
「ジークフリード。この一件に関しては、宮廷全体に厳格な箝口令を敷く。神闘士の他の者たち――特に血気配の多いアルベリッヒやフェンリルたちには、決して余計な動揺を与えるでないぞ」
「はっ! 命に代えましても!」
それは助かる。
今の話が広まれば、ほかの神闘士も集まってくる。庇った私にも、詳しい説明を求めるだろう。ヒルダと違って、目を伏せれば信じてくれる連中ではない。
この天井を隠すのは無理だが、海皇が関わっていることを伏せられれば、まだやりようはある。
何と言うのだろうな。事故か。事故ではある。持ち主も到着を予想していなかったらしいしな。
「アンドレアス先生も、よろしく頼みます。事態が落ち着くまで、しばらく宮殿に滞在してください」
「わかりました。主治医として、いつでもお傍にお控えいたしましょう」
こいつも残るのか。
今も、顔つきがほとんど変わらない。ただの医者だと思うのは危険だ。
この男の前でテティスと話すのは避けよう。余計なことを口走られたら、全部拾われそうだ。
「セラフィナ、貴女が客人を案内して差し上げて……いえ、ダメよ!貴女は私のそばにいなさい! 離れてはダメよ!」
なぜだ。
今、絶好の機会だったぞ。案内をしながら小声で事情を聞けた。テティスに正体を明かせなくとも、もう少し慎重に話せと注意できたのに。
袖を掴むな。行かない。命令に従うから。
心配しているのか、単に離したくないのか。その二つを混ぜて私の行動を制限するなよ。
「……はい、仰せの通りに。――カリス。いますか?」
「はいっ!! セラフィナ様、お呼びでしょうか!!」
いたか。
短く切りそろえた緑の髪が目に入る。瓦礫を避けてこちらへ来る足取りに、迷いがない。こういう時の返事も早い。
最近、私の補佐についた女官だ。
事務処理も雑用もよくこなす。実にありがたい。
当たり前だと思ったか? その当たり前を、毎回安心して任せられる相手は貴重なのだ。
私が別の案件に追われている時に、返事を待って立ち尽くすようなこともない。急ぐ用件は簡潔に尋ね、それ以外はまとめて報告してくれる。
こいつが来てから、机の上の未処理が少し減った。
それに、ヒルダに連れ去られる心配がない。
顔立ちは整っているが、身体はほっそりしている。この代行者の好みは、もっと胸や腰に丸みのある女らしい。カリスに甘い声で入浴を勧めているところは、見たことがない。
有能な補佐を仕事に専念させられるのは結構なことだ。しかし、その理由が主君の好みだというのは、どうなのだろうな。
また国の心配をしてしまった。
やめよう。今は客の案内だ。
「お客様を貴賓室へご案内し、温かいお茶と食事、それにグリム様にはお酒をお出しして差し上げて。……失礼のないようにおもてなしするのですよ?」
最後は少し強く言った。
聞いたな、カリス。失礼のないように、だ。道順も客室の支度も心配していない。お前が何を言うかを、私は心配している。
テティスは既に怯えているのだ。余計な不安を煽らず、温かい部屋へ入れて、食事を出しておいてくれ。
「大丈夫です!! お任せくださいセラフィナ様!!――さあ、お客様ぁ! こっちです!
私の後ろにしっかりついてきてくれたら、たぶんヒルダ様も怒り狂って処刑したり殺したりはしないと思いまぁ〜す!!」
「ひっ……!?」
笑顔が明るい。声もよく通る。案内役として、そこは結構だ。
台詞が全部台無しにしている。
今から別の者に頼むか。
いや、カリスはもう出口の破片を避けるように手を差し出している。歩く場所も示しているし、客を置いて先へ行く気もない。仕事はきちんとするのだ。本当に、仕事は。
余計な一言さえなければ。
テティスがグリムのそばへ寄った。男の方は、先ほどと変わらぬ顔でついていく。あの調子なら、カリスの物騒な案内にも驚かないだろう。
頼むぞ。今度は大人しく茶を飲んでいてくれ。交渉条件はこちらで考える。
もう一つ、注意を伝えようとしたところで、袖を引かれた。
……わかっております、ヒルダ様。
そばにいます。離れません。だから、せめて手を放していただきたい。
海皇ポセイドン。最後に勝つのはこの私だ。
【アッシュの用語集】
■セラフィナ
ワルハラ宮の女官たちを取りまとめる、非常に優秀な女性。
今回、突然現れた海界の使者を庇い、ジークフリードの攻撃を止めた。
ヒルダからの信頼も厚い。
それにしても、ずいぶん度胸のある女官だな。
■ジークフリード
アルファ星ドゥベの神闘士。
ヒルダを守る忠義の戦士。
今回、命令を受けて海皇軍の使者を排除しようとした。
忠誠心は立派だが、外交上の使者ならば、まず話を聞く余地も残してほしいところだ。
まあ、宮殿を破壊された直後では無理もないか。
■マーメイドの鱗衣
海闘士テティスが身に纏う、人魚型の鱗衣。
今回は装着を解かれ、再び人魚の形へ戻った。
武装解除は交渉の第一歩。
ただし、鱗衣そのものが先ほど宮殿の天井を破壊している。
修繕費についても、後で話し合う必要がありそうだな。
■グリム
テティスが連れてきた、黒髪で隻眼の男。
かなりの酒好きらしい。
今回、海皇との同盟の是非はさておき、テティスの話を聞くようヒルダへ求めた。
……ずいぶんと自然に代行者へ意見する男だな。
一体何者なんだ?
■アンドレアス
ワルハラ宮の宮廷医師。
医師としての腕前は高く評価されている。
ただし、今回の発言を見る限り、性格には少々問題があるようだ。
医師なら、まず人命を守ることを考えてほしい。
いや、本当に。
■カリス
首席女官セラフィナの補佐を務める、短い緑髪の女性。
事務処理能力に優れ、仕事も早い。
ただし、接客に関しては少々独特らしい。
「たぶん処刑されないと思います!」
…………。
客人を安心させたいなら、別の言い方があるだろう。
■箝口令
機密事項を外部へ漏らさないよう命じること。
今回、ヒルダは宮殿で発生した事件について、厳格な箝口令を敷いた。
事態を不必要に拡大させないという意味では、適切な判断だ。
ただし、天井には大穴が開いている。
……どう説明するつもりなんだろうな。